散歩なんてやめておけばよかった……
冷たい風に身をすくませながら、私は胸中でそう呟いていた。
先輩たちの受験も終わり、卒業式も近い3月上旬の日曜日。
春はすぐそこまで来ているはずなのに、風はまだまだ冷たく、
雲一つない空に輝く太陽も、街の空気を温める役には立ってくれなかった。
もう3月だけど、気温は冬のままだ。震えるほどに寒かった。

「少しはあったかくなるかなって思ったのに……」

コートの前をしっかりとしめ、身を小さくして通りを歩く。
久しぶりの良いお天気に油断して、
マフラーをつけてこなかったのは失敗だった。
いやそもそも、散歩なんてしようと思ったこと自体が間違いだったのだ。
家で大人しくギターの練習を続けていれば、
そうでなくてもすぐ引き返していれば、
こんな寒さを我慢しなくてもすんだのに。


ため息をつきながら、コートのポケットに入れた缶コーヒーを手で弄ぶ。
温かいホットコーヒーがポケットには入っていた……ただし、ブラックの。
カフェオレを買おうとして間違えてしまった無糖のコーヒー。
飲めないわけではないけれど、やっぱりブラックは好きではなくて……
仕方なく、ポケットでカイロの代わりになってもらっていた。
もっとも、ホットコーヒー程度では、
ポケットに入れた指先ぐらいしか温められなかったけれど。

「はぁ……」

渡ろうとしていた横断歩道の信号が赤に変わって、
またため息を吐いて足を止める。
寒さに耐えながら、無意味に町を歩き続けて……
いったい私はなにをしているのだろう?
寒い冬に一人で散歩なんて、ほんとバカみたいだった。

「うん……もう帰ろ……」

無駄に意地を張って散歩を続ける必要なんてない……
そう思って踵を返したそのときだった。

「あ~ずにゃん!」
「にゃっ!」

いきなり唯先輩に抱きつかれたのは。
私が後ろを向いた丁度そのとき、
背後から近づいてきていた唯先輩が抱きついてきて……
図らずも、私たちは真正面から抱き合う格好になっていた。

「ちょっ……ゆ、唯先輩! もうっ、
いきなり抱きついたらびっくりするじゃないですか!」
「エヘヘ、ごめんね、あずにゃん
でもあずにゃんに会えて嬉しくって♪」

唯先輩の胸の中で文句を言うと、耳元で唯先輩がそう言うのが聞こえた。
謝ってはいるけれど、でも抱きしめる腕の力はまるで緩まず……
まったくもうと、私はまたため息を吐いていた。

「でも、あずにゃんどうしたの?
今日こんなに寒いのに、なんかいつもより薄着だよね?」
「あ、はい……ちょっと散歩に出てみたんですけど……
良いお天気だったので油断しちゃって……」
「そっかぁ。うん、今日はすごくいいお天気だもんね」
「ええ。ですから、もうちょっと温かくなるかな、
って思ったんですけど……」
「風も強くて冷たいもんねぇ。もう3月なんだから、
お日様ももっと頑張ってくれたらいいのにね」

そう言いながら、唯先輩は私を更に強く抱きしめた……
そのとき、ビニール袋のガサガサという音が聞こえた。
疑問に思い、首を動かすと……
唯先輩が腕にぶら下げたビニール袋が目にとまった。
この近所のスーパーの袋だった。

「唯先輩はお買い物だったんですか?」

ビニール袋を見ながらそう聞くと、

「うん、今買ってきたところなんだぁ」

そう言って笑いながら、唯先輩が私から体を離した。
そして、腕に下げたビニール袋の中に、もう一方の手を入れて、

「じゃーん!」

袋から取り出したのは、お菓子の袋だった。
デフォルメされた牛が大きく描かれている。
書かれている文字から、中身がミルクキャンディーであることがわかった。

「昨日スーパーに行ったとき見つけてね、
この牛ちゃんに一目ぼれしちゃったんだけど、
そのときはお金がなくてねぇ……」
「それで、今日わざわざ買いにいったんですか?」
「うん!」

私の言葉に、唯先輩が笑顔で頷く。
この寒い中、お菓子を買いにわざわざスーパーまで行くなんて、
と私はあきれて……
でもそれが唯先輩らしいなと思って、私も笑みを浮かべた。
もうすぐ卒業で、春からは大学生になるけれど、
唯先輩のこういうところはずっと変わっていなかった。

「エヘヘ、可愛いでしょ、この牛ちゃん」

そう言ってお菓子の袋を見せる唯先輩に、
「はい、そうですね」と答えようして……
でもそのとき、一際強い風が私の身を打って、

「くちゅん!」

口から出たのは、小さなくしゃみだった。

「わっ、あずにゃん、大丈夫!?」
「だ、大丈夫で……くちゅん!」

言葉の途中でまたくしゃみが出てしまう。
マフラーのない今の格好だと、やっぱり今日の寒さは厳しかった。
唯先輩に抱きしめられている間は温かかっただけに、
今は余計そう感じてしまう。

