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長良川河口堰
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Media Watch: 公開論争~朝日新聞 vs. 建設省
「事実を隠している」との朝日新聞の論説に建設省が反論。国民を騙しているのはどちらか?
H12.11.05
Media Watch: 公開論争~朝日新聞 vs. 建設省
「事実を隠している」との朝日新聞の論説に建設省が反論。国民を騙しているのはどちらか?
H12.11.05
1.真実を隠し、国民をだます
「アユは順調に遡上。サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少は見られない」
岐阜県から三重県に流れる長良川が河口堰で仕切られて四年あまり。自然環境への影響を、建設省はこう言い張る。
岐阜県から三重県に流れる長良川が河口堰で仕切られて四年あまり。自然環境への影響を、建設省はこう言い張る。
真実を隠し、国民をだます。建設省の河口堰をめぐる言動はその点で、薬害エイスで厚生省、金融で大蔵省がやってきたことと共通している。[1]
朝日新聞の「窓 論説委員室から」として掲載されたこの論説に対して、建設省の担当者たちが抗議文を出そうと竹村公太郎・河川局長に提案した。竹村局長は、抗議文では密室のやりとりに終わってしまうのでダメだと答えた。そして、行政には国民に対する説明責任があるから、インターネットですべて公開して論争しようと決断した。[2]
この論争は、朝日新聞の旧態依然とした報道体質を浮き彫りにするのと同時に、情報公開を武器とする新しい行政スタイルの効用を実証することとなった。そのハイライトを紹介しよう。[3]
2.何を隠し、だましているのか?
まず建設省は、「真実を隠し」「国民をだます」と朝日が述べている点について、どのような事実を隠し、どう国民を騙しているのか、と問いかけた。
これに対して、朝日は次のように断定的に答えた。
建設省が隠している真実とは、「長良川河口堰の運用後、天然アユは順調には遡上・降下していないこと。天然サツキマスや、長良川河口部のヤマトシジミの漁獲量は著しく減少していること」です。「建設省がだましている」と記述したのは、そうした現状だとみられているにもかかわらず、(中略)「堰運用開始後も、アユは順調に遡上し、サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少は見られない」と説明しているからです。
建設省が隠している真実とは、「長良川河口堰の運用後、天然アユは順調には遡上・降下していないこと。天然サツキマスや、長良川河口部のヤマトシジミの漁獲量は著しく減少していること」です。「建設省がだましている」と記述したのは、そうした現状だとみられているにもかかわらず、(中略)「堰運用開始後も、アユは順調に遡上し、サツキマスやシジミの漁獲量も著しい減少は見られない」と説明しているからです。
3.今年は278匹しか取れなかった
問題はアユ、サツキマス、シジミの3点があるが、サツキマスに絞って論争の経過を追ってみよう。朝日は「窓」では次のように書いていた。
絶滅が危ぶまれる種のサツキマスにいたっては、今年は278匹しか取れなかった。サツキマスは絶滅が危ぶまれるほどに漁獲高が減っており、その「真実」を建設省は知っているにも関わらず、「サツキマスの漁獲量に著しい減少は見られない」と国民を騙している、というのが、朝日の主張ということになる。「根拠を示してください」との建設省の書簡に対して、朝日は建設省自体が調査した2人のサツキマス専門の漁業者の漁獲量データを示して、こう述べる。1996年や97年には、堰運用前の94年に匹敵する漁獲量になっています。しかし、99年の漁獲量は最終的にたったの278尾に終わりました。このグラフにはない93年には1031尾も獲れていたのですから、その三割以下です。
「絶滅が危ぶまれる」と始めて「278匹しか取れなかった」と言えば、誰でも長良川全体での漁獲量が、わずか278尾だと思うであろう。しかしこれは建設省が調査した二人の漁業者だけの漁獲量であった。しかも、堰の運用開始は95年であり、「1996年や97年には、堰運用前の94年に匹敵する漁獲量になっています」という事実を隠し、運用開始4年後の数値だけを挙げて、いかにも堰の影響だと思わせるような文章にしているのである。これでは意図的に読者をひっかけていると言われても、仕方がない。
4.サツキマスの漁獲量は「著しく減少している」か?
