藤原紘通


  • 1985年1月15日生まれ 長崎県長崎市出身 左投左打

  • 2008年ドラフト1位で指名されNTT西日本より入団。即戦力となることを期待された左投手。
  • しかしキャンプ中にいきなり左肩炎症を発症、5月まで投球練習もできなくなる。
  • 6月に1軍登録されるものの、2試合連続で負け投手となるなど、ロマン枠の一人かと思われた。
  • しかし、8月5日に被安打1・打者27人の準完全試合で初勝利を飾ると、徐々に勝ちはじめる。
  • 後半戦は先発ローテの一角に入り、最終的には5勝をマーク。

  • 某日のお立ち台にて、でかでかと「期待の新人」と書かれたネクタイを着ける。
    これは憲史のイタズラだったそうだ。
  • 前述の準完全試合もあり、わしせん民にとってはまさしく期待の新人そのもの。
    ……だったのだが、2010年はシーズン序盤からめった打ちに合い二軍落ち。
  • しかも6月にはひじの手術で全治10ヶ月、今季絶望とのニュースが報じられた。
  • それから約一年余、2011年8月19日に待望の復帰登板を果たす――が、3回途中にひじを痛め負傷降板。
    おお、もう…。
  • 一時は戦力外報道も出たためスレを騒然とさせたが、オフに支配下登録を外れ育成枠となることが決定した。
    背番号は「121」。
  • 術後の経過はよかったのか、6月1日に支配下登録と意外と早くに復帰した。
  • しかし、支配下後一度も一軍に上がることなく、2013年10月4日に戦力外通告を受けた。
    • 阪神が獲得調査しているという新聞報道もあったが、トライアウトを受けるも獲得する球団はなく引退を決意。楽天の打撃投手に転身した。

  • 投球内容はストレートが主体で、まれに100km/hに満たないスローカーブを使う。
  • しかしこれといった決め球がないため、打者を抑えるのに苦労しているフシがある。
  • 顔がS○APの草○剛に似ているためAAはその顔の流用がほとんど。

カツ丼の由来

  • 2009年8月22日、野村監督が試合前に「カツ丼」を食べている藤原を発見。
  • 試合後(試合は0-10で負け)に「試合前にカツ丼食べるなんて、コンディション管理がなってない」と激怒した。
    が、それは藤原のそっくりさんで全くの人違い(ヨシコーチの証言あり)。
    ちなみにそのとき本人が食べていたのはクリームパスタだったらしい。
  • これがわしせんでうけ、藤原のカツ丼ネタが広まった。
    藤原が先発する試合が近づくと、カツ丼を食べているAAが貼られるのはもはや定番。
  • これはネットonlyのネタ…と思ってたら球団公式のネタに。この件で多くのわしせん民が驚いたのは言うまでもない。

楽天 藤原カツ丼 販売!?

2009年12月9日 紙面から
 楽天のドラフト1位ルーキー藤原紘通投手(24)が8日、仙台市の球団事務所で、500万円増の年俸2000万円で契約更改した。藤原は、本拠地Kスタ宮城で販売されている飲食物の新商品として、カツ丼に自らの名字を冠して売り出すことを熱望。「山崎でらうまカレー」「田中弁当」などに対抗し「藤原のカツ丼」を企画・プロデュースする意欲を示した。

 名前入り弁当は、チームの顔となる人気、実力がなければ発売されない。今季の楽天では山崎武、岩隈、田中、野村監督の4人のみ。藤原は取って置きのカツ丼で、その仲間入りを狙っていた。カツ丼には、しょっぱい思い出がある。先発した8月22日のオリックス戦。4回途中5失点で降板すると、野村監督から「試合前に食堂でカツ丼をガツガツ食っとったやろ。血液がみな胃にいくから、打たれるんや」とベンチで説教された。だが、藤原が口にしていたのは、消化が悪いカツ丼ではなく、クリームパスタとサラダ。カツ丼をむさぼり食っていたのは球団関係者だった。

 とんだぬれぎぬだったわけだが、これをきっかけに「カツ丼左腕」として名を売っただけに、その縁は大事にしたい。藤原は「あまりカツ丼は好きじゃない」と言いながらも、会見では「球団に推薦してください」と報道陣の力も当て込んだ。「来季10勝を目指す」という24歳はグラウンド外でも球団に貢献する。 (永山陽平)
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/npb/news/CK2009120902000141.html

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最終更新:2014年01月04日 13:15