歯を食いしばる凄まじい表情の母ゆっくり。
その顎には真っ黒な空洞が生まれていた。
「ゆぎいい、ゆぎいいいいい!」
絶叫がこぼれるたび、その穴が押し広げられていく。
やがて、中からのぞいたのは、子であり、もうすぐ姉となるゆっくりまりさの瞳。
眩しそうに外の世界を見ている。
少しづつ、みちみちと押し出される子ゆっくり。
口元までが露出して、不思議そうに外を見る様子が伺えた。
「ゆ?」
一足早く母体から盛り上がり、外気に触れたゆっくりまりさの唇から困惑の呟きがもれる。
子ゆっくりの眺める世界は不思議に満ちていた。
今、生み出されようとしているこの空間は円筒状。さらに中央が大きくすり鉢上にへこんでいる。部屋の奥行きは母ゆっくりを6匹並べた程度。外の世界というのは、思ったよりも狭いらしい。
しかし、ゆっくりを本当に混乱させたのは、その円状の壁ぞいをみっちり埋め尽くす他のゆっくりたちの存在。みんな、母ゆっくりと同じ巨体で、壁から伸びた縄のようなものを口に深く咥えているのもおそろいだった。
「ゆ゛っ!」
母ゆっくりの鈍い悲鳴とともに、さらに外に押し出される子ゆっくり。完全に外に放たれるまであと一息だ。
だが、子ゆっくりにとって残念なことに、ゆっくりできるスペースがあまり多くはなさそう。
その室内で平坦なのは、円となって壁沿いに丸く並ぶ母ゆっくりたちがいるところだけ。後は中央へ向けて、落ち込むだけの漏斗状のスロープとなっていた。ゆっくりの丸い体では、転がり落ちるしかない斜面。
転がる先、部屋の中央には黒い小さな穴と、一本のそそり立つ柱。天井をも貫いて、空へ向かって一直線に伸びている。
あそこはゆっくりできるところなのかなと目を凝らしても、子ゆっくりの目には鮮明に映らない。すり鉢状のスロープは深く落ち込んで、影をつくりだしていた。
あんなとこより、お母さんのそばでゆっくりしたいなと素朴な希望を持つ子ゆっくり。だが、横目で見れば母ゆっくり自体がいる平坦な床もほとんどスペースがなく、母ゆっくりたちですら体は3分の1ほどははみ出している。今すぐにもスロープへ転がっていきそうな状況。 それを防いでいたのは、壁の縄だけだった。ぎゅうぎゅうに縛りつけられて、母ゆっくりたちは例外なく壁にはりつけられている。
なんで、母たちがそんなことをしているのか、子ゆっくりにはさっぱりわからない。
子ゆっくりに疑問が生じたそのときだった。
「ゆ゛っ!!!」
一際強い母ゆっくりの声。同時に、ぽんっという軽快な音とともに子ゆっくりは宙に飛び出していた。
堪えに堪えてから生み出されるため、大抵の子ゆっくりたちは勢いよく飛び出す。とはいえ、成体に近い体は衝撃を受けても大丈夫。ぴょんぴょんとはね回って、母ゆっくりに無事を報告する。
子ゆっくりもまた、元気よく空中で一回転する。その裏返った視界の中で、初めて母ゆっくりの顔をちらとみた。
凄まじい痛みの後だというのに、この上もないあふれた笑顔。
出産直後の母体の表情。それは母性に満ち溢れた、ゆっくりにとって最も幸せな表情を見せるという。
自分を生んでくれたお母さんが、そんな笑顔で迎えてくれた。子ゆっくりの顔も綻ぶ。ゆっくりまりさが生まれて初めてつくる表情は、笑顔。
幸福な光景だった。母まりさが蕩けそうな笑顔を消し、血走った瞳を見開くまでは。
「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!」
裂けるほどに口を開き、歯茎をむき出しにしての母ゆっくりの絶叫。いや、咆哮。
ぺたん。
びくりと怯えたままの子ゆっくりの体がスロープに落ちた。
「ゆ?」
そして、スロープと呼ぶには急勾配すぎるその坂道を一気に転がりだす。
ころころと、勢いがついて止まらない。
すさまじい勢いで回転する視界に、子ゆっくりは声もでなかった。
