ーこの人の手を離さない。
僕の魂まで、離してしまう気がするからー
◆ ◇ ◆
「…………ぅ」
目を覚ます。視線の先の天井にはまだ慣れそうにもない。
体を起こす。びっしりとかいた脂汗にはもう慣れっこだ。
カーテンから射しこむ光はほの白く、まだ太陽が顔を出して間もない時間のようで、静けさが伝播して部屋の中をも支配する。
いつもと変わらない、けれど決してあり得ない朝。
ため息と一緒に、汗を吸ってすっかり重くなった服を脱ぎ捨てて手早く身支度を進めていく。
出かけたところで目的があるわけでもないのだが、今はただ何もしないということがちくちくと心を刺す。
最後にかぶった帽子に開けた穴から角を出すと、沈黙に追い立てられるように外へ出た。
無意識にイコがやってきたのは、高層ビルの屋上だった。寒風が吹きつけるが動いて温まってきた体には心地よい。
不意に隣に誰かが立つ気配があったが、それを無視して地上を見下ろす。
朝日に照らされて活動を始める人々と、それに合わせて目を覚ます町の様相が、ここからだとよく見えた。
イコがいた世界では決して見られない光景に、思わず吐息も漏れるというもの。
『霧の城』からの荘厳な景色とはまた違う無機質な眺めを、イコはしかし心底では楽しんでいないのをおぼろげに自覚もしていた。
「人の世とは不思議なものだな。自らの手でここまで発展してしまうとは」
視線はそのままに頷いて返すイコ。確かに、これを成し遂げたのがかつて暮らしていた村の人たちと同じ人間だとは、未だに信じがたい。
イコもこの世界にやってきた当初は、あまりの文化の違いに戸惑ったものだ。
特に頭に生えた角は、やはりどこに行っても物珍しいもののようで。
仕方なく帽子から突き出して、そういうファッションであることにする、という強行策に出たのだがこれが案外バレないものであった。
「また、あの夢を見たんだろ?」
パッと、ここで初めてイコは隣に立つ人物を見る。精悍な、イコよりも少し年上だろう青年の横顔がそこにはあった。
蠢く人波を眺める双眸からなにかを読み取るのは、まだ若いイコには難しい。
青年の言う通り、イコはこの世界に放りこまれてからほとんど毎日同じ夢を見ていた。
それは永遠の別離で、最後の情景で、底のない後悔で。
そうして朝を迎えるたびに、イコは汗を滴らせて起きるのだ。
目の前の彼には魔力のパスによってイコ自身が見た夢、すなわち記憶が流れこむことがあると、イコは初めてこの夢を見た時に聞いていた。
それでも簡単に慣れるというわけでもなく、どうしようもない申し訳なさから逃げるように空を仰ぐ。
まるで目の前にあるような空の移ろいだけは、いつもイコが見てきたものとなにも変わらない。
「どうしても、なにかが足りないんだ」
今度は青年が、怪訝そうにイコを見やる。
それもそうだろう。彼が召喚されてから、最低限の自己紹介こそすれど、イコがこうして心情を吐露することなどなかったのだから。
「気がついたら一人でここにいて、君が召喚されて、よく分からない戦いに巻き込まれて。
最初は混乱したし、なんでぼくがって思ってたんだ。けど、それでもいいんじゃないかって思う自分もいて」
そしてイコ自身も、初めて今の気持ちを必死に整理しようとしていた。
一つ一つの言葉を探し、繋げ、噛みしめるようにゆっくりと話す間も青年は黙ったままで、それがイコにはありがたかった。
突然の異世界、押しつけられた殺し合いとあまりの理不尽に、無論イコは嘆いてもいた。
だが同時に、念願とも言える『霧の城』からの脱出も果たしていたのだ。
生贄として連れて行かれ、捧げられるのを待つだけだった巨大な檻から。
ただその隣に、共に歩んだ“彼女”の姿はないのけれど。
「でもやっぱり駄目だった。“彼女”と一緒じゃないと、意味がなかったんだ」
その時、見上げる青空にひらりと雪が舞ったのは、天の気まぐれだろうか。
汚れを知らず純白に煌くそれはどこか“彼女”を思わせて、気がつけば手を空へと伸ばしていた。
けれど雪の結晶は風に乗ってふわりと逃げて、まるであの時のようだと自嘲気味の笑みを浮かべる。
それはイコが冬木市に来る前の、最後の記憶。
『霧の城』からの唯一の脱出経路である橋を、“彼女”と駆けていた絶好の機会。
その最中、突如始まった橋の崩落によってイコと“彼女”は引き裂かれてしまったのだ。
