こんにちは、中野梓です。
今回は二期放映間近、ということで番組宣伝のための映像を撮ることになったんですけど。
どういうわけか、唯先輩が私に抱きつくシーンが満場一致で採決されてしまったんです。
「な、なんでそうなるんですか!」
信じられないことにこんなとんでもない決定を前にして、抗議の声を上げたのが私だけという体たらくですよ。
「えー、いーじゃん、
あずにゃん~カメラの前でもべたべたしようよ~」
ええい、唯先輩は黙っていてください!
律先輩!部長として何か言うことはないんですか!
「んー、まあいいんじゃね?まさにいつもの私たちって感じだしさ」
それはまあ確かに日々ここで繰り広げられてる光景ではありますけど。
だからといってわざわざそれをピックアップしてしまえばそれこそ四六時中私は唯先輩にハグされてると認識されちゃうじゃないですか。
唯先輩のあだ名がハグ魔人になってもいいんですか。
と言うわけで澪先輩!澪先輩なら!
「私も律に賛成かな。監督からも日常を象徴するシーンをセレクトしろって言われてたし。演奏シーンが一つもないって言うのは問題だけど」
そうですよ!演奏シーンが一個も無いのは問題です!スタンバイしてるとこだけじゃないですか。まあ、雰囲気は出てますけど。
と言うかこの唯先輩のナレーションだと、私たち軽音部じゃなくてティータイム部みたいですよ!
そこまでわかっていながら、なんで私と唯先輩のシーンをカットしようという方向に思考が働かないんですか!
ムギ先輩は……
「唯ちゃん、いつもよりずっと派手にハグしちゃっていいわよ。そうね、梓ちゃんを行かせちゃうくらいしちゃっていいわ」
「うん、がんばる!」
ムギ先輩に聞こうと思った私が間違いでした。と言うかなんですか、その吹き込みは。
唯先輩も変に張り切らないでください。私をどこに行かせようって言うんですか!
「ま、そういうわけで賛成4反対1で可決ってことで行くか」
「そうだな」
「そうね」
「うん!」
ちょ、何で取りまとめに入ってるんですか!何でこういうときだけ部長っぽく振舞うんですか律先輩は!
数の暴力ですよ!訴えますよ!どこに訴えればいいのかさっぱりわかりませんけど!
「あずにゃーん!えへへ、またカメラの前でハグできるよ~」
ああもう唯先輩、
これからそのハグシーンを撮るって言うのに何で抱きついてくるんですか!
「練習だよ、練習!」
「うそです、絶対抱きつきたいからだけですよね」
「へへ~、あずにゃん可愛いからね~いい子いい子」
更になでなでまで……反則ですよ、それ。気持ちいいから許しますけど。
やっぱり唯先輩にハグされると、ぽかぽかして気持ちいいですから。
仕方ないですね、もう少しこのままでいさせてあげます。
「おーい、いちゃいちゃしてないでそろそろ準備しろよ?」
「いつまで抱き合ってるつもりなんだ、二人とも」
はっ、もうこんな時間じゃないですか。と言うかいきなり撮影ですか、リハとかないんですか!
「いや、お前らが恍惚としている間に終わったし」
「よかったわよ、二人とも」
いや、声かけてくださいよ!というか何がよかったんですか、ムギ先輩!
