とある人間の里にある小さな小屋。そこに一匹のドスまりさがいた。
小屋は中にドス以外の何も見当たらず、入り口の戸すらも無い。正確にはドスの正面方向にあるはずの壁そのものが無い。ドスパークで消し飛ばしてしまったためだ。
ドスの下半身、人間の顔で言えば顎から下に当たる部分は太く大きな鎖で何重にも縛られており移動は完全に封じられている。
事の起こりは一ヶ月前だった。
春になり冬眠から明けたドスを、突然に人間の群れが襲った。
人間は
ゆっくりにとって天敵の一つとも言える。が、自分ならば話は別。そうドスは思っていた。人間なんていくらかかって来ようが返り討ちにする自信があった。
ところが人間達は決してドスの正面には回らず、遠く間合いを離して辛子の塗られた鉄矢を執拗に打ち込んでくる。
スパークを放っても当たらず、踏み潰してやろうにも相手は近づいてこない。冬眠があけたばかりで体力が充分でなかったことも災いした。
力では劣ってるはず、絶対に負けるはずのない。そう思っていた人間。
そんな人間相手に結局、一人も倒せなかったどころかカスリ傷の一つすらつけられずドスは囚われの身となった。
人間の真の恐ろしさはその知恵と統率力。ドスはそのことを思い知らされた。
そうして一ヶ月の間、ドスはこうして小屋に囚われている。
初めの内はまだ幾分か力が残っていたということもあり、体を揺らし、大声をあげ、スパークを放ちドスは暴れた。
しかし小屋には誰も訪れない。
誰も訪れないということは即ち、食べ物も手に入らないということ。
何せドス自身は移動を封じられているのだ。舌の伸ばせる範囲、と言うよりそもそも小屋の中には何物も置かれてはいない。
虫か鼠かでもまぎれ込んでくれればそれを捕らえることもできたろうが、おそらくは駆除の薬でも仕込んであるのだろう、ただの一匹すら見られない。
結局ドスは飲まず食わずのままでただ耐える以外、何もできはしなかった。
それが一ヶ月、である。しかも捕まったのは冬眠明けで空腹の時。このような状況下、普通のゆっくりであればとうに餓死している。ドスだからこそ耐えられたのだ。
だがそれももう限界。意識が朦朧として気を失おうとするたびに、いやこのままここで眠ってしまえばもう二度と目が覚めないかもしれない、そんな恐怖に襲われ必死に目を開ける。
そうしてそのせいで余計に体力を消耗し、また意識が薄らいでいく。そんな繰り返し。
もう自分はダメかもしれない。そう覚悟したある日。
「食事だぞ」
一月ぶりに他者の声をドスは聞いた。
○○○
★★★
それからドスの生活は一変した。
相変わらず下半身は頑丈な鎖に覆われており自分で動くことはできない。だがもう食事に困ることはない。大勢の人間がドスの世話をしてくれるのだ。
朝昼晩、三食決まった時間に出てくるのはもちろんのこと、ドスがおなかがすいたと言えばいつでも沢山の食事を人間が持ってきてくれた。
それだけではない。暑い時にはドスの体を冷たい水に浸した布でふいてくれる。扇でもって風を起こして当ててくれる。寒いと言えば今度は上等な毛布が出てくる。
何もすることがなく暇だと言えば、優しそうな女の人達が来て一緒に歌を唄ってくれる。色々なお話も聞かせてくれる。
それもただ単に面白いだけのお話のみならず、ゆっくりにはとても思いつかない人間ならではの餌の獲り方など、様々な実用的な知識も聞かせ教えてくれた。
寝る前と起きた後には櫛で髪を梳いてくれた。帽子が少しでも汚れれば綺麗に洗ってくれる。
自分で自由に動けないのは確かに辛い。けれどもそれを除けばドスは、人間の里にいながらとてもゆっくりとした時間を過ごすことができた。
そうして時は流れ、季節は春から夏へ、夏から秋へと移り変わり。
「ゆっゆーっ!」
冬ももう目前の寒く暗い空の下に元気なドスの声が響いた。一体何ヶ月ぶりか、ドスはその戒めを解かれ、自身の力で動き回ることのできる幸せを噛み締めていた。
そんなドスに向けて、里長である初老の男性が寂しそうな顔で声をかけた。
「あなたとは今日、ここでお別れです」
「ゆっ?」
何を言われたのかわからずに体を傾けて疑問の意を見せるドス。里長は続ける。
「あなたはこれから里を出て、そうして森に戻らねばならないのです」
