独立近衛第901大隊 全般状況 その5

 五

 「帝國」において一門の存在は決して軽いものではない。機神という実体的な力を背景にしなくては王国を名乗る事は許されない、という不文律がある中で、一門を束ねる宗家が機神を持つという事は、一つの王国を形成しているに等しい意味を持つ。
 「帝國」が帝国を名乗りうる根拠の一つが、この一門を数十と束ねている事にある。ケイロニウス皇統が、これらあまたの一門に対して皇帝として君臨しうるのは、「教会」という権威を背景にしている事があった。そして非公式ながら、彼らの保有する機神を上回る絶対的な力を有する機神を所有しているから、という話すらも囁かれていた。機神を手にしているという事は、それほどに重たい意味があるのだ。
 こうした互いの微妙な関係があるがゆえに、それぞれの一門は皇宮内に控えの間という名前の拠点を持ち、それぞれの一門同士や皇室に対する交渉のために活用していた。「帝國」の公的な政治の場が元老院であるとするならば、皇宮は私的な取り決めのための交渉の舞台であると言えた。
 この皇宮の控えの間の一つで、アレクサンドロス・ポンペイウス・マグヌス将軍は、謁見までの時間を潰していた。
 マグヌス将軍は、ポンペイウス一門の末席に名を連ねる子爵家の当主である。南方辺境の中堅一門であるポンペイウス一門は、魔術関係の学者を輩出している一門であり、また海運と投機とで稼いだ金で学問研究を支えている事で知られてもいた。実際、彼の妻も現役の学者であり、私塾を開いて平民の子弟子女に学問を教えるなど教育熱心な女性である。むしろ軍人として才能を発揮し「帝國」の重鎮になった彼の方が一門の中では異端といってもよい存在であった。
 元が貧乏性なせいか何か仕事をしていないと落ち着かない彼が、お得意のおさんどん技能を発揮して控えの間の掃除をやりださないでいるのも、いつ呼び出しを受けるか判らないせいである。さすがに時と場所をわきまえるくらいの分別は持ち合わせてはいる。仕方が無く冷めたお茶で唇を湿らしつつ、小姑のごとく整理整頓掃除の問題点を視線でチェックしている彼には、さわらぬ神になんとやらで使用人らも近づこうとはしない。

「やあ、家憑き妖精。相変わらず使用人頭みたいな顔をしているじゃないか」
「貴様も若様気分が抜けないとみえる。もう少し宗主代行としての立場に自覚を持て」
「あはは。それは無理だね。古人は長生きだからさ、きっと僕の孫の代まで爺さんは現役宗主だぜ。僕はあくまで使いっぱしりでしかないんだよ」

 部屋に入るなりマグヌス将軍のところに直行した青年が、軽薄そうな表情でそう軽口を叩く。癖の強い青味がかった黒髪を指先ですくいつつ、にやにやと笑っている彼を、将軍は、困った奴だ、と言わんばかりの表情でそうたしなめた。

「ディリグス、貴様が来たという事は、謁見だな」
「そ。まったくやになっちゃうよね。時間は誰にとっても有限なのにさ」
「その時間が一番足りないのが陛下さ」


 皇宮内の近衛騎士団の駐屯地ではなく、ケイロニウス一門に属する機装甲工房に案内されたマグヌス将軍は、目前にたたずむ真赤な機体をその鷹の様な鋭い視線でじっと見つめていた。広大な石造りの空間中、巨大な魔法陣の中央に据えつけられた整備用架台に固定されているその機体は、魔術を行使する者の眼には、まばゆいばかりに強大な魔力を発している。
 彼の記憶の通りならばその機体は、内戦末期にごく少数が生産され、皇弟アルトリウス元帥の直属であった近衛騎士団に配備された機神「アトレータ・トリニタス」のはずである。この機神は、ケイロニウス一門の機神「レギナ・アトレータ」を元にして開発された機体であり、機神としての格こそ低いながら、性能のバランスの取れた非常に出来の良い機体であるという。
 かつて教会軍総司令官であるヤン・アドルファス・グスタファス辺境候の指揮する軍勢との戦いで、単騎突出する事が度々あった皇弟アルトリウス元帥の駆る「レギナ・アトレータ」に、近衛騎士団に配備されていた主力重魔道機装甲「アクアリウス・トリニタス」では、ついてゆく事さえままならなかった事があった。「アクアリウス・トリニタス」は明らかに性能が不足していた上、皇帝軍で多用された機神「黒の二」はあくまで機神としては機能が制限されていた機体であったため、要求される性能を満たした機神が必要とされたのである。そのために「レギナ・アトレータ」を元に、機体の骨格と要部装甲のみを精霊銀で造り、外装は魔導処理された隕鉄を用いる事で短期間で開発量産にこぎつけたその機神「アトレータ・トリニタス」は、度重なる激戦に数を減らした近衛騎士団の主力として内戦末期に八面六臂の活躍をしている。

「うん、さすがは「アトレータ」の名前を持つ機神だね。うちのやつとは大違いだ」

 謙遜しているのか、自虐をよそおった冗談なのか判りかねる口調で、ディリグスはマグヌス将軍に向かってささやいた。それの相手はせず、将軍は赤い機神について考えていた。
 彼の記憶の中の「アトレータ・トリニタス」は、比較的軽装甲の人型に近い細身の機体であった。原型機の「レギナ・アトレータ」が、機体防御を防護結界に任せているのと同様に、「アトレータ・トリニタス」も結界による防護に依存している。だが、目前の機神は、左腕に作り付けられている盾型の結界発生器が無く、変わって左右両肩の装甲がかなり大型化していた。さすがに両腕で武器を振るうのに邪魔な造りにはなっていないが、それでも機体全体の造型のバランスが崩れているように見えるのに違いはない。

