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1860年10月1日。シチリア・ラツィオ・ロマーニャの3箇所で製材工場の拡張と建設が完了。

これでようやく資源不足から脱出できるな…って


いつの間にかロシアに威信値で抜かれている件。

そういえばカスピ海東岸の非文明国しばき倒してたし植民もしてたような…。

アフリカの植民レースが始まると大抵お嬢が、ドイツが統一されるとドイツが威信1位になるけどな。


1861年7月28日。フランスとプロイセンを留保対象とした普通同盟を締結。

えげつねぇー! 普墺戦争にフランスを参戦させておいて普仏戦争では知らんぷりするつもりかよ!

ま、留保無しだとしてもいざとなれば威信値50と引き替えに同盟を無視すればいいんだけどね。

鬼かお前は。


61年9月1日。さらに歩兵10個師団を生産開始。

これでも足りないだろうな、多分。

う~ん。イタリア人兵士の復員を全然進めてないのにどうもマンパワーが足りないんだよね…。

防衛費に予算ちゃんと回してるか?

いや、実はあんまり。

どう見てもそれが原因だろ。

部隊の頭数だけは増えてるからバカにならない金額になってるの。

いずれにせよ66年の開戦までには最大値まで溜めないとな。






63年2月9日。第二次シュレスヴィヒ戦争勃発。22日にはオーストリアも参戦。

プロイセンが大暴れして終了だろうな。


3月7日。反逆者の捕縛。迷わず処刑。

またバーデンか。


4月10日。プロイセンがフランスを留保対象とした同盟を求めてきたよ。むろん締結。

何という幸運。ちまちま友好度を上げてきた甲斐があったと言うモノだ。

でもさぁ。


同盟する必要ないような。

戦闘国家の連中が考えることはよくわからん。


63年9月12日。プロイセンと大口の取引をした。

同盟を結んでるとレートが良くなるからね。


64年5月24日。こんなイベントが。

ま た バ ー デ ン か 。


65年2月12日ラテン通貨同盟に加入。威信値が少し上がったけど、関税効率がマイナス5%だって。
ちなみにこの時研究点は月1.45点。

関税効率が下がると関税からの収入が減るよな。

うん。

これって実は罠イベントじゃ?

そうかも…。


65年12月1日。来年の開戦を見越してさらに10個師団生産。
直接税を引き上げて防衛費・陸軍維持費を最大値に。各部隊の移動と補充を開始。

マンパワー的にも維持費的にもカツカツだな。というか税率上げても日々の収支がマイナス90£か。

少しだけど貯蓄はしてあるよ。15000£ほど。

あまり長引かせたくないな。






1865年1月8日。プロイセンはオーストリアに宣戦!

遂に始まったか! 「同盟を示唆する」を選択っと。

フランスに参戦を要請。無事参戦してくれたよ。同盟関係はこんな感じに。


開戦時点での地図がこれ。青がプロイセンで白がオーストリア。


開戦時点での兵力 歩兵 騎兵 竜騎兵 合計
イタリア 32(+10) 3 0 35(+10)
オーストリア 35 1 0 36
プロイセン 26 1 2 29
フランス 91 3 0 94
  • イタリアは現在10個師団を生産中。

オーストリアの同盟国の兵力は?

バイエルンが歩兵2個を持ってるくらい。正直「その他」のレベルだね。
あと総動員は使わないでおくよ。戦後に経済を立て直すのが絶望的になるからね。


各部隊が一斉に進軍を開始。


1月9日アドリア海でオーストリア海軍と交戦! 撃退したよ。

急いで部隊を詰め込んでバルカン半島の地中海沿岸部を占領するぞ。


1月15~6日に各地で陸軍が交戦状態に、難なく撃破。

当然だ。こんな所で足止めされてはかなわん。


1月21日。山岳地帯であるインスツブルックで敵軍と交戦。指揮官は…


イタリアの至宝、ジュゼッペ・ガリバルディ!*1

(なんか今回はイヤにテンション高いな…)遅ればせながら今回の作戦を説明しよう。
そもそも何故史実のイタリアは普墺戦争でヴェネツィア地方しか手に入れられなかったのか?

  • 1.戦争自体が7週間で終わってしまい、領土の物理的奪回が出来なかった。
  • 2.講和がプロイセン主導で行われた。
  • 3.その講和を蹴り飛ばして単独で戦い続ける余力がなかった。

しかし我らが「ふしぎの国のイタリア」は違う。Victoriaにおける「同盟の盟主」はその同盟内で最も高い順位を持つ国が選ばれる。ここしばらく
イタリアの順位は安定して1位をキープしており、「盟主のプロイセンに勝手に講和された!」といった事態にはならない。
さらに先ほどの兵力表を見ても分かるとおり、イタリア単独でも十分オーストリアと殴り合いをするだけの兵力がある。
考えられる最悪の事態としては、プロイセンが勝手に単独講和してオーストリアの全戦力がイタリア方面に回ってくることだが、フランスが旧スイス周辺の
ドイツ諸国へ攻め込んでいるのでそちらにも兵力を回す必要があることからして、正面戦力で著しく不利になると言うことは無かろう。