「ゆっ!? なんで? ドスはもっと、にんげんさんたちといっしょにここでくらしたいよ!」
そんなドスの言葉に、けれど里長は首を横に振って応じる。
「なんで? なんでっ! もっともっと、ここでゆっくりし――」
「もしそれを望むならっ」
ドスの言葉を強い口調で遮る里長。
「……里にいたいと言うのなら、その時はまた、あなたの体を鎖で繋ぎとめねばならない。自由を奪わねばならない。
良いのですか? それでも」
「ゆっ、うぅ〜……」
そんなことを言われてはもう、ドスは黙るしかなかった。
たくさんの人間達に世話をされる生活。何の足りぬ物もない満ち足りた、ゆっくりした生活。ただ一つ、自分で自由に動き回れないということを除けば。
けれどもその『ただ一つ』こそが、元々が野で生きてきたドスにとっては非常に辛いことであったのも確かなのだ。
なればやはり、ここは言われた通りに里を出て森に帰るべきなのかもしれない。だが。
「でも、でもぅ……。もうすぐふゆだし……」
暗い空を見上げて不安げな声を出すドス。それを見て、里長は穏やかに微笑みかけた。そうしてその頭を優しくなでながら言う。
「大丈夫ですよ。
ここでの生活であなたの体は以前にも増して大きく立派になった。効率の良い食べ物の獲り方だって教えました。
今のあなただったら大丈夫、ちゃんと冬を越せますよ」
「ゆっ。
そ、そうだね……!」
里長の言葉に、ドスは心を決めた。
「にんげんさんっ、いままでおせわになりましたっ!」
体をグニャリと前方に折り曲げ感謝の言葉を伝える。
「さようなら。どうか、どうか末永くお元気で」
手を振る里長に背を向けドスは森へと帰っていった。
☆☆☆
☆☆☆
「ぶじだったんだね、ドス!」
里を出たドス。その前に無数のゆっくり達が姿を見せた。それはドスの率いていた群れのゆっくりであった。
冬眠明けのドスが人間に捕らえられたそのすぐ後、何とかしてドスを助けようと、まずは群れのサブリーダーであるれいむとまりさのつがいが里に侵入した。
だが二匹とも戻っては来なかった。
その後も多くのゆっくり達が仲間の様子を探ろうと里に忍び込んだ。
脆弱なれど繁殖力は高く、数だけは大量にいるゆっくりである。それこそ毎日毎日、何組ものゆっくりが里に向かった。
そうして結局、誰一匹として帰っては来なかった。
もはや打つ手はない。ドスのことは諦めるしか。いつしかそんな空気が群れの中に漂うようになっていった。
けれども今ここにドスは帰ってきたのだ。群れはリーダーの帰還に湧いた。
「それにしても、さすがはドスだね」
歓喜の輪の中、一匹のれいむが言った。
「にんげんさんをどれいにしちゃうなんて!」
人間に捕まったドス。一体里でどんなにか酷い虐待を受けていたことだろうか。
そう思っていたところが、帰ってきたその姿は傷一つ無いどころか以前にも増して大きく立派になっている。帽子も綺麗だ。
これは即ち、ドスは人間の里で非常にゆっくりした生活を送っていたということを意味するのである。
それに先ほどのぞき見た里の様子、人間がドスに対し優しく穏やかな言葉と表情で別れを告げていた。
こうした事実からゆっくり達の餡子は判断したのだ。
捕まったドスはその力でもって逆に人間達を奴隷にし、そうしてとてもゆっくりとした時間を満喫していたのだと。
「すごいぜドス! ぐずでまぬけなにんげんなんかめじゃないぜ!」
「それにこのおおきくてたくましいからだ。とってもとかいてきでステキだわ!」
「むきゅう、これならもしほかのむれのドスとケンカになっても、よゆうでかてそうね」
群れのゆっくり達は口々にとても強くてゆっくりした自分達のリーダーを褒め称える。
けれどもそんな様子を前に、ドスはただぼうっとした顔を見せているだけ。
「おなか、すいたなぁ」
ドスが呟いた。
「ゆっ? そうだね」
ドスのことばにれいむが反応する。
もう冬も間近のこの時期、しかしドス救出に躍起になっていたこの群れは未だに
冬篭りの準備に取りかかりさえしていなかった。
野生のゆっくりにとって、これは本来ならば致命的とも言える事態。普通の方法で餌を集めていてはもう間に合わず、冬を越せずに群れの壊滅は免れない。
けれどこのゆっくり達はとてもゆっくりとしていた。少しも慌ててなどいなかった。
だって、自分達には最強無敵のリーダーがいるのだから!