二人だけのデータでは全体像がつかめないので、長良川全体での漁獲量の目安として建設省は次のデータを示した。
サツキマスの漁獲量は「著しく減少している」と断定していますが、長良川産のサツキマスの岐阜市場への入荷量は、94年の1,258尾に対して96年は1,438尾と逆に増えているというデータもある中において、この断定が適切な判断と言えるのか、貴社の見解をお示し下さい。
朝日は、先の二人の漁業者が今までは料理屋に直接出荷していたのに、市場に出荷するようになったと述べ、その影響をのぞくと、この二人の漁業者の出荷量を除いた市場への入荷量は、漸減傾向にあると考えます。具体的な数字は次の通りです。
1994年 | 1258尾 |
95年 | 709尾 |
96年 | 1054尾 |
97年 | 947尾 |
98年 | 905尾 |
このデータに対して、建設省は以下のように述べる。
仮にこの数値を用いたとしても、堰運用開始後に「著しく減少している」と言えるような数値ではなく、(中略)貴社が断定する「著しく減少」という主張を支える資料というよりも、建設省資料における「著しい減少はみられない」という表現が不当と言えるほどのものでないことをお示しいただいた資料ではないかと考えております。
仮にこの数値を用いたとしても、堰運用開始後に「著しく減少している」と言えるような数値ではなく、(中略)貴社が断定する「著しく減少」という主張を支える資料というよりも、建設省資料における「著しい減少はみられない」という表現が不当と言えるほどのものでないことをお示しいただいた資料ではないかと考えております。
河口堰が本格運用になったのは95年7月6日で、サツキマスの大半の漁獲は5月末までなので、河口堰の影響があるとすれば、96年からであろう。この年は、前年の3割も増えている。また、運用前の94-95年の平均983尾に対して、運用後の96-98年の平均は968尾である。年変動の大きさから考えても、統計学的には「漸減」とすら断言できない。このデータをどう解釈しても、「著しく減少している」などとはとても言えないことは明らかである。
5.国民を騙したのはどちらか?
なんのことはない、「著しく減少」して「278匹」しかとれずに、「絶滅寸前」というサツキマスは、朝日自身の引用したデータですら「著しい減少は見られない」という建設省見解を裏付けるだけに終わってしまった。
同様に、シジミについては、「窓」では「はるかによい漁場だった長良川でシジミは死滅し、いま漁に出る漁師は一人もいない」との極端な状況描写を行ったが、これは一部の漁場だけで、現地の漁業協同組合では他の漁場で漁獲を続けている事が明らかにされた。朝日は「舌足らずでした」と弁解しているが、事実を知りながら、さも長良川全体でシジミが死滅したと思わせる表現は、作為的と見られても仕方がない。
同様に、シジミについては、「窓」では「はるかによい漁場だった長良川でシジミは死滅し、いま漁に出る漁師は一人もいない」との極端な状況描写を行ったが、これは一部の漁場だけで、現地の漁業協同組合では他の漁場で漁獲を続けている事が明らかにされた。朝日は「舌足らずでした」と弁解しているが、事実を知りながら、さも長良川全体でシジミが死滅したと思わせる表現は、作為的と見られても仕方がない。
さらにアユも、「今年は六百万匹を超えた」という建設省データに対して、「堰ができる前は何千万匹もが、幅六百メートルの河口を遡上していたはずだ。」と朝日は書いたが、これは40年もまえの「1千万~2千万匹」というデータが出典だという。40年の間には、河川周辺の開発も進み、また当時とは推定方法自体が異なることから、このデータだけで、堰のためにアユの遡上が激減したとは、とうてい主張できない。
朝日の「窓」は、建設省が「真実を隠し、国民をだます」と述べたが、結局、その根拠はなにも示せなかった。逆に、朝日の主張自体が、いかに建設省の調査結果を強引にねじ曲げて、読者に誤解を与えるような書き方をしている事が明らかになった。これでは建設省が以下のような質問をするのも当然であろう。(朝日の記事は)単なる事実誤認ではなく、事実が異なることを承知していながら国民をだましたことになるものと考えられますが、貴社の見解をお示し下さい。
6.朝日の論争打ち切り
上記の書簡は、昨年12月25日に出されたが、朝日は回答に窮したのか、4ヶ月以上も「なしのつぶて」状態を続け、ようやく本年5月2日に発信された手紙では、一方的に「末梢的なことにこだわる不毛の議論をいつまで続けても、生産的な結論は出てきません。」として「 論争打ち切り」を宣言した。事実上の敗北宣言と受け取られても仕方がない。
自らが大上段に「建設省は国民を騙している」と決めつけておいて、いざ議論で追いつめられると「末梢的なこと」と切り捨てて論争から逃げるというのは、言論人としての常識を疑わせる態度である。さらに、この手紙で朝日は「日本の自然保護協会保護部長の吉田正人」なる人物の見解を添付して、「論争の当事者には言いにくいことも指摘しています。」と言い添えている。その添付資料の最後は次のような一節で結ばれている。
しかし建設省は、長良川河口堰に関する番組や記事に少しでも事実誤認や見解の相違があると、メディアに対して文書による回答を求め、ホームページ上に掲載するという手段をとりはじめている。このようなやり方を続ければ、長良川河口堰問題はメディアの中では、一種のタブーとなってしまい、自主規制が行われるようになってしまうことが危惧される。ホームページは、うまく使えば誰もが見ることができる公開討論の場ともなるであろうが、使い方を誤れば中国文化大革命時代の壁新聞にもなりかねない。その意味でも、今回のホームページによる公開討論は重要な問題を投げかけている。
これでは行政側が公開の場でマスコミの報道に異議を唱えることは、あいならぬということになってしまう。それは今回のような虚報・誤報を垂れ流してもどこからも批判を受けないという点で、きわめて都合の良い立場だろうが、一民間企業である新聞社がそのような不当な権力を持つ事は、民主主義国家では許されない。「負け犬の遠吠え」と見過ごすわけにはいかない「重大な問題」をはらんだ発言である。
7.自由民主主義社会に必要な報道機関とは?
