がさ。
がさがさがさ。
「ん……?」
何やら耳元で音がする。
不快感を呼び起こす騒音に、眠気が少しずつ引いていく感覚。
瞼越しに伝わる光量からすると、時刻は丁度目覚めるのにいい時間帯だろうか。
がさがさがさがさがさがさがさ。
しかしなんだこの音は。
まるで何かが這いずり回っているような……
「…………うぉっ!?」
目を開けた瞬間映った光景に、俺は驚いて跳ね起きた。
俺の周囲、円状に集まっている、虫の大群。
カブトムシやらコオロギやらゴキブリやら、その種類は半端なく多い。
生理的嫌悪を催す光景に、鳥肌がぷつぷつ浮かび上がる。
こんなことを仕出かす犯人を、俺は一人しか知らない。
「リ、リグルちゃんか……!」
朝の目覚ましモーニングサービスだかなんだかで、こういう事業を始めたことは知っていたが。
ちゃんと丁重にお断りしておいたのになぁ。
後で文句言わないと……
「こ、こっちに来ないでね!
ゆっくり離れてね!」
「……ん?」
何やら慌てた声が聞こえ、俺は声がするほうを向いた。
「ま、まりさは美味しくないよ! ゆっくりしないでどっか行ってね!!」
昨日、透明の箱に閉じ込めたゆっくり魔理沙。
その周囲に、虫たちが群がっていた。
「ゆ、ゆーっ!!?」
「れいむたちはごはんじゃないよぉー!!?」
「ゆっくりできないよぉぉぉ!!!」
赤ちゃんゆっくり霊夢の周囲にも、虫たちが興味津々といった様子で集まっている。
赤ちゃんゆっくりたちは可哀相にすっかり怯えてしまい、中央に固まってゆーゆー泣いていた。
ちょっと萌える。
「お、お兄さん、ゆっくり助けてね!」
そして我が愛しのマイペット、ゆっくり霊夢は眠りから眠りから覚醒した俺に気付き、必死に助けを求めていた。
むっ、これはいかん。
俺は虫を踏まないよう慎重に足元を確認しながら、ゆっくり霊夢を閉じ込めた透明箱を抱え上げ、テーブルの上に避難させた。
「お、お兄さん、魔理沙たちも助けてね!!!」
「おに゛いざん、ゆ゛っぐり゛ざぜでぇ゛ぇ゛ぇ゛!!!」
他のゆっくりたちからも救助の声が上がるが無視。
だってこいつらの泣き顔見るのが超快感なんだもん。
涙を流しながら必死な表情で右往左往しているゆっくりは、鼻血が出そうなほど可愛いと思う。
こんな光景が見られたのなら、虫たちに少し感謝してもいいくらいだ。
俺は赤ちゃんゆっくり霊夢の箱を開けると、一匹だけ取り出した。
「ゆっ、たかいたかーい♪」
「あ、いいな!」
「れいむたちもたすけてね!」
虫たちの包囲網から救出してもらえたと思ったのだろう、俺に掴まれた赤ちゃんゆっくり霊夢が歓声を上げ、他のゆっくりたちが文句を言う。
俺はにこりと微笑むと、足元でうぞうぞしている虫たちに優しい声で言った。
「お前たち、餌をやるぞ」
「……ゆっ?」
何を言ってるのか分からない、といった感じの赤ちゃんゆっくり霊夢。
俺はそいつが理解するよりも早く、手の中のゆっくりを床にぽとりと落とした。
「ゆっ、ゆ゛ーーーっ!!?」
途端、涙声で逃げ出そうとする赤ちゃんゆっくり霊夢。
虫たちはそれなりに頭が良いのか、いきなり襲い掛かろうとはせずに、逃げ場を少しずつ埋めるように移動していく。
「や、やめてね! 赤ちゃんを助けてね!!!」
ゆっくり魔理沙の慌てた声。
俺はそんなゆっくり魔理沙に指をびしりと突きつけた。
「問題!」
「ゆっ!?」
「ゆっくりアリスは一度の交尾で、ゆっくり魔理沙との子供を六匹作ることが出来ます。七度ゆっくり魔理沙に襲い掛かったら、何匹子供が生まれるでしょうか?」
「ゆゆっ!? まりさは七回もこども生めないよ!?」
「はい、スタート。答えられたら子供は助けてやる」
有無を言わさず開始宣言。
ゆっくり魔理沙は悩みだすが、ゆっくりアリスに襲われる自分を想像してしまうのだろう、時々小刻みにぶるぶる震えていた。
俺は残り五匹となった赤ちゃんゆっくり霊夢たちに近付き、力付けるように言う。
「お前たちのお母さんがあのゆっくり霊夢を助けてくれるみたいだぞ!」
「ゆっ、本当!?」
「で、でも……」
一瞬明るい表情を見せる赤ちゃんゆっくりたちだが、すぐに暗い顔で俯いてしまう。
昨日、妹の一人が見捨てられた(実際は無理難題だったわけだが)ことを思い出したのだろう。
「まぁ、信じてな」
俺はそう言って、虫たちの群れに放り込んだ赤ちゃんゆっくり霊夢を観察し始めた。
涙目でぴょんぴょん飛び跳ねながら、全力で逃げようとしているその姿は果てしなく愛らしい。
しかし逃げようとした矢先に虫たちに回り込まれ、別の方向に逃げようとして、やはり回り込まれる。
……む、面白い趣向を思いついた。
俺は机の引き出しから下敷きを取り出すと、姉妹である赤ちゃんゆっくり霊夢たちの閉じ込められている箱まで下敷きを使って虫を払い除け、道を作ってあげた。
「れいむ、こっちだよ!」
「ゆっくりしないでこっちにきてね!」
