M:近世以前の遺跡発掘に関するメモ

  • ヘロドトス『歴史』
   →スパルタが敵対しているテゲアと争っていたが勝つことができず、デルポイに神託を乞うたところ、
   「アガメムノンの子オレステスの遺骨をスパルタに持ち帰れば望みが達せられるであろう」という託宣が降りる。
   場所はテゲアの町で、アガメムノンが子を埋めた場所があるという。
   これを、スパルタの市民の一人リカスが見つけ出したという。
   テゲアの鍛冶屋で、たまたま庭を掘っていた時に、7キュベスもある棺を掘り当てたといい、
   よもやそんな大きい人間がいると思わずに蓋を開けたら、棺と同じ大きさの死骸が入っていた、という。
   リカスが紆余曲折の末、骨をスパルタに持ち帰ってから、両国の戦いでスパルタが優位に立つようになったという。




  • プリニウス『博物誌』第十三巻
   →プブリウス・コルネリウス・ケテグスとマルクス・バエビウス・タンピルスが執政官だった年(BC181年(W))、
    ヤニクラという土地で、王政ローマ第二代国王ヌマ・ポンピリウスの遺体を収めた箱が発掘されたという。
    また、その箱の中には、紙でできた本が複数冊納められていたと複数の記述者が書き記している事をプリニウスは書き残している。
    (ただし、プリニウス自身は、ヌマ王の時代に紙があったことを疑問視している様子。)



      参考文献
『歴史(上)』ヘロドトス
『プリニウスの博物誌 Ⅲ』
最終更新:2016年06月14日 04:56