まただ。
廊下の先に唯先輩が見える。
いつものように笑顔で。
いつものように誰かに抱きついて。
今日は真鍋先輩だ。
ここからだと声は聞こえないけれど何て言ってるのかは想像がつく。
「和ちゃん大好き」だ。間違いない。
毎日、いや一日に何度こういう光景を見るだろう。
相手はいつも違っている。
憂、軽音部の先輩、真鍋先輩、それに私の知らない唯先輩の同級生
この所やけに頻繁に見るようになった気がするのは
たぶん私が過剰に唯先輩の声や姿に反応しているからだ。
見たくないけど目をそらせない。
唯先輩ならあのままキスでもしかねない。
もちろんキスしてる所を見たいんじゃなくて、
キスしなかった事を確認するために見つめ続ける。
でも真鍋先輩にはした事があるのかもしれない。
幼馴染で、あんなに仲が良い。
子供のころにはあってもおかしくない。
いつまでそうしていたんだろう。
今は、今もそうしてるんだろうか。
どんどん苦しい方へはまりこんでいく。
でもそれは
何の意味もない抱擁。
何の意味もない大好き。
何の意味もないキス。
自分に言い聞かせても胸の痛みは消えない。
キスはともかく、意味のない抱擁、意味のない大好きは
毎日私が与えられ続けてる物だから。
一番初めに見たのは新入生歓迎会。
今考えると詐欺みたいにかっこよかった。
次に会ったのは部室。
ステージ上との落差に幻滅させられた。
それからどのくらい経ってからだろう。
変なあだ名で呼ばれるのに慣れて、
抱きつかれるのに慣れて、
だんだん抱きつかれない日は寂しくなって、
あげくの果てには他の人に抱きついてるのを見るとこんな気持ちになる。
全部唯先輩のせいだ。
毎日毎日無邪気に人に抱きついて好きだなんて言うから悪い。
私の気持ちがどんどん唯先輩の方に向かっていくのに気づかないのが悪い。
八つ当たりなのはわかってるけど限りなく怒りに近い気持ちが私の心を埋める。
「唯先輩!」
気がついたら廊下を走って唯先輩を呼んでいた。
「あずにゃーん」
嬉しそうな顔で私の方を向く唯先輩。
真鍋先輩は大声を上げた私を少し驚いた顔で見ている。
特に話すことなんてない。
ただ真鍋先輩から離れて欲しかっただけだ。
それだけのために廊下を走って、声を上げて、先輩の名前を呼んだ。
そこから先の事なんて考えてなかった。
「梓ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
私と真鍋先輩が挨拶をかわしている間に唯先輩は私に抱きつく。
「じゃあね、唯」
「うん。ばいばい和ちゃん!」
真鍋先輩は行ってしまった。
さあどうしよう。
「あずにゃーん、何か急ぎの用?」
唯先輩は不思議そうな顔をして聞く。
あんなに大声で名前を呼ばれれば誰だってそう思う。
真鍋先輩もそう思ったから気を利かせてこの場を立ち去ったんだろう。
しかしもちろん用事はない。
それにしても真鍋先輩から離れた途端、当たり前のように私に抱きつく。
誰かに抱きつかないではいられないのか。
次から次へと宿主を渡り歩く生き物みたいだ。
「唯先輩」
「うん?」
「すみません。特に用事はありません」
「へ?」
「では、離れてください」
何をしてるんだ、私は。
私から離れたらまた別の誰かに抱きつく。
その度にこうやって邪魔して私に抱きつかせて、それを繰り返す。
それで良いのか。
いっそのことストレートに聞いてしまいたい。
唯先輩の中に、大好きな人ランキングみたいな物があったら
私は何番目に位置しているんですか、と。
ちなみに私の中のランキングでは唯先輩はランキング外だ。
他の誰とも並べられない。比べられない。
平沢唯、とだけ書かれたページが一枚別にある。
「うーん?」
しぶしぶと言った感じで私から離れる唯先輩。
いつもの私ならこれでおしまいだ。
でも、もう耐えられない。もう見たくない。
他の誰かに抱きつく唯先輩を見るのは。
私から抱きついてみた。
これは思いのほか恥ずかしい。
唯先輩、毎日良くこんな事できますね。
「えー、たまには」
「あずにゃん!嬉しいよ!」
「そうですか。嬉しいですか?」
「うん! すごい嬉しい!」
「では、交換条件です」
「ほえ?」
さあ乗ってくるか。
これは賭けだ。
「
これから私が抱きつきます。ですから他の……」
「ん?」
肝心な所で言葉が出てこない。
頑張れ、私。
……いや、やっぱりダメだ。
皆さんすみません。
中野梓はそういうキャラではありませんでした。
「すみません。何でもありません。忘れてください」
「んん?」
そう言って私は抱きつくのをやめた。
唯先輩は眉根にしわを寄せて考え込んでる。
まあそうだ。明らかに私の挙動はおかしい。
「訳のわからない事をしてすみませんでした。では」
「……はっ! わかったよ!」
「何がですか」
「これからはあずにゃんが抱きついてくれるんだよね!」
「すみませんでした。一時的な気の迷いです。忘れてください」
「私が他の人に抱きつかなければ!」
「え」
「わーい!」
言ってない。
私はその言葉を言ってない。
それなのに、何で、どうして。
それに、それで良いんですか。
他の人に抱きつくことより、私に抱きつかれる方が良いんですか。
頭の中が疑問でいっぱいになる
驚いてる私に向かって唯先輩は嬉しそうに言う。
「あずにゃんも他の人に抱きついたり抱きつかれたりしたらダメだよ」
「え」
これはどういう事なんだろう。
けど、でも、もう唯先輩が他の誰かに抱きつくところを見なくていい。
そして、私の事をどう思ってるか、知ることができる。
「ゆ、唯先輩も、私が誰かに抱きつかれていたらイヤですか?」
も、にイントネーションをおいてみた。
頑張った、私。
「私もイヤだよ。あずにゃん、今までイヤな思いさせてごめんね」
「いえ、それは私が勝手に……」
「あずにゃんもそう思ってくれてるのなら私はもう他の誰にも抱きつかないよ」
真剣な顔でそう言ってくれる。
唯先輩もですか。
唯先輩も私の事を思っていてくれてるんですか。
そう言いかけた時、予鈴が鳴った。
「じゃあ、あずにゃん。約束だよ!」
嬉しそうに手を振って唯先輩は行ってしまった。
最後までは確認する事ができなかったし、
伝えることもできなかったけど私の気持ちは明るい。
次に会った時は頑張って自分の気持ちを伝えよう。
……そして私から抱きつくのは免除してもらえないか交渉しよう。
そう心に決めて私は教室に向かった。
<おしまい!>
かなりイイです!!
グッと来ましたww -- (名無しさん) 2011-03-02 10:11:57
- 唯はこう言う所でかなり敏感 -- (あずにゃんラブ) 2014-01-01 20:52:10
最終更新:2010年12月13日 02:22