闇の中、少女が必死に路地裏を走っていた。
はしたなくもスカートの裾を捲れさせ、足の肌を露わにしながら。
は、は、と白んだ息を漏らして、震える瞳が幾度も背後を伺っている。
少女は追われていた。少女は逃げていた。
――獣から。
「GRRRRRR……!」
それは黒い獣だった。
燃える炎の瞳を持つ獣。
明らかにこの世のものではありえない、怪異の類である。
足跡に火の粉を残しながら、獣は着実に着実に少女を追い詰めていく。
「諦めない……諦めない、諦めない……絶対に、諦めない……!」
熱病に浮かされたうわ言のような呟き。
少女は懸命に走るけれど、しかし彼女の望みが叶う事はないだろう。
迷路のように入り組み捻じれ曲がった、暗い暗い夜の街。
右に曲がり、左に曲がり、坂を昇って、降りて、ほらその先は――……。
「……いき、止まり……」
すぐ背後からは生臭く、興奮した獣の息が渦を巻く。
それは硫黄にも似た香りを孕み、ちりちりと肌が焼けつくほどに熱を持っている。
少女は路地の壁を背にして獣へと相対す。
振り返った少女の目、金と青の瞳に涙がにじむ。
カチカチと震えて音を鳴らす歯を、食いしばる。
挫けそうになる膝を叱咤して、彼女は懸命に立ち向かった。
「GRRRRRR……!」
その様を見て獣が嘲笑う。
もはやこれまで、この哀れな娘に生き残る道はない。
爪で衣服を切り裂かれ、肌に牙を立てられ、柔らかな肉を食い千切られ、内臓を貪られる。
少女の望みは叶わない――……。
「――残念だったな」
その声は、降り注ぐ矢と共に響き渡った。
獣には何が起こったのかわからなかったに違いない。
雨の如く降り注いだ矢の群が、容赦なく獣の体へと突き刺さる。
あまりの激痛、魂を殺すその鋭さに、獣は泣き喚いて悲鳴をあげた。
しかし逃れる事はできない。
獣が獣であればこそ、この矢からは逃れられない。
この世から消滅する間際、霞む視界の中で獣は確かにそれを見た。
槍を手にした男だ。
鍔広の帽子を目深に被り、革のコートを纏った男だ。
男は狩人だった。
少女の背後に佇むその狩人を、獣は――怖い、と思った。
「無事か、マリー」
消滅した獣が遺した魔力の光を、狩人は槍の穂先で払った。
返事は無かった。
少女は黙りこんだまま、じぃっと狩人の方へ視線を向けている。
「恐らく、今のはどこかの魔術師が放った使い魔だ。マリー、大本を狩るぞ」
「メアリ」
不意にぽつりと少女が呟いた言葉に、狩人は「ふむ」と声を漏らして振り返った。
「あたしはメアリ・クラリッサ・クリスティよ、ランサー」
フランス語読みはしないで欲しいわ。
少女――メアリは両手をぎゅっと握りしめ、きっぱりと自分の名前を口にする。
槍を手にした英雄は、謝罪でもするかのように軽く鍔広帽子の縁を押し上げた。
「悪かった、仔猫(シャトン)」
「仔猫って呼ばないで!」
先ほどまでの恐怖の色は何処へやら、メアリは不機嫌な仔猫のように眦を逆立てた。
* * * * *
メアリ・クラリッサ・クリスティは冬木市の大学を訪れた交換留学生の一人だ。
突如として右目が黄金に転じた以外、彼女は特段、変わったことのない少女だった。
淑やかに見えてお転婆、友人たちと遊び、本を好み、サロメの扇情的描写に頬を赤らめる。
本当に極々平凡な、何処にでもいる少女に過ぎなかったのだ。
――親友のシャーロット・ブロンテが、怪異に遭遇して昏睡状態へ陥るまでは。
それから、メアリの長い長い夜がはじまった。
シャーロットを目覚めさせる方法を探すメアリに、怪異たちは容赦なく牙を剥く。
夜の街を走り、追跡される恐怖と絶望に苛まれる繰り返しは、簡単に人の心を砕くだろう。
メアリ・クラリッサ・クリスティは、普通の少女だ。
ただし――"絶対に諦めない"、普通の少女だ。
だから、彼女の右手に令呪の光が輝いた。
だから、彼女の求めにこの英霊は応じた。
なぜならこの槍兵もまた、決して諦めずに獣へと相対した人物であったから。
