「唯先輩、ケーキ、半分食べませんか?」

いつもの放課後、いつもの音楽準備室。
そしていつものティータイムに、
いつもムギ先輩がもってきてくれる美味しいお菓子。
でもいつもと同じように、そのお菓子を食べる気にはなれなくて……
私はフォークでフルーツケーキを半分に切り分けた。

「い、いいのぉ?」

お皿の上で二つに分かれたケーキを見て、唯先輩が目を輝かせ……
でもそれは一瞬のことで、唯先輩は眉根を寄せると、
心配そうな声を出した。

あずにゃん……ひょっとして、具合悪いの?」

「あ、いえ……そんなことはないんですけど……」

唯先輩の問いに、私は目を逸らして答えた。
微妙な気まずさを覚えて、
唯先輩を真っ直ぐに見ることができない。
はっきりと返事をすることもできなかった。

「なんだぁ? 梓、ひょっとしてダイエットかぁ?」

からかいを含んだ声音で律先輩に言われ……
返事ができず、私は言葉を詰まらせてしまった。
ちゃんと答えないとまたからかわれるとわかっているのに、
声が上手く出てくれず、

「おや……ひょっとして当たり?」

案の定、律先輩が口元を手で押さえながら、笑いを含んだ声を出した。

「べ、別にダイエットしているわけじゃ……」

頬が熱くなるのを自覚しながら、モゴモゴと言い返す私。
でも言葉はやっぱり歯切れの悪いもので、
顔はどうしても俯いてしまう。
そんな私の両肩に、同時に誰かの手が置かれ……後ろを振り向くと、

「「ようこそ」」

満面の笑みを浮かべた澪先輩とムギ先輩が立っていた。
私は言葉もなく、項垂れることしかできなかった。

実際、体重が物凄く増えたかというと……決してそんなことはなかった。
春の身体測定のときと比べてほんのわずか。
キロではなくグラムの単位で、誤差と言ってもいいぐらいで。
だから気にする必要も嘆く必要もなく、
当然ダイエットなんてする必要もないはずだった。
……ないはず、なんだけど……
それでもまったく気にしない、なんてことはやっぱりできなかった。
お風呂上りになんとなく体重計に乗って、
そこで表示された数字が記憶よりも多いことはやっぱりショックだったのだ。
たとえそれがほんのわずかであっても。


ため息をつき、帰り道を歩く。

「ため息つくと、幸せ逃げちゃうよ、あずにゃん」

心配そうな声音で、隣を歩く唯先輩が言った。
その表情はいつもより心なしか沈んでいて……
部活のときのことを、まだ心配してくれているのがわかった。

「すみません……でもやっぱり、ちょっと気になってしまってて……」

「う~ん……別に太っちゃったようには見えないよ? 
気にしすぎだよ、あずにゃん」

「……はい……気にしすぎだって、自分でもわかってはいるんですけど……」

でも理性でわかっていても、感情面でも納得できるかどうかは別だった。
一度気にしてしまったら、そのことはなかなか頭から離れてくれない。
積極的にダイエットをしようとはさすがに思わないけれど、
お菓子を控え、ご飯の量を少し減らそうとは考えてしまうのだ。
今日の朝昼はいつもの半分ぐらいしか食べていない。
ムギ先輩のフルーツケーキも、結局半分を唯先輩にあげた。
多分今日の夜も、あまり食べようとは思えないだろう。

「ご飯ちゃんと食べないと、元気でないよ?」

「はい……」

「……無理しちゃダメだよ?」

「はい、気をつけます」

心配してくれる唯先輩にそう答えて、
いつもの分かれ道で私たちは分かれた。
その夜のおかずは肉じゃがだった。
晩ご飯を前に、帰り際の唯先輩の言葉が脳裏に浮かんだけれど……
いつもの三分の二を食べるのがやっとだった。
買い置きしておいたアイスは、手に取る気にもなれなかった……。

体がふらつくのは、きっと暑さのせいだけではないだろう。
視界が揺らぐのも、陽射しのせいばかりではないと思った。
ご飯をあまり食べていないせいで、体力が落ちている。
それは充分自覚しているのに……
今朝の朝食も、私はきちんと食べていなかった。
あれから1週間、毎日お腹が空いて、ご飯を食べたいと思うのに……
ご飯を前にすると、食欲がなくなってしまうのだ。

「なにやってるんだろう、私……先輩たちも心配してくれてるのに……」

夏休みに入ってからの軽音部の練習日。
ムギ先輩がもってきてくれるお菓子も、
私はいつも半分ぐらいしか食べていない。
そんな私のことを、先輩たちはみんな心配してくれていた。
ムギ先輩はカロリーの少ないお菓子を用意するようにしてくれて、
澪先輩はいつも私の体調を気にかけてくれていた。
律先輩がいつもより練習時間を増やしてくれているのも、
唯先輩が自分のお菓子やお弁当を分けてくれようとするのも、
きっと私のことを思ってのことだろう。
先輩たちを心配させ、
迷惑をかけてしまっていることが申し訳なくて……
それでも、半ば意固地になってしまっている気持ちを改められない自分に、
ため息が漏れてしまう。
いっそ、本当に太ってしまっていればよかったのかもしれない。
そうすれば、中途半端にご飯を減らしたりせず、
きちんとダイエットをしようと思えただろう。
目標を決めて、体力を落とさないよう気をつけて。

