緑に彩られた日光が木々の隙間に差し込み、人の足に汚されていない苔むした地面に恵みを与える。
鬱蒼とした森に風が吹き、隣り合う葉が擦れ合い、ざわざわと喧騒の音を立てる
暗い大気に柱の如く天上から貫く光が間隙を縫う。森が立てる声に釣られるように、
地から無数の影が姿を見せ、日光を浴びて木々と共に騒ぎ出した。
「「「「「ゆっくりしていってね!」」」」
ここはもはや忘れ去られた地。幻想の彼方の、そのさらに奥に、余人を立ち入れずひっそりと暮らす小さな集落があった。
かつて人の世に起きた争いに敗れ、安寧を求めて旅立った人間の子孫が暮らしている。
村の男たちは狩猟により糧を得、女たちは男たちの居らぬ間に家と村を守る。
村を囲む森に住み着いたゆっくりと呼ばれる饅頭
-貿易のために諸国を旅する商人が立ち寄った際にその正体を聞かされた謎の生き物-
は、町の近傍に棲むものと違い、無闇と村に近づかず、森で狩人に出会っても声一つ立てずに姿を藪の中に消す。
人とゆっくりの違いを知り、また人の力を知るがゆえに、森のゆっくりは野生に生きることを選んだのだ。
当然それまでに数年の月日と幾万の殺戮があったわけだが。
ゆっくりが現れてから村は少しだけ活気を増した。
獣を狩る術に長けた男達は容易くゆっくりを捕らえ,行商人に売りつけたり
乾燥させたゆっくりを得がたい甘味の補充に充て,または樹液に浸して固め女達の
身を飾る装飾品とするのだ(ゆっくりイヤリング・ゆっくり数珠etc)。
そんな村に起こる難事など、年に片手で数えうる小さな問題でしかなかった。
まして、ゆっくりが人に被害を成す話など、赤子の寝物語に等しいものだった。
そんな村に、この日、考えもしない大事件が起こった。
ゆっくり達の声が異常に騒いでいる。捕食種とされるれみりゃやふらんに襲われたときよりもずっと。それは群れへの警告ではなく,純然とした恐怖による叫びだ。餡子の詰まった中身でも本能は雄弁に,それがどれだけ恐ろしいものかを告げるのだろうか。
森の奥深くから,白靄を払い,押しのけ,それは強引に進んできた。
黒い何かうじゅるうじゅると身を這っている。地に落ち,草花を腐らせ黒い沁みを残してそれはゆっくりと村に近づいていた。
森に棲むゆっくりの殆どはそれに踏み潰されていた。それの速度はゆっくりのその名に等しい歩みなど比にもならず,逃げ惑い絶叫するゆっくりどもをぶちゅり,ぶちゅりと物言わぬ黒ずんだ餡子の屑へと変えた。
しかし,それだけでは済まなかった。潰され,黒い触手のようなものに触れたゆっくりは融けるように短い声を発し,『それ』の身体を覆う得体の知れぬ何かに混じっていく。
『それ』はゆっくりの餡子を身に纏っているのだ。
いつの間にか,絶叫は消えた。ただ這いずる『それ』だけが木々をなぎ倒し村へと走り去っていった。
その村の中を,トナカイのような獣に跨り森の方へと駆けゆく男の姿。
目鼻立ち良く、背もすらりと伸びた姿はなかなかの美丈夫であるが、
長老たち老人一同からは好ましくは思われていなかった。
彼こそは、都に生まれたならば必ずや後世に名を遺しただろう、
いわゆる虐待お兄さん,である。
都ならば珍しくもないが,自然に隔離された集落ではその存在は稀有である。
生まれながらにしてゆっくりの死骸を両手に握りつぶしたまま産声を上げたと云われる
虐待の権化とさえ呼ばれることもあった。
ゆっくりを獣とみなし、森と自然の一部として畏敬する村の習慣を破り、森に出ては人知れずゆっくり知れず、
ゆっくりを狩り殺している。大人たちは所詮ゆっくりのこと故,声を荒げるようなこともない。また,青年の弓の腕前は村随一であった。およそ三町(300m)の距離にあるゆっくりを一打ちで7匹,すべて眼球を撃ち抜いたほどのものである。
青年の名はアシタカ。いづれは村長(むらおさ)の嫡子として長の座に着かねばならぬ身だが、そんな自覚などどこ吹く風で
今日も物置のゆっくりを補充すべく、厩舎に繋ぐヤックルと呼ぶ赤獅子にまたがって森へと駆けていった。
その姿を乙女たちがやや頬を赤らめて見送る。
いつの世もどこにいっても,イケメンは得をする。
垣根を伝い,ヤックルを駆る内にアシタカの前方から籠を背負う乙女の一団に向き合った。
「あにさま!」
一人の乙女が声をかけた。アシタカの妹である。
「ちょうどよかった。ひぃ様が皆村にもどれと。」
アシタカは村を出る前に司祭を務める老婆からの伝言を伝えた。
「じぃじもそう言うの。」
「じぃじが?」
村の重鎮である老人がそういうのならば,何かしら異変が起きようとしているのではないか?
