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80年6月、プロイセンと取引。何だかレートが悪いような…。

だってそりゃお前。


BBRがこんな事になってるんだから当たり前だ。*1

う…確か25くらいが危険水域だったような…。

BBRが一定の値を超えるとあらゆる国に片っ端から宣戦布告されまくる。出る杭は叩くというわけだ。

イタリアは世界有数の大兵力を持ってるから大丈夫だとは思うけど、当面軍事的には動けないね。

結局ドイツ統一は失敗したのか。これでライバルが一人減ったわけだ。

この世界でのナポレオン3世の評価が気になる。


80年10月、植民地施設が完成したんで植民宣言。

周囲の土地はフランスが押さえにかかってるな…。右上の黄色い国はソコトか。

一応中央~南アフリカがまだ無人だから、そっちを目指すよ。


80年末から翌年頭にかけて、印象派芸術・印象派音楽を世界で2番目に発明。威信値が100増えたよ。

文化系の技術はほったらかしだったのに随分と追い上げてきたな。

ところで印象派って何?

印象に残るくらい凄いってことだろう、多分。


今度は文明化の伝道が発生。過激な文章だねこれ。

前回似たようなこと言ってただろうが。


81年2月、フランス・イギリスと取引。やっぱりレートが微妙に悪いね。

それでもまぁ小銭渡して済む程度ならマシだ。


81年後半にクロアチアあたりのPOPを兵士に変換して、ローマ・ヴェネツィアの兵士を復員させたよ。
そのまま事務員か工員に変換して工場へご案内。

そろそろ工場に空きが目立ってきたな。国民の7割以上が工場労働者だし、工業化は一段落か。

だね。




82年3月には印象派文学が発生。威信値50と言うことは3位だな。

印象派って(ry

印象に残る(ry






1882年6月18日、イギリスが中央アメリカに宣戦布告…って中央アメリカ!?

史実じゃとっくに解体してるはずだが…。


何があったのか奇麗に国土を保持してるな。

ベリーズでイギリスと国境を接してるから宣戦されたのかな。


同じ頃言語哲学と論理実証主義が発生。

また3位だ。良い調子だな。

ところで言語哲学って…

ググれ。


検索している間に双方が和平。中央アメリカが領土をいくつか割譲したみたい。図らずして分離解体しちゃったね。

また鬼畜なことをさらりと…。


83年5月。近代論理学が発生。2着で威信値+100。ところで近代…

ヤフーでググれ。

無茶言うなし。


アリステアに無理難題を押しつけている間に外交に勤しむ。
友好度も限界近くまで上げてるし、レベルの低い技術と交換なら多少のレートの悪さはどうにかなるもんだ。


さらに植民地を拡大した。これ以上はソコトが邪魔だな…。

非文明国相手の植民地戦争なら併合以外ではBBRが上がらないんだよね。

だったと思う。まさかお前…。

イタリア人がアフリカでも精強だと言うことを教えてやるっ!


1884年7月6日。イタリアはソコトに宣戦布告!






開戦と同時に歩兵14個師団を進撃! 事前の統計ではソコトの兵力は騎兵4個師団のみ。

非正規兵ではなく騎兵か? ラクダ騎兵だったりするんだろうか。


兵力補充したてで士気が下がっているところで交戦、すぐさま撃破したよ。

この時代になると騎兵の性能がいまいちになるのも原因だろうが、そも陸軍技術が違いすぎるからな。


開戦から約2ヶ月後の9月15日、講和を求めてきたけど無視。


10月6日にはここまで攻め込んだ。まったく呆気ない。


なんて言ってる12月4日。クロアチアのカルロバツでゴールドラッシュ。産出する資源が貴金属に。

POPが少ないんで生産効率は悪いんだがな。


12月10日には全土を占領。早速「首都以外全割譲・屈辱・賠償金」で交渉してみる。

この間に2回講和を求めてきたが拒否している。結局5ヶ月で済んだわけで…っておい。


パルチザンはやる気満々のようだな。

本土から部隊を運んで全部のプロヴィンスに軍隊が駐屯するように手配済みだよ。


1885年1月27日。結局賠償金を抜いた条件で和平。

全土占領から3ヶ月半もかかってるのかよ!

戦勝点は100%で要求は216%だから呑むハズなんだけど。

よく見ると全土占領してから講和までにさらに2回、舐めた条件で和平を求めてきてるな。

イタリアだからって舐められてる?

AIにそんなルーチンは無いと思うが。いや思いたい。


ソコトのプロヴィンスを見て回ったけど、場所によっては結構人が詰まってるみたい。

そんなことより…


なぜ工場のこの字も無いのに事務員が居るんだ。

移民が同化したのかな? よく見ると反乱率が結構高いね…ん?


凄い勢いで反乱軍が湧いてるな。

よく見たら戦闘効率が2%って。

塹壕で待ちかまえる軍隊に槍やナタで襲いかかるという、ステレオタイプな
「アフリカ的戦闘」が起こってるんだろうな。

夢見が悪くなりそう。

なぁに「自由と独立は命より重い」と考えた時には反乱を起こすし、
「命より大事なものはない」と考えたら支配を受け入れるだろうよ。

そんなこと言ってるから反乱されるんだよ。


85年7月、効率的業務が発生。全国民の闘争性がマイナス2された。これで反乱が減ると良いのだが。

ところがどっこい、3ヶ月に2回のペースで反乱軍が湧き続けてるよ。

とは言え、反乱率が低下する10年後までこのままというわけでは無かろう。


こまめに友好度を上げておいたアメリカと取引。意外と技術研究は遅れてるんだね。

HoI2での扱いが化け物過ぎるだけで、ゲーム開始時点では領土が西海岸まで到達してないくらいの
国家だからな。EUなら「弱小国アメリカ」という凄い響きの国だ。






へ?

