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羽根を押しつけられた男たち


はじめに

去年ヒットした戦争アニメ映画の感想の中に「女性は戦争の被害者だ」というものがあった。一面では確かに間違っていない。だが
疑いようのない可哀想な犠牲者であるなどと考えると誤りを犯すことになる。このご時世こんなことを書いても誰も喜ばないのだ
が、女性が戦争推進者だった瞬間、それも「あんたらだって飢餓輸出された朝鮮米や台湾米を食ってたんだろ?」とかいうレベルで
はなく、明確な意図を持って戦争の旗振り役として頑張っていた記録が残っている。例えば第一次大戦下のイギリスにおける
「White feather」、白い羽根運動がそれだ。英語版wikipediaに詳しく書かれているので、以下に該当する部分を翻訳した。
意訳・誤訳・超訳が混じってても許して。[]で囲った部分は訳注です。

訳文

翻訳ここから-------------
  • 概要
国や文化によって大きく異なるが、「白い羽根」はシンボルとして広く認識されている。イギリスと英連邦においては18世紀から、
著名なサフラジェットのメンバーや初期のフェミニストを含む愛国者団体によって、男性を辱め軍隊に志願させることを目的とし臆
病さの象徴として用いられた。しかし平和主義運動におけるある種の事例や米軍においては卓抜した勇敢さや優れた射撃技術を意味
する物として使われている。
  • 第一次大戦
1914年8月、第一次大戦が始まった頃、チャールズ・フィッツジェラルド提督は著名な作家であるハンフリー・ウォード夫人の支援
を受け「白い羽根の会[the Order of the White Feather,ここでのorderは修道会とか騎士団とか結社とかの意味]」を創設した。こ
の組織の目的は、軍服を着ていない男性に女性が白い羽根を贈呈し「説得」することで男性を辱め、軍隊に志願させることであっ
た。当時の徴兵制度は男女両方を徴集することになっていたが、実際には男性のみが前線へ送られた。[意味がとりづらい一文。イ
ギリスの徴兵制は1916年1月から開始され、18-41歳の男性が対象とされた。なので女性が徴兵されるというのはおかしいのだが、英
語版の脚注を見ると下記のパンクハースト母娘が述べた言葉が引用されており、サフラジェット運動の一環として男女問わない兵役
を求めていたようだ。ここでは女性の兵役というのは工場での労働を意味している]エメリン・パンクハーストとクリスタベル・パ
ンクハーストの両人が[男女を問わない]徴兵を支持していた一方で、シルヴィア・パンクハーストは1931年の回顧録「サフラジェッ
ト運動」で逆の主張をしているが、この3人が白い羽根運動と繋がっていたという確たる証拠は無い。[3名とも著名なサフラジェッ
ト。クリスタベルとシルヴィアはエメリンの娘。証拠は無いというが、white featherでググるとしょっちゅうサフラジェットとパ
ンクハースト母娘のことが出てくるうえ、ブリタニカ百科事典のサイトではエメリンのことを名指しで「熱烈な軍国主義者」とまで
書いており、少なくとも無関係ではないらしい]

このキャンペーンの真の有効性について判断するのは不可能だが、大英帝国内に広く知れ渡ったのは確かである。公務員や戦争遂行
に不可欠な職業の男性までもが軍に志願せよとの圧力にさらされたため、政府にとってもやっかいごととなり始めたのだ。この問題
に対処するため、レジナルド・マッケナ内務大臣はこれらの重要職業に就いている男性労働者が戦争遂行のために奉仕していること
を他人に示せるよう、「王と祖国(King and Country)」と書かれた襟章を制作し支給した。同じように、負傷や病気のために名誉除
隊した人物に与えられる銀戦闘章(Silver War Badge)は1916年9月から授章が始まったが、これは退役した兵士たちが軍服を着てい
ない訳を説明するよう要求されることを防ぐために制定された。[つまり徴兵制が実施された後も白い羽根運動は続いていた]この期
間の逸話の数々は、このキャンペーンが兵士たち――とりわけ休暇のため国に戻ったのに、気がつくと白い羽根をプレゼントされて
いた兵士――に不評だったことを示している。

