ファーネス・リーウッド・アラミス・メーシュニア・ファネス・テリニア 男 統一紀元前1442年~1386年
テリニア王国出身
髪:銅 瞳:
猫/灰色 稀目:なし
テリニア王国第七代国王。
息子に
ドナパルト、
サントニア、
パルドセス他、複数人の王子、王女、及び庶子が居る。
国王とした有能であったと思われ、内政外交にそつは無かった、我慢の政治を行っていたと言えよう。
32歳で王冠を頂いてから寸土も領地を奪われて居ない、毎年二国から攻められている事から感がれば奇跡と言えるが、反対に寸土も奪ってはいない。
父の代に北東(
キリシア王国)からの脅威を除く為に、国交を閉ざし街道を潰した故に、西の二国に対して集中出来たと言えよう。
次期国王を定めずに死んでしまった為に、その躯は放置され晩年に汚名を晒してしまった。
次期国王を定め無かったのは、その者が自分を殺し王冠を奪うからだと考えて居た事が、残された物から窺い知れる。
また自国の傲岸な貴族との戦いに明け暮れ、それを一刀両断出来ない国王の武力、経済力の強化に常に悩んで居た。
「猜疑王」「不信王」と後世に伝えられた。
最終更新:2012年09月05日 23:54