#41 青山浩二
- 1983年8月12日生まれ 北海道函館市出身 右投右打
- 石川賢は八戸大学の先輩、塩見貴洋は後輩である。
- 一場靖弘なき後の永遠のロマン枠。またの名を眠れるブルペンエース。局面打開のスライダー。
- ブルペンでの実力は相当なものらしい。
まさおを見に来た星野仙一をうならせ、野村監督に「マー君以上のスライダーを投げる」と評されたことがあるほど。
- キャンプに訪れた数多の解説者・新監督を虜にする魔性の男。
ただしあくまでブルペンのみの話である。
- チキンハートゆえに肝心のマウンドでは実力が発揮できず、わしせん民からはいつも催眠術をかけられている。
- これまで先発・中継ぎ・抑えの全てを経験。
- 中継ぎで結果を出して先発起用→試合を作れず中継ぎ降格→後ろが手薄なチーム事情から抑えに抜擢
→セーブ失敗で中継ぎ降格→気がつけばまた先発に――という無限ループ。
- 2009年度の先発機会は6回ながらQS率は0%。つまり6回を3失点以内に抑えたことが一度もない。
- CS2ndステージ第4戦ではロングリリーフとして好投し、そのピッチングを見る限りやはり実力はある……
ようだ。
- 試合のたびに「何かをつかんだ」とコメントを出すが、何をつかんでいるのかはいまだに不明。
- ひょっとしてつかむつかむ詐欺なのか…とわしせん民を悩ませる。
そこへ2010年の球団キャッチコピーが「つかめ!」に決定した。
いかにもロマンを感じさせるフレーズである。
- そんな2010年は登板したと思ったら2球投げただけで脇腹負傷で降板し、二軍落ちしてしまう。
なお試合は誰も予想できなかった結末を迎え、青山は悪魔の生贄にされたと噂された。
- 復帰後は中継ぎとしてgdgdのピッチングを巨人戦で全国に披露と、相変わらずのブルペン状態。
- だがいつの間にか防御率1点台の不動のセットアッパーになっていた。
ひょっとして、これもダミアン効果なのか。
腕のいい催眠術師を雇ったという説もある。
- ついに青山も覚醒か!とわしせん民も喜んでいたところ、2011年は先発転向を表明。
そして結果は案の定(ry
- もはや「青山を先発起用」は楽天に来た首脳陣が一度は通る道とまでいわれている。
- 2011年シーズン終了後の契約更改で、先発に若干の未練を見せつつも中継ぎに専念することを表明した。
- ところがキャンプでは抑え挑戦を宣言。完全に吹っ切れたか。
- 2012年5月、D.ラズナーの離脱で暫定守護神に。
- わしせん民の不安をよそに5月9日から13日にかけて5日連続セーブを記録。
さらに15日にもセーブをあげ、記録を6試合連続まで伸ばす。これはNPB史上四人目となるタイ記録である。
- ただし月間MVP受賞が発表された日、記録更新がかかる試合などではみごと燃える。
やはり特異な状況だとブルペン状態は出てしまうものなのか…
- 最終的にこの年は22セーブと、福盛の持っていた球団記録をひとつ上回る。
- なぜか中日戦、特にナゴヤドームには驚異的なほど相性が悪い。
- 2013年は開幕からクローザーに。開幕して1ヶ月は失点こそするものの救援失敗は無かったが5/12のロッテ戦で救援失敗しチームの6連勝をストップさせてしまう。
するとここから内容が不安定になってしまいD.ラズナーにクローザーの座を奪われてしまう。
中継ぎに配置転換されてからは安定しだして監督推薦での2度めのオールスター出場を果たした。- 前年より成績は落としたもののリリーフとしてフル回転し2年連続の60試合登板を果たした。
だがポストシーズンではどういうわけか出場資格選手に名前があるにも関わらずベンチ入りしていないなど登板無しに終わる。
まさかの先発転向や故障もささやかれたものの何も発表が無かった。
- イケメン。そしてかわいい。野村監督にタレントにでもなったほうがいいとぼやかれる始末。
その甘いマスクで日本生命のCMにも出演(G松本に打たれるシーンで)。
- カツゲン(飲料)とカレーを好む。
- 浩二君!ワイもカレー食べとるで!
- 2011年10月23日放送のTBS系列の番組「情熱大陸」にて30歳と誤表記される。28歳ですよ、TBSさん。
最終更新:2014年05月05日 16:04