そのような逸話の一つに、西部戦線から帰還したアーネスト・アトキンス二等兵[原語Private,第一次大戦中のprivateをどの時代の
どの階級と比較して訳せば良いのかよく分からないので二等兵とするが、とにかく下っ端兵卒と考えればよい]の話を挙げられる。
彼がトラムに乗っていると、後ろの席に座っていた少女から白い羽根を贈呈された。彼は少女の顔をpay book[兵士に支払われた給
金を記録する預金通帳のようなもの。後に近親者やワクチンの接種状況、さらには遺言など兵士にとって重要な情報を書き記してお
くようになった]で引っぱたき、こう言った。「お前の羽根をパッシェンデールの野郎どもの所へ必ず持って帰ってやる。てめぇら
が俺の軍服は不潔(lousy)に違いないと思ってるから私服を着てるが、仮に軍服を着てたとしてもお前の半分ほども下劣(lousy)じゃ
ねぇよ」

同じく、1916年に負傷し軍を除隊したノーマン・デムス二等兵の話。西部戦線から帰還したのち多数の白い羽根を受け取ったため、
彼は羽根を渡してくる女性が無礼な態度を取ったら同じように無礼になってやろうと決めた。最後に受け取った羽根のうちの一つは
彼がバスに乗って移動しているときに渡された物だった。彼の反対側に座った婦人が「勇敢な兵士への贈り物をどうぞ」と言って羽
根を手渡して来た。デムスは「ありがとうございます。ちょうどこういう物が入り用だったので」と言って羽根を受け取り、その羽
根でタバコのパイプを拭いた。拭き終わった後の羽根を婦人に返してこう続ける。「ご存じの通り、我々兵隊はこういった物を塹壕
からは入手できないものでして」。するとデムスにとって愉快なことに、ほかの乗客たちが婦人に対して怒り、彼女に向けて怒鳴り
始めた。

キャンペーンの支持者たちは簡単には止めようとしなかった。ある若い男性がロンドンの公園にいたところ、一人の女性がなぜ軍に
行かないのだと面と向かって彼に問いただした。彼は「私はドイツ人なので」と応えたが、とにかく白い羽根を押しつけられた。時に
は傷痍軍人が誤って標的にされることもあった。ルーベン・W・ファローはトラムに乗車中、女性からなぜ義務を果たさないのかと詰
問されたが、振り返って失った手を見せることで彼女から謝罪を引き出した。白い羽根が最も誤った使い方をされたのは、水兵のジョ
ージ・サムソンが自身の祝賀会に私服で出席する道すがらに手渡されたときだろう。彼はガリポリの戦いにおいて勇敢な行為をしたと
してヴィクトリア十字章を授与されていたのだ。

連続殺人の容疑者ジョン・ボドキン・アダムズの愛人であり、後年イーストボーンの市長を務めるローランド・グウィンは親戚から
羽根を受け取った。これが彼に軍への志願を促すこととなり、後に彼は殊勲章(Distinguished Service Order)を授与されることに
なる。当時兵士だった作家のコンプトン・マッケンジーは白い羽根の会の活動について不満を述べている。彼は「頭のおかしい若い
女が、飽きたボーイフレンドを追っ払うための道具として白い羽根を使っていたのさ」と論じている。反戦活動を行っていた平和主
義者のフェナー・ブロックウェイは、扇を作れるほど大量の羽根を受け取ったと語っている。白い羽根運動は第二次大戦中にも一時
的に復活した。

翻訳ここまで-------------

どっちがどっちか誰にも分からない――マーク・トウェイン

アーノルド・ベネット作「The White Feather: A Sketch of English Recruiting」、1914年の作品。こちらのサイトより引用。