「ほんと、なにやってるんだろう、私……」

ぼやきながら私は正門をくぐった。
運動部が練習を始めている校庭は、
まだ昼前だというのに、もう真夏の陽光で満たされていた。
陽炎が風景を揺らめかせ、つられるように頭が揺れ……
(あ、まずい……)と思ったときにはもう……
私は、地面に倒れてしまっていた。

目を開くと、白い天井が見えた。運動部の掛け声が聞こえてきて、
顔を横に向けると開いた窓と、その向こうの校庭が見えた。
体の上には薄手のタオルケット。頭の下には柔らかい枕。
一度目を閉じて、そしてまた開いて……
ここが保健室であることを思い出した。
校庭で倒れてしまった私を、運動部の人が保健室まで運んでくれたのだ。
軽い貧血だから休んでいれば大丈夫と言われ、
暑いんだからしっかり食べないとダメよと注意され……
唯先輩に保健室で休んでいることをメールで知らせて、
私はベッドに寝かせてもらったのだ。

「なんか……ダメダメだなぁ、私……」

ちょっとだけ増えた体重を変に気にして、
中途半端にご飯を減らして体力を落として。
先輩たちを心配させた挙げ句倒れてしまうなんて……
本当にダメダメだ。

「……うん、今のあずにゃんはちょっとダメダメだね」

突然話しかけられ、私はびっくりして顔を声の方に向けた。
ベッドの脇にイスを寄せ、そこに座って私を見ている唯先輩がいた。
頬を膨らませ、珍しくも「怒ってます!」って顔をしていた。

「ゆ、唯先輩……」

「もうっ、心配したんだからね……
さっきまで、みんなもいてくれて……
ほんとに、みんな心配したんだからね……」

「……はい、すみません……心配かけて……」

謝る私に、唯先輩が顔をぐっと近づけてきた。
顔が触れ合いそうなほど近くで、唯先輩に見つめられ……
そこで私は、唯先輩の目尻が濡れていることに気がついた。

「……無理しちゃダメって、言ったよ、私」

「……はい」

そう言われて、申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。
途端、瞳に涙が浮かび、唯先輩の顔が滲んで見えなくなってしまった。

「もうっ……しょうがないねぇ、あずにゃんは……」

少しおどけた口調で唯先輩が言って、そして頭を撫でてくれた。
まるで子供をあやすように、何度も、何度も……
優しいその動きに、強張っていた気持ちがほぐれていく。
自然と体から力が抜け、口からは長い吐息が漏れた。
肺の空気をすべて吐き出してしまうと、
なぜか体が軽くなった気がした。

「……いつもと、逆ですね」

苦笑を浮かべてそう言うと、唯先輩も笑って「ほんとだね」と言ってくれた。
つられて私もまた笑って、涙が流れて落ちて視界がはっきりとした。
目の前の唯先輩の笑顔が見える。
一緒になって二人で笑って……
こうして笑うのも、随分と久しぶりな気がした。
本当に久しぶりに笑ったと思った。

「……あずにゃん、元気でた?」

「……はい、もう大丈夫です」

そう言って体を起こすと、唯先輩が手を私の方に伸ばしてきた。
顔に近づけられた指先には、一口サイズのチョコが挟まれていた。
一瞬だけ躊躇いが浮かび……
でもそれはすぐに消え、私はチョコを口に含んだ。
夏の熱気で柔らかくなっていたチョコは、口の中ですぐに溶けてしまう。
甘さがじんわりと広がり、
飲み込むと胃の中に落ちていくのが確かにわかった。

「……うん、もう大丈夫だね、あずにゃん」

溶けて指についたチョコをなめとりながら、唯先輩が言った。

「これで食べてくれなかったら、口移ししちゃうところだったよぉ」

「えっ……ゆ、唯先輩!?」

「エヘヘ……冗談だよっ」

笑いながら言う唯先輩に、私は口を尖らせた。

「唯先輩が言うと、冗談に聞こえませんっ」

私の言葉に、唯先輩が「エヘヘ」と笑いながら、
またチョコを一つ差し出してくれる。
私は「もうっ」と文句を言いながら、
大きく口を開けて、唯先輩の指に挟まれたチョコを食べた。
唯先輩が食べさせてくれる、甘いチョコレート。
一つ食べるたびに、弱っていた体に力が戻ってくる気がした。
そしてそれと同時に、いつもの自分が戻ってくるような気もしてくる。
今日の放課後も、いつもの音楽準備室で、
いつものティータイムはあるだろう。
いつもと同じようにムギ先輩が美味しいお菓子をもってきてくれて……
そして今日の私は、いつもと同じように、
きっと美味しくお菓子を食べられるはずだ。
そう、思った。


END


  • こういう時に引っ張ってあげる唯に梓は惚れたんだな -- (名無しさん) 2010-07-27 17:38:32
  • ↑それには本気で同意。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-20 00:31:01
  • これでこそ唯 -- (名無しさん) 2013-10-29 01:11:44
  • これ定期的に読みたくなる -- (名無しさん) 2014-05-16 15:41:59
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最終更新:2010年07月07日 23:04