もしこの男があの獣を討ち果たさねば、かの王国は滅亡していたに違いない。
それはつまり自由の概念が、この地上より消滅する事に他ならない。
彼がいなければ、人理は間違いなく焼却されていただろう。
男は確かに、世界を救った英雄だった。
* * * * *
「そうは言っても」
人の気配が絶えた夜の街をランサーと連れ立って歩きながら、メアリはふと呟いた。
「あのやり方は正直ちょっとどうかと思うわ。……怖いもの」
「だが、前に出る事を望んだのは君だ。マ……メアリ」
ええ。メアリは頷いた。その通りだ。
獣を討たんとする狩人と、共に駆ける事を望む赤頭巾などナンセンスだ。
そんな作戦を望んだのが自分であると指摘され、否定する気はメアリには無い。
「だって、引きこもっていたって危ない事に変わりはないでしょう?」
もはや、狼は都市の中にいるのだ。
聖杯戦争、魔術師、英霊、マスター。怪異は多く、危険も多い。
自ら踏み入れる事を決意したなら、前へ進むことがメアリの覚悟だ。
「だったら前に出て動いた方が、後から良い考えを思いつくよりずっと良いわ」
そう言い切った彼女は、しかしふと、傍らを行く狩人を見上げた。
「ねえ、ランサー。貴方の願いって……」
「気にすることはない」
ランサーは緩やかに首を左右に振った。
彼女の願いと比べれば、自分の願いなどというのは取るに足らないものだ。
「私の願いは目的のための手段だ。君の友人を優先したまえ」
「そうじゃなくって……戦うより先に、話をしてみたらダメなの?」
ランサーは思わず立ち止まった。
「だって、あれだけ賢いんですもの。言葉だって通じるかもしれない」
数歩先に進んだメアリが、くるりとスカートの裾を翻して振り返る。
「うん、絶対その方が良い。喧嘩するにしても、話しあってからじゃないと」
ランサーは鍔広帽子の下で僅かに笑った。久しく感じていない愉快な気持ちだった。
かの英霊の願いこそは、人を害する獣の駆逐。
獣は獣、人は人だ。
互いの領域を犯せば、あとに残る結末は狩猟以外にない。
共に手を取り合って――などというのは、お伽話の中だけの話だ。
赤頭巾は狼に食い殺され、狼は狩人に殺される。
もちろんそんな事くらいは、マスターである少女もわかっているだろう。
その上で――……彼女は真剣な顔で「そうよ。それが良いわ」と言うのだ。
「……」
「ランサー?」
ランサーはふと、自分のマスターである少女を「似ている」と思った。
見た目も立ち振舞も、もちろん国籍だって違うのだが――……。
(歳と、瞳の強さは同じだ)
人の皮を被った獣に食いつくされた、あの哀れな聖処女と。
乙女が獣の前へ無防備に身を晒せば、そうなるのはわかりきっていた。
狩人がいなければ、喰い殺される。
人と獣とは、そういうものだ。
確かにあの時、あの瞬間、雌雄を決するべく相対した彼我の立場は、確かに等しかった。
そこには恨みもなければ怨念もなく、ただ互いの種の存続を巡っての戦いでしかなかった。
彼は狩人で、彼は獣だった。
狩人と獣とは、そういうものなのだ。
「……考えておくとしよう。機会があれば」
「ええ、そうして頂戴」
全ては、少女が飛び込んだ夜の向こう側だ。
槍兵は走り続ける少女を囮にして、獣を罠にかけて討ち倒す。
少女を守るために。人を獣から守るために。獣を狩り立てるために。
――そしてまた、狩りの夜が始まった。
【クラス】ランサー
【真名】ボワスリエ
【出典】史実(15世紀フランス)
【マスター】メアリ・クラリッサ・クリスティ
【性別】男性
【身長・体重】185cm・80kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A 魔力D 幸運C 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
【固有スキル】
勇猛:B
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