とは言え、国庫の状態からして早く講和出来るのならそれに越したことはない。そこで今回の作戦となる。


この地図を見て欲しい。赤丸を付けたところは山岳地帯であり攻撃側には重いペナルティが課せられてしまう。
ご存じの通りアルプス山脈が再現されているわけだが、地図をよく見ると水色のバイエルン領をかすめるように進軍すれば
2プロヴィンスのみでアルプスを突破出来る事が分かる。しかもこのルートを通れば画像の右上にあるオーストリアの首都
ウィーンまでは目と鼻の先だ。首都は戦勝点が高く設定されており講和の際有力なカードになる。

ガリバルディにはこの切っ先を進軍してもらっているのだ。他の部隊は時計の針のように右回りで各プロヴィンスを占領してもらう。
こらそこ、出来の悪いシュリーフェンプランだなんて言わない。

真にアルプスを越えるべきはハンニバルでもナポレオンでもなくあたし達なの。ただし、南から。


地中海沿岸に上陸中。このくらいのペナルティなら数の力で十分押せるね。


第1段階はあっという間に終了。問題は地形が山岳だらけになるここからだ…ん?


2月1日に高級衣類工場が完成…。

工員や事務員を育成する金と精神的余裕が無いっ。適当にワイン工場のPOPを放り込んで!






2月24日。プロイセンが派遣軍を提供してくれたよ。

ちょ、完全充足の工兵付き歩兵でしかも優秀なリーダー付きとか太っ腹すぎ。

早速占領地の防衛に回すね。


左は3月9日、右は22日の戦況だ。

今のところ順調だけど、どのタイミングでオーストリアの増援が来るかが心配。


3月27日。山岳地帯に籠もるオーストリア軍をよそに
ガリバルディがアルプスの突破に成功。このままウィーンを目指すよ。


4月1日。歩兵の展開準備完了。早速強襲上陸を…って、なんじゃこりゃー!

攻撃効率防御効率ともに26%とか酷い話…げげっ、敵は鉄道ボーナスで126%とか言ってるぞ。


そんなことを言ってるうちにプロイセンがアンハルトを併合。

単独講和されると不味い。急げーっ!


南半分の占領が終わったんで兵力を北上、同時に強襲上陸先に砲兵付きの師団が
待ち伏せてたんで隣のプロヴィンスに上陸先を変更!

普通に考えるととんでもない命令だぞこれ。


5月6日の戦況。やっぱり山岳が辛い…。

倍の数で押し込んでるから簡単に見えるが、同兵力か塹壕を目一杯掘られてたら手も足も出ないな。


ガリバルディがウィーンに王手をかけ…うわっ!


こんな時にパルチザンががが

早くしないと四方八方からオーストリア軍が来るぞ。…あ。


倍以上の敵に殴られてるぅ!


…。

…。

リッサ海戦って知ってるか。

うるさいよ。


6月初旬の戦況。相変わらず人海戦術頼みだね。

集中攻撃ボーナスで相手の戦闘効率を引き下げてはいるんだけどな。
騎兵もこのころになると脆くなってくるし、部隊の退却ルールからしてHoI2みたく「包囲して殲滅」には向いていないんだ。

7月1日。バイエルンがごめんなさいしてきたが、とりあえず無視。





良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい。

良いニュースから。


7月2日。ガリバルディがウィーンの占領に成功した。

ウィーンが包囲されるのはこれが3度目…! オスマンですらなし得なかった大金星…!


悪いニュース。国庫が底を突いた。

やっぱり40個師団を維持し続けるのは厳しいね。

内政に入れ込みすぎて貯蓄が足りなかったな。あとプロイセンがザクセンを併合した。
考えようによってはこっちの方が悪いニュースかも。


7月26日の状況。あと数プロヴィンスで目標の全確保なんだけど、山岳地帯でひたすら不毛な殴り合いに終始してる。

9月29日。オーストリアが講和を求めてきた。


なになに…。プロイセンに3プロヴィンス、イタリアに2プロヴィンスを割譲…?

舐めまくられてるな。

ぜったいに許さんぞ! 意地でもこちらの条件をのましてやる!

とまぁアリステアの怒りが通じたのかは知らんが、10月5日。ついに全目標の占領に成功。


これでも食らえぇっ!


63%の戦勝点に対して157%の要求って、オーストリアの厭戦感情が15%かそこらって事を…



!?*2


1866年10月5日。イタリアは旧ヴェネツィア領を含む「未回収のイタリア」の奪回に成功。
さらに大国オーストリアを50年早く内陸国とし、植民地の獲得を絶望的にした。

もうヘタリアとは言わせないっ!


統一からわずか30年。遂にイタリアは完全な姿を取り戻した。今後の100年、世界をリードするのはイギリスでもアメリカでもなくイタリアであろう…。
「ふしぎの国のイタリア」には金色に輝く未来が開かれている。





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最終更新:2010年05月22日 23:11