#71 佐藤義則
- 1954年9月11日生まれ 北海道奥尻郡奥尻町出身 右投右打
- 現一軍投手コーチ。
- 現役時代は独自で開発した変化球「ヨシボール」を武器に長年阪急(→オリックス)で
酒仙主戦投手として活躍した。
- 昭和最後の20勝投手、40歳でノーヒッターと数々の偉業を持つ。
- 独自に編み出した縦に落ちる変化球、「ヨシボール」が代名詞。
- 「ヨシボール」は、フォークを投げたくても指が短くて投げられなかったために生み出されたとか。
- それと引っ掛け、プロデュースメニューとしてその名がついたハイボール「ヨシボール1号・2号」が発売される。
大リーグボールじゃないんだから
- 楽天に来る以前も檻、虎、公の3球団で投手コーチを務めた。
ダルビッシュを一人前の投手に育て上げるなどその手腕は高く評価されている。
楽天に就任が決まった際、ダルはまさおに「ヨシさんのいうことは間違いない」とアドバイスしたそうな。
- 春季キャンプでさっそく一場、青山らのロマンに魅了されている様子が報じられた。
しかし、(ry
- こうしたことからわかるように、杉山と並ぶかなりのロマン派。
実況スレでは「青山を先発にしよう」と書き込まれると「ヨシコーチ仕事してください」とレスするのがお約束。
- 野手陣からバッティングのアドバイスを求められることがあるという。
「20年以上も打者を抑えることばかり考えていたので、打者の調子の良し悪しも分かる」とか。
- マルチコーチあるで。
- 言うことははっきり言う、イエスマンではない性格であり、虎、公を退団した際には公然と球団批判を行っている。
- 曰く、「広報がコメントを聞きに来ると俺の周りの空気が乱れる」らしい。うちゅうの ほうそくが みだれる!
楽天の佐藤コーチ、北海道南西沖・阪神…被災3度乗り越え
◇頑張るしかない
北海道南西沖地震(93年)、阪神大震災(95年)、そして東日本大震災。プロ野球・楽天の佐藤義則投手コーチ(56)は大地震の被災を3回経験した。今回は仙台市の自宅が損壊、転居を迫られる見通しだという。チームにも自宅などが被災した選手は少なくないが、ペナントレースは12日に開幕する。「頑張るしかない。野球に打ち込んでいる姿を見て、被災した人々が『自分も頑張ろう』と感じてくれれば」。自分に言い聞かせるように語った。
北海道南西沖地震と阪神大震災の発生時はオリックスの投手だった。北海道南西沖地震では故郷・奥尻島を津波が襲い、伯母を亡くした。数日後に義援金を持って帰郷したが、惨状を目の当たりにし「語りたくない」と、取材の申し込みを断った。地震の翌日、4年ぶりの
オールスター出場が決まった。球宴当日、テレビ中継で故郷の人々が応援してくれたことは、今でも心に残っている。
95年1月17日は海外から帰国し、宿泊先の大阪市のホテルで阪神大震災に遭遇した。神戸市の当時の自宅や家族は無事だったが、帰宅できたのは約1週間後だった。この年、当時史上最年長記録となった40歳でノーヒット・ノーランを達成。チームも「がんばろうKOBE」を合言葉に11年ぶりのリーグ優勝を果たした。「神戸のゲームで大勢の観客が来てくれた。大いに励みになった」と振り返る。
3月11日の東日本大震災発生時は、兵庫県の明石球場でオープン戦の最中だった。家族は仙台を留守にしており無事だったが、自宅マンションには亀裂が入った。震災後、チームは練習試合などで全国を回っており、7日に初めて仙台の自宅の被害状況を確認する。シーズン開幕を前に、「選手も被災している。でも、成績が悪くても震災のせいにはできない。だからやるしかない」と語った。
最終更新:2014年01月28日 23:51