「ほら、いいから早く準備しろよ。ナレーションは後で撮るから、唯はいつもどおりに梓に抱きついてくれればいい。梓もいつもどおりに唯に抱きつかれる。いいな?」
いや、よくありません!よくありませんけど、もう抗議してる時間は無いですね……もう。
渋々ですからね、喜んで抱き付かれるシーンを受け入れたわけじゃないですからね。
「あずにゃん、頑張ろうね!」
まあ、頑張りますけど。そんな素敵な笑顔向けられたら、そうするしかないですけど。
「じゃあ、準備OKってことで。すみません、お願いします!」
律先輩がスタッフに合図を送って、いよいよ撮影開始。
それぞれ指定された場所について、カウントを聞く。
まあ、シーン的にはハグ真っ最中から入るわけだから、唯先輩といえば今か今かととびっきりの笑顔で私の目の前でそわそわわくわくしてるんですけど。
この人絶対今から撮影って意識無いよ……ハグできて嬉しいなーくらいしかないんだろうなぁ……
まあ、そのシーンを今から電波に乗せて全国に発信しようと言う私は憂鬱でしかないわけですが。
――別に、唯先輩からのハグが嫌いってわけじゃないんですけどね。
って、何言ってるんだろ。ああもう、今のは無しです。唯先輩に聞かれたら、また調子に乗るに決まってますから。
はあ、割り切らないとですね。これは仕事ですし。私情を挟むのはよくないです。
まあ、私の相方はそんなの欠片も気にしてないよなんて、嬉しそうな瞳で私を見つめているわけですが。
そうこうしているうちに、カウントは0に近付いていきます。これが0になってしまえば、カメラは回りだして、その前で先輩はぎゅっと私に抱きつく段取りです。
確かに――それ自体は律先輩や澪先輩の言うとおり、いつもの私たちのシーンのはずなんですけど。
くるりと見渡せば、いつもの音楽準備室は門外漢の私にはさっぱりわからない機材に囲まれて、いつもの私たちの光景じゃないです。
先輩たちも――唯先輩を除いて――どこか緊張した面持ちだし。やっぱりどこかいつもとは違います。
やはり、なんかダメだと思います。別に、そう、さっき言ったとおり唯先輩にハグされるのが嫌ってわけじゃなくて。
ただそれを番組宣伝の道具として使われるのが嫌って言うか――本編のシーンとしてなら、流れとしてですから、別にかまわないんですけど。
もっと純粋に、ぎゅうっと抱きしめられるその感触を、ぬくもりを、匂いを味わうもの、味わいあうものだと思うんです。
私にとって唯先輩からのハグは、そんな特別なものであって、いつの間にかそうなってて、だからこういうのは――なんか嫌です。
「ゆいせんぱ……」
やっぱり止めてもらおう、そう思って唯先輩に話しかけようと顔を向けると――
「へ?」
既に唯先輩の顔は、私の鼻先まで近付いていました。
きょとんとその目が丸くなるのが見える。おそらくそれは先輩にとっても不慮の事態で、だから前進方向のベクトルを止めようと踏ん張ってくれたけど。
思い切りハグしようとしていた先輩の勢いはそれくらいでは止まらなくて、ただちょっと緩やかになっただけ。
それで、唯先輩に真っ直ぐ顔を向けた私と、はじめからこちらへ真っ直ぐ顔を向けていた唯先輩は、ふわりと本当にやわらかくぶつかることになりました。
それは本当にやわらかくて、暖かくて、私が想像していたよりもずっと甘くて――とろけてしまいそうです。いや、実際にこれは、とろけてるんでしょうね。
半拍遅れて、予定通り動かされていた先輩の手が私の背中に回されたときに、ようやく私の意識は戻ってくれました。
って、何してるんですか、唯先輩!
声を出そうにも、唇が塞がれているから声になりません。そう、私の唇は文字通りふさがれてます。その、唯先輩の唇で。
逆に言えば、私の唇が唯先輩の唇を塞いでいるともいえるんですけど。
私の記憶にいまだかつて無い距離に見える唯先輩の瞳は吸い込まれそうなほどに綺麗で――じゃなくて、びっくりの文字に埋め尽くされていて。
おそらくは何か言おうともごもごと口を動かして入るんですけど、私と同様に声にならないでいるみたいです。
離れればいい、なんてそんな
当たり前のことを思いつかないほどに。そりゃそうですよ、だって。ただハグするだけのはずだったのに。
私と先輩はその――