部室にて
梓「あれ、他の先輩は?」
唯「カゼでお休みだってさ」
梓「最近、寒いですもんね」
唯「帰ろっか」
梓「ダメです、ちゃんと練習しましょう!」
唯「え~っ、お茶もお菓子もないし~」

梓「こんなこともあろうかと、甘いものを持ってきました!」
唯「おおっ、チョコレート!?」
梓「しかも、ネコの形ですっ!」
唯「かわいいよ、あずにゃん
梓「……何してるんですか?」
唯「ネコさんに口付け。かわいくって、つい、ね。
  チョコの味がしたよ」
梓「当たり前です! 口にチョコ付いてますよ?」
唯「ふいて~」
梓「んもう。今日だけ、特別ですよ……?」
唯「くすぐったいよ、あずにゃん」
梓「唯先輩が、しろって言ったんじゃないですか」
唯「甘いものも食べたし、帰ろっか」
梓「ダメですっ!」
唯「……分かったよ」

翌日
律「今日も唯ったら、遅刻してきたんだぜ~」
唯「ひどいよね、時計が昨日の10時で止まってたんだよ!?」
澪「この大量のチョコ、どうしよう……」
紬「澪ちゃん、大人気ね」
唯「何でチョコレート?」
梓「そんなことより、練習しましょう!!」
律「だって、昨日はバレンタインデーだぜ。
  そんな日に限って、風邪で寝込んでるなんてなー」
梓「あの、練習……」

唯「私、あずにゃんからチョコもらったよ」
澪「良かったじゃないか」
唯「手作りだった」
紬「まあ」
唯「それって、もしかして、バレンタインチョコ……?」
律「ふ~ん」
澪「へ~」
紬「うふふ」
梓「なんですかっ!? 3人揃って、妙に温かい視線は!!」
唯「ダメだよ、あずにゃん。
  お菓子が欲しいって言ったからって、私なんかにチョコあげちゃ」
梓「へ?」
唯「バレンタインチョコは、ちゃんと好きな『男の子』にあげなきゃね。
  本当は、誰にあげるつもりだったの?」
梓「……ゆ、唯先輩のバカーッ!!」

おしまい


『あなたにあげる』 Side.梓

 今日は2月14日。
 高校生活最初のバレンタインデーです。
 手作りのチョコレートが入った鞄を抱えながら、私は悩んでいました。
 どうやって、唯先輩に渡そう?
 自問しながら部室のドアを開けた私を待っていたのは、
 ちょこんと椅子に座った唯先輩でした。
「あれ、他の先輩は?」
「カゼでお休みだってさ」
 足をぷらぷらさせながら、唯先輩が答えます。
 律先輩まで風邪引くなんて、これはきっと神様がくれた千載一遇のチャンスです!
 やってやるです……!

「最近、寒いですもんね」
「帰ろっか」
「ダメです、ちゃんと練習しましょう!」
 反射的に、私は大声を挙げていました。
 練習を口実に、とっさに唯先輩を引き止めます。
「え~っ、お茶もお菓子もないし~」
「こんなこともあろうかと、甘いものを持ってきました!」
 今ですっ……!
 半ば押し付けるように、私は鞄の中からチョコレートを取り出します。
 唯先輩は疑問に思う様子もなく、リボンでラッピングされた箱を受け取りました。
「おおっ、チョコレート!?」
「しかも、ネコの形ですっ!」
 カオが真っ赤になっているのが、自分でもよく分かります。
 すっごくすっごく恥ずかしいです!
 穴があったら、入りたい位です。なくても、全力で掘ります!

「かわいいよ、あずにゃん」
 ぎゅっ……。
 最早慣れてしまった感覚が、全身を優しく包み込みます。
 私を抱きしめながら、いつも通りの屈託ない表情で、笑いかける唯先輩。
 それって、ネコ型のチョコじゃなくって、照れてる私が可愛いってこと……?
 瞬間、私の頭から「ぼんぼんっ!」っと湯気が上がります。
 たった一言で、テトリスの棒みたく直立不動で固まってしまう私。穴があったら、入りたいです!
 すっかり舞い上がっている私に対して、それは完全に不意打ちでした。

「……何してるんですか?」
「ネコさんに口付け。かわいくって、つい、ね」
 ほんのり頬を赤らめた唯先輩が、はにかみながら微笑みます。
 ……ありのまま起こったことを話します。
 唯先輩が私の手作りチョコを食べてると思ったら、気づいたら私にキスしてた。
 頭がどうにかなりそうでした。
「チョコの味がしたよ」
「当たり前です!」
 ファーストキスは、チョコレートの味か……。
 ロマンティックで、なんかいいかも。
 茹だった頭でぼんやり考えながら、私はポケットからハンカチを取り出します。