未だ続く母ゆっくりの絶叫を聞きながら、転がるままに部屋の中央にある黒い穴へと。
だが、穴には先客がいた。
きっと、この先客も同じように生み落とされた子ゆっくりなのだろう。
自分と変わらない大きさのゆっくりれいむが一匹、穴にはまりこんでいた。
穴の広さはちょうどゆっくり成体一匹分。
張り込む隙間も無く、ぼゆんと仲間の体に弾かれたゆっくりまりさ。
「ゆぐっ!」
スロープに再び叩きつけられ、息を吐き出す。だが、深い傾斜はゆっくりすることを許さず、再び穴の方へころころと転がり出す。加速していく体。勢い余り、穴に埋まったゆっくり霊夢の頭の上を通り過ぎる。
その先には、そそり立つ柱。
「ぶべ!」
穴に接するその柱にぶつかり、ユーモラスな悲鳴を上げる子ゆっくり。じんわり涙が浮かぶ。
だが、その衝撃のも係わらず、柱は微塵も揺るがなかった。ゆっくり二体分の太さで雄雄しくそそり立っている。仰向けに転がるゆっくりの視線の先には、青空を背景にゆっくりと回る風車の羽。
だが、生まれ出されるなり激痛を味わった子ゆっくりには風車どころではない。
い゛だい゛よううと、母の姿を求めて坂の上を見上げる子ゆっくり。
だが、同時にその傾斜の深さを思い知る。
下手に登ろうとしても、丸い体は転がり落ちてこの穴か柱にぶつかっていくだけ。
他に母の元へ登っていく手段も、どこにもみつからなかった。
坂道を前に途方に暮れて、ゆっくりと困り果てる。
「ゆ……ゆ……」
だが、体の下でうごめくゆっくりれいむに気づくと、本能が疼いた。まず、ゆっくりのとるべき行動は一つ。
「ゆっくりしていってね!」
初めて会った別種に向けて、本能に焼きついているご挨拶。
だけど、返答はない。
ぷうと、頬を膨らますゆっくりまりさ。もう一度ゆっくりを呼びかけようとした時だった。
よりかかっていた木製の柱が静かに回りだした。
「ゆっ!」
慌てて飛びのくまりさ。
「ゆゆっ!?」
足元のゆっくりれいむは穴にはまりこんで動けない。
「い゛や゛ああああ! ゆ゛っぐり゛でぎなああい!!!」
床を震わす絶叫の後「ゆ゛ぎぎぎぎぎぎ」と、ゆっくりがまず口にできないような呻きが床下のれいむから響き、すぐに鳴り止んだ。
訝しんで、様子を探るまりさの耳に、ぴいぴいと空気がもれるような音が聞こえた。
どうしたのだろうと覗き込む暇もなく、ふたたび柱が無慈悲な正確さで回りだす。
「びゃっ! びゃびゃびびび!!!」
再びの悲鳴は、言葉が破壊された意味のわからない泣き叫び。
その耳障りな音も、またすぐに鳴り止んで静まり返る空間。
「ゆ、ゆっくり?」
まりさが恐る恐る穴をのぞくと、れいむがひっくりかえってそこに沈んでいた。
声をだせないはずだ。
顎から下がなくなっていたのだから。ひっくり返った上半分の顔。かろうじて残った目が、だらだらと涙を額に向けて流し、のぞき込むまりさを見つめていた。
怖気だつまりさをさらに戦慄させたのは、見てしまった凶器。
れいむが削れて低くなった穴の中、柱に鈍くひかるらせん状の刃がついていた。アレが回るたび、中のゆっくりを下に押し込みながら、少しずつ輪切りにしていく。
そのまりさの想像を裏付けるかのように、再び回りだす柱。
「ゆっくりいいいい!」
まりさは震える。
とうとうすりつぶされ、穴の下の排出口からぼとぼととこぼれていく、かつてゆっくりれいむであったもの。それを間近で見せつけられていた。
柱の回転が止むと、何事もなかったかのように再びぽっかり空いた穴。
体を全身全霊の力でひしゃげて斜面にへばりつくまりさを待って、大きく口を開いている。
じんわりとまりさの額に浮かぶ汁。頬を伝い下へおちていき、やがてそれはこの上も無く残酷な潤滑油となるのだろう。でも、脳髄を震え上がらせる恐怖が、それを止めてくれない。死が猶予されているだけの状況。
そのことを、知能の発達したまりさは悲しいほどよく理解していた。