見逃せないのが上の文章の中でちらっと出てきたサフラジェットである。wikipediaによると、おおざっぱに言って好戦的な行動も
辞さない女性参政権運動のメンバーを指すそうだ。なぜ女性参政権運動やフェミニストが戦争を支持したのか。男性が召集され戦場
へ行けば銃後の働き手が不足する。その穴は女性が埋めるほか無いわけで、結果として女性の社会進出が進む。「男性と同じように
働き納税しているのだから、同じように参政権が与えられるべきだ」といった具合に、女性の社会進出が進めば参政権獲得の弾みに
なる。男性・女性という枠組みだけで考えると、実は女性にとって総力戦というものは「またとない機会」でもある。だからこそ、
女性団体は積極的に戦争に協力したのだ。事実サフラジェットも大戦中は戦闘的な活動を止め、戦争支持の運動へと路線変更してい
る。彼女たちは「どれだけ戦争を煽ろうと自分たちが塹壕へ送られることはない」とまで考えて行動していたはずだ。考えに考えた
上で、計画的に戦争を支持し、協力した。「戦争を利用した女性の社会進出・権利獲得」という目論見はある面では成功を収めた。
イギリスでは第一次大戦後に、日本でも第二次大戦後に(GHQによってではあるが)女性参政権が与えられたし、「女性は家を守る
べきであって働くなんてけしからん」なんて話は今や賛同を得られない。

ただし、この白い羽根運動のような「戦術」が男女の間に決定的対立と分断を引き起こしたであろうことは想像に難くない。男性か
ら見れば、白い羽根を押しつけてくる女性というのは無責任に戦争を煽っているようにしか見えない。平時の社会における男女の力
関係がここでは逆転している。「軍服を着ていない男性だから」という理由で塹壕戦の地獄を見た兵士達からガリポリの勇者にまで
見境なく羽根を渡してくるのに、一方彼女たちは「女だから」という理由で絶対に戦場に行くことはないのだ。兵役に就けない障害
者の男性などは二重三重の屈辱を味わったことだろう。事実、精神的な問題を抱えていた男性が白い羽根を送られたがために自殺し
たという話も残っている。日頃からハラスメントを受けていた女性とか、男性に慇懃無礼な態度を取られて鬱憤がたまっていた女性
にとっては、衆人環視のもと白い羽根を突きつけていつものお返しとばかりに男性を恥じさせるのは実に魅力的な行為だっただろう。
だが、そうしていい気になっていた女性たちも、戦後に復員してきた大量の男性たちが職を求めるようになると手のひらを返された
かのように工場や農場から追い払われた。女たちが職を奪われようとしても、男たちは救いの手をさしのべなかった。自分が勤め人
だったときに女性が何をしてきたか、彼らは覚えていたからだ。

サフラジェットに限らないことだが、社会運動はややもすれば「敵と味方」「あっちとこっち」「あいつらと我々」といったように
物事を白か黒かで分けてしまう。「誤った二分法」の向こうを張ってこれを「敵味方二分法」と仮に命名しよう。敵味方二分法は極
めて魅力的な物の見方だ。世界の全てがどちらか一方であり単純明快。味方でなければ敵なのだから戦いやすいことこの上ない。同
時に極めて危険でもある。物事にはいつだってグレーゾーンや割り切れない領域があるからだ。サフラジェットについてググってい
たら出てきたwebサイトなのだが、今日でも「あなたはセクシストか、それともフェミニストか」とか「性差別主義者でなければ、
みんなフェミニストです」などといった挑発的な(少なくともおれはそう思った)敵味方二分法を使った文章が出てくる。よろし
い、ならば白い羽根運動を敵味方二分法で見てみよう。まず白い羽根を押しつける側の女性達だが、彼女たちは今日的な視点から見
れば疑いなくフェミニストと言える。女性参政権を求めるサフラジェットをセクシスト扱いする人間はまさかいないだろう。であれ
ば、それらフェミニストから白い羽根を押しつけられた「敵」であり、有象無象の圧力に晒された男性達はセクシストということに
なる。敵味方二分法を用いて世界を考える以上、「白い羽根運動はフェミニスト同士の内ゲバである」というよく分からん立場に立
たない限りそうなる。安全な銃後で無責任に白い羽根を押しつける人間がフェミニストだというなら、そして塹壕の奥底でガタガタ
震えながら砲撃が止むのを待つ人間がセクシストだというなら、おれは喜んでセクシストとなり、羽根を受け取らざるを得なかった
兵士達の肩を持つ。誰が何の被害者で、誰が何の加害者なのか。複雑に入り組んだ歴史の塹壕が我々の目の前に張り巡らされている。