「口にチョコついてますよ?」
「ふいて~」
 口の前まで持っていったハンカチを、不満そうに唯先輩は取り上げてしまいました。
 そのまま、何か物言いたげに目を瞑って、顔を私の前に突き出します。
「んもう。今日だけ、特別ですよ……?」
 だって、今日はバレンタインだから。
 恋する女の子が、少しだけ素直になっていい日だから。
 唯先輩を抱きしめる手に、思わず力が入ってしまいます。
 目を瞑り、恐る恐る顔を唯先輩に近付けて……。
 その結果、必然的に私の唇が唯先輩のそれに触れました。
 さっきは不意打ちだったけれど。
 改めて意識したその部位の感触は、柔らかくって、ぷにぷにしていて。
 ……それでいて、ほんのり甘いチョコの味がしました。

「くすぐったいよ、あずにゃん」
「唯先輩が、しろって言ったんじゃないですか」
 先に顔を離したのは、唯先輩でした。
 さすがの先輩も少し照れているのか、わずかに視線を逸らして顔を綻ばせます。
「甘いものも食べたし、帰ろっか」
「ダメですっ!」
 ぎゅっと唯先輩を抱き寄せて、その胸元に顔をうずめます。
 お日様みたいにあったかくって、マシュマロみたいにふわふわで、
 薄い制服の生地越しに、先輩の鼓動が伝わってくるようです。
 もっと2人きりでいたいのに、もう帰っちゃうなんて、許しません。
「……分かったよ」
 目を細めて微笑むと、先輩は私の頭を優しく撫でてくれました。
 夕日の差し込む部室に、二人きりの放課後
 このまま、時間が止まっちゃえばいいのに。
 ……それから、気の済むまで「唯先輩分」を補給した私は、
 先輩と並んでいつもの帰り道を下校しました。

 翌日、部室のドアを開いた私を待っていたのは、
 ちょこんと椅子に座ってお茶会に勤しむ先輩方でした。
 全員、風邪からは回復したみたいです。心の中で、小さく舌打ちします。
「今日も唯ったら、遅刻してきたんだぜ~」
「ひどいよね、時計が昨日の10時で止まってたんだよ!?」
 目覚まし時計を片手に、唯先輩は私に訴えかけます。
 わざわざ家から持ってきたんですか、それ……? 
 その傍らで、頭を抱えているのは澪先輩です。 
「この大量のチョコ、どうしよう……」
「澪ちゃん、大人気ね」
「何でチョコレート?」
 この流れは危険です……!
 可及的速やかに、話題の転換を図るべきです。
「そんなことより、練習しましょう!!」
「だって、昨日はバレンタインデーだぜ。
 そんな日に限って、風邪で寝込んでるなんてなー」
 ……超ヤバイです!
「あの、練習……」

「私、あずにゃんからチョコもらったよ」
「良かったじゃないか」
「手作りだった」
「まあ」
「それって、もしかして、バレンタインチョコ……?」
 刹那、侵入者に気づいた兵隊さんみたく、唯先輩は頭の上に「!」マークを浮かべます。
 ……そういえば私、バレンタインチョコだって言わずに渡したんでしたっけ。
「ふ~ん」と、ニヤける律先輩。
「へ~」と、頬を赤らめて考え込む澪先輩。
「うふふ」と、鼻血を垂らすムギ先輩。
「なんですかっ!? 3人揃って、妙に温かい視線は!!」と、私はムキになって叫びます。
 だから、この話題はイヤだったんです!
 あぁっ、お願いですから、そんな椎茸の断面図みたいな眼差しで見つめないでくださいっ!

「ダメだよ、あずにゃん。
 お菓子が欲しいって言ったからって、私なんかにチョコあげちゃ」
「へ?」
 先輩方の「もう梓ちゃんったら、お姉さんは何でもお見通しよ」的な視線に、
 激しく身悶えしていた私は、予想外の言葉にはっと我に返ります。
「バレンタインチョコは、ちゃんと好きな『男の子』にあげなきゃね。
 本当は、誰にあげるつもりだったの?」
 ……昨日「お菓子がない」と言った唯先輩に対して、私はチョコレートを手渡しました。
 本来は意中の男性に渡す筈だったチョコを、私がワガママ言う唯先輩に分けてあげた。
 つまり、そう勘違いしてるってことですか……?
 衝撃。
 途端に何かが私の中で、ガラガラと音を立てて崩れていくのが分かりました。
「……ゆ、唯先輩のバカーッ!!」

