『
鉄道』は
平井喜久松さんの著書で,
岩波書店から1936年(昭和11年)に第1刷が,1949年(昭和24年)に第7刷が発行されました。
@wiki目次
扉
序
惟(おも)うに交通機関はその種類の如何を問わず文化生活を営む上において緊要欠くべからざる要素であって,人文の開発さらに産業経済の発達上その先駆をなすことは多言を要しない。特に鉄道は陸上交通機関としてその根幹をなしている。その機能の上において輸送量の大なる事,輸送速度の迅速なる事,輸送の安全なる事,この3特徴を併有する点においてその追随を許さない。近来内燃機関の発達に伴い自動車ならび飛行機の進歩著しく,従来鉄道によって輸送せられていた客貨がそれ等の交通機関に転移しつつあるが,しかしながら何れも未だ前述の機能を併せ具備せる点において鉄道に及ばざるの憾あり。従って長距離にわたる大量輸送は主として鉄道交通の領域に属すべく,今後においてもなおその特異の機能の範囲内において,ますます発達すべき使命を有する者と言わねばならない。
我国において鉄道が初めて敷設されたのは明治5年であるが,その後長足の進歩を遂げ現今ではその延長は国有鉄道,地方鉄道および軌道を合して約26,000kmに達した。また運転速度の如きは明治初年に比し約3倍の速さとなり特別急行列車においては駅停車時分を除けば約80km/h近くの平均速度を有するようになった。したがって諸施設もこれに伴って向上進歩をなし,車輛方面について言えば機関車の重量は30tから100tに増大され,その他寝台車あり,展望車あり,鮮魚青菜を運搬する冷蔵車あり。土木方面について言えば軌条は30kgから37kgに改善され,東海道線の如きは全線にわたり既に50kg軌条の敷設を見,枕木の増加,砕石道床,タイプレートの敷設等,軌道の構造強度も著しく進歩し,また列車運転の安全を期する保安装置の改善も電気を利用することによって著しく増進し,旅行の快適と安全,輸送の安全と確実とを結実したる点においては誠に隔世の感があるのである。
鉄道はその目的が運輸に関する点よりして,常に一般公衆に接触し,その批判の対照となるのであるが,しかも専門の部門の属する範囲すこぶる多く,これが正確なる知識を普(あまね)く修得することは中々困難である。本書は鉄道の中でも主として土木工学に関係する部分についてその全貌を平易に記述するに努めた心算であるが,浅学非才なる著者の事であるから,その説述あるいは難解の節もすこぶる多きことと信ずるが,好学の士にとり幾分でも裨益(ひえき)する所あり,一般読者の常識を涵養(かんよう)する上に寄与する事ができたならば,著者の欣(きん)これに過ぐるものはないのである。
第七刷刊行に際して
戦時中国防保安法その他関係法規に抵触する部分を削除して第七刷を出版する話があり,その準備を進めたことがあるが,施設の説明を主眼とする本書のような技術書の内容から写真,地名,数字等を取り去ってしまったのでは殆(ほと)んど読む価値を失ってしまうので気乗り薄でいた所,用紙の関係か遂に出版されずに終わった。今から考えると不完全なものを江湖(こうこ)に送らずに済んだことは著者としても,また読者諸君においても仕合せであったと思っている。
戦争開始から引続いて終戦後においても鉄道はその施設である線路,停車場,車輛,保安設備,電気施設等いずれも甚(はなはだ)しい虐使を受け,その上に破壊を蒙(こうむ)り実に惨憺(さんたん)たる状態にある。
また資材その他何かにつけて不如意であったので進歩改良ということは殆(ほと)んど見られなかった。施設の荒廃と作業能率の低下とによって近頃では鉄道としての使命である輸送の安全と確実,旅行の快適と迅速というようなことは望めなくなったと言うて差支ない。今後においても資材の欠乏,能率の低減等のために早急にこれが快復できるものとは考えられないが,当事者の格段の努力と一般公衆の好意ある協力とによって一日も早く今少し改善された鉄道の実現されるととを期待して止まない。
本書の内容の中には多少増補を要する部分もあると惟うが,未だ諸施設の復旧も完成されておらず色々と変わる所もできて来ると思われるので,巻末附録中の統計資料を最近の数字に改訂するに止め,他は次の機会に譲ることにした。
より善い鉄道の実現に多少なりとも本書が貢献することができたならば著者の最も欣幸(きんこう)とする所である。