「ドス、にんげんのさとにせめこもうぜ!」
若いまりさが気勢を上げた。それに呼応して周りのゆっくり達も騒ぎ始める。
「ゆっ! そうだね! どれいのにんげんさんたちに、れいむたちのごはんをよういしてもらおうねっ!」
「おウチもよういしてもらわなきゃ。いなかくさいのはダメよ。わたしにふさわしいとかいてきでアーバンなおウチでなきゃ!」
「わたしはごほんがほしいわ。にんげんさんのさとならきっと、たくさんのごほんがあるわよね」
人間を奴隷にしたウチのリーダー。並のドスよりも大きくて強いリーダー。もしかしたら妖怪と戦いになったって。
群れのゆっくり達は浮かれていた。自分達の群れは今、幻想郷で最強のゆっくり集団となったのだ。
手始めにここら一帯、いつかは幻想郷全土を自分達のゆっくりプレイスにしてやる!
「あ〜〜」
野望に沸き立つゆっくり達。
けれどもドスは答えない。ただ虚ろな目で奇妙に間延びした声を上げながら、騒ぎ立てるゆっくり達を見下ろしている。
やがて。
「いただき、まぁす」
「ゆっ?」
ドスはゆっくりとその大きな口を開いた。
●●●
○○○
「食事だぞ」
一月ぶりに他者の声をドスは聞いた。
声の主は若い男。彼は。
「ゆっ! れいむはなんにもしてないよ! さっさとりかいしてね! りかいしたらさっさとここからだしてね!」
「いまならみのがしてやるぜ! だからさっさとまりさたちのゆうことをきいて、ここからだすんだぜ!」
蓋のされた水槽を持っていた。中にはれいむとまりさが一匹ずつ。
二匹はドスが率いていた群れのサブリーダーであり、捕まったリーダーを助けるために人間の里へと侵入した。
しかし所詮は餡子脳。
二匹はたまたま見かけた民家、その開け放たれた窓から流れる良い匂いに釣られて侵入、机の上に並べてあった食べ物を食い散らかした。
その後、満腹になった二匹は、あろうことか逃げ出しもせずにその場で眠りこけるという、野にいきるものとしてあり得ないレベルの醜態をさらす。
ちょっとした用で部屋を空にしていた家の主が戻ってきて、驚きの声を上げたのを聞いてようやく目を覚ます。そうしてお決まりのおウチ宣言。
当然のごとくそんなものが聞き入れられることなどなく、二匹は捕まって今日まで狭い水槽に閉じ込められ生かされてきた。
「ゆっ、ドス!?」
男は水槽をドスの前に置く。リーダーの存在に気付いた二匹が声を上げた。
「ドスッ! たすけにきたんだぜ! だからさっさとこのにんげんをやっつけて、まりさたちをたすけるんだぜ!」
何か文章としておかしなことを口走るまりさ。だがドスは答えない。
「ゆっくりしてないでさっさとするんだぜ! ドスパークだぜっ!」
身勝手なことをわめき立てるまりさだが、ドスは一向に答えない。答えられない。
クズ野菜とは言え食べ物を与えられ生かされてきた二匹とは違い、ドスは一月もの間何も口にしていないのだ。スパークを打つ力どころか、声を上げることもできはしない。
そうした事情は知らぬ二匹ではあったが、それでも今のドス、やつれしぼんだ体に太く頑丈に絡みつく鎖、その様子を見れば大体の状況は理解できるはず。
にも関わらず、れいむもまりさも我が身のことしか考えずに理不尽な言葉を叫び続ける。
「なんでゆっくりしてるの? ドスはれいむたちのリーダーなんだよ!? れいむたちをたすけるぎむがあるんだよっ!?」
ドスは動かない。動けない。
「まったく、やくにたたないリーダーだぜ! こんなやくたたずのリーダーはさっさとしぬべきだぜっ!」
騒ぎ立てる二匹の上、男が水槽の蓋を取った。そうしてれいむをむんずとつかみ上げる。
「ゆゆっ!?」
男の顔の高さまで持ち上げられるれいむ。
「おそらをとんでるみた――」
お決まりのセリフを言い切る間も無く。
がぶりっ。
「ゆっぎゃあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
男の口がれいむの頬を齧り切った。
「おぎょっ、ぎょ、おぎょおぼぼぼ!」
一瞬で体の三分の一を失ったれいむ。激痛に顔は歪み、露になった口内では舌が痙攣し言葉にもならぬ呻き声を吐き出す。
「やべへっ、やべ、えいふをはべないでっ!」
もはやまともに動かすことも適わぬその口を、それでも必死に回して助けを懇願するれいむ。
だが男はそんな言葉にまるで耳を貸さず。