1887年2月10日、モンテネグロはオスマンに宣戦布告!

そもそもモンテネグロの兵力が…


うわぁ…。


87年5月27日。モンテネグロが開戦3ヶ月半で即死。入れ替わりに7月ロシアがモルダヴァを併合。

何で宣戦したんだろ?

知らんがな。


87年8月9日。前ド級戦艦の発生。ユニットの生産が解禁。早速ラインに2隻入れたよ。

1隻当たり5000£プラスαって洒落にならんな。年収がこれ未満の国が世界の大半を占めるだろうに。

その事を考えると砲艦外交が成り立つ理由が分かる気がする。

もっともで。


87年12月、ロシアがワラキアを併合。上はその時の様子。

オスマンの負けっぷりが酷い、「瀕死の重病人」とバカにされる理由か。

よく見ると今のシリア周辺までエジプトが保有したままだね。

もしかして第2次オリエンタル危機で勝利出来なかったのか。

かも。


1888年4月5日。オスマンとロシアが和平。イベントで
ルーマニアとブルガリアが独立してロシアの衛星国になったよ。

オスマンが負けたのは良いとして、モンテネグロの立場がどこにも無いな。

う~ん。オスマンに住むルーマニア・ブルガリアの独立勢力がモンテネグロ政府を焚きつけたってのはどう?

最初からロシアに頼めと小一時間問いつめたい。


89年6月、前ド級戦艦が完成したよ。1番艦はガリバルディ、2番艦はカヴールと命名。ドンドン追加してくね。

2人とも名前をイタリア海軍で実際に使われているから、まぁ悪くなかろう。

これに前後して資本家が染料工場を建てたけど、即閉鎖したよ。

ひでぇ。

染料は工場で作らなくても穀物や石炭みたいに産出する資源として手にはいるし、
第一市場に有り余ってるから利益も出ないんだ。

史実じゃ合成染料の発明で高価な天然染料は駆逐されていったんだがな。


1890年1月8日。HoI2の3大弱小国家の雄、ルクセンブルクがオランダから独立。


同じく1月28日には休戦期間が切れたソコトに宣戦、3月9日に併合した。

…それだけ?

それだけ。無人の首都に2個師団で押しかけて占領。今でも時々パルチザンが湧くくらいしか言うことはないな。






で、当初の目的だった「植民地拡大のためにソコトを併合」だったんだけど。

なんじゃこりゃ。

ソコトの北にあるプロヴィンスを植民宣言した時の様子。

この辺の1プロヴィンスって200Km四方くらいありそうだが、そこの労働人口が2000人とか
過疎化が深刻にも程があるだろ…。

てな感じでアフリカを眺めていたうちに、ラインに入れていた前ド級戦艦計14隻が全て完成。これで一端の海軍に…。

アリステアさんアリステアさん、ちょっとこれを。


ロイヤルネービーは69隻も持ってます。

ろ、69? 確か1隻当たり5000£だから建造費だけで35万£!?

生産に必要な重火器と缶詰も考えたら50万くらい突っ込んでるかもしれん。

…これ、八八艦隊はおろか八十八艦隊も目指せるよね。

マジで七つの海を股にかけられるな。


93年1月、ナポリで自動車工場が完成。この時期にイタリアに自動車メーカーってあったっけ?

フィアットの操業が1899年だったはず。合併前のダイムラーとベンツがドイツで操業してるくらいか。

でもドイツはプロイセンのままだからねぇ。…ところで気になったんだけど、ロシアの威信値が凄いことになってない?

植民宣言やイベントの発生で底上げしたイタリアを抜いて1位だからな。どこかに大量の植民地を持ってるのだろう。

う。見つけた、見つけたけどこれは…。


タヒチ・フィジー・マリアナ・ニューギニアっておい! 何時からロシアは海洋国家になったんだ!

逆に考えるんだ。念願の不凍港を手に入れたと考えるんだ。

いや、不凍港ってレベルじゃないから。


94年3月。イタリアの人口が1億人を突破したよ。

植民地の人口も入っているとは言え、英中露に続いて世界4位か。アフリカの植民地で底上げが…


なんて言ってる94年5月13日、イギリスがエチオピアへ宣戦布告。

あ、エチオピアの国土が黒い。反乱軍に占領されてるじゃん。

その隙をついて宣戦されたのかも。

史実での盛況ぶりは何処へ…ってそもそもエチオピアに武器を輸出してたのが他ならぬイギリスだしね。

こりゃ第1次エチオピア戦争のような踏ん張りを期待するのは無理だな。


94年10月19日、ロシアがオスマンに宣戦布告。

オスマン終了のお知らせ。

太平洋に不凍港を確保したのに南下する意味があるのかな?

だからあれは不凍港とか言うレベルじゃないから。


同日、フランスと植民施設同士を交換して即宣言したよ。左が交換前で右が交換後。

植民地施設を交換? 一体何処のだ。


ここ。今のソマリアのあたり。

お前、エチオピア攻める気マンマンだったろ。

うっ!

それでオマーンの植民施設があるから植民宣言して自分の領土に出来ないことに気付いて、
戦争して奪おうにも減る威信値と割に合わなかったから当分放置、と。

いやまぁ…フランスからジブチをもらおうとしても植民施設とじゃなかなか難しくて。

否定しないのかよ…。

最後に1895年1月1日の様子を張ってお仕舞いです。今回はシンプルに。






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最終更新:2010年05月31日 18:12