ゆっくり狩りに懸想していたアシタカの楽しみは打ち切られたが,異変ならば仕方もあるまい。
「山がおかしいって。」
「鳥達が居ないの」
「獣達も」
「ゆっくりも!」
ゆっくりが居ない?例え姿を隠したとしてもあの騒々しい声が消えるとは…?
「そうか…じぃじの元へ行ってみよう。みなは村に帰りなさい。」
アシタカは乙女達を村に急がせ,自分はヤックルを森の方角へと急がせた。
村より離れ,森の入り口に立つ見張り台。その上にいるじぃじの元へアシタカは向かった。
じぃじは異様な気配を森から感じ,近づいている悪寒に注目していた。
アシタカが見張り台を駆け上がるとき,既に『それ』の気配は入り口にまで達していた。「じぃじ,あれはなんだろう?」
「わからん。人ではない。」
「村ではひぃ様が皆を呼び戻している…」
「きおった!!」
じぃじが鋭く叫んだ。同時にアシタカは背の弓を構え弓をつがえる。
森の入り口が暗く曇った。その光景はなんともおぞましいものであった。
樹が瞬く間に枯れ落ち,黒い触手がうねうねと這い回りながら飛び出てきた。
巨大な,まん丸なものが光る一対の瞳を村へと向け,森から這い出てきた。
それが通り過ぎた後は抉る様に草が枯れ果ててていた。
「タタリガミだ!!!!」
じぃじが絶叫した。
タタリガミと呼ばれたそれが森の影から這い出んとしたとき,黒い触手が日の光を嫌うようにそれの身体から剥がれた。
その姿にアシタカは息を呑む。
見たことのある.いや彼には日常に馴染みあるその形。帽子を無くしているも,泥と餡子に塗れようと,金色の髪を逆立て,憤怒の相で突き進む姿は,ゆっくりのものであった。都の辺りに住まうという,ゆっくりまりさの巨大種,ドスまりさの姿である。
一度は剥がれた黒い触手は,再びドスまりさの身体を包み込み,黒い塊となって村への直進を止めようとはしない。その方向には見張り台があり,下にはヤックルがいた。
ヤックルはあまりの恐怖に身が竦んでしまい,アシタカの声も聞こえない。
アシタカはつがえた矢をドスまりさではなくヤックルの足元へ放った。
風を切る感触に正気を取り戻したヤックルがすんでのところで触手から逃れた。
ドスまりさは全力で見張り台に体当たりし,崩れ落ちる台の上であやうくアシタカはじぃじを抱きかかえて飛び移った。
怯むことなくさらなる直進を続けるドスまりさは真紅に鈍く光る眼をただ村にのみ向けている。
このままでは村が危ない。アシタカはじぃじを置いて自分も駆け出した。
「アシタカー!タタリガミには手を出すな!呪いをもらうぞ!」
じぃじの呼びかけを無視し,ヤックルに飛び乗ってドスまりさを追う。
ドスまりさの進行を遮るように前に出たアシタカはドスまりさを鎮めようとした。
「鎮まりたまえ!鎮まりたまえ!名のあるゆっくりの主と見受けたが,何故そのように荒ぶるのか!」
まさか自分が虐待したゆっくりの仇討ちにでも来たのか?とアシタカは邪推したが,ドスはお構いなしに走り続ける。鬼気迫る,を通り越して凄まじい悪意を込めてドスは村を目指している。
そこに,先程アシタカが出会った乙女達が居た。ドスまりさは乙女達に気づき,進行を変えた。
これはいけない,と乙女達は逃げ出し,アシタカはさらに呼びかけを続けるもまったく通用しない。そのうち,乙女の一人が足がもつれて転んでしまった。覚悟を決め,短刀を抜き払うが,そこに,併走してヤックルの上から,アシタカは弓を引き絞った。
