異臭が鼻をつき、少女が目を覚ます。
嗅ぎなれた不快な臭い。
だが、ここで嗅ぐ事はないと思っていた臭い。
この場にこの臭いをしょっちゅう産み出す姉妹はいない。
自分は嗜む程度。
だというのに部屋の中に充満する臭気。
で、あるならば答えは1つ。
酒臭い部屋を見回すと、果たしてその原因はいた。
ビール、チューハイ、日本酒、梅酒エトセトラ。
様々な酒瓶や缶が転がる中、胡座をかいてワンカップ大○をたった今飲み干した大柄で赤ら顔の男の姿。
「ん~? ……あっ」
視線を感じた大男が振り向き、少女と目が合った。
半目だった男の目がクワッと開き、ハッとしたように周囲を見回す。
周りに広がる惨状を認識したのか、男の顔がサッと青く染まっていく。
少女のこめかみにピキッと青筋が浮かんだ。
「マ、マスターよぉ、こいつにゃあ訳が……」
「へぇ、訳。何か深い訳があるっていうのね、ランサー」
にっこりと、少女は顔に笑顔が浮かべた。
つられて、ランサーと呼ばれた大男がへらっと愛嬌のある笑顔を浮かべる。
ランサーのマスター、飛鷹の怒号が飛んだのは、それから間もなくだった。
「で?」
「へ、へえ……」
「へえ、じゃなくて。アンタ、何やってんのよ」
正座をし、しゅんと身を縮ませているランサーを見下ろし、飛鷹が詰問する。
見るからに粗暴そうな男が年齢も下に見える少女を相手に萎縮しているという滑稽な構図であるが、当事者である二人にとっては笑い事ではない。
「"マスターが当分様子見だっつーんなら暇をもて余しちまう。博打も出来ねえ、人に見つかると不味いから鍛練も出来ねえ。そうなると酒でも飲んでこの無聊は慰めるしかねえ"って言ってきて、まあ私の考えにアンタを付き合わせる結果になったから、お酒を買い込むのを許可してあげたわよ」
「お、おう! そりゃあもう理解のある有能なマスター様に召喚いただいて、俺ぁ幸せなサーヴァントだと……」
「私が聞きたいのは!」
「へいっ!」
なんとか事態を穏便な方向で切り抜けようと、ランサーが悪あがきのおべんちゃらで飛鷹を持ち上げようとするが、ぴしゃりと放たれた怒気に二の句が告げられず、反射的に背筋を伸ばし、姿勢を正してしまう。
「なんで数日分を想定して買ったお酒をたったの一晩で飲み干してんのかってこと!」
転がる酒瓶や缶の山を指差す。
聖杯戦争が本格的に始まるまではまだ先、それを計算に入れ、ランサーの為に購入した数日分の酒はその全てが空になってしまっていた。
「いや、その、現代の酒があまりに美味くてよぉ。日本酒のキリっとした辛さ、焼酎のスッキリとした後味、ビールの爽快感。こう、色々飲み比べてみようと思ったら、ついつい手が進んじまって……」
「アンタ、私に身の上を話してくれた時に、もう二度と深酒をする気はないって言ったわよね!? スキルになるくらい酒で痛い目見てるくせにガバガバ酒飲むなんてどんな神経してんのよ!」
「……むむむ」
「何がむむむ、だ!」
ランサーはその人生において酒による大きな失態を幾度か経験しており、それがスキルという形で再現されるレベルにまで至っていた。
それを飛鷹に伝えた上で"深酒をする気はない"と言っていたが、結果はご覧の通りの有り様である。
もっとも、失態の内の1つが予め酒は飲まないと宣言した上でのやらかしであった事から、この男の酒に対する自制心は最初から信用できないレベルという事だったのだろう。
飛鷹がこめかみを押さえて深く、深く溜め息を吐いた。
それに比例するように、ランサーの身体が申し訳なさそうに縮こまっていく。
悪いこととわかっていてもついやってしまう。悲しきは大酒飲みの性といったところだろうか。
