仲間:善意をチューチューするための道具
~FRIENDS: TOOLS FOR THE EXPLOITATION OF “CONVIVIALITY”~
ルーピーⅢ ◆Yukky56sSM
0. はじめに
しまむらさん。
あなたがどこの誰であるかを知る必要はない。
ただ、スレッドという“みんなが集う名もない広場”で、
皆様の共感と注意を引くために親の病を語る―その振る舞いに対して、
ひとつの苦言的な書簡を記す。
これはあなたの人格を断罪するためではない。
むしろ、今の日本社会において、人々の「誠意のなさ」、
換言すると“信義則のほつれ”がどのようにして発生し、
そしてどのように悪影響を派生させるかという事象について
「草の根保守」の観点からの苦言である。
1. 善意の空間を「物語化」することの危うさ
ネット上の匿名空間において、私たちは互いの実情を知りえない。
だからこそ、私たち住人があなたの言葉に寄せる労わりや同情は、
善意の純度がむしろ高いと言える。
しまむらさんが「実はワシの親が入院していて云々」と書けば、
その言葉はあなたの人格やこれまでの関係とは無関係に、
私たちに「人として当然の共感」を想起させる。
この「当然性」は、私たちの持つ人間としての自然な感性と
草の根の共同体を守りたいという誠意から生じるものだ。
しかし、もしその語りが虚構であるならば、
しまむらさんは草の根の善意から成る生暖かい空間を
“実態なき物語の舞台”として私利私欲のために利用していることになる。
善意の皆様を、自分を舞台の中心に据えるための「道具」や「モブ」として扱う。
そんな行為は、ズバリ、共同体の信義を支える根本の倫理に反する。
保守思想が守ろうとするのは、
制度より前にある草の根の共同体であり、
共同体を安定させる「了解可能な誠実さ」である。
その誠実さが揺らげば、共同体社会は他者の言葉を容易に信じられなくなる。
「暇嫁スレ」ならぬ「草の根共同体」の崩壊だ。
2. 誠実さを欠くことは、自らの言葉の価値を減損させる
しまむらさんがどれほど沢山の言葉を紡いでも、
虚構が混じれば、言葉の意味は分量とは裏腹に
徐々に“軽さ”を帯びる。
誠実さとは、重力のようなものだ。
誠実な言葉は重く、沈む。
不誠実な言葉は、浮く。
そして浮く言葉は、人々の心に触れる前に、ネットのスキマに流れ去る。
保守思想が「誠実」を重んじるのは、
倫理の問題だけではない。
誠実さに欠ける言葉は、
社会的領域における信頼という公共財の消費であり、
その消費はやがて自分の言葉の効力をも削ぎ落とす。
しまむらさんが虚構の言葉を用いたとき、
最初に損なわれるのは、他者の信頼ではなく、
自分自身の言葉の重み、自分に備わる品格の重みなのだ。
3. “見えない共同体”への危険球
ネットコミュニティのような仮想空間は、
顔も素性も異なる他者が混ざり合う場である。
しかし、そうした“無名の場”が最低限機能するのは、
次のような「暗黙の了解」が存在するからだ。
- 他者の苦悩は本物である
- 他者の言葉にはある程度の真実性がある
- 悲しみの表明には虚飾がない
しまむらさんが親の病を吹聴するとき、
そこに虚構が混じっていたとすれば、
しまむらさんは私たちの暗黙の了解、
誠実さ「信義則」の根幹を裏切ることになる。
誠実であることはあくまで道義の領分だ。
制度的な義務ではない。罰則もない。
しかし誠意が疑われ始めた瞬間、他者は
互いの言葉に距離を置き、その距離が“疑いの空気”を生む。
保守思想の立場からいえば、
疑いの空気が常態化する草の根共同体は、
共同体そのもの、ひいては社会全体の寿命を縮めてしまうであろう。
しまむらさんの犯した不正行為は小さく見えるかもしれない。
だが、小さな不誠実は、制度疲労より先に共同体を疲弊させる。
4. 無名であるがゆえに、より誠実であるべき場もある
皮肉なことに、匿名の空間ほど、
言葉の誠実さが強く問われる。
匿名だからこそ、人は肩書きでも立場でもなく
“言葉そのもの”で評価される。
匿名だからこそ、信頼は無条件ではなく、
脆く儚く、しかし脆いがゆえに尊いものとなる。
しまむらさんが親の病を虚構として語るとき、
裏切られるのは、上級国民でも国家の制度でもない。
あなたの言葉を信じてしまった、善意の住人の皆様である。
その人々は、あなたを助ける義務もなく、
あなたを責める権力も持たず、
ただ、誠意を持った常識人として
当然の「共感」を差し出しただけだ。
その善意を“チューチュー”する行為は、
単なる虚偽を超え、共同体の接着剤であり潤滑油である
「信頼」を機能不全に陥れる行為にほかならない。
5. 結語:信頼は「破壊される」のではなく、「離れていく」
しまむらさんにこの書簡を書いたのは、
しまむらさんに懲罰を与えるためではない。
しまむらさんの小さな不誠実さが社会的損失に
つながる事実をご理解いただくためだ。
草の根共同体における信頼とは、
一度に失われるのではない。
破壊されるのではなく、ただ、静かに離れていく。
しまむらさん、あなたの周囲から。
そして、あなたの言霊から。
共同体の善意を必要とする人がいる。
しまむらさんが本当に傷ついたとき、
その善意が必要になるかもしれない。
しかし、そのとき、しまむらさんの言葉に言霊が宿らず、
草の根共同体からは善意が消え失せていたとしたら―
それは誰の責任だろうか。
草の根保守の思想が説く「誠実さ」という徳目は、
将来の自分を守るための、最も静かにして最も重い徳目である。
最終更新:2025年11月29日 09:43