「帽子なんかいらない」



「ゆ!…ゆっくりしていってね!!!」

よく晴れた、秋の日の朝。ゆっくり一家の朝は、恒例の挨拶で始まる。
小さいゆっくりから順番に目覚め、「ゆっくりしていってね!!!」と元気な挨拶を交わす。
最後に母まりさが目覚めると、総勢15匹の子まりさが一斉に母に向かって声を張り上げた。

「「「「おかーさん!!ゆっくりしていってね!!!」」」」

下膨れの生首が15個、母まりさの方向を向いて大きな口を開ける。
母まりさは、生まれつきのふてくされたような顔を笑顔に変えて、元気に挨拶を返した。

「みんな!!きょうもゆっくりしようね!!!」

いつもどおりの朝。幸せな朝。まりさ一家は顔を見合わせてニッコリ笑った。
朝の挨拶を済ませた一家は、貯蔵庫にあったご飯を皆で仲良く食べ始める。
草原で取ってきたお花や、うねうね動く芋虫。全部、子まりさたちの大好物だ。

「むーしゃむーしゃ♪しあわしぇ~♪」
「ゆゆぅ~♪とってもゆっくりできるごちそうだよ!!」

そうして一家は食事を終えると、一家揃って狩りに出かけることにした。
ぴょんぴょんと、16匹が順番に巣穴から外へ飛び出していく。

「ゆっ!!みんなでごはんをとりにいこうね!!!」
「ゆゆっ!!まりさがいちばんおおくとるよ!!」
「ゆっ!?まりさだよ!!!まりさがいちばんおおいよ!!」

母まりさを先頭に、列を成して餌場へと向かう。
狩りの方法を教えてもらったばかりの子まりさたちは、まだまだ取れる食料は少ない。
それでも、狩りが面白くて仕方ない年頃なのだ。

餌場につくと、そこでは既に別の一家が食べ物を集めていた。
その一家の成体れいむが友達のれいむだと気づくと、母まりさはぽんぽん跳ね寄って声をかける。

「ゆっ!!れいむ!!きょうもゆっくりしているね!!」
「ゆゆ?まりさ!!いっしょにゆっくりしようね!!」

この2つの家族は餌場を共有しているが、食べ物の取り合いになることは一度も無かった。
ゆっくりの食料となる花や、移動するのが遅い虫が豊富に存在するため、奪い合いをする必要が無いのだ。
だから、この餌場は2つの家族の交流の場でもあった。

「れいむ!!まりさとどっちがたくさんごはんをとれるか、きょうそうしようよ!!」
「ゆ?いいよ!!れいむまけないよ!!!」

母同士の仲がいいので、必然的に子供同士の仲もよくなる。
集める食料の量を競ったり、協力して食料を集めたりして、仲睦まじくゆっくりしている。

太陽がちょうど空の真上に昇った頃になると、母まりさは子まりさたちを集合させた。

「みんな!!ゆっくりあつまってね!!そろそろおうちにかえるよ!!」
「「「ゆっくりりかいしたよ!!!」」」

各々が集めた食料を口に含んだまま、子まりさたちは器用に跳ねて母まりさの周りに集まってくる。

「ゆゆ?もういっちゃうの?もっとゆっくりすればいいのに!!」
「まりさー!!もっとゆっくりしようよ!!!」

残念そうな声をあげるれいむ一家。
れいむ一家の誘いは魅力的だったが、母まりさはそれを丁重に断った。

「ごめんね!!でも、まりさたちはごはんをはこばなくちゃいけないんだよ!!!」

集めた食料を放っておくわけにはいかない。
生きている虫などは逃げてしまうし、草花だって風に飛ばされてしまうからだ。
まりさ一家は、とてもゆっくりしているれいむ一家を羨ましく思いながら、れいむ一家に別れを告げた。

そして、まりさ一家は再び一列に並んで、食料を口に含んだまま巣へと戻っていった。



比較的平坦な道を経て、餌場から巣へと戻ってきたまりさ一家。
母まりさは、迅速に貯蔵庫へと食料を移すべく、子まりさたちに指示を出す。

「ゆ!!“ちょぞうこ”にごはんをはこんでね!!ゆっくりでいいからね!!」

母まりさの指示に従って、子まりさたちは一匹ずつ巣の中へ入っていき、奥の貯蔵庫へと進んでいく。
その様子を、母まりさは真剣な目でじっと見つめている。子供がバランスを崩して転んだとき、すぐ助けるためだ。

「ゆっしょ!!ゆっしょ!!」
「ゆっくりはこぶよ!!」

母まりさの心配をよそに、子まりさたちは順調に食料を運んでいく。
ふと、母まりさの気が抜けた時だった。
最後の子まりさが、巣の中へ入っていく……その直前。


ブワアアァァァァァァ!!!!