戦闘続行:B
不屈の闘志。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、死の間際であっても戦いの手を緩めない。
国王特権:C
狩猟における限定的な全権委任。
本来持ち得ないスキルも、狩猟に必要であれば短期間だけ獲得できる。
該当するスキルは騎乗、剣術、気配遮断、カリスマ、軍略、等。
獣殺:A
恐るべき獣の群れと戦い続けた事を表わす。
人喰の幻獣、魔獣、獣、狼の属性を持つものに威圧を与え、
更に与えるダメージを二倍として計算する。
また獣の思考を看破する判定にも一定のボーナスを得る。
【宝具】
『野獣、死すべし(ラ・モート・ドゥ・ループ)』
ランク:C+ 種別:対人宝具 レンジ:5~6 最大補促:1人
狼大王クルトーを滅ぼした、獣殺しの概念武装。
攻撃対象が人喰の幻獣、魔獣、獣、狼の属性を持つ場合、追加ダメージを与える。
この効果は対象が複数の属性を持つ場合、それに応じて重複する。
現在は無銘の槍だが、ボワスリエが手にする武器は全てこの宝具と化す。
『誰が為に鐘は鳴る(ノートルダム・ド・パリ)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:100人
ボワスリエとクルトー、その決戦の舞台となったノートルダム寺院広場を顕現させる。
賛美歌と鐘の音が響き渡る中、この空間に閉じ込められた敵には矢が雨の如く降り注ぐ。
それを受けてなお敵が健在であった場合、ボワスリエとの一騎討ちが行われる。
この宝具の本質は、大群を一網打尽にし、そして確実に殺すための罠。
――すなわち人類種の持つ「狩猟」の概念、その具現化である。
【Weapon】
『無銘・矢』
宝具『誰が為に鐘は鳴る』の部分的な具現化。
ボワスリエの号令一下、背後の空間から無数の矢が発射される。
この矢も獣殺しの概念武装だが、宝具ほどの威力は無い。
【解説】
1439年、長きに渡る百年戦争と蔓延する黒死病で崩壊寸前のフランス。
そこは人ではなく狼が君臨し、狼が支配する、狼の王国に成り果てていた。
もはやパリすら狼たちに包囲されて彼らの餌場と化し、人々は恐怖に震えるばかり。
ボワスリエはそんな中、狼大王クルトーに敢然と立ち向かったパリの警備隊長である。
狼大王クルトーに怯えるシャルル七世から全権を託されたボワスリエは、作戦を練った。
彼はクルトーを滅ぼすため、まずノートルダム寺院の広場へ狼の群れを誘き寄せる。
そして広場を封鎖すると高所から矢を射掛け、それをクルトーが凌ぐと白兵戦に突入。
賛美歌の響き渡る中ボワスリエは狼群を駆逐し、ついにクルトーとの一騎討ちに挑む。
戦いの末、彼の槍はクルトーの腹を貫き、狼大王は最後の力で敵の喉笛を噛み千切った。
二人は同時に息絶え、そしてフランスは狼の恐怖から救われたのであった。
聖処女の死から、ほんの10年後の事である。
【特徴】
鍔広の帽子、革製のフロックコートを纏い、槍を手にした長身の男。
帽子を目深に被ってコートの襟を立てているため、表情は伺えない。
【サーヴァントとしての願い】
獣の駆逐
【マスター】
メアリ・クラリッサ・クリスティ@漆黒のシャルノス
【能力・技能】
根源と接続された、あらゆる物事の真実を見抜く黄金の瞳。
メアリの右目に宿っている。
空間を切り裂く黒い剣。拒絶の心理の現れ。
対象との間を斬ることで距離を取る、詰める事が可能。
絶対に諦めない不屈の精神力。心の強さ。
メアリ・クラリッサ・クリスティは絶対に諦めない。
【人物背景】
大学で史学を専攻する、ごくごく普通の女学生。
ある時を境に右目が黄金に変化し、それをきっかけに怪事件に巻き込まれる。
怪異に襲われて昏睡状態に陥った親友を救うため、今日も彼女は夜を走る。
将来の夢は作家。史実における後のペンネームは、アガサ・クリスティ。
【マスターとしての願い】
親友を救う
最終更新:2016年08月29日 23:13