Superliner スーパーライナー
基本情報 |
運用者 |
Amtrak |
製造所 |
プルマンスタンダード、ボンバルディア |
製造年 |
1975~ |
製造数 |
両 |
運用範囲 |
アメリカ合衆国 |
性能諸元 |
全長 |
25.91m |
全幅 |
3.10m |
全高 |
4.93m |
車体重量 |
70t |
車体材質 |
ステンレス |
軸配置 |
2軸ボギー台車×2 |
軌間 |
1,435mm |
サービス電源 |
480V HEP |
台車 |
ボギー |
制動方式 |
空気式踏面ブレーキ |
Superliner(スーパーライナー)は、
アムトラックが使用する長距離用2階建て客車。
トンネル高さの制限があるノースイーストコリドーの一部区間には乗り入れることができないが、それ以外の北米全土で見ることができる。
オール2階建て構造の大型客車で、コーチ、寝台車、食堂車、ラウンジなどが存在する。どの車両も2階部分をメインの居住空間としており幌も2階部分に取り付けられているため車両間の移動も2階で済ませることができる。1階には乗降扉とトイレなど付帯設備を設けている。サービス電源は
HEPによる480V電源。
製造時期により、初期型のSuperlineIとマイナーチェンジ版のSuperlinerIIに分かれている。
登場経緯
1971年に米国内のほぼすべての旅客列車を引き受け誕生したアムトラックはこれまで440あった列車を184までに整理し、これらを運行するために300両の機関車と1,190両にも及ぶ客車をヘリテージフリートとして引き継がれた。しかしこれらの客車は1950年代までに製造された旧型のものばかりで、1970年代の時点ですでに陳腐化していた。またこれらの客車は維持管理が徹底されておらず、老朽化が激しいものも少なくなかった。特に寝台車においては1955年から新しい車両が製造されていない状況であったのである。
これらのヘリテージフリートはほとんどが1階建てのシングルレベルカーであったが、サンタフェ鉄道がエルキャピタン用に製造した新しい2階建て座席車、ハイレベルカーも73両含まれていた。このハイレベルカーは座席車であったがすべて2階建て構造で、車両限界まで拡大した大型車体を生かした広い室内空間、2階からの明瞭な車窓、スムーズな乗り心地と静かな走行音を兼ね備えており、西部の長距離列車に適した構造であった。ヘリテージフリートを置き換えるにあたりアムトラックはこのハイレベルカーのコンセプトを基本として新しい長距離用客車の設計を開始した。これがスーパーライナーである。プルマンスタンダード社が入札に勝利し製造することとなった。
SuperlinerI
上位の経緯から1975年よりプルマンスタンダード車に235両を発注、のちに285台に発注数を増やし1977年からロールアウトされた。大型のステンレスボディを持ち、特徴的なミンデン台車を装備する。
当初はビスタドームカーから着想を引きついだビスタライナーという名称になる予定であったが、他社が著作権を所有していたために名称がスーパーライナーに変更された経緯がある。
ロールアウト後、すぐにシカゴ周辺の短距離列車に試験的に使用された。
その後、シカゴ~フロリダの長距離列車フロリディアンに導入する予定であったがロールアウトの遅れによりこの計画は白紙となった。次に選ばれたのはシカゴ~シアトルを結ぶエンパイアビルダーである。
エンパイアビルダーはアメリカ北部を走行する大陸横断列車で、冬の時期は吹雪と厳しい寒さが遅い車両に負担を与えるだけでなく、旧式の蒸気暖房装置では容量が不足しまた故障が頻発していたため使い物にならない状況であった。スーパーライナーはHEPによる電気暖房を備えていたためにこの過酷なルートにはるかに適しており、晴れてスーパーライナー最初の長距離ルートとなった。
エンパイアビルダーへの投入で好評を得たその後、アムトラックはすぐに西部の列車の長距離列車を置き換え始めた。ロサンゼルス~オグデンを結ぶデザートウインド、オーバーランドルートを走行するサンフランシスコゼファー、ロサンゼルス~シカゴのサウスウェストリミテッドと次々にスーパーライナーを投入した。
特にサウスウェストリミテッドでは、これまで寝台車クラスとコーチクラスの往来を可能にしていたためにChiefを冠する列車名の使用を禁止されていたが、サンタフェ鉄道がスーパーライナーのデザインに感銘を受け、Chiefの名前の使用を許可しサウスウェストチーフとして返り咲いた。