突風である。
植物型妊娠であれば赤ちゃんが持ち去られてしまうぐらいの、強烈な風だった。
母まりさは、本能で危険を察知した。このまま外にいてはいけない、と。

「ゆっくりしないでなかにはいってね!!!」
「ゆっ!?ゆうううう!!??」

巣の外にいた唯一の子まりさを、有無を言わさず巣の中へ押し込んでいく母まりさ。
子まりさは訳が分からないという表情で、されるがままにしていがのだが……突然、頭の上の重みが無くなった。

「……ゆっ?」

空を見上げると、ひらひら飛んでいく一つの黒い物体が見えた。
その物体は綺麗に尖がっていて、白いリボンがついている。紛れも無い、子まりさの帽子だった。

「ゆっ!?ゆがああああああああ!!!まりさのぼうしがあ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

母まりさの身体を横から押しのけ、必死に帽子を追いかける子まりさ。
口の中の食べ物を全て吐き出し、身体を軽くした上で帽子の飛ぶ方向へと駆けていく。
“帽子がないとゆっくりできない”―――この世に生まれて、母まりさから最初に教わったことだった。

「ゆっくりしてね!!!まりさのぼうしゆっくりしてよ゛お゛お゛おおお!!!」

子まりさの呼びかけに応じることは無く、帽子は風に乗ってどんどん遠くへと飛んでいく。
終いには、木々の上を飛び越えていって……完全に視界から消えうせてしまった。

「ゆがああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!までぃじゃのぼうじがああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁ!!!」
「ゆっ!!いまおそとにでたらあぶないよ!!!ゆっくりおうちのなかにはいってね!!!」

帽子を失ったことで狂乱している子まりさを、母まりさは引きずるようにして巣の中に引っ張り込む。
その様子を巣の中から終始見ていた他の子まりさたちは、複雑な表情で2匹の周りを囲んだ。

「ゆぅ……かわいそうだよ…」
「ぼうしがないとゆっくりできないの…?」
「ま、まりさ……ゆっくりしていってね?」

自分達がどうすれば、帽子を失った子まりさは元気を取り戻すのか。
いい考えが浮かばないので、ただ同情の視線を向けるだけだ。

「まりざのぼうじ!!!さがしにいぐのお゛お゛おお゛お!!!お゛がーじゃんゆっぐじはな゛じでね゛え゛え゛ぇぇえ゛ぇぇぇぇ!!!!」
「ゆっ!!だめだよ!!!いまおそとにでたら、まりさもゆっくりとばされちゃうよ!!」

吹き荒ぶ風の勢いは尋常ではなかった。
今、何の準備も無く外に出れば、子ゆっくりなど簡単に飛ばされてしまう。
母まりさの身体なら耐えられるだろうが、その頭上にある帽子はそうはいかない。
だから、待つことしか出来なかった。泣き叫ぶ子まりさを押さえつけて、風が止むのを待つことしか出来なかった。

10分後、風が止んだので母まりさが帽子を捜しにいく。
だがゆっくり1匹で捜せる範囲などたかが知れており、当然ながら帽子を見つけることは出来なかった。

「ゆ゛わ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁあん!!!まりざのぼうじがあ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁあぁぁぁ!!!!」

子まりさは叫んだ。ひたすら叫んだ。
そして、叫び続けるのに疲れたのか、目に涙を浮かべながら巣の奥へと引っ込んで眠ってしまった。
訪れた静寂の中で、互いの顔を見合わせる子まりさたちと母まりさ。

「ゆっ……あしたはみんなでゆっくりしようね!!!」
「ゆ、ゆゆ!!そうだね!!たくさんゆっくりしようね!!!」
「ゆっくり!!ゆっくりしようね!!!」

残された15匹の家族は不安げな表情で確かめ合うように、ひたすら“ゆっくり”という言葉を連呼した。



翌朝。
全員が目を覚ますと、いつものように朝食をとる。
帽子なし子まりさも含めて、家族16匹で岩のテーブルを囲んだ。

「「「ゆっくりいただきます!!!」」」

がつがつと食べ物を食べ散らかしていく子まりさたち。
昨日泣きたいだけ泣いて落ち着いたのか、帽子のない子まりさもご飯を食べるのに夢中になっている。
そんな子まりさを、母まりさの巨体がぐいっと押した。

