「あ、あずにゃん?」

 そんなびっくりしたような声出さないでください。びっくりしてるのは、私の方こそ、なんですから。
 そう、なんで自分なこんな行動に出ているのか、私にはわからない。こんな、まるでいつものこの人みたいに、後から唯先輩のことを抱きしめている、なんて。
 数秒前までの私の中には、それこそ欠片すらも想定し得なかった光景だった。だけど、今現実としてその光景は確かにここにある。
 私の鼻先には唯先輩の髪がふわふわと揺れていて、私の腕はくるりと唯先輩の肩口から胸元まで回されていて、膝立ちの私の太腿から胸元にかけてぴたりと服越しのぬくもりが伝わってくる。
 私は間違いなく唯先輩を抱きしめていて、唯先輩は間違いなく私の腕の中にいる。私の五感がどうにかなって無い限りは、それはもう疑いようの無い事実だ。
 腕の中で唯先輩は落ち着き無さそうにもぞもぞと動いてる。いつも私のことをぎゅうっと抱きしめてくるくせに、いざ自分がその立場になると落ち着かないということなのだろうか。
 だけどその動きは、あくまで首に回された私の腕を振り解かない程度のもの。
 つまり、この状況は先輩にとって予想外ではあるものの、望まないものではないと言うことなのだろう。
 そして、そう言えるとしたら、つまりは私にとってもこれは――そういうことということになる。
 だって、結局のところ状況を完全に把握しきった今でさえ、私は唯先輩から身を離せずにいるのだから。

「あずにゃん?」

 先ほどより少し落ち着いた先輩の声が、私を呼ぶ。
 びっくりは消えて、だけどまだ疑問の色が残ってるその声。
 ふわりと暖かくて、柔らかないつもの先輩の声。

「寒そうに、見えたからです」

 そう答える。とりあえず何か答えなければと思い、反射的に口をついて出た言葉。
 理由として挙げるとしたら、それは間違いではない。
 暦の上では春と呼べるようになっても、吹き抜けていく風は当たり前だけど冷たくて、なのにマフラーも巻かずに現れた唯先輩は時折寒そうに身を震わせていて。
 それなのに立ち寄った公園で、あれ登ってみようなんて滑り台の上に登りだして。
 仕方無しにその後について滑り台の上に登れば、唯先輩はだけど滑り降りることもなくちょこんと座り込んでぼうっとここから見える景色を眺めだしたりして。
 私の目に映るその姿は、遮蔽物の無い滑り台の上の風に晒されて、あまりに寒そうに見えて。
 だから、私はその背中から唯先輩をぎゅっと抱きしめていたのだろう。

「そっかぁ……でも、びっくりしたよ」
「いつも先輩が私にしてることじゃないですか」
「そうだけどぉ……えへへ、あずにゃんからは、初めてだね」
「……そうですね」

 先輩は小さく笑うと、体からすっかり力を抜いてしまい、私にもたれかかってきた。その重さを、きちんと支えられるように私はきゅっと更に力を込めて抱きしめる。
 すると、唯先輩はにこりと笑って、嬉しそうに私の腕に手を添えて、あったかいよ~なんて言葉を上機嫌に口にしている。
 その笑顔は、本当にいつもの唯先輩の笑顔。見ているだけで、向けられるだけで、いつも私の心をほわっと暖かくしてくれる、唯先輩の笑顔。

 ああ、きっとそういうことかもしれない。

 滑り台の上座り込んだ唯先輩の眼差しはこの風景ではないどこかに向けられているように、私は感じていた。
 それはきっと、唯先輩が小さい頃滑り台で遊んでいた記憶なのだろう。私も、今の私にはもう小さすぎる階段を登るときにそれを思い出していたから。
 そのときの唯先輩の眼差しは、確かにそこに向けられていたのだろうと私は思う。
 ずっと前の、私に出会うよりもずっと前の、小さかった頃の風景に。私の知らない、私のいない、私を知らなかったころの唯先輩へと。

 私はそれが寂しかったのだと思う。
 だって私は、私と出会ってからの唯先輩のことしか知らない。
 私にとっての唯先輩はその時点以降の唯先輩で、だけど私に出会う前の唯先輩も、確かに唯先輩としてそこで過ごしていて。
 私を知らなくても、唯先輩は唯先輩としてそこにいた。それは考えるまでもなく、考える必要もないほどに、当たり前のこと
 だけど、私はそれを寂しいことだと思ってしまっていた。
 だから私は、普段なら決して取るはずの無い行動を取ってしまったんだと思う。――その体を抱きしめていたんだと思う。
 それはきっと確認。先輩がここにいることへの、私の傍にいてくれることへの。私が今、唯先輩の傍に確かにいるということへの。
 私が唯先輩の傍にこうしていてもいいんだと、それを確かめるための。
 この行動の理由、その正解をもし一つに絞るとしたら、多分私はこれを挙げるべきなのだろう。
 そして、それは確かに正解だった。
 ぎゅっと抱きしめた先輩のそのぬくもりは、その笑顔は、私のそんな不安をあっさりとかき消して、おそらくは幸せと呼べるもので埋め尽くしてくれたのだから。

「あずにゃんっ♪」

 上機嫌に先輩は笑う。私の腕の中で、私の腕をぎゅっと抱きしめながら。
 私から抱きしめてくれたことが嬉しいよ、なんてそんな笑顔で。
 だけど結局は、私の中ではその構図は全く一緒だということを、この人はきっと知らないのだろう。
 なんだかんだと文句を言いながらも結局はその腕の中に収まったままでいる私と、今こうして唯先輩を抱きしめている私は、まるで変わらないものだということを。

「暖かいですか?」
「うん、あったか、あったかだよ~」
「……私も、です」

 照れくさげに強張らせていた頬と、きゅっと絞っていた眉から力を抜いて、私はようやくふわりと笑う。
 ひょこっと首をそらせて、そんな私の笑顔に目を合わせた先輩は、少しだけ頬を赤く染めて、そして嬉しそうに笑ってくれた。
 それは本当に素敵な笑顔で、だから私はそう思ってしまう。

 ああ、私は本当に、この人のことが大好きなんだって。

 それでもまだ口にはできないその想いを、だけど少しでも伝わればいいなと、私はまたより一層の力を込めてぎゅうっとその体を抱きしめた。

(終わり)


  • なんだただの神か……GJ!! -- (名無しさん) 2010-01-09 23:21:30
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最終更新:2010年01月09日 05:26