長崎から毎年
江戸城登城のためやってくるオランダ商館長一行の定宿だった。
- ただし、誰もがオランダ人に会えたわけではなく、幕府の医師や天文方の役人が幕府に面会を申請し、
許可された場合にのみ面談が可能になった。それ以外の一般医師や本草学者は、幕府医師や天文方の門人という扱いで
面談に加わる事がどうやら可能であったらしいとのこと。
その翻訳である『
解体新書』も日本橋の書物問屋須原市兵衛(
須原屋)で売られるなど、
日本橋自体がヨーロッパとの窓口といえる場所であった。
参考文献
『江戸を歩く』田中優子
『江戸の文人サロン』揖斐高
最終更新:2013年06月19日 21:04