本西厚博
- 1962年5月15日生まれ 長崎県長崎市出身 右投右打
- 在籍時の背番号は「78」。
- オリックス・ブルーウェーブ黄金期を地味に支えたいぶし銀の外野手。
- 内外野を守れる守備の名手で、まさに「守備で金のとれる」選手だった。イチローに守備の注文をつける男。
「田口・本西・イチロー」のトリオは、日本プロ野球史上屈指の鉄壁外野陣と謳われる。
- しぶとい打撃も持ち味で、1989年には規定打席不足とはいえ、打率.302をマークした。
- オリックス時代が有名だが、阪神(97'途~98')、日本ハム(99')、ロッテ(00'~01')と渡り歩いている。
- 2010年、楽天の一軍外野守備走塁コーチに就任。
- 彼の就任以降、外野陣の守備が目に見えて向上しており、わしせん民からの評価も高い。
- ただ、そのアグレッシブな走塁指示から壊れた信号機と呼ばれる。元祖にならって「(元/本)西コーチ」と言われたりする。
両腕をぐるんぐるん回してぴょんぴょんジャンプする姿が特徴。
- 三塁コーチャーは叩かれやすいとはいえ、二塁にいるのがおっさんやルイーズでも突入指示は幾らなんでも無謀であろう。
- 2011年5月、打撃コーチ補佐へ、さらに6月5日には「補佐」が取れて打撃コーチへと配置転換。
なぜならあまりに前任者が(ry
- 「守備を見なくなって大丈夫なのか」「打撃コーチって好打者がやるんじゃないのかよ」と不安の声が囁かれた。
ところが彼の就任以後、なぜか打線が繋がり、効率は悪いものの3点の壁すら突破するようになった。
しぶとい打撃を伝授してくれているのだろうか?
- とはいえ、やはり臨時の措置だったのか翌2012年には外野守備走塁コーチに戻っている。
- シーズン終了後退団が発表され、スレでは外野陣の成長を支えた彼が去ることを惜しむ声が上がった。
最終更新:2012年10月15日 13:41