シアトルとロサンゼルスを結ぶコーストスターライトは1981年1月からスーパーライナーを使用、ロサンゼルスとニューオーリンズを結ぶサンセットリミテッドは同年2月からスーパーライナーを使用し次々とヘリテージフリートを置き換えた。1990年代にはスーパーライナーへ置き換えが完了しヘリテージフリートはほとんどが引退することとなった。スーパーライナーに置き換わってから、乗客数は25%程度増加されたといわれ、この車両がアムトラックに与えた影響の大きさをうかがい知ることができる。1981年7月に落成した最後のSuperlinerIは、鉄道黎明期から客車を製造し続けてきたプルマンスタンダード社製最後の寝台車となった。その功績をたたえて、最後に製造された寝台車にはプルマン社の創設者、ジョージMプルマンの名が付けられている。
SuperlinerII
1991年より製造されたSuperlinerIのマイナーチェンジモデル。基本設計は変わらないが細かい点が現代風に改良されている。
スーパーライナーIとの大きな違いは、台車である。それまではMD-76ミンデン台車を使用していたが頻繁な定期検査を必要としており、また乗り心地もアメリカの鉄道に合ったものとは言い難かった。そのためスーパーライナーIIではGGI-G70イコライザー台車に変更されている。この台車はホライズン客車でも使用されている信頼性のある高速走行に対応する台車である。
プルマンスタンダード社が客車製造を終了してから、スーパーライナーの特許はボンバルディア社が引き継いだ。1991年にアムトラックより追加のスーパーライナーの注文があり、195両がボンバルディアより追加製造された。この中には既存の寝台車、コーチ、食堂車、ラウンジのほかに新しくトランジションドミトリー(トランジションスリーパー)がラインナップに加わった。
このスーパーライナーIIの登場により、わずかに残っていたハイレベルカーと、東部長距離列車で使用されていたシングルレベルカーを完全に置き換えることとなった。1994年にはシカゴ~ニューオーリンズのシティオブニューオーリンズ、ワシントンDC~シカゴのキャピトルリミテッド、また1995年にはオートトレインに導入された。現在はスーパーライナーIと混ざって運行されており、かつトランジションスリーパーがスーパーライナーIIにしか存在しないためにほぼ確実に混在する編成になっている。
機構
共通する事項として、ハイレベルカーの基本コンセプトを踏襲しているが、ハイレベルカーよりさらに高さを増しており、これにより寝台車では2段ベッドを可能にしている。また蒸気暖房もHEPによる電気暖房に変更されており、信頼性が高い。またトイレはすべて1階部分に設置されている。SuperlinerIでは汚物を一度タンクに貯め、一定の速度になると線路に排出する汚物破棄システムを採用していたが、SuperlinerIIからは環境に配慮した排出しない構造に変更され、スーパーライナーIにも同等の改造が施された。
当初はその車高の高さによりシカゴより東部では運転できない区間が多かったが、全米に普及したオートラックとダブルスタックコンテナによりトンネルが拡張されたため走行できるようになった。現在ではニューヨーク近郊の地下区間およびトンネルが高さに対応されていないため乗り入れることはできない。しかしながら
キーストンコリドーやノースイーストコリドーの一部区間では架線の高さを対応させているために電化されていても走行できる区間がある。定期列車ではキャピトルリミテッドがワシントンDCで電化されているエリアを走行し、また団体列車等でごく稀に走行する姿を見ることができる。
以下車種ごとの細かい仕様を記す。
コーチ
スリーパー
ダイニングカー
ラウンジ
トランジションスリーパー
模型について
KATOより製品化されている。
メーカ名 |
品番 |
製品名 |
軌間 |
縮尺 |
購入場所・サイト |
状態 |
金額 |
KATO |
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9mm |
1/160 |
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外部リンク
最終更新:2019年01月11日 23:10