「と・に・か・く! お酒はもう買わないからね!」
「そ、そいつぁ勘弁してくれよマスター! 酒がねえなら残り数日はどうやって過ごせって話だぜ!?」
「近くの見回りでもしてれば? 酔い潰れて不運になるよりはよっぽど有意義だと思うけど、反論ある?」
「……ねえです、はい」
完全に酒に対する信用を失ってしまった事を理解してしまったのだろう。
反論をしようにも温情を見せた主を裏切ってしまったという自覚がある以上、ランサーは強く言い返す事もできない。
白い目で睨み付ける飛鷹に対しランサーは肩を落とし、ガックリと項垂れた。
「それじゃあ酒瓶の片付けよろしくね。私、偵察機を飛ばして新都の方を探ってみるから」
「……」
「返事」
「へい……」
立ち上がり、とぼとぼと歩きながら酒瓶を片付け始めたランサーを尻目に、飛鷹が寝巻きから私服へと着替え、ベランダへと足を向ける。
カーテンを開くと視界に広がるのは冬木の港。太平洋戦争期の軍艦が人へと姿を変じた艦娘たる飛鷹に取って、ホームグラウンドである海から近い場所に住居を宛がわれた事は幸いだと言えた。
ガラス戸を開き外に出ると、冷たい外気が頬を撫でる。
ブルッと身震いを1つしながら外に出るときに持ち出した巻物を展開した。
開かれた巻物に描かれた軍艦の甲板と置かれた紙型。飛鷹が魔力を身体に行き渡し、その手に勅令と文字の書かれた魔力の塊を現出させると同時に、巻物に乗っていた紙型が旧日本軍の戦闘機へと姿を変じさせていく。
ここに来てから飛鷹は艦載機を偵察に利用し、極力外出を抑えながら情報収集に徹していた。
「さあ、飛び立って。怪しいものを見つけたら直ちに報告を頂戴ね」
飛鷹の声に応える様に戦闘機を模した式紙達のエンジン音が上がり、プロペラが回り出す。
複数のミニチュアサイズの九七式艦上攻撃機が暁の水平線目掛け発進し、新都へと進路を取る。
その姿を見送りながら、今頃部屋の掃除をしている自らのサーヴァントに想いを馳せた。
「三国志の張飛将軍、真名を聞いた時は当たりを引いたと思ったんだけどなぁ」
張飛、古代中国において有数の剛の者として名を馳せた男。それがランサーの真名だった。
知名度はここ日本でも有名な部類であり、強さとしても申し分のないレベルである。
だが、自身の弱点を理解し"しない"と宣言した行為を数日で破る自制心のなさを目の当たりにした以上、その認識は改めざるをえない。
戦いにおいて信用のおけない味方というのがどれだけ厄介な存在なのかは、軍艦であった彼女は良く理解していた。
令呪による飲酒の禁止を考えたが、そこは思いとどまる。
そんな事で貴重な令呪を無駄にしたくなかったという戦術的な理由と、使い魔の様なものとはいえ一個の意思のある生命体を道具の様に扱う事には気が引けたという人情的な理由があった。
「悪い奴じゃないんだけど、ね」
"だからこそ尚更タチが悪いんだけど"という言葉を飲み込む。
思い出すのはランサーが聖杯への望みを語った時の事。
『俺の望みはな、大兄と一緒に夷陵の戦に臨む事よ』
遠くを見ながら呟いたランサーの願い。
義兄弟である関羽を裏切りによって殺された事の報復戦、ランサーはそれに参戦する前に持ち前の性格が災いし、配下の反逆を受けて非業の死を遂げた。
主君にして義兄弟の長兄である劉備に対して関羽殺害の報復を強く訴えた身でもある手前、参戦を果たせずにその生涯を終えた未練は幾ばくか。
『俺がいたら勝てたと言うほどにゃあ自惚れちゃいねえが、それでも俺があそこにいれば、それだけで助けられた命があったかもしれねえ、離れなかった臣がいたかもしれねえ。
何より、大兄の危機に俺が傍にいてやれなかったこと、それが一番情けねえのさ』
