章誑は、後漢後期の人物。徐州牧劉備の下の中郎将許耽司馬
 許耽に遣わされて呂布への内応の使者となった。


情報

章誑
官歴 中郎将司馬許耽


事跡

 徐州牧劉備麾下の中郎将許耽の司馬であった。

 建安元年(196)、呂布は劉備から徐州を奪おうと沛県から水陸によって東下し、下邳県の西四十里に到った。
 章誑は許耽に遣わされて呂布の許へ詣り、言うには、
「張益徳(張飛)は下邳相の曹豹と共に争い、益徳が曹豹を殺したため、城中は大いに乱れて互いに不信となっております。丹陽兵は千人を有し、西白門城内に屯しております。将軍が来東したと聞き、大小ともに踊躍し、また更生(生き返った)如くです。将軍の兵が城西門に向かえば、丹陽軍はすみやかに開門して将軍を内にするでしょう」
 呂布は夜進み、(よあけ)に城下に到った。天が明るくなり、丹陽兵は悉く開門して呂布の兵を内にした。呂布は門に上り座し、歩騎が火を放ち、張飛の兵を大いに破って劉備の妻子、軍資、及び部曲の将吏士の家口(家族)を獲た。


年表




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最終更新:2016年03月22日 22:22