私が軽音部に仲間入りを果たしてから、一年以上が経ちました。
 この部活の空気にもすっかりと馴染んでしまい、最初の内は意気込んでいた私も、今ではほとんど目くじらを立てなくなってしまいました。慣れって、恐ろしいですね。

「突然ですが、私から提案したいことがあります!」

 いつもの放課後。いつもの音楽室。いつものお茶会。それらで創り出される、私たちだけの空間……。
 今日だって、いつもと何も変わらないティータイム……のはずでした。

あずにゃんを私のペットにしたいと思います!」
「……はい?」

 唯先輩は、相変わらず突拍子もない提言をします。思いつくことの大半は変なことなので、最近はリアクションを取るのも面倒になってきました。
 そのうち、澪先輩が制止してくれるに違いないです。

「ん? いいぞー」
「ふふ、ステキな提案だわ」
「唯が言うなら仕方ないな。ちゃんと梓の面倒を見るんだぞ?」
「うん、分かった!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私が唯先輩のペットとして認められるのは当然なんですか!? どういう理屈なんですか!?」

 あまりにも不自然すぎる自然な流れに、思わずリアクションを取らずにはいられません。
 そんな私を諭すかのように、律先輩は言います。

「梓、よく聞け。唯たってのお願いじゃ、認めてあげるしかないだろ」
「そうだぞ梓。唯が梓のこと大好きなのは皆知ってるし、悪いようにはしないだろう。唯になら梓は任せられるよ」

 ――いや、その理屈もよく分からないのですが……

 律先輩が悪ノリするのは、いつものことだから分かります。でも、まさか。軽音部唯一の良心こと澪先輩が助けてくれないなんて、ちょっと不気味です。

「梓ちゃんをペットにしたら、唯ちゃんは何をしてみたいの?」
「うーん。実は特に決めてないんだよね~」
「はは。ま、唯らしいって言っちゃ、唯らしいな」
「全くだな」
「唯ちゃん。それなら、今から色々試してみるのはどうかしら?」
「おっ、いいねー!」

 先輩達は私のペット化計画の進行に夢中らしく、どうやら私の意向は酌み取られそうにないです。

「じゃ、唯はこっちの席に座れよ。梓と隣になるし、その方がいいだろ?」
「さすがりっちゃん、気が利くね! ありがとう!」

 唯先輩はもの凄く上機嫌で、とても嬉しそうにしながら律先輩と席を替わりました。

「えへへー。これで隣同士だね、あずにゃん!」
「は、はぁ……」
「でさ、あずにゃん。私のペットになってくれない?」
「そんなものイヤに決まってます! 何ですかペットって!」
「えー、そんなにイヤかなあ。私、あずにゃんを可愛がることにかけては、すっごく自信あるよ」
「その自信の出所はどこなんですか……。とにかく、ダメなものはダメです! 私をおもちゃ扱いにしないでください!」
「いーじゃんいーじゃん! あずにゃんのケチ!」

 口を尖らせてぷりぷりと怒った唯先輩は、やがてそのまま顔を俯かせて、黙りこくってしまいました。

「梓ちゃんもなかなか強情ね」
「当たり前じゃないですかっ! ……唯先輩、そんなにむくれていても、絶対に許しませんよ」
「……」
「梓、見てみろ。唯のテンションがどんどん落ちていくぞ」
「そ、そんなの……自業自得です!」
「残念だったなー。『私ったらすっごい名案を思いついたよ! あずにゃんなら一発でバッチリOKを出してくれるはずだよ!』って、すっごく張り切ってたのになー」
「うっ……」

 ――ちょっと言い過ぎたかな……。

 ここまで黙りを決め込まれると、少しだけ自責の念に駆られてしまいます。いや別に、決して唯先輩を悲しませるつもりはなくて、なんというか、私なりの世間体を保つ為にも断らざるを得ない要望もありまして……うんぬん。
 心の中で弁明の言葉を並べている間に、唯先輩は少しだけ顔を上げて、上目遣いで私と目を合わせました。