「うっめ!」
「ぎょわいへ!?」
齧る。
「うっめ!!」
「ゆぎゅぶぉぎゅ!!」
食す。
「これめっちゃうっめッ!!」
「ぎょ……ぼ……ぶぶぷププププ――」
歓喜の叫びを上げながられいむの体を貪っていく。
「むーしゃむーしゃ」
幸せそうな笑顔でゆっくりと口を動かす男。元々大きくもないれいむの体は、断末魔らしい断末魔を上げることすらできずにこの世から消え去った。
「しあわせー♪」
口からリボンを吐き出し、そうして男は満足げに息をつく。
「ゆああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――ッッ!!??」
伴侶の無残な最期を目の当たりにして、まりさの中に込み上げてきたのは怒りでも悲しみでもなく、ただただ恐怖のみであった。
「ゆるじでぐだざい゛ー! なんでもゆうごどぎぎまずがらっ! づよぐでがじごいにんげんざま、どうが、どうがまりざだげはだずげ――!?」
男はその言葉には何一つ反応を示さず無言のままでまりさを掴み。
「ゆぎびひいいィィィイ!?」
その底部、ゆっくりのいわば足に当たる部分を齧りとった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――ッ!? まりざのあ゛んよがああああ!!」
焼けるような痛みの中でまりさは呪った。自分は何も悪いことはしていないというのに、何でこんな理不尽な目にあわねばならないのか。
れいむだ。れいむが食べ物に釣られたせいで、バカみたいに居眠りこいたせいで、だから捕まったんだ。そう、まりさは死んだ伴侶を呪う・
それにこのドス。リーダーのくせにあっさり人間なんかに捕まって、今も自分だけゆっくりして助けてくれない。そう、まりさはドスを呪った。
「……ゆっ?」
持ち上げられていたまりさの体が不意にドスの前へと下ろされた。
一体何が起こったのか。目を白黒させているまりさをよそに男は小屋から出て行ってしまった。
「ゆ……。
――ゆへっ」
なぜだかわからないが自分は助かったのだ。そう理解したまりさ。思わず歪んだ口から笑い声がもれる。
「ゆへっへっへっへっ。やっぱにんげんはどじでおろかでまぬけだぜっ!」
数十秒前の命乞いの言葉にあった人間への評価をさっさと180度反転させて、その愚行を嘲笑う。
とは言え今の状況、人間はいなくなったものの底部が齧られ、このまま独力で逃げ出すのは不可能。
下手に動けば餡子がもれ、せっかく拾った命をどぶに捨てる羽目になりかねない。
「ドス、ドスッ!」
まりさは目の前のドスに向かって叫ぶ。自身の力で動けないのならドスに助けてもらえば良いだけのこと。そう思って声を上げる。
ドスのやせ細った体だとか、動きを封じる鎖だとか、そんなものは一切考慮に入れずただ自分の身の安全だけを考えて叫び続ける。
「ドス! あのにんげんがかえってくるまえに、さっさとまりさをたすけてもりへかえるんだぜ!」
ドスは答えない。
「ドス! なにゆっくりしてるんだぜ!? はやくだぜ! きこえないのかだぜッ!?」
その通り。ドスにはもう聞こえていなかった。体力の消耗が激しすぎるのだ。目もほとんど見えなくなっている。
目の前にあるモノが何なのか、それが何を言ってるのか、耳も目ももうまともに働かず、餡子脳も判断思考の力を失いかけている。
「――――! ――――っ!!」
ここにあるのはなんなのだろう。ドスにはもうわからない。
けれども先ほど、薄れゆく視覚と聴覚とが捉えた光景と音。
幸せそうにナニかを頬張る男の姿、そうして喜びと満足とを乗せたあの明るい声。
そうか、そうなのか。ドスはゆっくり理解した。
目の前のコレは、さっきのアレなのだ。
「ゆ?」
少し調子の外れたまりさの声。目の前のドスが口を開け、その舌を伸ばしてきたのだ。
ノロマなドスめ、やっと動いてくれたか。けれどもこれで。まりさは思った。これで自分は助かる、と。
★★★
●●●
ゆっくりにはとても思いつかない人間ならではの餌の獲り方。
それを覚えたドスが野に帰って後、この里ではそれまで日に何度も発生していたゆっくりによる田畑や家屋への被害がパタリと無くなった。
そうして里の人間達は皆、末永く幸せに暮らしたと言う。
めでたし、めでたし。
(作:おっ゜て)
最終更新:2008年12月10日 14:13