「い゛や゛あ゛! ゆ゛っぐり゛ざぜでてええ!!」
泣き叫ぶも、そこにいるのは自分一匹。
誰が落ちる危険をおかして自分を助けにきてくれるだろう。
いや、一匹だけいた。自分を無条件に愛し、守ってくれる存在が。
「だずげで、お゛があ゛ざああああああああん!!!」
声もつぶれんばかりの絶叫。
涙でかすむ目を、坂の上にいるお母さんに向ける。
だが。
「ゆ゛ぎいい、ゆ゛ぎいいいいい!」
母親もまた絶叫していた。
全身の水分を搾り出すような涙を流しながら、震えている。
その顎の下には、めきょっと開き始めた黒い穴。
子ゆっくりは、母の体内で一緒に外の世界を楽しみにしていた妹のことを思い出していた。
「でな゛い゛でええええ! ゆ゛っぐり゛じででえええええ」
母は生まれる子の運命がわかっていたのだろう。
それどころか、これまで沢山見てきたのだろう。自分と、壁に縛られた他の母が産んだ子の成れの果てを。見渡せば、他の母ゆっくりたちもわが子を生み落とさないよう、歯茎をむきだしにして泣き叫んでいた。先のゆっくりれいむは、そのうち一匹の子なのだろう。母ゆっくりれいむが一匹、笑ったような表情で白目をむいたまま、へにゃりと悶絶している。
「ぎいい、ぎぎぎぎぎ!」
自らの母ゆっくりもまた、すさましい歯軋りの音をたてていた。
今味わっているのは、子供が生まれ出る命をも削る苦痛。本来は、早く終わることを願って泣き叫ぶ痛み。
それでも、わが子の死を避けるため、その苦痛を一秒でも長引かせようと、母の思いが踏ん張らせていた。
だが、妹となるゆっくりにそれは伝わらない。
一刻でも早く、家族に囲まれた楽しく、どこまでもゆっくりできる希望の世界へ飛び出したい妹ゆっくり。
母ゆっくりの顔はすでに紅潮しきって、紅饅頭に。めこめこと、妹の顔が外へ吐き出されていく。
うっとりとした眼差しで外の世界を見ている妹ゆっくりは、この外の世界が異様だと気づけない。
「ゆ゛っ!!!」
ついに響いた短い悲鳴。
合わせて、きゅーっぽんっと、軽快な音をたてて妹ゆっくりが飛び出した。
瞬間、母親の顔に浮かぶ至福の顔。苦しみから解放されたどうしようもない本能が母ゆっくりを震わせていた。
「ゆっくりーっ!」
だが、姉よりも勢いよく飛び出した妹ゆっくりの高らかな声に、母ゆっくりの表情が消える。すぐさま、白目をむいた狂乱の表情。
「だめ゛えええええええ!」
母ゆっくりの悲鳴もむなしく、見事な放物線を描いて部屋の中央へ。
「ぶべら!」
そして、柱にぶちあたって垂直に落下する。
ごろごろと、そのまま穴へ。
「にげでえええええ、そこから逃げでええええええ!」
姉ゆっくりの真後ろで繰り広げられようとしている悲劇を、母の絶叫で知る。だが、姉ゆっくりはへばりついているのもギリギリで、助けることはおろか、振りかえることすらできなかった。
「う゛あ゛ああ! い゛だい゛よおおおお!」
柱に打ち付けた痛みにのたうちながら、妹ゆっくりが穴に落ちこんでいく。
その体が穴に完全に入り込むまさにその一瞬手前で、先に柱が回りだした。
「ぎぎぎぎぎぎぎぎ!」
姉ゆっくりは真後ろからの悲鳴に震えていた。妹が、生れ落ちるなりあのゆっくりれいむと同じ運命を歩んだことを確信する。
「びやああああああ!!! いだい、い゛だい゛いい! おがあざあああん!!!!」
だが、妹ゆっくりの絶叫とともに、床が振動する。続いて、べちゃりという湿った音。
妹ゆっくりは穴に完全に落ち込む前に柱の刃を受けたことで、下にしていたほっぺたを引きちぎられただけで脱出に成功していたのだ。
ただ、切ったほっぺたの傷は深く、広い。頬からは今もぼとぼとと命の元、餡子がたれ流れていた。それは生まれたての、ほかほか。
瑞々しい湿った餡子だったが、その分流れの勢いが強い。
おまけに状況がわからず、妹ゆっくりは完全にパニックを起こしている。もう、妹はだめだろう。姉ゆっくりは悲しさがこみあげていた。