「あずにゃん……どーしても、だめ?」

 唯先輩は、ズルい。そんな目をされたら、誰も敵うはずがないじゃないですか。

「そ、そんなに言うなら、少しだけ……」
「ホント!? あずにゃん、ありがと!」

 えへへ、と満面の笑みを浮かべる唯先輩を見ると、心なしかホッとしました。やっぱり先輩には、笑顔で居て欲しいものです。

 ――どうせすぐに飽きるに違いないし、付き合ってあげてもいっか。

 唯先輩の笑顔に免じて、今日ぐらいは。


「早速だけど、あずにゃんにはこれを付けてもらうからね」

 唯先輩はいつぞやのネコミミを取り出し、私に有無を言わさず取り付けました。久しぶりに身に付けますが、妙にしっくりくるのは最早気のせいではないでしょう。

「次に……あずにゃんは、これから『にゃー』としか喋っちゃダメだよ?」
「な、何でそうなるんですか」
「何でって、そりゃあ猫さんだからだよ。ってほらほら、ダメだよあずにゃん。『にゃー』だよ、『にゃー』」
「にゃ、にゃー?」

 さりげなく猫の手ポーズも要求されました。忠実にこなしてこそペットなのでしょう。私はそういうことも惜しまない、努力家でもあります。

「あ、そうそう。私のことは『ご主人様』って呼ぶことも、忘れないでね?」
「にゃ、にゃー……」

 にゃーとしか言えないのに、その命令はどうなんでしょう? と突っ込むこともできません。

「よし。まずは、あずにゃんをなでなでするよー!」

 そう言って、唯先輩は私の頭を撫で始めました。唯先輩の撫で方は物凄い丁寧で、優しいんです。……飼い主に撫でられて気持ちよさそうにする猫の気持ちが、ちょっぴり分かりかけてきました。

「よーしよーし……あずにゃんは良い子だねぇ」
「にゃー……」
「唯……それじゃいつもと同じなんじゃないか?」
「あ、そうか」
「にゃっ?」

 澪先輩の忠告で我に返った唯先輩は、その手を止めてしまいました。少し……残念です。

「よ、よーし、じゃあ次は、ケーキを食べさせてあげるよー!」

 唯先輩はフォークを手に取り、自分の食べかけのショートケーキに乗っているいちごを刺してから、私の目の前に突きだしました。

「はい、あずにゃん。あーん、ってしてね」
「にゃ~……っ!?」

 ここに来て今更、忘れていた羞恥心が蘇ってきました。
 女の子同士だし、見られているのは気心の知れた部の先輩達――といえども、私が人前でこんな甘々なことをするなんて。いくら唯先輩に唆されたからと言っても、素直に順応しきっているという客観的事実が、急に現実感を呼び寄せてしまったのです。
 気恥ずかしさやためらいと葛藤しながらも、どうにかして羞恥心を抑えつけ、思い切って口にしました。いちごは美味しかったです。それはもちろん、ムギ先輩が持ってきたものだから、そこらのケーキとは違う無類の味であるのは当然なんですけど、いつもとはもうひと味違いました。そう、誰かに食べさせてもらう所作が加わっただけで……
 って何を考えてるんだ私は!

「どう? 美味しかった?」

 ……笑いかけてくれた唯先輩の顔が、どうしても見れませんでした。


「うーん、いまいちピンとこないね」

 唯先輩はなにやらしっくり来ないようで、考え込み始めました。まだまだ、ペット化計画は続くみたいです。

「……はっ、そうか! あずにゃん、ここ座って!」
「にゃ、にゃー!」

 促されるまま長椅子に座ると、先輩はためらいもなく抱きついてきたのです。

「やっぱあずにゃんはこうやって抱いてあげてこそだねー」
「にゃー……」

 肩に腕を回して、顔を間近まで寄せて、もたれ掛かるように体重を預けてきました。正直、いつものスキンシップと何も変わりはないので、取り留めて言うことはないのですが……やっぱり、安心できます。
 しばらくは、言葉を交わすことなく抱かれていました。唯先輩の温もりを感じながら、天井をぼんやりと眺めていると、私はふと思いました。

