- かぐや姫を富士浅間神社の菩薩としている現存最古の文献は『神道集』とみられる。
聖徳太子二十七歳の時、諸国に駿馬を求めさせたところ、甲斐国が献上した
黒駒を大変気に入り、舎人調使麻呂に飼育させ、
また麻呂を従えて黒駒に乗り、
富士山頂に登り、
転じて信濃・越中・越前を経て帰還した、とある。
『聖徳太子正伝輪』やそれ以降の聖徳太子の事績を記した本では、
富士山の頂上に登った太子がかぐや姫の声を聴いたとしており、
さらにかぐや姫は聖徳太子の祖母で、
天皇の求婚と、その妄執に引かれて地獄に落ちたと語る筋になっている。
そして、太子の供養により、地獄の苦患をまぬかれた、とする。
- 明治五年上梓の『富士山真景之図』には竹取説話が載るが、
かぐや姫(文中では久和久夜姫)が身を隠す場所は
富士山の窟ではなく
忍草(しぼくさ)とする。忍草は
山梨県南都留郡忍野村、
忍野八海のある所。
さらに続けて、「裾野亥の方に山居して機織玉ふ、故に足機山と云」とある。
足機山は現在の山梨県足和田村・鳥沢村に位置する
足和田山と目される。
同山の標高は1335メートル。
(つまり、かぐや姫が富士山の神という座から引きずり降ろされ、
周縁に追いやられたのではないか、と)
- かぐや姫が浅間信仰の祭神であるとする文献はいくつかある。
○
静岡県富士宮市村山で発見された文書で、
宝暦七年(
1757年)頃の、村山の大鏡坊文書にある「村山浅間七社相殿」の中に
「一、浅間 赫夜姫 本地大日」という記述があるとか。
かぐや姫(『
竹取物語』)
竹姫、鶯姫(鴨長明巡歴記)
赫奕姫、鶯姫(海道記)
赫姫(定家流伊勢物語註)
赫奕姫(古今和歌集序聞書三流抄)
赫屋姫(三国伝記)
耀姫(
法華経鷲林拾葉鈔)
赫野姫(神道集)
かゝやくひめ(富士山の本地)
赫夜仙妃(無量寿禅寺草創記)
烙夜姫(富士山縁起)
爀夜姫(富士山畧縁記)
参考文献
『富士山の祭神論』竹谷靱負
最終更新:2015年07月03日 13:58