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「先生っ……! せんせいっ!」

灯り一つすら無い埠頭の、乱雑に積まれた段ボール箱の陰。
そこから内藤桃子がいくら名前を呼んでも、地面に倒れ込んだままぴくりとも動かない隼砥教子からの返事は帰ってこなかった。
諦めの悪い「もしかしたら」という願望のような何かが桃子の中にはしぶとく残っていたけれど、どうやらそれもそろそろ音を上げそうだ。
認めなければならない。隼砥教子は、内藤桃子の目の前で――何処からか飛来した銃弾を頭に受けて、死んだ。物言わぬ骸となったのだ。
夜目にうっすらと見える水たまりのようなものは、水道の蛇口を思い切りよくひねったときのように勢いづいて噴出した血の溜まりで。
そこに浮かんでいる半固形の塊は、彼女の脳髄や頭蓋骨や血管や膜なんかの、とにかく頭部を構成するものがぐちゃぐちゃに撹拌されてぼとりと落ちたものなんだろう。
今が夜中でよかった。なんとなくの輪郭しか見えなくて、ぼんやりとしたイメージでしかそれが見えなかったから。

先生――ともう一度呼ぼうとして、桃子は寸前でそれを止めた。いくら桃子が名前を呼んでも、桃子の声が死んだ彼女に届くことは、もうないのだから。
それでも、理屈では理解していても抑えられない感情が身体の奥、心の底から溢れそうになって、声にならない声が、ぐぅと喉を鳴らした。
漏れそうになった嗚咽が誰にも聞こえないように、息が出来なくなるくらいの勢いで口と鼻を覆った。それでも零れ落ちそうになった呻きを歯を食いしばって堪えた。

もう、私の声が先生に届くことはない。それは断絶だった。生きている者と死んだ者を隔てる、どうしようもなく深い溝だった。
かつて先生が桃子のそばから離れていったあのときのそれとは、まるで違っていた。確かにあの別れも、それっきりになってしまった別れだったけれど。
お互いが望んだ別れではなかったのに、また会いたいと思っていたはずなのに、先生が遠い場所へ旅立ってしまったあとに交わした連絡なんて、殆どなかった。
もしもこの場所で再び出会うことがなければ、血を吐いて倒れた先生の姿と、遠い地で療養するという簡素な手紙が桃子と教子の最後になっていたかもしれない。

でも、違う。また会えるかもしれないという希望を抱いての別れと、もう会えないという絶望しかない別れは、同じ別れという単語で括ってしまうのが許せないほどに別物だ。
先生の下手な運転で少しばかりの遠出をして、うっかりカーナビの指示を聞き逃して全然知らない場所に行き着いた挙句、山の上のお城みたいなホテルで一夜を明かすなんてことも。
先生がはりきって振る舞ってくれた手料理は美味しいけれど、健啖家の桃子には量が全然足りなくて先生の分まで食べてしまってそれでも足りなくて、結局深夜にお腹をすかせた二人でラーメン屋ののれんをくぐるなんてことも。
柔らかいシーツにくるまれながら、先生の体温を直に感じて抱きしめ合って、身も心も一つになるような交わりをすることだって、もう二度とできないのだから。

隼砥先生がいなくなって生まれた大きな欠落。そこになだれ込むように溢れ出した感情。
自分の中で隼砥教子という存在がこれほど多くを占めていただなんて思わなかった。あのまま忘れてしまえる、思春期にありがちな一時の気の迷いなのかと思っていた。
身も心も切り裂かれるようなこんな感情が自分の中に眠っていただなんて。そんなものは自分とは無縁のものだと思っていたのに。
止まらない。狂いそうになる。大声で叫んで、走り回って、全部吐きだしてしまいたい。欲求は桃子の中で無尽蔵に膨らんでいった。

そうやって、自分の中のどうしようもない感情と必死に闘う一方で。頭の何処かでは、ひどく俯瞰的に状況を眺めながら思考を巡らせている自分がいた。
……ここはやはり、殺し合いを強制される場所だったのだ。隼砥教子の頭蓋を撃ち抜いた弾丸は、きっと他の参加者の誰かが放ったものだったのだろう。
いったいそれは、誰だったのか。桃子がこの場所に来て出会った人物は隼砥教子しかいなかった。他の参加者について、姿さえ見ることはなかった。
きっとあの弾丸を撃った参加者は、桃子と教子の二人を遠巻きに見つけて、接触しようなどとまったく考えずに、ただ殺すためだけに銃を向けてきたのだ。

