「もう、そろそろ練習しましょうよ!もう部活時間終わっちゃいますよ!」
痺れを切らしたのか、この子はがたんっと椅子を跳ね除け立ち上げると、怒ってますよという顔を私に向けた。
それはそうだろう、と思う。いつものティータイムの時間が終わっても、私はまだ椅子に腰を下ろしたまま、のんびりと机に寝そべったままなんだから。
「え~いいじゃん、もっとのんびりしようよ、あずにゃん
更にはそんな台詞を口にしてみる。我ながら本当に駄目な台詞だと思う。
だらしなくて、不真面目で、練習なんて疲れることよりものんびりしてたいなんて駄目駄目な先輩を形にすれば、きっと今の私になると思えるくらい。
「いい加減にしてください!」
この子は更に怒気を強めて、その声に乗せてくる。
当然だと思う。もし私が逆の立場だったら、きっととっても怒っていたと思うから。
だから、本当なら私はすぐに立ち上がって、この子と二人練習に入るべきなんだろうけど。
「もう少しだけ、ね?あずにゃん~」
私はそんなの全然気にも留めないよといわんばかりのふんわりした笑みを浮かべて、机から身を起こす気配すら見せてあげない。
そうすればきっともっとこの子は怒るだろうと、わかっているのに。
わかっているからこそ、私はこの子の声に応えてあげない。
まるでもっともっと怒らせようとしているかのように。
そう、もっともっと怒ってしまえばいい。
こんな私のことなんて、そうしてしまって全然構わない。
構わないんだよ、あずにゃん。
「どうしてですか……」
声が歪む。私に向けらる表情が、視線が、ある方向へと歪んでいく。ああ、もうここまでかな、と思う。
私は慌てて立ち上がって、その傍らへと駆け寄る。
そして今にも泣き出しそうなこの子を、ごめんってぎゅうっと抱きしめてあげる。
泣かせたいわけじゃないから。むしろ、この子の泣いてる姿なんて、絶対に見たくないから。
違う、違うんだよ。
そうして欲しいんじゃない。
何でそんなに悲しい顔をするの。
いっぱいいっぱい怒って、怒らせて。そうした後のこの子はいつもその顔をしてしまう。
だから私は、いつまでたってもこの子から離れられない。
「ごめんね……あずにゃん」
耳元で囁くと、ぎゅっと体に力を入れて、目元に湧き出しかけた雫を私に気付かれないようにすばやく払って、この子は私に言う。
「唯先輩は、ずるいです」
そんな言葉を。少し恨みがまし気な目をした、小さな小さな笑みを口元に浮かべながら。
だから私はくらりと、まるで眩暈のような感覚に襲われる。
そういいたいのは、私の方なのに。私のほうがずるい、と口にしたいのに。
わかってるから。届かないってことは。
どんなに私が募らせてもこれが、私がこの子の心に届くことなんて無いってことはわかりきってることだから。
だってこの子はきっと、私なんかじゃなくて――
だから、だよ。
私はきっとまた、この子を怒らせる。
どうしようもないって姿で、この子の嫌いな姿を見せて、きっともっと怒らせてしまう。
そんな私のことなんて、どんどん怒っていいよ。むしろ、限界を超えるくらいに怒って欲しいと思う。
怒って怒って、そして――私のことを嫌いになって。
嫌いになって、私のことなんてここに置き去りにして、キミの好きな方へと歩いて行って。
そうすれば、きっと私は諦められるから。
キミのことが、あずにゃんのことが大好きな平沢唯に終わりを告げられるから。
だからもう、悲しい顔は見せないで。
その瞳で、私のことを見つめないで。
それは私の覚悟を嘘みたいに簡単に切り裂いて、更に深く深く私の心を絡めとってしまうから。
キミから、逃げられなくなってしまうから。
だからね、もう私のことなんて嫌いになって。
キミのことを好きで好きでたまらない、私のことなんて。

どうせ、届かないのなら――ね。





唯先輩はきっと気付いていない。
こうして泣きそうになる私を抱きしめて、その胸の中に包み込んでくれているとき。
唯先輩は普段決して見せない眼差しを、抱きしめる私の背中辺りに落としてる。
切なげ、という言葉がぴたりと当てはまるその眼差しを。
どうして?
私はいつもその言葉を浮かべて、だけどいつもそれを口にすることができずにいる。
だって、それは全てが繋がってしまうきっかけになってしまうから。
そうしてしまえば、きっと私は後戻りができないところまで、踏み込んでしまうから。
私はそれが怖くて、だからいつもふいっと踏み出しかけた足を引っ込めてしまう。
それがまた再び、唯先輩にその表情をさせてしまうことだと分かっていても。
分かっているのに、何故。どうして私はこんなに臆病なんだろう。
こんなに、こんなにも先輩が苦しんでるのに。私はそれでも、勇気が出せない。
いつも先輩のことを駄目駄目なんていってるけど、本当にそうなのはきっと私の方。

私はあなたのことが大好きです。
あなたは、私のことをどう思っていますか。

ただそれだけのことを口にできない自分が、大嫌い。
可能性に怯えて、今のままぬるま湯に使っていればいいなんて蹲って、震えている臆病な自分が大嫌い。
だから、そう。
私が自分のことをそう思うように。
あなたも私のことをそう思ってくれれば。
あなたを縛る私からするりと抜け出して、その自由な翼であなたの好きなところに飛んでいってくれればいいと。
そうすればきっと、あなたは幸せになれるのに。

だけど、いや。
そんなの、だめ。
私を一人にしないで、ずっと私の傍にいて、私をぎゅっと抱きしめて放さないでいて。
その欲望に負けて、私は今日もその胸に納まっている。
矮小な私。たったひとかけらの勇気でいっぱいになる小さな器を大事に抱えて、私はこの瞬間もチャンスをやり過ごしている。
そのほんのひとかけらすら、何処かから与えられないかなんて、そんな間の抜けた希望を浮かべながら。
「唯先輩」
小さく呼びかけた声に確かに応えてくれるその笑顔の気配に身を預けたまま、私は小さくため息をついた。


  • なんか切ないのう・・・ -- (名無しさん) 2010-09-17 21:29:01
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最終更新:2010年09月16日 14:06