冷たい夜風が、やけにリアルに、彼女の脇をすり抜ける。
 ビル風が吹き抜ける町並みを、1人の少女が歩いている。
「………」
 燃えるような赤毛の少女は、PC名を、揺光といった。
 かつてはThe World R:2において、アリーナのチャンピオンだったこともある凄腕だ。
 俊敏かつ苛烈な剣捌きを前に、数多のチャレンジャー達が、敗北の苦渋を舐めさせられていた。
「……ハッタリじゃ、ないだろうね」
 そのチャンピオンである揺光が、今は思案にふけっている。
 いつもの快活さはなりを潜め、その身に降りかかった現状に、静かに思考を巡らせている。
 何もかもが異常だったが、概ね、既知の体験ではあった。
 まるで自らのPCボディに、魂が直接乗り移ったような感覚は、かのAIDAサーバー事件の際にも経験している。
 殺人ウィルスの存在も、未帰還者になった時の、延長線上のようなものとして捉えられる。
 だがだからこそ、この状況を、軽く見るわけにはいかなくなった。
 それが本当だと信じられるからこそ、慎重に考えざるを得なくなったのだ。
(らしくないね、こういうのは)
 ぽりぽりと頭を掻きながらも、似合わない己の姿を自嘲する。
 文学少女を自任してはいるが、大雑把なのが地の性分だ。
 うだうだ悩んで立ち止まるよりも、直感に従って動いた方が、自分には合っているということは自覚している。
 それでも、どうしても進めない。
 明確に感じられる死の恐怖が、彼女の足を掴んで離さない。
「――おい、ちょっと、ちょっと」
 と、その時だ。
 不意に横合いの方から、低い男の声が聞こえてきた。
 呼び声にふと我に返り、音の聞こえる方を向く。
 路地裏から顔を出していたのは、20代そこそこといった様子の男だ。
 ネットゲームの世界において、年齢を引き合いに出すというのも、少々妙な話かもしれないが。
(こっち、こっち、ってか?)
 男は籠手を嵌めた右手を出して、こちらに手招きをしている。
 目立たないところで話そうということか?
 あるいは、閉所で奇襲を仕掛けるつもりか?
 どちらにしても、近寄ってみなければ真意は読めない。
 仮に騙し討ちが目当てだとしても、こちらはスピード重視の双剣士だ。大通りに戻ってこられる自信はある。
(乗ってやろうじゃないか)
 結局、どこまで考えてみても、揺光は揺光に違いない。
 揺光は男の誘いに応じ、ビルの谷間へと歩いていった。


「……だぁっ、分かんね。どうなってんだこりゃ?」
 ゴミ箱の並ぶ路地裏で、壁にもたれかかった男が、情けない声を上げて顔を押さえる。
 赤い和装に黒鎧の男は、名を、クラインと名乗っていた。
 いわく、SAO(ソードアート・オンライン)――The Worldとは違うゲームで、「風林火山」というギルドを率いているリーダーらしい。
 そしてそのクラインが、頭を悩ませている原因が、その2つのゲームに対する認識にあった。