後悔と自責の念が皺となってランサーの顔に刻まれる。
誓いを共にした義兄弟を単身死地に赴かせてしまった、それがランサーにとって何よりの悔いであったことが、飛鷹には察せられた。
あの時の過ちは二度と起こさない。
あの戦いの悪夢は繰り返さない。
もしもあの戦いに自分が参加できていたら。
それは彼女達艦娘の大多数が保有していた願いでもあり、恐らく何人かの艦娘は張飛と同じような望みを持つかもしれない。
飛鷹の望みは別ではあるが、それでもランサーの望みが他人事には思えなかった。
「だっていうのにあいつは……」
つい数分前の赤ら顔で酒を楽しんでいた間抜け面が浮かび、貌のいい顔の眉間に皺が寄る。
そこまでの想いを見せておきながら酒を浴びるほど飲むとはどういう了見か。
回想が回り回って怒りへと置き換わっていく。
酒は禁じられても飲んでしまうもの。一度飲めば止まらなくなるもの。
呑兵衛の姉妹を持つ飛鷹なら十分に理解していた事ではある。
が、理解できることと許容できることは別だ。
「はあ、こんな事で勝って帰れるのかしら、私」
不安げな呟きが静かな朝に消えていった。
◆
「……やっちまった」
最後の酒瓶を分別用のごみ袋に入れながら、ランサーは大きく溜め息をついた。
事を起こしてから自分が何をしでかしたのかに気づき後悔する。
ランサーの失敗談はいつもその繰り返しだった。
もっとも、最後の失敗については後悔する暇など与えられはしなかったが。
「マスターの嬢ちゃんには失望されちまうし、もう酒は当分飲めねえ。俺様の酒運の悪さは相変わらずって事だぁなぁ」
参ったと言わんばかりにガリガリと頭を掻きむしる。
失った信用を取り戻すために必要な時間と功績は如何ばかりか。
今回もまた深酒によって凶事を呼び込んでしまった事実がランサーの肩に重くのし掛かる。
「はぁ、引きずっていても仕方ねえか」
失敗はした、がそれでも致命的なものではないはずだ。とランサーは思い直す。
襲撃をされた訳ではない、身体だって五体満足に動かせる。
失ったのはあくまで信用だけなのであればここからの働きで取り戻せばいい。
少なくとも酔った不覚から義兄達の家族を放って逃げてしまった小沛の一件に比べれば、実被害が出ていない分まだまだ傷は浅いレベルだ。
汚名は返上すればよく、名誉は挽回できるのだ。何事もポジティブシンキングである。
そう自分に言い聞かせながら縛ったごみ袋を玄関前に放った。
「……マスターの願いも、叶えてやりてえしな。もう下手は踏めねえぜ、張益徳さんよ」
自分で自分に発破をかける。
"いつか静かな海になったら、軍艦ではなく客船としてサンフランシスコ航路を渡りたい"
ランサーが聞いた飛鷹の望み。艦娘という存在について、張飛はいまいち理解はいってなかったが、その夢を語るときの顔を見てどれだけの思いの丈が詰まっているのかは理解ができた。
いつかの昔の桃園で、太平の世を取り戻したいと夢を語った、長兄・劉備と同じ顔。
遥か遠き理想を見ながらも、それを夢物語では終わらすまいという確固たる意思のこもった顔だった。
故にランサーは、自身を呼び出した女の夢を叶えてやりたいと思ってしまったのだ。
それぞれの思う太平の世があった。
決して譲れぬ理想があった。
宦官が滅び、魔王が討たれ、飛将が墜ち、英雄達が相争い、多くの将星が流れて消えた。
気づけば遥か遠き理想は、辿り着けえぬ夢想と成り果てた。
それでもなお諦めずに泥中を進む長兄の矢面に立つ事こそが自分の役目だと心得ていた。その筈だった。
これが戦場で守るべき主を守って散れたのであれば良かっただろう。だが、そうはならなかった。