今回の論争では、建設省の新しい情報公開のアプローチと、朝日新聞の旧態依然とした報道体質との対照が鮮やかに見て取れた。
まず建設省の長良川河口堰に関する情報公開は、モニタリング委員会の年報だけで全6巻3千ページ、資料編は全13巻約9千ページ、記者会見は平成6年だけで212件と徹底したものだ。行政が国民の要望を正しく反映しているかをチェックすることが民主主義の基盤であり、そのためにもこのような情報公開は不可欠である。建設省の見識と努力を高く評価したい。
しかし、これだけの厖大な情報量は、一般国民では十分に消化しうるだけの時間的余裕も予備知識もない。そこに第三者的な報道機関がそれらを一般読者に分かりやすく紹介し、かつ自社なりの論説を加える意味が出てくる。行政サイドの情報公開を生かすためにも、報道機関による簡潔・適切な概要紹介と、国民の声を代表する論説が大切なのである。
それに対して、今回の朝日が、建設省をさも真実を隠しているかのように誹謗中傷し、なおかつ長良川の自然環境が「絶滅」「死滅」寸前であるかのような誤報、虚報を流していたのでは、国民には正確な事実が見えなくなってしまう。それは報道機関が国民と行政との間の相互理解を阻む「壁」になってしまっているということである。
朝日の「真実を隠し、国民をだます」報道体質は、たとえば「従軍慰安婦」問題でも、悪徳慰安業者を取り締まれと指示した陸軍の文書を、「慰安所、軍関与示す資料」と大見出しで取り上げて、さも軍が慰安婦の強制連行に関与したかのような紙面作りを意図的にしたことにも共通して窺われる。[a,b]「日本軍は従軍慰安婦を強制連行した」「建設省は環境破壊を行いながら、それを隠している」などという独善的な主張を押し通すためには、事実の正確な調査・表現という報道の大原則を曲げても良いと朝日は考えているようだ。国民の目から事実を隠し、自身の独善的な主張で国民を騙そうとする。これは独裁国家のプロパガンダ報道そのものである。
自由民主主義社会は、国民一人一人が国家公共の事を考えることによって成り立つ。そのためには、行政側の情報開示と、それを客観的な分かりやすい形で伝える報道が必要だ。朝日新聞が中国や北朝鮮のような独裁国家向けのプロパガンダ機関から早く卒業して、自由民主主義にふさわしい報道機関に脱皮することを期待する。
リンク
a. JOG(106) 「従軍慰安婦」問題(上)~日韓友好に打ち込まれた楔。
b. JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)~仕掛けられた情報戦争。
b. JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)~仕掛けられた情報戦争。
参考
(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 朝日新聞、H11.10.15夕、「窓 論説委員室」
2. 「建設省はなぜ朝日新聞に挑んだのか」、竹村公太郎、Themis、H12.10
3. 「10月15日付朝日新聞「窓」の報道に対する建設省の書簡について」★★、建設省ホームページ
1. 朝日新聞、H11.10.15夕、「窓 論説委員室」
2. 「建設省はなぜ朝日新聞に挑んだのか」、竹村公太郎、Themis、H12.10
3. 「10月15日付朝日新聞「窓」の報道に対する建設省の書簡について」★★、建設省ホームページ
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