「おがああざああああん! だずげでええええ!!!」
泣き叫ぶものの、母ゆっくりは壁に縛り付けられている。
「だれがあああああああ!!! ま゛り゛ざのごども゛だぢをだずげでえええええ!!!」
我が子に対して、目をひん剥いて、泣き叫ぶことしかしてやれなかった。
誰もかなえられない母の叫び。
取り囲む他の母ゆっくりたちも目を閉じるもの、歯を食いしばるもの、虚ろな笑いを浮かべるものと、様々な反応があるが、無力さでは同じこと。
我が子の元までいけるのは、我が子同様に産み落とされた無力な子供たちだけだった。
風車の動きに連動して回転する柱に押しつぶされるまでの短い命には、何もできない。
「お゛があぢゃあああん!」
えぐえぐと泣き叫ぶ妹のように自分も泣き叫びたい姉ゆっくり。だが、水気のある餡子でへばりつく妹と違って、強張ってきた体は声をだす振動だけで剥がれてしまいそうな状況。
何も言えず震えている。
「ゆ? おねえちゃん?」
それでも、妹がようやく姉の存在に気づく。
ずりずりという音。
下のほうから、妹が餡子を撒き散らしながら、その粘着力ではいずりあがってくる。
一瞬、それならばこのまま上にのぼれるのではないかと淡い期待が姉の胸をよぎるが、餡子が粘着力があるのは今だけ。後は乾ききって滑り落ちやすいパウダーとなる。無駄な期待だった。
「おねえちゃん、だずげでええええ!」
妹の哀れを誘う声。だが、わずかに早く生まれたからといって頼りすぎではないかと、こたえる気もおきない姉だった。
「ゆっ!?」
が、突然後ろ髪を引く力を感じて姉は叫んでいた。
ぐらりと後ろへ体重が移り、持ちこたえたものの全身から脂汁がにじみ出る。
「はふけてー!」
妹ゆっくりが、後ろから噛み付いていた。
少しでも上にいこうと、ぐいぐいと姉を引き寄せようとするが、姉にとってそれは死だ。
「だめ゛え゛え゛え! ゆ゛っぐり゛離じでねええええええ!!!」
振り放そうと必死で懇願し、振り放そうとする。
だが、後ろについた方がこの場合は絶対的な強者となる。
姉が頭を振り乱そうとした瞬間、それと同じ方向に妹ゆっくりのひっぱる力が加わる。
「ゆっ!?」
姉ゆっくりは、自分の体が地面を離れたのを感じていた。
このまま、母の元へ体が飛べばいいのに。
そんな夢想を、冷たく硬い床の感触が打ち壊した。
あとはもう、ごろごろと丸い体型のまま、加速度的に下へ。何が起こったのかかわらず、呆然となる妹の横を通り抜け、遮るものなく穴へ。
「ゆ!」
逆さに、頭からおちこんで、ようやくとまる。
だが、すぐさま凄まじい無慈悲な圧力が頭を襲ってきた。
「ゆぎぎぎぎぎぎ!」
餡子まみれで切れ味をまったくなくした刃が、なまくらなまま、風車の強大な力だけでゆっくりの頭を切断しようとしているのだ。
限界までひしゃげるゆっくりまりさの頭。だが、皮の強さを用意に上回る力が加わる。
ぶぢりと、ゆっくりまりさの頭に重い音が響いて、ゆっくりまりさは気が狂いそうな激痛とともに、重要な記憶と思考を失った。
どろどろと知能が芽生えた餡子を垂れ流し、ぼんやりとした頭が残される。
あれ、どうしたのかな。
「ゆー……ゆー……」
その言葉を口しようとして、発音の仕方をわすれて謎の歌をもらす姉ゆっくり。
気持ちを言葉にする機能が、完全に損なわれた。
いくつもの衝動が姉ゆっくりの胸に宿る。
ひどくいたくて、かなしい。おかしい。どうして。ちょっとまえまで、あんなにたのしみしていたのに。
ええと、なにをたのしみにしてたっけ?
となりで、あたたかいたいおんをくれた、あのこはだれ?
あたたかくて、おおきなあのゆっくりは、だれ?
「ゆー……ゆー?」
思いは言葉にならず、たれ流れるばかり。
それはかなしいことなんだと姉ゆっくりが思ったとき、さらなる圧力が襲ってきて、姉ゆっくりは短すぎる生涯を終えた。