 走る。
 気づくと私は部室を飛び出し、家へと続く道をひた走っていました。
 私1人で特別な日だって舞い上がって、バカみたいです……!
 いつもは唯先輩と一緒の帰り道。
 夕日に照らされて伸びる影は、今日は私1人きり。
 この期に及んでまであの人のことを考えているなんて、本当に私はバカだ。
 こんなにも胸が苦しいのは、きっと全速力で走ったせいだけではありません。
 ……そうだ、先輩のことキライになっちゃおう。
 そうすれば、この締め付けられるような胸の痛みも、少しは楽になるハズです。
 唯先輩って、いっつもだらけてるし、妙に子供っぽい所あるし、楽譜は全然読めないし。
 けど、いざって言うときに頼りになって、優しくって、後輩想いで……。
「……にゃ~ん」
 背後から、声がします。
 もう何百回と聞き慣れた、甘ったるく間延びのした声。
 振り向くより先に、私は地面を蹴る足を更に早めます。
 キライになるって決心した直後で、一体どんな顔して話せって言うんですかっ!
「ねえ、待ってよあずにゃ~ん。あずにゃんってば~!」
 けれど本当は心のどこかで。
 こうなることを望んでいたのかもしれません。
 あの人が私の後を追ってきてくれることを。
「……まったく。大声で、何度もあだ名を呼ばないでくださいっ!」
 踵でキキッとブレーキをかけると、つま先でくるりと180度ターン。
 ツインテールの黒髪が、ふわりと遠心力に広がります。
 果たして振り返った先に立つ人物は、確かめるまでもない。
 夕日を背に、肩で息をする人影。
 唯先輩でした。

「……あずにゃん、泣いてるの?」
「泣いてなんかいません……!」
 強がってみるものの、指摘されて初めて、私は頬を伝う雫の存在に気づきました。
 酷い顔を見られるのが恥ずかしくって、制服の袖でぐしぐしと両目をこすります。
「ハンカチ、返すね」
 先輩が差し出したのは、昨日私から取り上げたハンカチでした。
 そのまま私の目元にあてがうと、優しく撫でる様に涙を拭ってくれました。
 先輩の手、あったかい。
 ダメですっ、さっきキライになるって心に決めたのに。
 そんなに優しくされたら、先輩のこと、もっともっと好きになっちゃうじゃないですか……。
「……何で、追って来たんですか?」
 潤んだ瞳で、私は尋ねます。
 待ってましたと言わんばかりに、スカートのポケットをがさごそと探り出した先輩は
「はい、チョコレート。
 あずにゃんにあげるっ!」
 と言って、綺麗にラッピングされた小箱を差し出しました。
 これ、先輩が私のために……?
「でも、バレンタインは昨日じゃ……」
「私の中では、まだ14日の10時!」
 更にポケットに手を突っ込むと、「フンス!」と例の止まった目覚まし時計を取り出します。
「……唯先輩らしいです」
「多分、手作りだよ」
「……多分?」
「澪ちゃんの、1コ盗んできちゃった!!」
 ズッコケそうになるのを、私は必死で堪えました。
「私は手作りだったのに、本っ当バカみたいですっ」
 ぷいっと顔を逸らして、そっぽを向く私。
 そんな私を、先輩はいつものように優しく抱き寄せます。
 唯先輩の腕の中で、こうして包まれているだけで、気持ちが温かくなって。
 何だか、何でも許せる気になっちゃいます。
 唯先輩は、ズルいです。
「……あずにゃんの気持ち、気づかなくって、ゴメンね。
 すっごく嬉しかったよ」
 私の頭をそっと撫でながら、先輩が耳元で囁きます。
「唯先輩の、バカぁ……」
 途端に感情が抑えられなくなって、熱くなった目元を唯先輩の肩に押し付けます。
 いつもは強がって背伸びしてるのに、こんな子供みたいに泣いちゃって、すっごく恥ずかしいです。
 でも、今日は特別な日だから仕方ないです。
 恋する女の子が、少しだけ素直になっていい日。
 唯先輩が私のために1日遅らせてくれた、バレンタインデーなんですから。
 だから、もう少しだけこのままでいさせてくださいね、唯先輩……。

「ねえねえ、開けてみようよ。それ!」
 ようやく気持ちも落ち着いてきた頃、不意に唯先輩が明るく切り出しました。
 澪先輩から盗んできたというチョコを指差して、瞳をキラキラと輝かせています。
 促されるままに恐る恐るラッピングを解いた私を待ち受けていたのは、大っきなハート型のチョコレートでした。
 しかも中央には、ホワイトチョコで描かれた「澪 激LOVE!」の文字が躍っています。
 コイツは、マジです……!
「すごいね、きっと本命だね」
「唯先輩はどうなんですか?」
「梓激LOVE!」
 言いながら、私に飛び付いて頬ずりする唯先輩。
「そんなんじゃなくって……」
 私が聞きたいのは、そんな言葉じゃなくって……。
 照れ隠しに一口、チョコを頬張った私を、唯先輩はぐっと引き離します。
 私を真っ直ぐ見つめて、口を真一文字に結ぶ先輩。
 珍しく見せる真剣な表情に、不覚にもドキドキしてしまいます。
「大好きだよ、あずにゃん」
 言い終わった途端、ふにゃっと破顔すると、いつもの唯先輩に戻りました。
「私も大好きで……」
 言いかけて、私の言葉は途中で途切れてしまいます。
 だって、3度目のキスもまた、とろけるように甘いチョコの味だったから。

 おしまい


  • 最高です -- (名無しさん) 2010-09-19 02:26:22
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最終更新:2010年09月16日 14:06