目次
緒言 (p. 1)
鉄道は18世紀の末葉,英国炭鉱地方の石炭運搬木道から進化したものであって,その当時は木または石の上に鉄板を張ったものを道とし,その上に車を動かしたのである。その後フランジを有する軌条を使用したが,1789年から車輪にフランジを付けるようになった。軌条の長さも最初は1m位のものであったが1820年英国において軌条を輾製(てんせい)する方法を発明し錬鉄を用うるに至ったので,5〜6m位のものが作られるようになった。
1834年に米国で橋型軌条を作り,1837年英国で双頭軌条を作り,続いて英国で今日の平底軌条が作られた。
一方蒸気機関の発明せらるるやジョージ・スティーブンソンはこれを動力として列車を牽引する工夫をなし,1825年英国ストックトン—ダーリントン間において蒸汽列車を見事に運転させたのである。
その後製鋼法の改良進歩に伴い,軌条,車輛総ての点に改善が加えられ今日においては世界鉄道の総延長は実に130万kmに達し,列車速度の如きも125km/hを突破するに至った。
我国では明治2年政府において東京—神戸間の幹線および長浜—敦賀間の支線を敷設するの議を決し,翌3年東京,神戸両方面より工を起こしたのであるが,明治5年新橋—横浜間約29kmの線路が竣工したので9月12日同区間の開通式を挙行した。これが我国における鉄道の最初であって,その後僅々(きんきん)60年間にして国有鉄道営業キロ約16,000km,地方鉄道約7,200kmに達した。
鉄道の目的とする所は大体次の如きものであると言い得ると思う。
- 多量の物資あるいは人を安全,迅速,確実かつ経済的に輸送し,社会公衆の便を図ること。
- 軍隊および軍需品の輸送をなし,国防の完璧を期すること。
- 未開地の開墾。
而(しか)してこれがため,専用の敷地上に路盤を造り,その上に軌条,枕木,道床を敷き,斯くして造られた軌道の上に車輛を運転し,旅客および貨物を輸送するのであるが,設備としては単に線路のみではなく,その外に旅客貨物を取扱うため,停車場を造り,また客車および貨車の組成,仕分,洗浄等のため,客車操車場,貨車操車場を造り,機関車の駐泊,給炭水のため
機関庫を造り,かつまた列車を安全迅速に運転するがため,信号保安設備を施す等幾多の施設を必要とするのである。
これ等の施設は単に土木工学の範囲に属するものばかりではなく,機械工学,電気工学の範囲内にある部分も多分にあるのであるが,本書においては主として土木工学の範囲内に属する鉄道の諸施設が現在如何なる状態にあるかと言うことについて,鉄道線路,停車場,運転,信号および保安,線路選定,特殊鉄道,鉄道保線作業の順序により,その大要を記述することとする。
第一編 鉄道線路 (p. 4)
第一章 線路一般 (p. 4)
第二章 軌道 (p. 21)
§1. 軌条 (p. 21) 〜 §.4 道床 (p. 37)
§5. 軌道附属品 (p. 41),§6. 軌道力学 (p. 51)
§7. 緩和曲線,縦曲線 (p. 64),§8. 軌道敷設 (p. 71)
第三章 分岐および交叉 (p. 73)
第四章 線路の諸設備 (p. 89)
第二編 停車場 (p. 111)
第一章 総説 (p. 111)
第二章 停車場における設備 (p. 113)
第三章 旅客停車場 (p. 144)
第四章 客車操車場 (p. 161)
第五章 貨車停車場 (p. 163)
第六章 貨車操車場 (p. 182)
第三編 運転,信号および保安 (p. 197)
第一章 列車運転 (p. 197)
第二章 鉄道信号 (p. 220)
第三章 連動装置 (p. 241)
第四編 線路選定 (p. 250)
第五編 特殊鉄道 (p. 266)
第六編 鉄道保線作業 (p. 273)
附録 (p. 287)
索引 (p. 297)
参考文献
(著者・編者の五十音順)
書籍
- 平井喜久松『鉄道』岩波書店,1936年5月15日 第1刷発行,1949年7月15日 第7刷発行
辞典
- 岩波書店『広辞苑』〈シャープ電子辞書 PW-9600 収録〉岩波書店,1998-2001年,第5版
(書名の五十音順)
関連ブログ
#bf
コメント
メール
更新日:2010年12月05日
最終更新:2010年12月05日 22:55