目を開けると、すぐ目の前に唯先輩の顔が見えて……
私はまた夢を見ているのだろうかと思った。
一つのクッションに二人で頭を乗っけて、横になって……
私は唯先輩に抱きしめられていて……
ぼんやりした頭の中に、昨日からのことが思い浮かんだ。
みんなで
夏祭りに行って、唯先輩たちとはぐれてしまって、
憂たちと一緒に帰ってきて……
お風呂から上がった後、唯先輩に電話して……
食べ合わせの話で心配になってしまった私は、
夏祭りの翌日の今日、唯先輩のお家を訪ねたんだった。
幸い唯先輩が体調を崩してしまうようなことはなく、
唯先輩のお部屋でいろいろお話をして……
いつの間にか私たちは、眠ってしまっていたらしい。
昨日からのことを思い返しながら、
それでもまだ頭は霞がかかったようで、どこかはっきりとしないで……
ぼーっと唯先輩の顔を見つめていると……
唯先輩の目蓋がゆっくりと持ち上がった。
二、三度瞬きをして、それでも瞳は潤んだまま。
ぼんやりとした表情で私を見つめて、
「……夢?」
と、そう呟いていた。
私も自分が目を覚ましているという自信が持てなくて、
今も夢の世界にいるような気がしてしまっていた。
だから、唯先輩のその呟きに返事をすることはできなくて……
恐らく唯先輩と同じようにぼんやりとした表情を浮かべたまま、
ただ黙っていることしかできなかった。
顔が触れ合いそうなほど間近で、
潤んだ瞳で唯先輩と見つめあっていると、
「……夢なら、いいのかな……」
唯先輩が小声で言って……そしてその顔が、私に近づいてきた。
その唇が、私の唇にゆっくりと近づいてきていた。
唯先輩にキスをされようとしている。初めてのキスを……
それに気づいても、私の体は動かなくて……
近づいてくる唯先輩の顔を、ただぼんやりと見つめ続けていた。
(……やっぱり、夢を見てるのかな)
もしこれが夢なら……今までと同じように、
私が驚いたり騒いだりした途端、私は目を覚ましてしまうことだろう。
はっと目を覚ますと、そこは唯先輩のお部屋で、
今と同じ姿勢で私たちは横になっていて、
そしてふやけた顔で寝ている唯先輩が目の前にいるのだ。
当然私とキスをしようとしているなんてことはなくて……
私は重たくため息をついて、
キスの夢を見てしまった自分を恥ずかしく思うのだろう。
(だったら……)
どうせこれが夢なら、このままキスをしてしまってもいい気がした。
どのみち目覚めて消える夢なら、このままキスしてしまった方が……
(……消える、夢……)
胸中でそう呟いた途端、昨夜のことが脳裏をよぎった。
唯先輩に手を引かれて、走ったあのときのこと。
遠くに見えた花火と、すぐ目の前にあった唯先輩の背中。
夢を見ていると思ったその直後、私は唯先輩とはぐれてしまって……
あのときの寂しさを思い出して、私は震えてしまった。
唯先輩と一緒にいられたのに、
また離れ離れになってしまった、あの寂しさ。
他の夢から覚めたときとは比べものにならない喪失感……
このキスを夢にしてしまったら、
あの寂しさを、喪失感を、また味わうことになってしまうのだろうか……
そう思ったら、私はもう我慢できなかった。
大声で、叫んでしまっていた。
「い、嫌です!」
自分の叫び声が耳朶を打って、頭を覆っていた霞が一気に消えた。
完全に目を覚まし、私はもう一度「嫌です」と呟いた。
唯先輩の声に、私はいつの間にか閉じてしまっていた目蓋を開いた。
私の瞳はまだ潤んでいて、視界はぼやけていて……
それでもすぐ目の前の唯先輩の顔はしっかりと見えた。
唯先輩も目を開けていて、もうちゃんと目を覚ましているようだった。
「い、嫌です、唯先輩……夢じゃ、やです……」
「あ、あずにゃん……?」
「……やだよ……夢じゃ、やだっ……消えちゃやだよぉ……」
泣いて、私は唯先輩に縋りついていた。
両手で唯先輩の服を握り締めて、胸元に顔を押し付けて。
泣いて私は、夢じゃ嫌だと言い続けていた。
このキスを夢にしてしまうのは嫌だと思い、
あんな寂しさを味わうのはもう嫌だと思い……
こんなにも自分は唯先輩のことが好きだったのだと、
自分の気持ちに気づかされていた。
「……ごめんね、あずにゃん」
泣いて震える私の体を、唯先輩がぎゅっと抱きしめてくれた。
「私……ひどいことしようとしたね……
夢ならいいかななんて……ひどいこと……」
「……私も、やだよ……やっぱり夢じゃやだよ……
ちゃんとあずにゃんと、キスしたいよ……」
言って、唯先輩が私を抱く力を強めた。
私も強く、唯先輩の胸元に顔を押し付けた。
キスしたいと言ってくれたことが嬉しくて、
本当に私は唯先輩のことが好きなのだと気持ちを自覚させられて……
でもまた昨夜のことを思い出してしまって……
私と唯先輩は、近い将来、
離れ離れになってしまうことも思い出してしまった。
唯先輩は三年生で、私は二年生。
来年の春、唯先輩は卒業してしまって、そして私は学校に残されて……