そこから先は、今でも目を閉じれば鮮明に浮かび上がってくる。
無我夢中で跳んだ中空、初めて差し出された“彼女”の手と見たこともない顔。
そして相変わらず意味は分からないけれど、確かに伝わった“彼女”の言葉。
その残響が、いつまでもイコの心の奥底に沈んだままで、言いようのないもどかしさとなってずっとイコを苛んでいた。
「だからぼくは、聖杯で願いを叶えたい。勝って、今度こそ“彼女”と二人で逃げたいんだ」
“彼女”の手が遠く離れてしまって、ようやく分かった。
きっとイコは、“彼女”と『二人』で檻の外に飛び出したかったのだ。鳥の翼が片方欠けては大空に羽ばたくことができないように。
今はもう叶わない願い。けれど、今はもう違う。イコはその力を掴む権利を得たのだから。
イコがやっと青年を見据える。その瞳に宿る意志は、かつて“彼女”を初めて助けようと心に決めた時にも等しい強さで。
「お願いだランサー。どうか、ぼくらを勝たせてくれ」
イコの熱烈な視線を受け止めて、ランサーと呼ばれた青年は目を逸らさず黙ったまま。
初めて吐き出したイコの決意をどう取ったのか、イコが彼の表情から読み取るのはやはりできない。
ぴんと糸を張ったような数秒の間の後、沈黙を破ったのは青年の小さな笑い声だった。
「ああ、もちろんだマスター。そのために俺が喚ばれたんだから」
携えていた槍でとん、と床を軽く叩いて揚々と告げるランサー。
その自分を信じて疑わない声が、イコは好きだった。
優しく包み込むような、けれど激しく奮い起こされるランサーの口調が。
「我が名はウィツィロポチトリ、未来の朝と明日の栄光を約束する者。
俺が必ず、お前を勝利へと導いてやる」
朗々と歌うようで、それでいて力強く刻みこむように。
悪習名高いアステカにおいて太陽神・戦神として崇められていた、ウィツィロポチトリ神は高らかに宣言した。
時代と価値観が移ろえど、彼が求めるものはいつだって変わらない。
ただ勝利を、そしてその先に臨む幾度目かの朝日を。
そうしてかつて■■だった主従は、目を合わせたまま互いに笑う。
その先に訪れるだろう暁光を、いつか共に臨むと信じて。
◆ ◇ ◆
この世界に疎いイコは気がつかない。
自らの従者がかつて多くの生贄を喰らい、その肉体すら捧げられたものであることを。
過去を問わないランサーは知らない。
自身の主君は一人の少女のために生贄から脱し、運命に刃向かおうとしていることを。
【クラス】ランサー
【真名】ウィツィロポチトリ
【出典】アステカ神話
【性別】男
【属性】中立・中庸
【ステータス】
筋力A+ 耐久B 敏捷A 魔力C 幸運C 宝具EX
【クラススキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現在の魔術師ではランサーに傷をつけられない。
【保有スキル】
暁光の戦神:A+
夜の暗闇を打ち破り、世界に朝の光を齎す戦士としてのランサーの在り方。
本来ならば同ランクの神性とカリスマを内包する複合スキル。
しかし神性においてはかつて生贄であった青年の殻を被っているため、Bランクまで低下している。
また夜・闇属性に対して有利な補正がかかる。
勇猛:B+
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
投擲(投槍):C
投槍を徹甲弾として放つ能力。
湖に逃げこんだ兄弟たちを全て一度の投槍で滅ぼした逸話から。
追撃:B
離脱行動を行う相手に攻撃する能力。
また、同ランク以下の『仕切り直し』を無効化し、戦闘の続行を強要して攻撃判定の機会を得る。
【宝具】
『危機告げる俊速の伝令神(パイナル)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:ー
かつてランサーに仕えていた、伝令神である蜂鳥を召喚する。
この使い魔はランクC相当の気配遮断と単独行動を有し、ランサー及びマスターとの念話を可能。
また戦闘能力を持たないが、得られた情報が自陣営に直接害を及ぼすものだと判断した場合、生還判定に有利な補正が入る。
『鷲示す安住の地(テノチティトラン)』
ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:ー 最大捕捉:1