「でさ、あの両肩は結界発生器だぜ。しかもかなり強力な魔導増幅機能付きのさ」
「さすがだな、ディリグス。魔導が名門の宗家の者だけの事はある」
「ふん」

 わずかに肩をすくめてマグヌス将軍の賞賛を受け取った宗主代行であり現宗主の孫のディグリスは、だがすぐに表情を引き締めた。同時に将軍も、直立不動の姿勢をとってから腰を四五度に曲げる。
 二人が頭を下げた先には、多数の御付の者を従えた今上皇帝リランディアと、その夫にして摂政副帝であるレイヒルフトの二人がいた。

「おさんどん! おさんどん! ごめんね、待たせちゃったんだよ」

 足早に近づいてくるリランディアは、精霊銀の目隠し越しにも判る程に上機嫌で、そしていたずらっ子めいた表情をしている。

「ポンペイウス・メルクリウス伯爵。ポンペイウス・マグヌス子爵。御苦労様です」

 その幼帝のななめすぐ後ろにつき従うレイヒルフトが、最敬礼したままの二人に声をかけた。その伴侶の声に気がついたのか、リランディアは、二人に楽にするようにあわてて付け加えた。
 二人が楽な姿勢をとると、今上帝は、摂政副帝を見上げて話をうながした。

「御二人はすでに聞いているでしょうが、ポンペイウス・マグヌス子爵にはトイトブルグ王国に大使として赴任して頂く予定です。現在王国は、王権の弱体化によって秩序が崩壊しつつあり、周辺各国は兵を発して介入しようとしています」

 相変わらず動じた様子の無い穏やかな表情と口調で、レイヒルフトは、トイトブルグ王国を巡る情勢が緊迫化している事を語った。

「ポンペイウス・マグヌス子爵には、慣例に基づきポンペイウス一門の兵を連れて赴任して頂くわけですが、同時に王国の秩序の再構築のために必要な措置をとって頂く事になります」
「だからね、おさんどんには、この「アトレータ・ルブルム」を持っていって貰うんだよ」

 レイヒルフトの言葉を横からひったくったリランディアが、猫口になって両手を腰にあて、自慢気にその薄い胸を張った。
 国費によって造られ帝國軍に装備されている「黒の二」とは違って、「アトレータ・トリニタス」は、皇室の収入によって製造され、皇室の歳費によって維持されている近衛騎士団に配備されている機神である。故に皇帝であるリランディアの意思によって乗り手を決める事もできるし、展開先を決める事もできる。

「トイトブルグのななりー女王はね、今とっても大変らしいんだよ。だからね、おさんどんには、女王を助けてあげて欲しいんだよ」

 今上皇帝の言葉に、マグヌス将軍は、視線でレイヒルフトに質問の許可を求めた。摂政副帝は、それに軽く肯いて許可を出した。

「どうぞ」
「はい、陛下。「帝國」は、小官にトイトブルグの王位をうかがえ、と、かく求めるものでしょうか?」
「いいえ。「帝國」が求めるのは、王国に秩序を再構築する事です。女王ナナリィ・ヴィ・トイトブルグは、本来ならば王位に就く事などできぬ不具の者と聞きます。故に誰かが、その王権を確立するために後見に立たねばなりません」

 故に「帝國」が、実力をもって王権の確立を行うのです。

 マグヌス将軍の問いかけに、一瞬緊張に身体をこわばらせたディリグスが、気が抜けたようにゆるゆると息を吐いた。
 ポンペイウス一門宗主代行の無作法を皆が見ないふりをする中、リランディアは、後ろに控えている侍従らに手招きをした。それにこたえて侍従武官の一人が、一振りの大刀を捧げ持って前に進み出る。

「アレクサンドロス・ポンペイウス・マグヌス子爵」

 表情と口調を真面目なものに変えた今上皇帝リランディアが、その大刀を両手で受け取り、重たそうに持ち上げる。

「朕は、卿に全権大使としてトイトブルグ王国への赴任を命ずる。今、王国は混迷を極めていると聞く。よって卿に朕が機神「アトレータ・ルブルム」を賜おう。近衛騎士にして錬鉄の魔導師たる卿ならば、これを使いこなせよう」

 一度、腰を四五度に曲げて最敬礼したマグヌス将軍は、直立不動の姿勢に戻ると今上皇帝の前にゆっくりと進み出、そして再度腰を曲げて幼帝の手から両手で大刀を拝領した。
 その大刀は、黒革蒔きの鞘に緋色と黄金色の下緒の拵えのもので、一目でそれを判る逸品である。鞘には神聖金を用いて魔法陣が刻まれており、魔導騎士であるマグヌス将軍の眼には、大刀に封じられている魔力がどれほどのものかが想像できた。
 そう、この大刀こそ、機神「アトレータ・ルブルム」の乗り手である事を証明し、平素異空間に封じられている機神をこの現世に召喚するための神具なのである。

「臣アレクサンドロス・ポンペイウス・マグヌス、誓って陛下の御期待に応えて御覧に申し上げます」

 両手で大刀を捧げ持ったマグヌス将軍は、そのままの姿勢でおごそかに誓約の言葉を述べた。
 それに満足気に肯いたリランディアは、そごうを崩すと、また猫口になって胸を張った。

「おさんどんなら大丈夫だよ。だって妾をたすけてくれたんだもん」

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最終更新:2010年08月08日 21:46