否応もなく、私たちは離れ離れになってしまう。
来年は、私は軽音部で一人になってしまうのだ。
昨夜お風呂で、私は暗くなっちゃだめだと自分に言い聞かせた。
学園祭を頑張って成功させるんだと気合を入れようとした。
でも、寂しく思わないなんてやっぱり無理だった。
大切な先輩たちと別れ、大好きな唯先輩と離れ離れになって、
そのときのことを想像して、
どうして寂しいと思わないでいられるだろう……いられるわけがなかった。
震えて泣き続ける私を、抱きしめ続ける唯先輩。
と、その力が弱まって……
両肩に置かれた手が、私の体を引き離そうとしていた。
「……や……唯先輩、いや……っ」
「あずにゃん……」
「やだ……唯先輩、やだよぉ……離れちゃ、やだぁっ……」
「あずにゃん……!」
優しく、でも強く唯先輩に名前を呼ばれ……
私の体は一度震えて、そして力を失った。
唯先輩の手が、私の体を引き離す。
しゃくりあげ、俯く私の顔を、唯先輩が覗き込んできた。
「あずにゃん……キス、しよ……?」
小声で言われて、私は顔をそっと上向けた。
優しい笑みを浮かべる唯先輩の顔が見えた。
「キスしよ、あずにゃん……夢じゃなくて、ちゃんと起きて、
目を覚まして……ここでちゃんと、キスしようよ」
「唯先輩……」
「私、あずにゃんのこと、好き……
ずっと一緒にいたいって思ってる……
学校を卒業しても……軽音部の先輩と後輩じゃなくなっても……
あずにゃんと、ずっとずっと一緒にいたいよ……
だから、キスしよう。キスして……
離れ離れにならないように……恋人に、なろ……」
唯先輩の言葉に、私は一度鼻を啜って……
でも口を開くと、声はどうしようもなく震えてしまっていた。
「告白……だと思って、いいんですか……」
「うん……告白、だよ……」
「わ、私……ほ、本気にしますよ……本気で、
ほんとにずっと一緒に……いようとしますよ……」
「うん、本気にしてよ……ほんとに、ずっと一緒にいようよ……」
そう言いながら、唯先輩の手にまた力がこもった。
さっきと同じように、唯先輩の顔が私に近づいてくる。
でもさっきとは違って、今度は私も唯先輩も、ちゃんと起きていた。
これは夢じゃないって、私も唯先輩もわかっていた。
唯先輩の唇が、私の唇に触れた。
いつの間にか私は目を閉じていて、
唇に触れた柔らかい感触のことで頭がいっぱいになってしまう。
先輩と後輩のスキンシップとは違う、これは恋人と恋人の触れ合い。
これから先も、私と唯先輩がずっと一緒にいるためのキスだった。
どれぐらい、時間がたったのだろうか……
唯先輩の唇が離れ、私は目蓋を開けた。
唯先輩の顔はまだすぐ目の前にあった。
その頬は真っ赤に染まっていて……
それを見て、私も急に恥ずかしくなってしまった。
一気に頬に熱が宿る。
きっと私も、唯先輩と同じように真っ赤になっていることだろう。
「キ、キス……しちゃったね……」
「そ、そうですね……」
「告白して、キスして……
えっと、これでもう、私たち……恋人同士……?」
「な、なんで疑問系なんですか! ちゃんと自信もって言って下さい!」
「えっ……あ、うん、そだね!
恋人同士! あずにゃんと私は恋人同士!」
「は、恥ずかしいんですから、そんな大きな声で言わないで下さい!」
「え、え~、だって、あずにゃんが……」
私の抗議に情けない声を上げる唯先輩を見て、
私は思わず笑ってしまっていた。
私の笑い声に、唯先輩も「エヘヘ」といつもの笑みを見せる。
二人で笑いあうと、いつもの空気が戻ってきてくれた。
いつもの温かくて、心地よいあの空気が。
「エヘヘ……あ~ずにゃん!」
「にゃっ……もうっ、そんな強く抱きしめないで下さい!」
「ぶー、さっきはあずにゃんの方から抱きついてきたくせにぃ……」
「あ、あれは……」
「エヘヘ……あずにゃんのさびしんぼぅっ」
「ゆ、唯先輩!」
横になったままで、私たちはいつものようにじゃれあった。
恋人同士になったからって、
いきなり劇的に私たちの関係が変わるわけではないだろう。
でも、今までよりももっと強い、
確かな繋がりを得られたようにも思えて……
ちょっと前に感じていたような寂しさに捕らわれることは、
きっともうないだろうと、私は思った。
私たちは恋人同士になったのだから。
唯先輩が学校を卒業しても、私が高校に一人残されても……
この繋がりは、決して切れることはない。
「……唯先輩……これから、なにしましょうか?」
起き上がって、私は唯先輩にそう尋ねた。
夏はまだ終わっていない。
まだこれからだ。
そしてきっと、私たちも……これからなんだ。
END
- やっぱり唯梓はいいねぇ~ -- (鯖猫) 2012-10-14 02:08:24
- よかったね -- (名無しさん) 2012-10-14 12:36:59
- 唯梓最高! -- (あずにゃんラブ) 2013-01-20 01:47:05
最終更新:2010年07月07日 23:06