私、中野梓は今大変困っています。率直に言うとピンチってやつです。
その理由はといえば、まあ全て私のせいなんですけど。
朝からそわそわしつつこちらをちらちら見てくる唯先輩に、今日何かあったかなと日付を確認したら11月27日で
「あ、今日は唯先輩の誕生日じゃないですか」
と言ってしまったわけです。もちろんそれを聞いた先輩はあっという間に膨れっ面。ええ、本当に迂闊としか言い様が無いです。
今まで忘れてたのとぷんぷん怒って、現在は唯先輩の部屋で二人家族会議状態。家族じゃないだろという突っ込みは全力でスルーです。いいじゃないですか、そのうちそうなる予定なんですから。
そうですね、海沿いの小さいけどかわいい白い家に二人で住んで。あ、もちろん防音設備付きのスタジオも完備したいですね。そして猫も飼うんです。もちろん名前は
あずにゃん3号。そして二人と一匹、いつまでも幸せに暮らすんですよ。
――と、ストロベリーショートケーキより甘い未来予想図に浸ってる場合じゃありませんでした。何とか唯先輩の機嫌を直さないと。、折角の誕生日、唯先輩には笑顔で過ごしていて欲しいです。
言い訳になりますけど、忘れていたわけじゃないんですよ。大体、私が唯先輩の誕生日を忘れるはず無いじゃないですか。その11月27日という日はそれこそ魂レベルで何よりも大切な日と私に刻み込まれているわけですから。だって、唯先輩が生まれた日ですよ。その日があったからこそ、私は先輩と出会えて、今こうして一緒にいることができるんです。それはもう、宇宙開闢の瞬間と並べるほどの重要事項ですよ。
だけど、そうですね。このところの私はなんだかんだで沢山の用事を抱え込まされていて、その上嫌がらせのように次から次へと追加が来るもんだから、すっかり曜日と日にち感覚をなくしていて。その結果、何よりも大切なその日が今日であることをすっかりと失念させられていたってわけです。これは私と唯先輩の仲を割こうとする、国家レベルの陰謀に違いありません、とかあらぬ妄想をしてしまうほどです。まあ、仮にそんな組織がもし存在するとしたら、悪魔に魂を売り渡してでも叩き潰しますけどね。
っと、とりあえずその辺りは全ておいておかないと。思考に没頭している場合じゃないです。お願いですから、機嫌直してください、唯先輩。
「やだもん」
けんもほろろとはこのことです。さっきからいくら言い訳を重ねても、先輩は頬を膨らませたその表情のまま、こちらを向いてくれません。
自分でも言い訳だってわかってますから、仕方がないとは思いますけど。唯先輩はきっと自分の誕生日に私が何をしてくれるか、ずっと楽しみにしていたに違いありません。それを、私が裏切ってしまったと言う事実は確かなんですから。たとえどんな理由を並べたところで、それを帳消しにするなんて出来ようはずが無いです。
唯先輩は頬を膨らませて、つーんとそっぽをむいたまま視線すらあわせてくれません。そんな唯先輩もかわいくて、思わず脳内画像フォルダに万単位で保存しちゃったりしてます。
だけど、笑顔の方がずっといいですから。唯先輩には笑顔でいて欲しいと思いますから。だから、こういう顔にさせてしまった自分が今とても憎らしくて仕方ありません。もし先輩の部屋の机の引き出しにタイムマシンがあったとしたら、即座にあの迂闊な発言をする直前の自分をフルボッコしに行ったところです。
まあ、そんなものは当然あるわけありませんから、私は覆水盆に帰らずをまさに体現した状態と心境に陥っているんですけど。
ああもう、そんな後悔とかは置いておかないと。今は唯先輩を笑顔にできるように尽力すべきです。
「え、ええと、
プレゼント何がいいですか?」
とりあえずモノで釣ろう計画発動です!
