种拂 | |
姓氏 | 种 |
諱 | 拂 |
字 | 穎伯 |
本貫地 | 河南尹洛陽県 |
家柄 | 洛陽种氏 |
父 | 种暠 |
起家 | 州従事(司隷) |
官歴 | 宛県令 光禄大夫 司空 策免 太常 戦死 |
評 | |
死去 | 初平三年(192年)李傕、郭汜の乱、長安城潰え、遂に戦い而して死す。 |
死後評 | |
子 | 种劭 |
「国の大臣となるも、戈を止め暴を除くこと能わず、凶賊をして兵刃を宮に向かわせるに致った。去っていずこに之 かんと欲するか!」
*1 宛県は南陽郡の郡治(郡府所在地)で、多くの郡吏が居住した。种拂は県令として宛の風紀治安を預かったが、上級政庁の郡の吏を直接監督することはできない。故にこのような手段を取ったのである。