「なぁ揺光。ホントにリアルの世界では、俺達の事件は誰にも知られてねぇのか?」
「さっぱりだよ。あたしとしちゃ、今時The Worldを知らない奴がいることの方が驚きだけどね」
 ポリバケツの上に座りながら、揺光がクラインの問いかけに答えた。
 要するに、それぞれの語る常識が、見事に食い違っているのだ。
 揺光の知る限りでは、The World R:2は、ユーザー数1200万人を超える、業界最大手のMMOである。
 AIDAによる未帰還者事件もさることながら、かつてのドットハッカーズ事件もあり、その知名度は絶大だ。
 今やネットゲームをやらない層にすら、名前を知られているほどのタイトルが、彼女にとってのそれなのだ。
「んー、The Worldなぁ……そんなに息が長いんなら、名前を聞いたことくらいあっても、おかしくはねぇと思うんだが」
 ところが、目の前にいるクラインは、その一連の事件を知らなかった。
 むしろ彼の事件では、SAOの絡んだ、全く別の事件が起こっていたのだ。
 いわく、彼の認識の中では、茅場晶彦とかいう技術者がそのゲームを作り、1年前ほどにサイバーテロを起こしたらしい。
 ネットに意識をダイブさせるという、全く新しいMMOの世界に、プレイヤーの意識を閉じ込めてしまったのだそうだ。
 もちろん、揺光はそんなことなど知らない。
 現実にそんな事件が起きたなら、大騒ぎになっているのが当然だろうに、欠片もそんな話は聞いていない。
「あー、もう! わけ分かんねぇよチクショウ!」
「うっさいよ! 目立たないようにって呼びつけたのは、そっちじゃんか!」
「っと、悪い悪い」
 いよいよ唸りだしたクラインを、一喝して黙らせる。
 見たところ人当たりのいい印象は受けるが、どうにもいちいち締まらない男だ。
 恐らくは自分と同じで、頭の回転は、あまり早い方ではないのかもしれない。
 赤髪同士ニワトリ頭、ってか。ほっとけ。脳内で一人ノリツッコミをした。
「まぁ、そこんとこは今はどうだっていいんだよ。とりあえず、これからどうするかってのを考えなきゃ」
「だよな。普通に生き残るためなら、やっぱり乗るしかないんだろうが……」
 揺光の振りに応えるも、クラインは腕を組み、黙り込んでしまう。
 そりゃそうだ。こんな会話をしている時点で、お互い答えなど決まりきっているのだ。
 殺し合いに乗れるようなタマならば、わざわざこんなところで顔を合わせて、三流コントなどしていない。
「無理だよねぇ、やっぱり」
 ポリバケツをゆらゆらと揺らしながら、揺光が言った。
「無理なんだよなぁ」
 結局、クラインから返ってきたのも、予想通りの答えだった。
「となると話は、こっからどうやって脱出するかっつうことになるな」
「それこそこんなとこでクダ巻いてたって、答えなんか出やしないよ」
 言いながら、ひょいっとポリバケツから飛び降りる。
 そのまま着地して姿勢を正すと、揺光は手元のメニューを手繰り、フィールドの地図を呼び出した。
 クラインもまたそれにならい、自分の地図を表示させる。
「とりあえずは怪しいと思うところを、手当たり次第調べるっきゃないね」
「怪しいとこっつうと、どこだ?」
「んなもん1つっきゃないだろ?」
「まぁ……そうだよなぁ」
 意外とこのクラインという男とは、波長が合うのかもしれない。
 2人が真っ先に注目したのは、地図の右上にあるエリアだ。
 ウラインターネット――名前からして、どう考えても怪しい場所である。
 反対に言えば、ここ以外には、特に怪しいと思う場所が、見当たらなかったということにもなるのだが。
「ものは試しだ。行ってみようよ。ホントに何かあるかもしれないしさ」
 大通りを指差す揺光に、クラインが頷いて応じる。
 特に断る理由もない。他にヒントらしきものもない。であれば、前に進むしかない。
 2人は路地裏を出ると、一路ワープゲートを目指すことにした。

(ハセヲ……)
 かつかつとアスファルトを歩きながら、揺光が想うのは、1人の男だ。
 かつて死の恐怖と呼ばれた男、ハセヲ。
 生意気な態度でつっかかり、チート技で自分を負かし、アリーナの座を穢したと思っていた憎らしい男。
 出会いの印象は最悪だった。
 それでも、言葉を交わしていくうち、彼の本当の姿が見えてきた。
 何だかんだ言って優しくて、度胸も根性もある彼のことを、次第に、恋しいと思うようになった。
(あたしだって女だからな。悔しいけど、心細い時だってあるんだ)
 彼は今、The Worldを襲う脅威と、必死に戦っているのだという。
 自分のPCに届いていたメールからは、彼の切迫した状況を、ありありと感じ取ることができた。
 そんな彼に対して、こう願うのは、無神経な話かもしれない。
 それでも、生憎と今の自分は、意外にもどうしようもないくらいに、追い詰められているらしい。
(だから、ちょっとだけ勇気を貸してくれよな)
 だからこそ、敢えて彼に願った。
 違う場所で戦う彼に、背中を押してほしいと願った。
 自分も今は、この場所で、生きるために精一杯戦う。そしてThe Worldで戦う彼の勝利を、心の中で祈り続ける。
 だから、そこにいるハセヲにも、同じように祈ってほしいと。
 彼方へ想いを馳せながら、揺光はその一歩を踏み出した。