「……まだ用意してくれて無かったんだね」
逆効果でした。だけど、ここで引き下がるわけには行きません。
「ゆ、唯先輩の欲しいもの、なんでも用意しますから!」
そう、今の私ならなんでもできます。唯先輩が望むのなら、神様にだってけんかを売ってきますよ。チェーンソーなんて無くたって平気です。
だから、機嫌を直してください。いつものふんわりした笑顔に戻ってください。そっぽを向く先輩もかわいいとは思うんですけど、だけど、こんなに長い間先輩から目を逸らされているとやっぱり寂しいです。寂しくて悲しくて、今にも泣いちゃいそうですから。
「……なんでも?」
「なんでもです!」
食いついてきた、と私は内心キラーンと目を輝かせます。
「ホントに何でもいいの?」
くるりとこちらを向く唯先輩。唯先輩の眼差しにとくんと私の胸は高鳴ります。いつものふんわりした視線じゃなくて、少し眉が下げられた怒った眼差しだけど。だけど、なんかいいです。ゾクゾク来ます。新たな性癖を開発されそうな、そんな予感が――って、まあ自重しますけどね。とりあえず、妄想に耽ってる場合じゃないですから。
「もちろんですよ」
「そっかぁ……」
そういうと、先輩はあっさりといつものふわりとした笑顔に戻りました。丁度90度私から逸らしていた体の角度を、真正面真っ直ぐに戻してきます。そのままの勢いで、とんと私の両肩を捕まえて、上機嫌な笑顔なんて見せてくれたりしてます。
へ?と私は思わず戸惑うしかありません。いえ、元々それを目指していたわけですから、願ったり叶ったりなことではあるんですけど。何で急に、こんなあっさりと治ってしまうんですか。それに。どことなく上機嫌な先輩の笑顔はいつものようで、いつもと違うような――でも、確かに見覚えがあるもののように見えてます。
それが何かと考え始めた私は、結局はその答えが見つからないまま、ぼすんという音に思考を遮られてしまいました。まあ、結果オーライということでいいんですけど。何はともあれ先輩に笑顔が戻ったわけですし。
にしても、今のぼすんと言う音はなんでしょうね。例えるなら、羽根布団の上に身を放り投げたようなそんな音でしたけど。あれ、そういえば、いつの間にか視界が変わってますね。私の視線は何故か天井を向いていて、眼前には丁度照明が逆光の形になり影を指された先輩の顔があります。なんだろうと身をよじって周りを伺おうとしたら、私の両手は手首のところできゅっと先輩につかまれていました。両脚も唯先輩の両脚で巧みにホールドされていて、一定以上は動かせそうにないですね。視線だけ動かしてその範囲で状況を確認した結果、つまり私はいつの間にかベッドに横たわっていて、その上には唯先輩という状態ですか。
――えっと、あれ?
これはつまり、私、押し倒されてるってこと?
状況が把握できずにぐるぐる混乱する頭を抱える私に、先輩はにんまりした笑顔を見せてくれました。
「じゃあ、あずにゃんがいいな」
更にはそんなことを言ってくる唯先輩。
私はというとそのにんまりに、さっき思ったいつもの唯先輩の笑顔とどこか違うなと思ったのはこの要素を含んでいたからなんだとぽんと内心手を打ったりして。丁度その分拍をあけて、なんですと状態に陥っていた。
「あずにゃんがたべたい」
それはもちろん性的な意味でですよね、というかそうじゃなかったら途端にジャンル変わっちゃいますけど。
ええと、じゃなくて、なんでこんな状態に陥っているわけですか。私にも心の準備というものが必要なんですよ、ええ。だってこんなにいきなりだと、私の心臓がパンクしちゃいます。ホントに殺す気ですか。
「何でもいいって、言ったよね?」
ひょっとして、というかひょっとしなくてもこれは図られたということですよね。私がそういうのを待ってて、怒った振りをしていたと。何処からそうだったかはわからないけど、今は確実にそうですよね。
向けられているのは、艶かしさをたたえたつつ私を見下ろしてくる先輩の瞳。そう、覚えがあるのも当たり前です。それは、”そのとき”に見せてくれる、先輩の眼差しですから。
ふふーんうまくいったよって、にんまりと笑ってる口元。そこはちょっとムカッと来ますけど。
ああもうずるい。結局私はそんな悪巧みを知ってしまった今でも、それを咎めることなんて出来そうにないです。まあ、あれですよ。どうせこれはあげるつもりでしたから、ちょっと順番が変わっちゃったな、ってことでオーライといえばそうですけど。ああもう、悔しさすら浮べる余裕ないじゃないですか。先輩のその眼差しは、けっこうあっさりと私のスイッチに手をかけてしまうんですよ。
硬直していた体から力を抜いて、びっくりして乱れていた呼吸は整えて、それでもいつもより少し上気気味に維持したまま、そして高鳴る鼓動はそのまま走らせたままに。
「もう、しょうがないですね……唯先輩は」
表情だけはその言葉どおりに少し呆れた風に形作って、それでも眼差しだけは素直な自分の気持ちを込めて、唯先輩を見上げて見せました。
