上に(したが)い下を安んじる、曰く尉。武官は悉く、以って称と為す。(応劭)

 太尉は、軍事を担当する宰相(首相)。
 前漢においては、民事を司る丞相と権限を二分し、席次は丞相に次ぎ、秩禄は同等であった。しかし、前漢前期にも空席の時期が多く、やがて正式に省かれてその職務は丞相に一本化される。
 前漢後期、改めて丞相の職責を三分して三公が置かれたが、軍事を担当したのは大司馬であった。
 後漢光武帝期の半ばに大司馬が改称されて太尉の名称が復活し、以後長く三公の地位を占める。
 三公としての太尉は、武官であるが将帥ではなく、あくまで将兵の功績を孝課し政策を建言する大臣の職である。張温司馬懿等少数を例外として、直接軍を率いることはなかった。


+ 概略と歴史
太尉
発祥 秦官
職掌 丞相制に於いては丞相と文武の権を分割し、武事を掌る。三公制においては四方の兵事の功課を掌る。
秩石 万石
品秩 一品官
衣冠 金印紫綬
上位 天子皇帝
下位 百官・諸将
戦国 戦国秦にて国尉が用いられ、太尉の原型とされる。
秦王朝が成立すると、丞相御史大夫らと共に太尉を置く。
前漢 秦制を倣い、丞相・御史大夫と共に置かれ、上卿を占める。丞相と文武の権限を分け、秩禄は同等であった。
断続的に任官者が存在したが、武帝建元二年(前139年)、正式に省かれ、その職掌は丞相に一本化される。
成帝綏和元年(前8年)、三公の制度がが定められたが、武事を司る官には大司馬が置かれ、太尉は復活しなかった。
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後漢 世祖光武帝中興すると、先例に倣い三公制を採って大司馬を置いた。建武二十七年、名称を太尉に改めた。
献帝中平三年、張温が太尉を拜し、持節し使者として長安に就いた。三公が京師の外に在るのはこれが初めての例となった。
建安十三年、三公を廃して丞相・御史大夫を復活させるが、太尉は置かれず、軍事は丞相曹操の手に握られた。
漢制を継ぎ三公として太尉を置いた。司馬懿は太尉のままで兵を率いて征伐した。
蜀漢 三公を置くことはなく、太尉の記録も無い。
孫呉 呉は、しばらく丞相を置いたが、孫晧]代には三公を置いた。建衡三年(271年)には任官者として[[范慎の名が見える。
西晋 漢魏の制を倣い、三公の一人として太尉を置く。


目次



  • 前漢
 上卿、一人。秩万石金印紫綬
 席次は丞相に次ぐ。


  • 後漢以降
 三公、一人。金印紫綬


職掌

  • 前漢
 武事を掌る。

  • 後漢以降
 四方の兵事の功課を掌る。歳尽きれば即ち其の殿最(評価)を奏し、而して賞罰を行う。
 凡そ郊祀の事,亜獻(二番目の献酒)を掌り、大喪には則ち南郊にを告す。凡そ国に大造・大疑が有れば、則ち司徒司空と通じ而してこれを論ず。国に過ちの事有れば、則ち二公と通じこれを諫争す。


概説

 太尉は秦官である。その原形は戦国秦の国師とされ、白起尉繚が任じられている。
 秦は統一後に丞相御史大夫らと共に太尉を置いた。
 漢が興ると諸々の秦制を倣い、太尉もまた置かれた。軍事の最高大臣であったが、漢初においては、有事にあって自ら出征し、事が終われば免じられる場合もある、軍政と軍令が未分化の戦国の遺風を色濃く残すものであった。また、盧綰周勃灌嬰周亜夫田蚡といった有力者が不在の場合は空席のままに置かれる職でもあった。
 武帝建元二年(前139年)、正式に省かれ、その職掌は丞相に一本化された。以後、代わって大司馬が高位の将軍号に冠して置かれる時代が続いたが、大司馬は国家の軍事を統括せず、太尉と異なる存在であった。
 成帝綏和元年(前8年)、三公を定められたが、太尉は復活せず、大司馬に金印紫綬を賜り、官属を置き、軍事を司らせた。大司馬の禄は丞相に比して、将軍の号を取り去った。
 哀帝建平二年(前5年)、三公の制度を取りやめて大司馬の印綬・官属を取り去り、冠将軍を故の如くとした。
 元寿二年(前2年)、また三公制に復し、大司馬に印綬を賜り、官属を置き、将軍号を取り去った。その位は司徒の上であった。

 世祖光武帝中興すると、先例に倣い三公を定めて大司馬を置いた。建武二十七年(51年)、名称を太尉に改めた。太尉は大司馬の地位を継いで三公の首座となり、この序列が三国・晋へと引き継がれることとなった。
 献帝中平三年(186年)、張温が太尉を拜し、持節し使者として長安に就いた。三公が京師の外に在るのはこれが初めての例となった。
 建安十三年(208年)、曹操が三公を廃して丞相・御史大夫を復活させるが、太尉は置かれず、軍事は丞相曹操の手に握られた。

 魏は、漢制を継ぎ三公として太尉を置いた。司馬懿は太尉のままで兵を率いて征伐した。
 呉は、しばらく丞相を置いたが、孫晧]代には三公を置いた。建衡三年には任官者として[[范慎の名が見える。
 蜀漢はほぼ三公を置くことはなく、太尉の記録も無い。


属吏

前漢

 一人、千石。


後漢

 詳しくは三公の属吏を参照。
 一人、千石。
 もろもろの事を署す。周の小宰の如く。

 二十四人。

  • 黄閤
 一人?
 簿録を主り、衆事を省る。

 合わせて二十三人。

    • 閤下令史
 閤下の威儀事を主る。

    • 記室令史
 百石。
 上章表報書記を主る。

    • 門令史
 府門を主る。

    • その他、令史はおのおの曹文書を典じる。

 秩不明。
 公の御と為るを主る。
 録事の如くという。

  • 官騎
 秩不明。
 三十人(二十二人ともいう)。




属官

後漢

 九卿のうちの三名が太尉の部署する所と言う*1。しかし、実際の統属関係は定かではない。


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関連項目・人物

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最終更新:2016年08月16日 20:53

*1 『百官志』注『漢官目録』