(あれ、キリトだったよな……)
 コンクリートジャングルを歩きながら、クラインは静かに思考する。
 このゲームが始まった時に飛ばされた、あの真っ白な部屋を回想する。
 言葉こそ交わすことはできなかったが、あの時あの場所には、キリトがいた。
 自分がSAOにログインして、初めて出会った少年がいたのだ。
(……大丈夫なんだろうな、あいつ)
 事実、キリトの実力は折り紙つきだ。
 彼はSAOのゲームシステムにも素早く順応し、背教者ニコラスのクエストからも、単独で報酬をもぎ取っている。
 実力だけを見るのなら、生存の可能性は、恐らく自分以上だろう。
 問題は、そのクエストに挑む彼の様子が、尋常な状態ではなかったことだ。
 何があったかは知らないが、どうやら彼は何者かの死に、相当なショックを受けているらしい。
 気にするな、とは到底言えない。それでも、そんな不安定な精神状態では、どんなミスを犯すかも知れない。
(もうちっと俺を頼ってくれたって、バチは当たらねぇってのによ……!)
 籠手を嵌めた拳に、力がこもった。
 何か悩みがあるのなら、素直に頼ってほしかった。
 力を貸すよう言え、とまでは言わない。せめて何があったのか、打ち明けるだけでもしてほしかった。
 それほどに、自分を避けているのか。
 ログアウト不可能となったあの日、自分を見捨てて行ったことを、負い目に感じているということか。
(……悪ぃがキリト、俺はそんなに物覚えはよくねぇんだ)
 そんなことは恨んでいない。恨んでいたとしても、とっくに忘れた。
 第一、気にするなという一言は、あの時あの黄昏の下で、はっきりと言ったことではないか。
(無理やりにでも、世話を焼かせてもらうぜ)
 今度顔を合わせたら、今度こそきっちりと彼を助ける。
 同じ時を過ごした友人として、傷ついた彼を支えてやる。
 胸に固い決意を込めて、クラインは揺光の後に続いた。

【E-8/道路/1日目・深夜】

【揺光@.hack//G.U.】
[ステータス]:健康
[装備]:なし
[アイテム]:不明支給品1~3(未確認)、基本支給品一式
[思考]
基本:この殺し合いから脱出する
1:クラインと共に行動する
2:ウラインターネットに行ってみる
[備考]
※Vol.3にて、未帰還者状態から覚醒し、ハセヲのメールを確認した直後からの参戦です
※クラインと互いの情報を交換しました。情報の祖語については、未だ結論を出せていません
※ハセヲが参加していることに気付いていません

【クライン@ソードアート・オンライン】
[ステータス]:健康
[装備]:なし
[アイテム]:不明支給品1~3(未確認)、基本支給品一式
[思考]
基本:この殺し合いから脱出する
1:揺光と共に行動する
2:ウラインターネットに行ってみる
3:キリトと合流したい。未だ迷っているようなら、彼を支えたい
[備考]
※第2巻にて、キリトから「還魂の聖晶石」を受け取り、別れた後からの参戦です
※揺光と互いの情報を交換しました。情報の祖語については、未だ結論を出せていません
※キリトが参加していることに気付いています

013:monochrome lovers 投下順に読む 015:太陽の王
013:monochrome lovers 時系列順に読む 015:太陽の王
初登場 揺光 025:Link
初登場 クライン 025:Link

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最終更新:2013年03月01日 13:35