BBCのサイトより引用。クリックすると元のサイズで見られる。オリジナルのキャプションは以下の通り「10代前半の若者も軍に加
わろうとした:彼らは一人前の男として扱って欲しがり、また戦争のことを心躍るものだと考えていた。多くの少年が年齢を偽っ
た。13、14歳くらいの少年が出征したこともある」



追記:
話は日本でも変わらない。戦前戦中に国防婦人会や愛国婦人会に加わり散々戦争を煽りまくっていた「フェミニスト」が、戦後には
ぬけぬけと「戦争は、生態を破壊し、生命の根源を否定する。それは自然と生命から離れることのなかった「女性」の嫌悪するとこ
ろである」とか「男たちが戦争を起こしてきたのだから、今度は女性たちが平和をつくらなければならない」などとぬかしている
自分たち女性が進んで日の丸を振り「銃後のことは心配するな」と言って男性を戦場に送り出したのは忘れたらしい。兵役は男性の
義務だから出征したのに、死ぬような思いをして――時には死んで――帰ってきたときには「歴史的に戦争を遂行してこなかったほ
うのジェンダーである女性たちがかわって戦争論を語ろうではないか」などと言われる。兵士達にとっては胸くその悪い話だろう。



追記その2:本稿は女性による戦争推進について書いたものであり女性参政権やフェミニズムについてのものではない。しかしサフラ
ジェットとその闘争についてのものではあるから、読み手の中に「最初から女性達に参政権を与えていれば武闘派女性団体も白い羽根
運動もなかったんじゃないか」との疑問を持った人もいるかもしれない。ぱっと見ではもっともらしいが、話はそう簡単ではないこと
を示唆するエピソードが同じく第一次大戦中のオーストラリアに残っている。

1916年、連合国側で参戦していたオーストラリアにおいて徴兵制を施行するかを巡る国民投票が実施され、僅差で否決された。首相の
ビリー・ヒューズは諦めず2度目の国民投票をもくろむが、そのために国内が徴兵制賛成派と反対派に分かれ論争が起こる。賛成派の
団体の一つにWomen's Compulsory Service Petition League(以下「徴兵請願女性同盟」とする)があった。この徴兵請願女性同盟は
国民投票など不要であり全ての健康な男性を徴兵する法律を作ればそれで済むと主張する、今日の目で見ても過激な団体であった。19
17年7月9日、徴兵請願女性同盟はブリスベン美術学校で集会を開催。約300人の女性が集まり、2度目の国民投票を行わず直ちに徴兵を
開始するよう政府へ求める動議が採択されていた。そのさなか、20名ほどの乱入者が会場に侵入する。話を聞きつけた反戦団体の
Women's Peace Army(以下「女性平和軍」とする)のマーガレット・ソープとその仲間が抗議と妨害のために現れたのである。国民投
票の結果をひっくり返そうとするのは不当であるとの主張を読み上げようとしたソープだが、双方のメンバーが衝突し大騒動に発展。
彼女も殴る蹴るの暴行を受ける。その後も2度3度と建物への突入を図ったがその度に力ずくで叩き出された。対立する主張を行ってい
る団体の集会にカチ込みをかけるのだから覚悟はしていただろうが、よほど苛烈な暴力だったのかソープはクイーンズランド州の女性
平和軍のリーダーから退くことになる。今日ブリスベン美術学校徴兵騒動として残る話である。