 ――いつまでも、ずっと、このままで居られたらいいなあ。

 叶えられないと知りながらも、なんとなく願ってしまうこと。
 入部した当初は不安が渦巻いていたけれど、先輩達と同じ時間を積み重ねていくうちに、この場所がかけがえのないものとなっていきました。私の居場所が確立した、と言ってもいいのでしょうか。
 しかし、一年間の想い出を色々振り返ってみても、私が真っ先に思い浮かぶのは、この先輩の事ばかりでした。
 取り乱した時に優しく宥めてくれました。合宿では、一人でこつこつとやっていたのを見兼ねて、ギターの特訓に付き合ってあげました。ライブ前に先輩が病床に伏した時は、それはもう心配してばかりでした。他にも、たくさん、たくさん……。

 ――何で、唯先輩のことばかり、考えているんだろう。

 ひとり思い出に馳せていたら、今の今まで黙っていた唯先輩が、口を開きました。

「……私ね、あずにゃんをもっと独り占めしたいって、最近気づいたんだよ」
「……にゃ!?」

 耳元でなんて恥ずかしいことを言っているんですか! と突っ込むべきなのかと思いましたが、唯先輩は決してふざけた口調ではありませんでした。
 唯先輩は声をひそめ、今までに聞いたことのない艶っぽい声で囁きました。

「これからはもっと、恋人ごっこ、しよっか?」



「あれ……私……」
「あ、おはよー。あずにゃん」

 唯先輩に声をかけられて、正気を取り戻しました。
 今までの経緯は……ええと、音楽室に来て、まだ誰も居なくて、長椅子に座ってぼんやりしてたら、寝不足がたたってそのまま寝てしまって……
 って、今までの、全部夢なの!?

「あずにゃんの寝顔がすごく可愛いから、写真撮っちゃったよ。ねぇねぇ、どんな夢見てたの?」
「にゃ……にゃ……に゛ゃー!」

 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。当人の前で言えるはずがない!

「おぉ……あずにゃんどうしたの!? 叫びたくなるほどスゴい夢だったの!?」
「何でもありません! 唯先輩には関係ないです!」
「そんなこと言わないでー。教えてみなさいな」
「絶対にイヤです! 死んでも言いません!」
「あずにゃんだけ良い思いをしちゃって……」
「誘ってきたのは唯先輩じゃないですか!」
「『誘って』って、何に?」
「~~~!!!」

 声にならない声を上げてしまいました。今日ばっかりは、唯先輩の勝ちです。まさか、先輩におちょくられる日が来るとは……。
 その後、他の先輩達も時間差で集まり、早速本日のティータイムへと移りました。そして、唯先輩が意気揚々として手を挙げたのです。

「突然ですが私から提案したいことがあります!」

 その口上には、聞き覚えがありました。

「あずにゃんを私のペットにしたいと思います!」
「え……」

 これはどういうことなんでしょうか? まさか……。

「ん? いいぞー」
「ふふ、ステキな提案だわ」
「べ、別に構いま……」
「ダメに決まってるだろ!」

 澪先輩の大きな声にはっとして、慌てて口を噤みました。まさか自分からこんな言葉が口に出てしまうなんて、思いもしませんでした。幸いにも、どの先輩にも気づかれていないようなので、話は大きくならずに済みそうです。

「そんな! 澪ちゃんだって、あずにゃんの可愛さは分かるでしょ? ペットにしたいって思うでしょ!?」
「それもそうだけど……って違う! これ以上梓に迷惑をかけてやるなって話だよ!」

 珍しく対立して言い争っている、唯先輩と澪先輩。さっきの夢の所為で、よく分からない理論を浩然と主張する唯先輩の顔が、ちょっと見づらいです。

「梓ー、後輩想いの先輩達に囲まれて嬉しいか?」
「……もちろん、嬉しいですよ。それより律先輩、二人を止めてあげてください」

 それにしても、どうしてあんな夢を見てしまったのでしょう。
 自分のことながらよく分からないけど――あんな風に夢にまで出てこさせるなんて。なんだか、私は私自身が思っている以上に、唯先輩のことが好きなのかも知れません。

 ――なんてね。

 三人のやり取りを後目に紅茶をすすり、何気なく視線を上げると、ガッツポーズをした赤ら顔のムギ先輩と、目があったのでした。

【おしまい!】


  • 性ペットにもなるね。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-26 12:30:42
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最終更新:2010年09月09日 13:02