「う~ん……お外は寒いし、私の家に行こうよ、あずにゃん」
「……そうですね。お邪魔します」

唯先輩に誘われて、私はそう答えていた。
散歩はやめて帰ろうと思っていたところだったのだし、
もう無理して寒さを我慢する必要もないだろう。

「じゃ、行こ、あずにゃん」
「はい」

寒さのせいかあまり人気のない道を、私は唯先輩と一緒に並んで歩いた。
くしゃみはおさまったけれど、冷たい風に体が小さく震えてしまう。
そんな私を、唯先輩は心配そうに見つめていて、

「ほんとに大丈夫、あずにゃん?」
「大丈夫です……ちょっと風が冷たいだけですから……」

唯先輩に聞かれてそう答えるけれど、
声の元気のなさは誤魔化しようがなかった。
唯先輩も当然それには気づいていて、

「う~ん……」

心配そうな表情は消えなかった。

唯先輩に心配をかけているのが申し訳なくて、
私はもう一度「大丈夫です」と言おうとして、

「そうだ!」

でも私がそう言うよりも先に、唯先輩の元気な声が聞こえた。
そして、

「えい!」
「にゃっ!」

唯先輩は着ているコートの前を開けると、
その中に私を入れるように抱きついてきた。
大きく広がったコートに、私の体が包まれた。

「ゆ、唯先輩!?」
「エヘヘ、これならあったかいでしょ、あずにゃん」

驚きに声を上げる私に、ほにゃっと笑いながら唯先輩が言う。
唯先輩のコートにくるまれて、それに唯先輩とくっついて、
確かに私は温かかったけれど……

「でも唯先輩は……」
「大丈夫だよぉ、あずにゃんとくっついてるから、私もあったかいもん!」

心配で尋ねる私に、唯先輩はそう答えてくれる。
その言葉に嘘はないだろうけれど……
でもさっきよりもあったかいはずはなかった。
私にかけるためにコートの前を大きく開けているのだから。
これでは保温効果は弱まってしまうし、
体を打つ冷たい風だって遮れない。
卒業式も近いのに、
これが原因で風邪をひいてしまったりしたらどうしよう……
申し訳なさが不安を呼び、嫌な想像まで浮かんできてしまった。

「心配しなくても大丈夫だよぉ、あずにゃん」
「で、でも……」

唯先輩がそう言ってくれても不安は消えず、どうしようと悩んで……

「あ、そうだっ……唯先輩、これっ」

さっき買ったホットコーヒーのことを思い出して、
私はコートのポケットからその缶コーヒーを取り出した。
ポケットにずっと入れていたため、まだ充分温かかった。

「あの、さっき買ったコーヒーなんですけど、良かったら、これ……
飲めば少しはあったまると思うので……」
「えっ、でもそれ、あずにゃんのでしょ?」
「いえその、間違えて買っちゃったブラックのなんで……
なんか残り物押し付けるみたいで申し訳ないんですけど……」

私がそう言うと、唯先輩は私が持っている缶コーヒーをしばし見つめて、

「じゃそれ、一緒に飲もっか♪」

笑顔で、そんなことを言った。
……それから私たちは、
二人で一本の缶コーヒーを飲みながら道を歩いた。
代わり番こに缶に口をつけながら、
口の中のミルクキャンディーで無糖の苦さを誤魔化して。
ミルクキャンディーは、もちろん唯先輩から貰ったものだった。

「エヘヘ……こういうのも悪くないよね、あずにゃん」
「ちょっと恥ずかしいですけどね」

笑う唯先輩に、私は苦笑を浮かべる。
唯先輩のコートの中に入って、ぴったりくっついて、
一緒に一本の缶コーヒーを飲んで……
知り合いにはあまり見られたい姿ではなかった。
さすがにこの格好はちょっと恥ずかしい。
でもスキンシップ好きの唯先輩は、もちろん全然気にした様子はなくて……
こういうところも唯先輩は変わらないままだなぁと思い、
私は苦笑を笑みへと変えていた。
コートと、唯先輩と、それに缶コーヒーの温かさが、
私の頬を更に緩めていた。
寒くて、ついさっきまでは散歩に出たことを後悔していたけれど。
でも散歩に出たからこそ、
こんなあったかさを感じることができたわけで……
このあったかさは、一人で家にいたら味わうことはできなかっただろう。
だから、

「あったかあったかだね、あずにゃん♪」
「はいっ」

冬の日の散歩も悪くないって、今はそう思えた。


END


  • 無糖コーヒーとミルクキャンディー、良いね -- (名無しさん) 2011-04-17 23:09:05
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最終更新:2011年04月15日 22:29