これだけなら戦争中の良くある話かもしれない。だが重要なのはここからで、オーストラリアは1902年から女性参政権が認められてい
た。つまり徴兵請願女性同盟にせよ女性平和軍にせよ自分たちの参政権に繋がるから徴兵制に賛成/反対していたのではないのだ。徴
兵請願女性同盟は主に身内に兵士がいる女性・身内が戦死した女性で構成されていた。戦時下において母親や主婦などの伝統的価値観
や役割が強調され、子供を兵士として前線に送った女性の犠牲が称えられる、というのは普遍的なものだったろう。だがそこからさら
に一歩進んで、身内を兵隊に取られた女性が――あるいは取られたからこそ――徴兵制の施行にまで賛成するのはまた別の目的が考え
られる。例えばナショナリズムの過熱とか社会的地位の獲得などは容易に想像できるが、その目指す最終目標がなんだったのか、今で
はわからない。

オーストラリアにおけるこの話や、前掲の「女の戦争責任」の高群逸枝や高良とみの話を見るに、戦時下の女性が「やむなく戦争推進
という形で参政権運動をするほかなかった」とか「国からの戦争推進の号令やあるべきロールモデルの強制に逆らえなかった」などと
は簡単に言えないことが分かる。女性は確かに無権力だった。抑圧されていたし差別されてもいただろう。だが無力でも無気力でも、
ましてや無能でもなかった。彼女らは戦時下において、参政権があろうがなかろうが明確な目的と意志を持って行動していた。戦争に
反対する者も推進している者もいた。イギリスでエメリンとクリスタベル、シルヴィアの3人が頑張っていた頃、エメリンの3人目の娘
であるアデラはオーストラリアに渡り女性平和軍の一員としてフェミニズムを武器に反戦・反軍国主義を唱えていた。母や長姉とは逆
方向*1へと歩んだ彼女は、警察に逮捕される危険を冒してでも食料価格高騰の是正を求めるデモをやり、そして投獄された。*2

これら諸団体の活動ひとつひとつを見ることなく「さっさと参政権を与えていれば白い羽根運動は起こらなかったのに」とか「男は戦
争、女は平和」と単純に片付けてしまうのはフェミニズムが忌避するところの本質主義であろう。オーストラリアの徴兵制騒動につい
て、当時の新聞紙The Workerは以下のような皮肉とも風刺ともつかない文章を残している。
There are women in Australia to-day who, in absolute sincerity, are advocating conscription with tearful eyes and
breaking hearts, exactly in the same fashion, and exactly from the same motives, that the women of a past Pagan era
cast their living children into the furnace fires on the altar of Moloch.

大昔の邪教時代の女性達が生きた我が子をモロクの供物台にしつらえた炉の火に投げ入れるのと全く同じやりかた、全く同じ動機で、
涙を流し心を痛めながら、されど絶対的な真摯さを持って徴兵制を唱えている女性達が今日のオーストラリアには存在している。
(1916年10月26日)


3人の女性が「REINFORCEMENTS VOTE」と書かれた大砲から「YES」と記された砲弾を撃つ宣伝イラスト。ここでの「YES」とは徴兵制施
行に賛成(の投票をしよう)という意味。女性参政権があったがゆえにこのような女性を対象とした宣伝が作られたわけだ。徴兵請願
女性同盟は女性の徴兵については言及していない。本文中の「敵味方二分法」でこの徴兵制騒動を考えるとどうなるだろうか?
画像はこちらのサイトから引用。



参考にしたサイト:その1その2その3



最終更新日 2025-01-31
2025-1-31―追記その2を追加
2021-12-10―URLの修正
2019-5-6―初版

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最終更新:2025年01月31日 23:00

*1 次女シルヴィアは開戦後ほどなく良心的兵役拒否者や夫が兵役に就いている女性の支援など、慈善運動・平和運動に取り組むようになった

*2 なお公平のために言っておくと、アデラは戦後反共主義へと路線変更、ファシズム支持の極右団体Australia First Movementの創設者の一人となっている。