最初に浮かんだのは、「どうして」という疑問だった。どうして殺し合いに乗ろうだなんて考えたのか。どうして隼砥先生を殺したのか。どうして桃子は殺されなかったのか。
頭の中で多くの「どうして」が浮かんでは、満足できる答えをもらえないまま霧散していく。桃子がいくら考えたところで、殺人者が何を考えていたのかなんてさっぱり分からなかった。
幾つか浮かんできた候補もあった。たとえばそれは、「恐怖」だった。死への恐怖という生命すべてが生まれ持った本能が、名前も顔も知らない彼女を殺人なんていう禁忌へと駆り立てたのかもしれない。

だが桃子にとって、それは「分からない」思考だった。推察できないという意味ではなく、理解ができない。理解したくない。
恐怖に怯えて他者を殺すというなら、その人物は殺される恐怖を誰よりも知っている人間のはずだ。なのに他者には、それを押し付ける。
対話すら放棄して、ただ死という結果だけを突きつけてくる。どれだけ独善的な人間だったら、そんなことができるのか。

思考が巡るにつれて、身体のほうも落ち着いてくる。溢れ出しそうだった感情は、必死に押さえつけていた蓋の隙間からだぼだぼと流れ出たのか許容範囲内に戻っていた。
だから余裕が生まれて、思考も次の段階に進むことができるようになった。身体も、動くようになった。
桃子が次に思ったことは、「確かめたい」だった。「どうして」の、答えが欲しい。ここでその答えを聞かなければ、ずっとここに置き去りにしてしまいそうな気がしたから。
もたれかかっていた段ボール箱に手をついた。身を守ってくれる盾になればと思って身を隠したそれは存外柔らかくて、桃子の体重が少しかかっただけでくにゃりと折れ曲がった。

「……こんなものに命預けようとしてたんだ、私は」

呟いて、桃子は立ち上がった。何のために? 確かめるために。

――今の桃子の状態を一言で言ってしまえば、「キレている」になるだろう。後先を考えずに無茶なことをやってしまう性格は自覚していた。今がまさにその状態だった。
確かめたいという欲求を満たすためだけに。桃子は立ち上がり、そして銃弾が飛来してきた方向へと歩き始めるのだから、普通の精神であるとは口が裂けても言えないだろう。
問答無用で人を殺した狙撃手は、危険で理解できない人間だとあれほど考えていたはずなのに、桃子は撃たれることなど意にも介さぬ様子で歩を進める。
撃たれることを想定していないわけではない。撃たれたならばそのときはそのとき。それが殺人者の考えなのだと、「確かめた」上で死んでやる。
死んで向こう側に行っても、隼砥先生がいるならそう悪くもないはずだと無茶苦茶な理屈で自分の行いに理由をつけながら。
胸を張って、真っ直ぐに。視線を上げて、凛として。立てば芍薬座れば牡丹――歩く姿は百合の花。その諺の通り、怖いもの知らずの乙女は進む。

しかし――予想に反して、殺人者の銃弾はいつまで経っても桃子めがけて飛んでくることはなかった。
桃子の接近に気付いていないのだろうか? いや、銃弾はこの暗闇の中でも見事に隼砥教子の頭部を貫いた。暗視スコープの類いを使っていると考えるのが自然だ。
だったら、もうここからいなくなった? その可能性は高かった。不意打ちによる認識外からのヘッドショットを決めたのだ。戦果としては上出来もいいところ。
優勝に一歩近づいたことに満足して、この場を立ち去る――いや、しかし。重なる逆接で、桃子は思考を深めていく。その間も、その足取りは止まらない。

狙撃手には、あそこに桃子と教子の二人がいたことがわかっていたはずだ。もう一人をみすみす見逃すだろうか? 自分が殺人者の立場になって考えれば、答えはノー。
できることならば二人とも殺して、支給品まで根こそぎ奪っていく。それが殺人者にとっての最善であり、それを為すことが可能な、一方的に殺戮可能な支給品も(おそらくは)所持している。
だったらやらない理由はない。少なくとも、隼砥先生の分の支給品だけでも回収してから他の目標を探すことにするだろう。それすらしないのは非合理そのものだ。

