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――人魚姫に、足はあると思う?
これは、ただの蛇足。語られなくても良かったお話。言葉にしなければ泡になって消えてしまったはずの物語。
後に何も残らずに、誰一人として幸せにならずに、不幸な結末だけが提示されている、そんな話が、あなたは読みたい?
あなたはこの話を読んでもいいし、読まなくてもいい。読まずとも何の問題はなくて、読んだところですぐに忘れてしまうだろう。
それでもというのなら――ほんの少しの間だけ、語られなかった恋物語を、語ることにしよう。
人魚姫――葦切詩乃も、立つための二本の足を持つことを許されたのだから。
この少女たちの物語における少しばかりの蛇の足も、許されてしかるべきだろう。

 ◇

「よかったわ、元気そうで」

そう語りかけた盟絵の顔には、笑みが浮かんでいた。その内心を占めているのは安堵の感情だ。
誰よりも会いたかった相手に、真っ先に会うことが出来た。どん底の不幸の中で掴んだ一握りの幸運に彼女は感謝する。

盟絵の笑顔に対して、詩乃は憂いを含んだ微笑みを返した。
薄く緑の混じった黒髪が、月の明かりに照らされて、少し揺れた。
風もないのに揺れた前髪が詩乃の顔を半分だけ隠して、合間から見える焦げ茶色の瞳がその視線を盟絵の顔から少し下へ逸らした。
目を合わせて、それから逸らす。たったそれだけの動作が、今の二人の関係を表していた。
拒絶、というほどはっきりとしたものではない。
だが、どことなくよそよそしさというか、二人の間を阻む目には見えない透明な壁というかが、生まれていた。
その原因は――あらためて言うまでもないことだろうが、現在の二人が置かれた環境に起因していた。
目の前の相手と、殺しあえと言われているのだ。その絶対的命令が二人の態度に尖った硬さを作ったのだ。

――二人とも、相手を傷つけるつもりなど毛頭なかった。
相手を、愛しているのだ。傷つけることよりも、優しく触れることを選びたい。冷たさよりも、暖かさを求めたい。
初めて出会って、いつの間にか二人は一緒にいることを選んで、自然に手を繋ぎ、心を繋ぎ、身体を繋いだ。

この島に、連れてこられるまで。
始業の十分前までベッドシーツと人肌の温もりに包まれて惰眠を貪る心地よさは何物にも代えがたい快楽だった。
この時間がずっと続けばどれだけ幸せだろうと、そんな囁きが盟絵の唇から詩乃の耳元へと、殆どゼロ距離の移動をする。
詩乃の口から、ん、と漏れた吐息が盟絵の頬を撫でて、そのとき二人は身体だけでなく心まで一つになっていた。

自分たちがこの世界の中で異質な存在であるということは理解していた。
口さがない級友たちが彼女たちのことを陰でなんと呼んでいるのか、知っていた。
知っていながら知らないふりをして、あからさまに辱めの言葉をかけられても耳を塞いでいた。
聞こえていても、なんでもないようなふりをして強がっていた。
片手で愛おしい人の手を握りしめながら、もう片方の手で敵に手を上げるような。
そんな歪な生き方を、ずっと出来ると、しようと思っていた。

でも、それが――もう叶わない夢物語になってしまったということは、首に巻かれた鉄の爆弾が示している。
二人だけの世界に浸って生きていくことは、もう出来なくなってしまった。
いや、そもそも。
こんな悪趣味な催しに招かれようが招かれまいが、いずれにしたところで二人の世界はいずれ破綻を迎えていたのかもしれないけれども。

けれどもとにかく、二人が考えていたよりもずっと早く、決断の時は来てしまった。
二人はここで選ばなければならない。
これからのことを。二人のことを。自分と、相手のことを。

