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SS-31

咲ちゃんとピアノ

名無しさん


早速設定を使わせて貰います。
と,いってもかなりオリジナル設定が入っていますが,今回は,あえてパラレルは外してみました。
気が向いたら続き書くかも。


昼休み,今日も紙パックを片手に携帯と睨めっこしている。
昼休みともなれば,大好きな奏先輩のシャッターチャンスを見逃さないために二年の教室を張り込んでいるのだが,今日は,というか最近は奏の妹の雫とのメールに夢中になっている。
何度も何度も挑戦しても勝てない。
返って来たメールに,

『かな姉ちゃんよりは張り合いはあるね』と,あった。

どんだけ弱いんですか奏先輩‥‥と考えてた時に咲夜は顔を上げた。
どうやら誰かに呼ばれたようだ。

「あ,いたいた神山さん」

咲夜を呼んだのは今年音大を卒業したばかりの音楽の先生だった。
賑やかな昼休みの空気にはあまりにも不似合いな情けなさそうに眉をよせて救いを求めるみたいに人混みを掻き分けてやって来たのだった。

「先生,どうかなさったんですか?」

あんまり気の毒そうで,咲夜は先生に同情した。

「実はね‥‥‥‥」
「実は,君,以前に調律ができるとか言ってなかったっけ?」
「ピアノのですか?かっきり442Hzなんてのは無理ですけど,ザッとでしたら,なんとか」
「放課後,頼める,かな?」

先生は咲夜が水泳部に入っているのは知っているのだろう。
きっと部活を終えてからだと帰りが遅くなることを心配しているに違いない。

「いいですよ。今日は車ですし」

咲夜が引き受けると先生はホッと肩を降ろしている。

「それじゃ,これ,音楽室と準備室とグランドピアノの鍵。工具は準備室の棚の奥にあるから」
「はい,わかりました」
「よろしく頼むね。予約していた業者が急に来れなくなったんで,代理も立たずに弱ってたんだ。助かったよ」

と,先生は鍵を咲夜に渡して人混みに消えていった。

(先生なのに調律なんて自分でできないのかな?)

と,疑問が咲夜の脳裏をよぎる。
確かに,咲夜がそう思うのも無理はない。
この音楽の先生は今年の四月,新任早々,卒業したての母校を自慢するふりをして我が身の自慢をしすぎたのだ。
そのくせ行動が言葉にみあわっていないとなれば,自然と,こういう疑問も浮かぶはずだ。
誰だって快くは思うまい。

(まあ,音大を出れば全員調律ができるようになるわけじゃないけど)

予鈴に気付いた咲夜は飲みかけのいちごミルクを飲み干す。
そして先生に呼びかけられ途中になっていたメールにこう付け加えた。

『ピアノの調律なんて久しぶり』

放課後,部活を終えた咲夜は音楽室の窓を開け放って空気を入れ換える。
しかし,今は真冬。
吹き込んでくる冷たい風に体を震わせ,すぐに窓を閉めた。

音楽室には机がない。
折りたたみの椅子を組み立てると手摺りの延長に楽譜が置けるスペースの板がついていて,授業ではそれを机にするのである。
放課後の今それらの椅子はたたまれていて壁に整然と立て並べかけられていた。
音楽室の前方に少々時代の重みを感じさせるグランドピアノがパックリと蓋を開けて(というより,外されて)咲夜を待ってくれていた。

(何年ぶりだろう調律するの‥‥‥‥)

咲夜が昔ついていた先生はバイオリン専門だ。
その道ではかなりの権威で門下生から何人もプロの演奏家を輩出している方なのである。
教え方もユニークで多面的というか総合的というかバイオリン上達のために,ピアノもやらせる,咲夜などは調律まで叩き込まれてしまった。

『音に対して,もっとデリケートになりなさい』

先生の口癖。
おかげで意外な所で役に立ってしまった。
しかし,珍しい先生である。
最も咲夜は昔から落ち着きのない子供だったから数年で辞めてしまったのだが。

まあ親がやれ,と言ったからというのもあるが‥‥‥‥。

だからそれ以来,咲夜は楽器をさわっていないのである。
使わなくなったバイオリンもしまい込んだまま。

咲夜は音叉(おんさ)を取り出して,指で弾いて耳に当てた。

ポーン。---ポーン。---
ポーン。

静かな冬の夕方。
ピアノの単音を響かせながら,こんな風にじっくり「音」を聴いたのも久しぶりだ。

最後の仕上げにかかり,和音を鳴らしていると,ふと,あることを思い出した。

『しーちゃんもね,二年前までバイオリンをやっていたんだよ』

いつか雪乃のブログに書かれていた。
あの雫が楽器をやっていたことに驚いたのだが,奏が美術,雪乃が水泳,と何かと長けている所がある,
あの姉妹なら,その妹にだって何か特技があるはずだと思い直した。
実際,今はその妹が出題してくるパズルに四苦八苦しているのだが。

辞めてしまったバイオリン。
二年前?
姉二人が上京したから?

和音を鳴らして倍音を確認して,簡単な曲を弾いてから,咲夜は片付けを始めた。
色んな気持ちが咲夜の中をぐるぐる回る。

雫のバイオリンは辞めてしまったと同時に売り払ったと雪乃から聞いた。

そういえば私のバイオリン,仕舞いっぱなしだったな---。

弾かなくなってお蔵入りになったバイオリン。
父親がライバル門下生に対抗してオークションで買ったやつだ。
このまま眠らせておくのはもったいない。

雫の演奏を聞いてみたい。弾いてくれるかな?

いつか,使わなくなった,このバイオリンを雫に渡せたらいいな,と思いながら咲夜はピアノの鍵を閉めた。

END



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最終更新:2010年11月11日 18:04
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