「ゆっ、れいむがんばるね!」
姉妹たちの声に勇気付けられ、赤ちゃんゆっくり霊夢は必死の力で床を飛びはね、箱に近付いていく。
しかし後ろから、どんどんと迫る虫たち。
まだ外の世界にいたころ、金曜ロードショーで見たアニメに出てくる王蟲の大群を思い出す光景だ。
やがて赤ちゃんゆっくり霊夢は見事に箱の前に辿り着いた。
が、しかしそこはやはりゆっくりブレインだった。
「ゆっ!? 中に入れないよ!!?」
そう、それが箱である以上、壁の内側に入れないのは当然なわけで。
ようやく姉妹の所に戻れてほっとしたのも束の間、赤ちゃんゆっくり霊夢は涙目で壁に体当たりを始める。
「いれて! そのなかにいれてよ!」
「ゆゆっ、はいれないの!?」
「どうすればいいの!!?」
身体に似合わない滂沱の涙を流しながら、身体を寄せ合うゆっくりの姉妹。
だけどその間は境界を分かつ絶対的な壁が存在し、まるで天国と地獄の様相だ。
そうこうしているうちに、とうとう痺れを切らした一匹の虫が、赤ちゃんゆっくり霊夢にかぶりついた。
「ゆ゛ぅ゛ぅ゛ぅぅっ!!?」
悲鳴。
齧られたのは表面を少しだけ。だが黒い餡子がちょっとだけ漏れ出る。
それまで外の姉妹を何とかしようと壁に張り付いていた赤ちゃんゆっくりたちは、その光景にドン引きしたかのようにゆっくりらしくない素早さで後退した。
「ゆ゛っ!? い゛がな゛い゛でぇぇぇ!!!」
心の支えであっただろう姉妹の身体が遠く離れてしまったことに、赤ちゃんゆっくり霊夢は絶叫する。
そんなゆっくりに追い討ちをかけるように、他の虫たちも赤ちゃんゆっくり霊夢に群がり、ほんの少しずつ咀嚼する。
仲間意識があるのだろう、統率された虫たちの行動は訓練された兵隊のように澱みなく、抜け駆けして丸呑みしようとする虫一匹現れない。
仲間たちにきちんと行き渡るよう、一度噛み付いたらすぐに離れ、別の虫に場所を譲る。
だが赤ちゃんゆっくり霊夢からしてみれば、これ以上ないくらいの嬲り殺し、永遠に続くかのような拷問だった。
「れ゛いむ゛のあ゛んこだべな゛い゛でぇ゛ぇぇ!!! ゆ゛っぐり゛でぎな゛い゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉぉぉっ!!!」
聞いてるこっちまで痛みが伝わるような慟哭。
箱の中で震える赤ちゃんゆっくりたちは、涙に塗れた瞳を母親へと向ける。
「おかあさん、はやくしてね!」
「いもうとをたすけてね!!!」
だがゆっくり魔理沙は、青ざめた顔で動かない身体の代わりに眼を忙しなく震わせるだけだった。
「さ、さんかいめでじゅうはちひき、よんかいめで……ゆーっ!! よんかいもできないよぉぉぉ!!!」
発情したゆっくりアリスの幻影でも浮かんでいるのか、イヤイヤするようにその身体を揺り動かす。
虫たちの餌になっている赤ちゃんゆっくり霊夢は、既に身体が半分になっていた。
「ゆっくりしたけっかがこれだよ……」
そして、トドメなのだろう。
壁際から虫たちの中心に運ばれた赤ちゃんゆっくり霊夢は、虫たちに一斉に飛び掛られ、その短い生涯を終えた。
「ゆ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!!!」
今際の際の悲鳴。
どれだけ苦しかっただろうか。
まだ生きたかっただろうに。
またも姉妹を失った悲しみに、赤ちゃんゆっくり霊夢たちは声を上げて泣いた。
そこに間髪入れず、俺が囁く。
「あーあ、またお前たちのお母さんは答えられなかったな」
びくり、と赤ちゃんゆっくりたちの身体が震える。
「答えられたら、あのゆっくりもお前たちと再会出来てたのになぁ。虫に食べられることなく、お前たちとゆっくり出来たのになぁ。お母さんが問題に答えさえしてればなぁ……」
成人したゆっくりだったら、そもそも先程の赤ちゃんゆっくり霊夢を虫たちの中に放り込んだ俺を糾弾していたかもしれない。
だが未だ幼稚な頭脳しか持たないゆっくりたちは、俺の言葉に見事なまでに惑わされ、ふつふつと母親への怒りを充填させていく。
「ひどいよおかあさん!」
「おかあさんがれいむのかわりにしねばよかったのに!!」
「おかあさんはゆっくりしないでしんでね!!!」
昨夜よりも激しい母への憎悪の発露。
あまりに理不尽すぎる状況と、それでも回答出来ていたら子供は助かっていたはずという罪悪感で、ゆっくり魔理沙は狂ったように泣き叫ぶ。
「や゛め゛でぇ゛ぇ゛ぇぇぇぇぇっ、お゛があ゛ざん゛にぞんな゛ごどい゛わ゛な゛い゛でぇ゛ぇ゛ぇぇぇぇぇぇ!!!」
ゾクゾクゾクゾク!!!
背筋に走る衝撃。全身を包み込む恍惚感。
ゆっくりが泣く姿は、どうしてこう、俺に充足感を与えてくれるかなぁ!?
心の内より溢れて垂れ流さんばかりのこの感情を何と呼べばいいのだろう。やはり萌えだろうか。
俺は笑いを抑えることが出来なかった。