葦切詩乃は人魚姫だから、言葉を話せば消えてしまう身だから、彼女は意思を伝えるとき、言葉を用いない。
今までそうやってきたように、今もまた詩乃は身振り手振りと表情で、盟絵とコミュニケーションする。
言葉に出来ない思いは具体的な形を持たず、おおまかな、だいたいのニュアンスだけしか伝わらない。
甲斐盟絵は、そんな彼女を誰よりも理解出来ているんだと自負していた。
言葉にはならない想いは自分の中にもあるんだから、詩乃の思いも自分のそれと同じなのだと思っていた。
だけどそれは、自分の思い上がりだったのではないか――
この殺し合いの中で再会できて、笑った盟絵と目を伏せた詩乃の態度の違いが、盟絵にそう思わせた。

「詩乃は――これから、どうしたい?」

盟絵の胸の中には、ちりちりとした違和感があった。
本当に――私達が見てきたものは、同じものだったのかしら。
二人、同じ方向を向いていながら、見ていたものはまったく違っていたんじゃないのか?
疑念をぐっと胸の中で押し殺して、盟絵は問う。あなたはいったいどうしたいの?

「私は、あなたと一緒にいたい」

一緒になりたい。

「だけどあなたは、どうしたい?」

詩乃は――当たり前のように、何も言葉を返さない。
少し前まで顔を見れば簡単に分かっていたはずの詩乃の本心が、今はまるでわからない。
言葉が――欲しかった。安心させてくれる言葉が欲しかった。
温もりだけでは足りなかった。柔らかさでも、足りなかった。
しっかりと盟絵を納得させてくれるだけの論理が欲しい。

だけど、その願望を口には出来なかった。
それをはっきりと口にしてしまうことがどれだけ残酷なことなのか、盟絵は知っていたからだ。

不安が連鎖して、積み重なって、思考を汚していく。
曇った眼から雫がこぼれてしまう。ささくれだった心を露わにしてしまう。
歪められた想いが、大きくなっていく。

ふるふると首を横に振って、逸る盟絵を落ち着かせようとする詩乃。
しかし今ではそれも、盟絵の神経を逆撫でする効果しか生まない。
癇癪を起こした盟絵が、乱暴に詩乃の手を払いのける。

嫌だ、だの、辛い、だの、そんな泣き言が盟絵の口から飛び出した。
だがそれは、行く先もなく宙に消える。それは決して、詩乃に向けられた言葉ではなかった。
どうしようもない世界に。どうしようもない現実に。どうしようもない自分自身に向けた言葉だった。

吐き出したかった。
強がりは、そのまま弱さだったんだってことを。
弱いから嫌なものに背を向けて、二人だけの世界を作ろうとしていたんだということを。
強ければ詩乃と一緒に世界と向き合えた。
それが出来なかった私は、やっぱり弱くて――だから詩乃に辛い思いをさせていたんだってことを、認めたくなくて。
辛いのは私のせいじゃなくて世界のせいなんだと言い訳をしてきた。

ふらふらと世界の端を彷徨い歩いて、どこまでも続く闇の中で詩乃と二人、手を握っていた。
薄氷の上を歩いて、通った端から足元が割れて崩れていくから、端へ端へと逃げ続けた。
その、どん詰まりが――ここだった。ここに行き着いた。
二人で向かっていた先とは違う。こんなところを目指して歩いてきたわけじゃない。
いつか昇る朝日へ向かって歩いていたはずなのに、気づいたら沈む夕陽を目にしていたような、そんな唐突で考えもしていなかった終点。
だけどここは、二人が目指していたところとは違っていても、やはり世界の端だった。

終わりが――見えてしまった。
終わることを知ってしまった。

盟絵が抱えた絶望。それを知ってか知らずか、詩乃は自身に支給されたアイテムを取り出し、盟絵に渡す。
手のひらに収まるサイズの小さな天秤だった。鵬法璽(エンノモス・アエトスフラーギス)――絶対遵守の魔法具。
古めかしい細工が施されたそれは、女子高生が持つよりも怪しげな古道具屋の老主人が持つほうがよほど絵になりそうだ。
天秤と、それに付属する説明文。両方を熟読して――盟絵は、どうして詩乃がこれを自分に渡したのかを、考えた。
考えて、考えて、考えた末に――盟絵は一つの答えを見つける。それが合っているのか知りたくて、彼女はそれを口にする。