身から出た錆は己の本懐を遂げさせぬとばかりに彼を食い殺した。
今度こそは、守らねばならぬ。
今度こそは、理想を夢想に変えてはならぬ。
そして願わくば、あの無念の夜に舞い戻り己が本懐を遂げねばならぬ。
立ちはだかるは一騎当千の英雄豪傑。
街に蔓延るは魑魅魍魎の権謀術数。
それに挑むは勇猛無比にて剛力無双。
万夫不当と謳われし、燕人張飛ここにあり。
【クラス】
ランサー
【真名】
張飛 益徳
【出典】
史実(後漢末期、中国)、 三国志演義
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力A+ 耐久C+ 敏捷B+ 魔力D 幸運B 宝具B
【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
【保有スキル】
騎乗:C
騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、
野獣ランクの獣は乗りこなせない。
勇猛:A
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
長坂橋仁王立:A
防戦を行う際、自身の筋力・敏捷・耐久のステータスを一時的に上昇させる。
長坂の戦いにおいて、単身で曹操軍を相手取り、足止めに成功した逸話より昇華されたスキル。
酒気、凶事を招く:A
酒を飲むと幸運のランクが低下する。少量飲んだ程度では低下も軽微なものだが、飲めば飲むほど、酔えば酔うほどその低下の度合いは深刻なものになる。
ランサーの深酒による失敗談、及び自身の死に関する逸話によって付与されたバッドスキル。一番の問題はこのスキルの存在を知ってなお飲酒をやめられないランサー本人の性だろう。
【宝具】
『丈八蛇矛(蛇、神矛に変ずる)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~5 最大補足:10
真名を解放する事により蛇矛に水気と毒気を含んだ魔力を纏わせ、攻撃に追加ダメージと与えた傷の治癒阻害の効果を付与する。
また水場に突き刺して使用する事により特定範囲の水の動きを操り相手の行動を阻害する事が可能。
水辺に住む大蛇を張飛が調伏し姿を変ぜさせた矛を、諸葛亮ら劉備旗下の文官らが改修した中華ガジェット。真名を解放する事により水神の側面を持つ蛇の権能が付与される。
長さを最大で一丈八尺(約4.40m)まで自由に可変でき、ミドルレンジ~クロスレンジでの戦いに対応が可能。
【Wepon】
蛇矛
【人物背景】
三国志を彩る英雄の一人、蜀漢の初代皇帝劉備の義兄弟にして腹心。
粗暴で短気だが義侠心に篤く愛嬌のある性格をしており、自身が対等、あるいは主と認めた存在には従順。
反面、格下と見なした相手には傲慢かつ暴力的であり彼の死因は深酒はもちろんだが普段の部下への対応に問題があった事も大きい。
【特徴】
虎髭でぐりぐり目、恰幅のいい大男。
【サーヴァントとしての願い】
自分の死を覆し、夷陵の戦いに参戦する。
【マスター】
飛鷹@艦隊これくしょん
【能力・技能】
艤装を装着しての水上移動。
式神として艦載機(零式艦戦、九九式艦爆、九七式艦攻)を使役する。
【人物背景】
飛鷹型1番艦 軽空母の艦娘。
ツンツンしたところがある生真面目タイプ。
商船を改装して空母になった経緯を持つ艦娘であり、未だに商戦としてサンフランシスコ航路を渡る夢を諦めていない。
【マスターとしての願い】
平和な海を取り戻し、豪華客船として余生を過ごす。
最終更新:2016年09月06日 00:48