そこまで考えて、ふと気付く。――きっと、殺人者が桃子を撃たない理由に、合理的な理由なんかないのだ。
いや、そもそも。名前も知らない彼女にとっては、人を殺すこと自体に合理的な理由なんてなかったのかもしれない。人を殺せるだけの理由を見つけられる人間なんて、そうそういないだろうし。
だったら何故、内藤桃子は「どうして」と理由を求めているのか。

「だって、もしも理由すらなかったら……先生が死んじゃったことに、理由がなかったら……!」

「理由」がないということは、「意味」がないということに近い。あやふやな理由。曖昧な意味。あってもなくても構わない。どちらでもよかったんだ、と。
そんなものに先生が巻き込まれて、あっけなく死んで。桃子が言えなかった言葉は永遠に先生に届かないままで。伝えられなかった気持ちは宙ぶらりのままで。

「……そんなの、絶対に許せないじゃない」

隼砥教子の死を尊ぶつもりなんてない。けれど、だからといって、その死を無意味なものにしてしまうようことは絶対に認めない。
だから、確かめてやる。いったい何を考えて照準を合わせたのか、いったい何を思って引き金を引いたのか、その一切合切を聞き出してやる。
再度言おう。内藤桃子は、「キレている」。

――昂ぶった神経が、自然のものではない人工的な音を捉えた。がさりと何かが擦れる音。次いで、誰かが息を呑んだような気配。そこか、と目処を立てて桃子は駆け出した。
音の主は隼砥を撃った殺人者だろうか。きっとそうだろうと、桃子は直感していた。女の勘というやつだ。それに、あの影が抱えているのは――長い、長い銃身のようなもの。
映画の中でしか見たことがないような、遠くのものまで撃ち抜けるスナイパーライフル。桃子の目にはそういうもののように見えて、いよいよ躊躇する理由はなくなった。

夜闇の中、足元がどうなっているのかも分からないままに走った。音がしたところまで全力で走って、おおよそ10秒前後はかかるだろうか。
今度こそ撃たれるだろうな、と桃子は思った。いくらなんでもこの状況で撃たないことはないだろう。まぁ、撃たれても当たるとは限らない。
相手が外してくれることを祈りながら必死に避けながら走って、どうにかして掴まえて取っ組み合いに持ち込めば銃を持ってようが持ってまいが関係なくなるはずだ。前提が楽観的すぎるけれど。
腕が飛ぼうが脚が千切れようが、掴まえて「どうして」さえ「確かめてやる」ことができれば、自分の勝ちのようなものだ。そう思って、桃子は走った。

――しかし。いつまでたっても弾丸は飛んでこなかった。それどころか、銃口を桃子の方へ向けることすらしていない。まるで怯えきった小動物のように、銃身を抱きすくめて背中を曲げている。
もしかしたら、とまたもや可能性を思いついた。……撃たない理由は、あるのかもしれない。はっきりとした理由が。隼砥教子は撃てて。内藤桃子は撃てないような。二人をはっきりと区別する。区別できる。
内藤桃子のことを、内藤桃子だと知っている。顔馴染みの誰かが。そこに――

いた。


すぐそばまで近づいても、その少女は顔を上げようとはしなかった。俯いたまま桃子からの視線をやり過ごそうとしている。
女性にしてはかなり大きな体躯が、今は縮こまっている。手入れが足りていない少しパーマのかかったようなくせっ毛が、少女の顔を隠すように揺れていた。
でも、桃子にはそれが誰だかすぐに分かった。同じ釜の飯を食べ、狭い風呂場に文句を言いながら一緒に入り、寮の庭ですくすくと育つ林檎を手渡ししてもらった思い出が、走馬灯のように駆け巡る。

「鳰、せんぱい……?」

――鳰旦蕗は、桃子の声を聞いてびくりと身体を震わせながらも、彼女とけっして目を合わせようとはしなかった。

【一日目・黎明】
【F-3/波止場・コンテナ群】
【内藤桃子@少女セクト】
【状態】健康、いわゆる「キレている」状態
【装備】なし
【所持品】基本支給品、ランダム支給品1~2
【思考・状況】
1.「確かめる」

【鳰旦蕗@少女セクト】
【状態】健康、強い精神的ショック、パニック寸前
【装備】M-16スナイパーカスタム(暗視スコープ装備)@現実
【所持品】基本支給品、光学スコープ
【思考・状況】
1.何も考えられない

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最終更新:2016年09月08日 10:29