ある晴れた秋の一日、
俺はタバコを吸おうとマンションのベランダに向かった。
ベランダに出るとどこからとも無く誰かの声が聞こえてくる。
「たかいんだねー、おりられないよー」
ふと目の前の木を見ると、葉の落ちたイチョウの木の枝に一匹の
ゆっくりちぇんが乗っている。
なぜこの様なところにいるのか疑問に思っていると、こちらに気づいたのかちぇんが話しかけてきた。
「わかる、わかるよー、でもわからないよー」
意味のわからない言葉に混乱していると俺を他所にちぇんは一方的に話を続ける。
「わかったらたすけてほしいよー」
助けて欲しい、なるほど、とりあえずそれだけは判った。
しかし、ちぇんの乗っている木の枝は目の前といっても
ベランダから2~3メートルは離れていて手を伸ばす程度では届かない。
別に助けてやる義理もない。
「やーだよ」
「に゛ゃき゛!!」
目を丸くして驚いているちぇんを放って俺は部屋の中へと戻る。
「わ゛か゛ら゛な゛い゛!わ゛か゛ら゛な゛い゛よ゛ー!」
外からはちぇんの大きな泣き声が聞こえてくる。
なにか棒状の長いものは無いだろうかと探していると、
何とか3つの物を見つける事ができた。
釣竿、肉棒、バールのようなもの。
使えそうなのは釣竿しかないだろう。
しかし釣竿ではしなり過ぎて、いくら身軽なちぇんでも渡らせるのは無理だろう。
かといって、常に開きっぱなしのあの口では釣竿を咥えさせるのも無理だ。
多少痛いかもしれないが針で釣って手繰り寄せるのが確実だろう。
俺は釣竿を伸ばし、釣り糸の先端にミノー(小魚型のルアー)を付ける。
針の返しはペンチで潰してあるので抜くときに傷つける事はないだろう。
「わ゛か゛ら゛な゛い゛!わ゛か゛ら゛な゛い゛よ゛ー!」
釣竿を手にベランダに戻ると、枝の上ではちぇんがまだ泣いていた。
「これを取りに言っただけだって、ちゃんと助けてやるよ」
どこまで理解できるのかは判らないが、泣いているちぇんを適当に宥(なだ)めベランダから釣竿を伸ばす。
それを見たちぇんはようやく泣き止み、俺が差し伸べた釣竿を見る。
釣竿の先端ではミノーが揺れ、日光を受けた釣り針が時折キラリと光る。
「たすけてくれるんだねー、わかっ……わ゛か゛ら゛な゛い゛よ゛ー!」
笑顔になりかけたちぇんが突如として暴れだした。
ひょっとして釣り針が怖いのだろうか。
「に゛ゃき゛!!に゛ゃき゛!!」
釣竿から逃げるように枝の上を縦横無尽に目にも留まらぬはやさで飛び回っている。
こんなに動けるなら自分で降りれるじゃないかと思い釣竿を戻すとちぇんは大人しくなった。
「わかるよー、おりるのはこわいんだよー、わかってねー」
自分で降りろ、その言葉に先手を刺すようにちぇんはそう言った。
こっちの考えている事が判るのだろうか、だったら大人しく釣り針に掛かれと言いたい所だが。
「わかる、わかるよー」
そう言いながら30分ほど逃げ回るちぇんと格闘し、
ようやく尻尾の先っぽに針をかけることが出来た。
「わ゛か゛ら゛な゛い゛!わ゛か゛ら゛な゛い゛よ゛ー!」
尻尾をつられ重力のままに真下を向いたちぇんはまた泣き出したが、
後は手繰り寄せるだけなのでとっとと済ませてしまおう。
フィーッシュ!!
獲物が掛かったら大声でこう宣言するのが釣りにおけるマナー、
バス釣りはもちろん、ハゼ釣りからマグロの一本釣りまで釣り全般の共通のマナーだ。
捕まえたちぇんの尻尾から針を抜き唾を受け軽く馴染ませたあと放してやる。
釣られた時に真下を向いたのがよっぽど怖かったのか、ちぇんは針を抜くときも激しく暴れ
放してやると飛ぶように部屋の中へと入っていった。
ちぇんを追って部屋に入ると、部屋の中ではちぇんが床、壁、天井、
あらゆるものに反射するように飛び回っていた。
「に゛ゃき゛!!に゛ゃき゛!!に゛ゃき゛!!」
この高速移動を見切るのは邪気眼持ちでなければ無理だろう。
こんな事もあろうかと安物の邪気眼を買っておいてよかった。
俺は飛び回るちぇんをサッと捕まえ、サッサッと抱きかかえて、サッサッサッと頭をなでてやった。
最初は暴れていたちぇんもゴロニャーンといった感じで落ち着きを取り戻す。
「たすけてくれたんだねー、たすかったよー」
一件落着、助けたちぇんをマンションの外まで送りちぇんの見送った。
ちぇんは♪マークを残しながら、こちらに振り返る事もなく去っていった。
翌日、
朝のテレビをつけると通常の番組を変更して緊急ニュースが放送されていた。
東京タワーの天辺に上ってしまった猫をレスキュー隊が救出しようとしている。
「わ゛か゛ら゛な゛い゛!わ゛か゛ら゛な゛い゛よ゛ー!」
上空のヘリが拾えるほど大きな悲鳴がテレビから聞こえてくる。
その声は昨日のちぇんの声に似ているかもしれない。
随分高いところに昇ったものだと思いながらレスキュー対の救助作業を見守っていると、
一人の隊員がタワーを昇りちぇんの元へと近づいていった。
「わかるよー、たすけてくれるんだねー」
隊員が手を差し出すとちぇんは隊員に向かって飛びついたが、
その余りにも早すぎる高速の飛び込みに隊員は反応できずにちぇんは地上へと落下した。
「にゃぎ?……わ゛か゛ら゛な゛い゛!わ゛か゛ら゛な゛い゛よ゛ー!」
数十秒の落下の後、ちぇんは硬く冷たいコンクリートの地面に叩きつけられた。
救助に当たった隊員は救助失敗の責任を擦り付けられるようにインタビューで質問攻めにされた。
急に飛び込んできたので……
隊員のその言葉に嘘は無いだろう。
救助に当たった隊員に罪はない、すべては邪気眼の持たぬが故に起こった悲劇。
俺はちぇんの魂が天高く昇ることを祈った。
作者:ちぇん大好きあき
最終更新:2009年02月22日 00:36