瞬間。放たれた矢は正確に眼と思しき部位に命中した。
跳ね回る触手。暫しドスまりさの動きが止まった。その隙に乙女達は体制を整えた。
触手は天を仰ぐように暴れ回り,いくつかの奔流と化してアシタカの方に伸びてきた。
一部が,アシタカの右腕に絡みつき,力いっぱいアシタカはそれをちぎり取った。
第二の弓をつがえ,触手が剥がれて剥き出したドスまりさの脳天に,矢が突き立たる。
もはやドスまりさに力は潰えた。奔流はべたりと落ち,大地に穢れた澱みを残した。
ドスまりさの身体がぐらりと傾ぎ,横転する。
アシタカは,掴まれた右腕に燃やされるような激痛を覚えていた。濃硫酸を浴びせられたように煙を立てて蒸発する触手の一部に腕をどうにかされたのあろうか。
と,そこに村の一団が迫ってきた。火を焚き襲撃に備えていた彼らはドスまりさが倒れたことを確認するとアシタカに元に駆け寄った。
ヤックルから降りたアシタカは激痛にうめきながら,皆が近づくのを拒んだ。
「触れるな…!これはただの傷ではない!」
一人の村人におぶさり,祭司たるひぃ様がやってきた。
「みんな,それ以上近づくでないよ!」
ひぃ様は瓢箪から水を注ぎ,アシタカに腕にかけた。さらに激痛が走り,必死に耐えるアシタカ。
ひぃ様は倒れたままぴくりともしないドスまりさに近づいた。深く一礼し,語りかける。「いづこよりいまし荒ぶるゆっくりとは存ぜぬも,かしこみかしこみ申す…。
この地に塚を築き,貴方の御霊を御祭りします。恨みを忘れ,鎮まり給え…。」
しかし,ドスまりさは光を無くした虚ろな瞳を向けて呪詛を吐いた。
「うぎぎぎぎぎぃぃ…ぎぎ…汚らわしい人間どもめ…!!我が苦しみと憎しみを知るがいい…!」
ドスまりさの身体は,途端に腐敗を始め,皮だけになり餡子をぶちまけて死んだ。
餡子の臭気が辺りに拡がる。凄まじい悪臭である。
その晩のこと。
貴重な灯油に明かりを燈し,村の重鎮たる者が合議の間に残らず集結した。
居並ぶ姿には沈黙のみ。老人達の視線は,中央に座すアシタカとひぃ様に向けられている。
ひぃ様は,占いを執り行っている。余人には知れぬ不思議な文様の布に,幾つかの石と,木切れ,獣の骨,凄まじい形相で凝り固まった琥珀ゆっくりの欠片を無造作に投げ,
その吉兆を何やら伺っていた。
ぱちぱちと空気に弾ける火の粉の音に,やがてひぃ様の口が重く開いた。
「さて,困ったことになった。これは厄介なことだよ。かのゆっくりは,遥か西の国からやってきた。村より遠く,西の都からだよ。
深手の毒に気が触れ,身体は腐り,ゆっくりにあるまじき走りに走り,呪いを集め,
タタリガミになってしまったんだ。
それほどの強い憎悪に支えられ,1頭のドスまりさが棲んでいた森を離れてここまでやってきたんだ。」
「アシタカヒコや。皆に,右腕を見せてやりなさい。」
頷いて,沈黙を保ったままアシタカは包帯を巻いた右腕を,ゆっくりと布を解き,居並ぶ老人の視線に差し出した。老人達はわずかに身を乗り出し,くぐもった苦鳴をもらした。
握りしめられた拳からやや上,黒ずんだドスまりさに咬まれた付近から,赤茶色の痣が
拡がっていた。
ゆっくりと吐き出された餡子がこびり付き,拭こうとも洗おうとも取れないのだ。
「ひい様…!これは…!」
「アシタカヒコや。お前には自分の運命を見定める覚悟があるかい。」