「へへーしょうがないんだよ、私は」
「自慢げに言わないでください」
先輩がふふんと胸を張った隙に、するりと両手を先輩の手から抜き出して、そのままきゅっと背中に手を回し抱きつきます。私の上15センチの位置で上体を支えていた唯先輩は、突然加わった私の重みに耐え切れず、丁度私に引き寄せられる形でぽすんとベッドに倒れこんできます。その重みを預けられた私はきゅっとベッドに押し付けられて、押し返すマットレスのスプリングはぎゅっと強く私を先輩に押し付けてくれて。そして一瞬の動作に少しだけびっくりとしていた唯先輩は、すぐに私とマットの間に腕を差し込んで、お返しとばかりにきゅうっと抱きしめてくれて。
それはいつもとは違う、この瞬間だけの深い深いハグです。いつものきゅうっと可愛がる為のそれじゃなくて、私たちだけの、愛を確かめ合うための――って改めていうとちょっと照れがはいりますけど。
「あずにゃん……」
「いいですよ、唯先輩……食べちゃってください」
吐息混じりに私の名を呼ぶ先輩に、私もほぼ同じ声色でそう返す。うん、我ながら今のは色っぽかったかも。先輩ほどじゃないですけど。
唯先輩はきゅっとする腕を少しだけ緩めて、少しだけ顔を上げて、唇が触れ合いそうな距離で私と目を合わせてくれました。ああ、触れ合いそう、じゃないですか。もうすぐ触れ合う距離で、と言った方が正確かもしれませんね。
ゆっくりと、その僅かな距離をゼロにしようと近付いてくる唯先輩。その距離に比例するかのように、私の体を巡る熱はどんどんその温度を上げていきます。それに焦がされるままに意識はくくっと切り替えられていき、もう準備は万端。あとはそれにスイッチを切り替えるだけ。
私の唇が柔らかな感触に包まれるその寸前、小さく笑って目を閉じると、私はいつもの中野梓という衣をするりと脱ぎ捨てました。
結局唯先輩が私を解放してくれたのは、もう窓の外が真っ暗になったころ。時計なんてもう見るまでも無く、夜ですよ、という時間に違いありません。
もう起き上がる気力も無いですよ。ですから、毛布に包まったままの説教モードです。
「私調子に乗るなといいましたよね?調子に乗るなといいましたよね?」
「めんぼくないです……」
ええそりゃもう二回言い直しちゃいますよ。
ぷんぷんというオーラを発してあげると、唯先輩はしょんぼりと大人しく説教を聞いてくれています。初めからそう大人しくしてくれればいいのに、もう。
「はあ、もう怒ってる時間ももったいないです。早く支度して、でかけましょう」
「そ、そうだね……」
さすがの唯先輩も、今度はさっさと支度に取り掛かってくれました。この様子なら、ようやく出かけられそうです。
それじゃ私も支度しないとですね。そう思って毛布を跳ね除けて、服に手を伸ばそうと状態をあげようとして――
「……あれ?」
動きません。いや、動けません。というか、腰に力が入りません。この状態は、ええ、確か今まで何度か陥ったことがありますね。まさか、こんなタイミングでこうなるとは思いませんでしたけど。まあ、ここに至る経緯を考えれば、無理の無いことというか、当全の結果ともいえるわけですが。
「どうしたの?あずにゃん」
そんな私に、その元凶たる唯先輩がきょとんと無邪気な顔で覗き込んできたりしてくれました。あ、今ちょっとカチンと来ましたよ。
「腰が抜けてます」
「へ?」
「ですから、腰が抜けて立てません」
「え、ええと…」
「ですから、出かけられそうにないですね」
「そ、そうなんだ」
「ええ、そうです」
「それって私のせいかなー……なんて」
頬っぺたにたらりと冷や汗を流しつつ乾いた笑いを浮べる唯先輩。その肩を、かしっと動く両腕で捕獲してあげます。
「わかってるじゃないですか」
そのままきゅっと抱え込んで、体重を預けると、丁度前傾姿勢で私を覗き込んでいた唯先輩は呆気なく私の上に倒れこんできました。ひゃあ、なんて情けない悲鳴を上げてくれたけど、離してなんてあげません。
「あ、あずにゃん、怒ってる…?」
「いいえ、怒ってなんていませんよ。だけど…」
「だ、だけど?」
「唯先輩にも同じ目にあってもらわないと、フェアじゃないですよね?」
「はうぅ…!?」
もがいても無駄ですよ。腰以外はちゃんと動くんですから。それに、先輩だけじゃなくて、私だって唯先輩の弱いところはもう全部わかってるんですからね。ここをこうして、こうすれば――
「にゃ、にゃう……」
ほら、へなりと力が抜けて、食べごろの唯先輩の出来上がりです。あとは逃げられないようにしっかり抱え込んで、と。
「ふふ、普段あずにゃんあずにゃん言ってるくせに、今は唯先輩のほうが猫っぽいですね。ゆいにゃんとでも呼んであげましょうか」
「にゃあぅ……あずにゃん、意地悪だよぅ」
もう、全く、何を言ってるんですか。本当に意地悪するのは
これからですよ、唯先輩。
ふふ、わかってるくせに――