アステカ人が北方から南進した際、ランサーの予言に導かれて都市を築いたという逸話が宝具に昇華されたもの。
常に自陣営にとって最適な場所を感じ取る能力。
その対象は“土地”だけではなく、戦闘時の“位置取り”や狙うべき“部位”、対人関係での“立ち位置”など多岐にわたる。
啓示に似ているがランサーは与える側であり、常時発動型の宝具として扱われる。
ただしあくまで予知ではないため、その結果まで知ることはできない。
『トルコ石の火の蛇(シウコアトル)』
ランク:EX 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000
太陽を正午までに天頂へと届ける役割を担う、火と暴力を象徴する蛇神が槍の形を取って宝具化したもの。
その性質から竜属性を持つが、本来有する高い神性は、武器としての召喚によって大きくランクダウンしている。
普段はただの槍だが真名解放によって魔力を太陽の炎として纏う。
これは射出・放射も可能だがその分魔力の消費量も大きいものとなる。
【weapon】
『トルコ石の火の蛇(シウコアトル)』
ランサーが生まれた瞬間から手にしていた槍。
美しいターコイズブルーで、足がある蛇を模している。
ランサーはこれを用いて1人の姉と多くの兄弟を鏖殺した。
『無銘・盾』
ランサーが生まれた瞬間、槍と共に携えていた盾。
【人物背景】
アステカ神話において太陽神・軍神として崇拝されていた、アステカの部族神。
ウィツィロポチトリは「蜂鳥の左足」または「南の蜂鳥」を意味する。
母は地母神コアトリクエ。彼女が夫に先立たれた後、コアテペック山で羽毛の珠を授かったことにより受胎する。
母の懐妊を知ったコアトリクエの子たちは不義を疑い、コアトリクエの殺害を計画。
しかしあわやというところでウィツィロポチトリが完全武装の状態で生誕し、先陣を切っていた姉を八つ裂きにする。
その後残った兄弟たちは湖に逃げこむが、ウィツィロポチトリの投槍によって滅ぼされた。
ウィツィロポチトリは太陽として東より現れ、夜の星々を打ち負かし、西の空で力尽き、再び東の空に誕生する。
アステカ人はこの神が負けて朝が来なくなることを恐れ、世界の維持と陽光の恵みを祈った。
そのために生贄を選び、神官が祭壇で生きたまま心臓を抉り取って捧げたという。
生贄はたいていの場合、戦争捕虜から選ばれていたが、一方でこれは大変な名誉とも考えられていた。
ある時、人身御供が当たり前の文化においてもとりわけウィツィロポチトリを狂信する青年がいた。
その信仰は留まることを知らず、心臓のみならず肉体、精神、髪一本から血の一滴までを捧げたいと考えるに至るほど。
そしてついに彼はウィツィロポチトリの格好を真似て、アステカの首都が浮かぶテスココ湖に身を投げた。
ウィツィロポチトリはれっきとした神霊であり、本来ならば聖杯戦争で召喚されることはあり得ない。
しかし今回は、その名も残されていない憐れで幸福な人間の殻に収まることで、現界を可能とした。
【特徴】
黒の短髪に浅黒い肌を持つ、屈強な体つきの青年。
身には肩を覆う程度のレザーのポンチョのようなものと、色鮮やかなふんどしのみ。
冬の冬木市には凡そそぐわないが、本人は問題ないらしい。
ハチドリを象った頭飾りをつけ、左足にハチドリの羽飾りをつけている。
【聖杯にかける願い】
特になし。しいて言うならば戦神として勝利を目指す。
【マスター】
イコ@ICO
【能力・技能】
角を持って生まれたためか、肉体がずば抜けて強靱で、身体能力が高い。
ただしあくまでも人間基準のため、サーヴァントと渡り合えるほどとは言いがたい。
【人物背景】
頭に角を持って生まれた事で、掟に従い13歳になったのを機に、神官によって『霧の城』へと生贄に捧げられる。
自分の運命を達観していたイコだったが、不意に『霧の城」』が大きく揺れ、囚われていたカプセルから運良く投げ出される。
そうして城内を彷徨った先で、牢に囚われていた少女、ヨルダと出会う。
最初こそ生贄としての運命を受け入れていたイコだったが、解き放ったヨルダを救うべく、『霧の城』からの脱出を目指す。
橋の崩壊後、ヨルダと別れてからの参戦。
【聖杯にかける願い】
ヨルダと一緒に『霧の城』から脱出する。
最終更新:2016年09月17日 10:50