「これで――私を安心させたいの?」

絶対遵守を謳うこの魔法具が真実ならば。盟絵が契約を持ちかけ、詩乃がそれに頷くだけで、二人の結びつきは絶対のものになる。
盟絵が今感じている不安は、消える。詩乃に抱きかけていた不信と共に、綺麗さっぱり消えてしまう。
しかし――だけど。
そんな形でしか、二人は――
吐き出しかけたそれを、寸前で飲み込んだ。
言ってしまえば、それが決定的なものになってしまいそうだったから。
ほとんど終わりかけていることに気付きながら、それでもまだ――最後まで、信じていたかった。

「詩乃。……終わりにしよう」

ハッとした顔で、詩乃は盟絵と目を合わせた。
ああ、綺麗な目をしているな、と盟絵は思った。
今まで何度も目を合わせてきたけれど、もしかして今まで一番、純粋な気持ちで詩乃を見ることが出来ているかもしれない。

「詩乃……何も言わずに、私が言うことに頷いて」

ずるい。詩乃が何も言えないことを知っているのに。

「私を、この銃で殺しなさい」

盟絵は自身に支給されていた拳銃を、詩乃にそっと手渡した。
詩乃は――頷かない。首を横に振るだけだ。
知っていた。詩乃は決して、頷いてくれない子だと。
手渡した銃を、もう一度詩乃から受け取る。

「詩乃が撃たないなら、私が自分で撃つわ」

生まれて初めて握った拳銃を、こめかみに当てた。
安全装置の外し方くらいは、女子高生でも持っている知識だ。
あとは引き金を引くだけで、一つの命が潰えてしまう。

「でも、私は――終わりにするなら、詩乃に終わらせて欲しいの」

つ、と雫が頬を伝わった。
私は今、終わろうとしている。だけどこの涙は、私という存在が終わってしまうから流れているのではない。
こんな卑怯な手を使ってまで詩乃を縛ろうとしている自分が、嫌で嫌でたまらないからだった。
自分が嫌いで――死んでしまいたくて――しかも、死ぬそのときまで詩乃を縛ろうとしているのが、尚更厭だ。

「頷いて。でないと、今すぐこの引き金を引くわ」

もはやただの脅迫だ。だがしかし、こうすれば詩乃は――頷いてくれる。
こくん、と震えながら詩乃が首を縦に振ったのを見て、盟絵は拳銃を再び手渡した。

詩乃にそんな気はないのだろう。その表情は、怯えに満ちていた。
しかしその手に握られた銃は、まっすぐに盟絵の頭へと向けられている。
あの天秤は、本当に魔法の道具だった。
だったら――もう少しいいことに使ってから死ねば良かったかなぁと、そんな気の抜けた考えが今更浮かんできて、盟絵は少し笑う。

詩乃の抵抗も虚しく、引き金は――引かれた。

ぱん、と乾いた音が周囲に響き、薬莢が地面に落ちてからんと音を立てる。
盟絵の頭を目掛けて放たれた銃弾は――しかし、盟絵の腹部を貫通するだけに終わった。
詩乃の抵抗が寸前の所で功を奏し、狙いが下に逸れたのだ。
だから盟絵は、まだ生きている。だが血は流れ、痛みと熱は銃創から溢れてくる。
耐え難い苦痛が盟絵を襲うが、叫びを上げるのを必死に堪え、もう一度撃つように詩乃に促した。

「……苦しいのは嫌だから、次はちゃんと頭を狙ってね」

今度こそ、終わりにしてもらおう。ここで、私と世界を、終わりにしよう。
静かにまぶたを閉じた。さようなら、詩乃。
私と一緒にいてくれて、ありがとう。あなたがいてくれて、たくさんの愛を感じられて、私は幸せだった。
あなたと一緒にいて、苦しいことや辛いこと、悲しいこともたくさんあったけれど――それでも、あなたに出会えてよかった。

