橋上秀樹
- 1965年11月4日生 千葉県船橋市出身 右投右打
- 在籍時の背番号は「78」
- 1983年、ヤクルトにドラフト3位で入団。当時は捕手だったが、後に外野手に転向した。
守備固め・対左の代打としてヤクルト黄金時代に渋い活躍をした。
- ノムとは1990年にヤクルト監督に就任したのが初対面。
- 日本ハム、阪神と渡り歩いた後、2000年をもって引退。阪神時代の監督はノムである。
- 楽天初年度、二軍外野守備走塁コーチとして入団。
しかしチームがナニでアレだったため、開幕1ヵ月後には一軍コーチになっていた。
- 翌年、監督に就任したノムさんの下、ヘッドコーチに昇格する。
おじいちゃんは以前と比べて丸くこそなっていたが、投手交代で名前を間違える、同じ話を何回も繰り返す、
など色々な意味で大変だったらしい。
- 地味ながら2009年までずっと楽天にいてくれた。
- 退団後、2010年途中からスカイ・Aスタジアムで解説者に。
チームや選手のことをよく知るだけあって、理論的ながら駄目出しの多い厳しい解説が持ち味。
- 2011年、独立リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督に就任することが決まる。
内村賢介のような、イキのいい若手を育ててほしい。- ある日、試合中のベンチの様子をustreamで配信するという企画が行われた。
そこでわしせん民が見たものは、解説時の穏やかさとは異なりべらんめえ口調で選手を叱り飛ばす姿であった。
- 朝井擁する巨人二軍に10-0で大勝するなど手腕を発揮、監督一年目にして新潟を初優勝へ導く。
- そして10月24日、1シーズン限りでの退団が発表される。
- 複数の球団からオファーがあったらしいが、巨人の一軍戦略コーチ(2014年は打撃コーチ名義)として就任することが決まった。
- 巨人では2011年の貧打を払拭し3連覇に貢献。かつての宿敵の人脈を借りるというインパクトの強さもあり、当時のゴシップ記事は「巨人にID野球をもたらした」「シーズン当初は選手が全く話を聞いてなかったが、聞きはじめた途端にチームが急浮上した」などといった話で連日持ちきりであった。
- 2013年にはスコアラー名義で第3回wbcにも帯同した。
- 楽天退団後、「野村の『監督ミーティング』」という本を出した。
好評だったようで、引き続いて本を2冊執筆している。
- 監督のオファーも、この本を読んだアルビレックスの社長が出したのだとか。
楽天の選手たちのエピソードも出ているので、興味のある人はチェックしてみては。
- このたび楽天にヘッドコーチとして復帰することとなった。「巨人を変えた男」としてデーブを補佐してもらいたい。最下位に終わりデーブらと共に退任。
- ただ実際のところ、巨人は前回(2007〜09年)3連覇したときも橋上さんのようなスコアラーとコーチの中間のような立場の人がおり、その頃もチームが不調になるたびに「伊勢考夫さん(彼もノムさん人脈であった)がいなくなってイエスマンがコーチになって(ry」などといったアリガチな話が某ゲOダイや某ちゃんねるの間で延々と無限ループを続けていたわけで。
- 巨人に加入した年も選手が低反発球慣れした2年目で、なんだかんだ時期にも恵まれたかもしれない。前述の魔術師のような改革手腕は期待せず、「野村チルドレン人気でデーブの不人気を中和するのが目的」くらいに考えたほうがストレスはたまらないかもしれない。
- その後は西武コーチ、退団後はヤクルトにコーチとして復活した。
最終更新:2019年04月06日 14:36