「はい。あのゆっくりに矢を射るとき,覚悟を決めました。」
「その餡子はそなたの肉に食い込み,骨まで腐らせる。やがてそなたを殺すだろう。」
ひぃ様のすべてをぶち壊すような宣言に,たまらず一人が叫んだ。
「どうにかならぬのですか!?このような,村をまとめる若者が」
「アシタカは村を守り,乙女達を守ったのですぞ!」
「ただ死を待つしかないのは…」
老人達の嘆きは次々と叫びとなった。かつて村にゆっくりが現れた当初,畑や森を荒らされ苦しめられた記憶を思い出していた。やがて静まるまでにどれだけ被害が出たか。
今,村長を継ぐべき青年がゆっくりの呪いに取り殺されようとは。
悔しさが怒涛のように渦巻いてゆく。
「誰にも定めを変えることはできない。
ただ,待つか自ら赴くかは決められる。見なさい。」
ひぃ様が何かを取り出し,ごろりと転がした。
鉄のようなそれは,丸い塊で,占いに用いる琥珀のゆっくりに劣らぬ苦痛の表情を浮かべていた。確かにそれはゆっくりである。しかし,その表皮のみならず中身までもが異常な硬度と重量を備えている。
「あのゆっくりの身体に食い込んでいたものだよ。骨を砕き,はらわた(餡子)を引き裂き,むごい苦しみを与えたのだ。」
アシタカの顔面に少しだけ興味の色が浮かんだ。虐待お兄さんとしては当然の反応かも知れぬが,明らかに場にそぐわなかった。誰も突っ込まないが。
「さもなくばゆっくりがタタリガミなぞになろうか。
西の国で何か不吉なことが起こっているんだよ。その地に赴き,曇りのない眼で物事を見定めるなら,あるいはその呪いを絶つ道が見つかるかもしれん。」
老人の一人が口を開いた。
「ゆっくりの戦に破れ,この地に潜んでから500猶予年。今やゆっくりにかつての勢いはない。(虐待の)将軍どものやる気も折れたと聞く…。だが我が一族の血も衰えた。
このようなときに,虐待の長となるべき若者が西へ旅立つのは定めかもしれん。」
アシタカは,短刀を取り出すと己の髪に当て,すぱりと髷を落とした。
老人が瞼を押さえる。色々と情けなくて泣き出したのだ。
「掟に従い見送らん。健やかにあれ。」
アシタカは一礼し,旅の準備を整えるべく祭殿を離れた。
ヤックルと共に,静まり返った村を横ぎるアシタカの元に,一人の少女が駆け寄った.
「あにさま!」
「カヤ!見送りは禁じられている!」
「お仕置きは受けます!どうか,これを私の代わりにお供させてください!」
少女が差し出したのは,光る石より作られた小さな小さな小刀であった。ゆっくりの形相が描かれている。否,ゆっくりが埋め込まれているのだ。
「大切な玉の小刀じゃないか!」
「お守りするようゆっくりを埋め込みました!いつもいつも,カヤはあにさまを想っています!きっと…!きっと!」
「私もだ。いつもカヤを想おう。」
アシタカはヤックルを駆り,真っ直ぐ村を離れた。
壮大な森の景色に,やがて朝日が光を撒く。
道なき道を駆け,餌を取りに降りてきたゆっくりを叫ぶ間もなく踏み潰し,餡子溜まりの中を西へと急ぐ。
ゆっくり姫 第一
続く
こんにちは
あるいはこんばんは
もしくはおはようございます
ごめんなさい。
VXの人です。
もののけ姫のパロともなんともいえないものを書いてみました。
虐待?でしょうか?なんでしょうか。
僕は疲れています。
最終更新:2008年09月14日 08:09