「――盟絵」

――最初は空耳かと思った。何故ならそれは、今まで何度も想像しながら、決して聞いたことがなかった声だったからだ。

「――今まで、名前呼んであげられなくて、ごめんね」

――間違いなかった。この声は――詩乃の声だ。

「もっと、いっぱい呼んであげたかった。盟絵が私の名前を呼んでくれるたびに、そう思ってた」

「……詩乃」

「盟絵、盟絵、盟絵。――何千回も、何万回も、ずっと心のなかで呼んでたよ。
 盟絵は知らなかっただろうけど――私が喋っちゃうと、魔法が解けちゃうから。
 一緒に、いられなくなっちゃうから。ずっと、ずっと我慢してた。
 ……でももう、我慢しなくてもいいよね? 何度だって呼んでも、いいよね?」

「……うた、の」

「盟絵……盟絵。盟絵。やめて。私に撃たせないで。嫌なの。もっと一緒に過ごしたかった。
 盟絵となら、世界に二人きりでも良かった。……よかったんだよ」

――二人とも、同じ想いを抱えていたのに。

詩乃の身体が、光に包まれていく。魔法が解ける時間が来たのだ。
つまさきから、だんだんと光に変わっていく。
――魔法は、最初からここに在ったのだ。それが盟絵と詩乃を結びつけていたことを、盟絵は知らなかった。

しかし既に――もう一つの魔法は、止まりはしなかった。絶対遵守の魔法具が、詩乃を縛り上げている。
銃口は震えていても、今度こそ盟絵の頭から狙いをそらしはしない。
詩乃の抵抗も、もう限界だった。少しでも気を緩めればすぐにでも銃弾が盟絵の頭を貫くだろう。

もう、時間はない。盟絵が撃たれるのが先か、詩乃が消えてしまうのが先か。
もう一分もしないうちに、全ての決着はついてしまう。


でも
その前に、やりたいことが出来てしまった。

一歩ずつ、詩乃を刺激しないようにそろりそろりと近づく。
あと四歩の距離。歩けばすぐだが、じりじりと近づいていくには遠く感じる。

――私が間違えなければ、もう少し一緒にいられたのかな?

そんな、今更考えたところでどうしようもないことが浮かんでくる。
本当に、どうしようもない。
そもそも、それを言うならば――もっと早い段階から、私は間違っていた。
私が間違えなければ、詩乃と世界に二人きりだなんて拗ねたことを言わずに、二人とみんなで一緒に歩いていけたのかもしれない。
そう。内藤さんと藩田さんのように、私たちに対して何も思わないような人もいたのだから。

さらに二歩分、距離を詰める。もう、手を伸ばせば触れられる距離だ。
だけど――私がやりたいことは、この距離でもまだ届かない。

もし、もう少しだけ素直になれていたのなら。
詩乃に悲しい顔をさせることもなく、笑えてたのかな。
分からない。もう血が抜けて、ぼうっとしてしまった頭では、そんなことも考えられない。
どくどくと血が流れているはずなのに、もうその感覚すらなくなっていた。
あれだけ感じていたはずの痛みも、熱さも、消えてしまっていた。

あと一歩。あと一歩だけ近づけたら。
――あ。詩乃の指が動いている。やけにスローモーションだ。
こちらを向いていた銃口が、光った。
どん、という衝撃。視界が勝手に上を向く。
私が最後に見た光景は、月も見えない真っ暗な空。

――あーあ、間に合わなかったか。

――最後に、キスをする時間くらい、あったっていいと思ったのに。

 ◇

もう、誰もいない。
甲斐盟絵は己の間違いに気付きながら、未練を残しながら、逝った。
葦切詩乃は引き金を引いたあと、誰にも看取られることのないまま消えた。
残ったのは一つの銃と一つの天秤と、一つの死体。
他には何も、想いも言葉も、残りはしなかった。


【甲斐盟絵@少女セクト 死亡】
【葦切詩乃@少女セクト 消滅】


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最終更新:2013年09月26日 02:26