「ゆ?まりさはごはんをたべてるんだよ!!ゆっくりじゃましないでね!!」

食事の邪魔をされたことで、不機嫌になる帽子なし子まりさ。
だが、母まりさは食事中の子まりさをそのまま巣の奥へと押し込んだ。

「ぼうしのないまりさがだれかにみられたら、みんながゆっくりできなくなっちゃうよ!!
 だからまりさは、おくのほうでごはんをたべてね!!」
「ゆっ?ゆゆゆゆゆ!?」

母まりさは、帽子なし子まりさを巣の一番奥―――貯蔵庫のすぐ傍に無理やり連れて行った。
帽子のない“ゆっくりできない”まりさを匿っていると知られたら、家族全員が“ゆっくりできないもの”として迫害されてしまう。
それを恐れた母まりさは、帽子のないまりさを外から見えないところへ押し込むことにしたのだ。

「ゆぅ…かわいそうだよ…」「しかたないよ!まりさたちがゆっくりするためだよ!」

そんな様子を最初こそ悲しげな目で見ていた子まりさたちだったが、なんだかんだと理由をつけて視線を目の前の食べ物に戻す。
終いには、帽子なしまりさの存在すら忘れて、食べ物の美味しさに心を奪われて食事に没頭し始めた。

食卓から遠く離れたところに引っ張られて、食べ物を口に含んだまま呆然としている帽子なし子まりさ。
しばらくすると、母まりさが子まりさの分の食べ物を持ってきて、床の上にばら撒いた。

「ごめんね!!ぼうしのないまりさは、ここでゆっくりしててね!!!」
「ゆっ!?どうして!?まりさもみんなといっしょにむーしゃむーしゃしたいよ!!」
「そんなことしたらみんながゆっくりできなくなっちゃうよ!!ゆっくりりかいしてね!!!」

それだけ言い残して、母まりさは他の子まりさの待つ食卓へと戻っていった。
一匹取り残された子まりさからは、土の壁が邪魔になって食卓の様子が見えない。
しかし、時折聞こえてくる姉妹の笑い声から、皆がとてもゆっくりしていることは簡単に把握できた。

「ゆぅん!まりさもみんなといっしょにゆっくりしたいよ!!!」

帽子なしまりさの声には、誰も反応してくれない。
自分だけ仲間はずれにされたような疎外感を感じた子まりさだったが、渋々床の上に散らばったご飯を食べ始める。

「……むーしゃむーしゃ…それなりー」

いつもはとても美味しいご飯も、一人ぼっちでは全然美味しくない。
帽子のない子まりさは、ただ空腹を満たすだけのためにご飯を食べ続けた。



食事を終えた一家は、巣の中でゆっくりしていた。
餌の貯蓄が1週間分残っているので、今日は思う存分ゆっくりすることができる。
幸せなひと時を過ごしている一家のもとへ、ちょうどいいタイミングでれいむ一家が訪れた。

「ゆっ!!まりさ!!ゆっくりきたよ!!」
「まりさ!!いっしょにゆっくりしようね!!」
「ゆゆっ?れいむ!!ゆっくりまってね!!」

母れいむと12匹の子れいむの声が、巣の外から聞こえてくる。
子まりさたちは子れいむたちとゆっくりするべく、勢い良く巣の外へ飛び出していく。
帽子のない子まりさも一目散に外へと跳ねていくが……その行く手は、母まりさによって遮られた。

「ゆっ!?じゃましないでね!!まりさもれいむたちとゆっくりするよ!!」
「ばかいわないでね!!おまえがれいむたちにみつかったら、まりさたちみんなゆっくりできなくなるよ!!!」

母まりさは本気で怒っていた。
さっきも言ったのにもう忘れたのか、と子供の間抜けっぷりに呆れているようにも見えた。
その様子を、巣の出入り口の陰から覗いている他の子まりさたち。

「ゆーん…ぼうしがないとゆっくりできないんだね!」
「そうだね!!ぼうしがないこはゆっくりできないよ!!あんなのほうっておいて、ゆっくりしようね!!」

子まりさたちは、言いたいことを言って広場へと跳ねていく。
その後姿を追いかけようとする帽子なしまりさだが、母親の巨体に阻まれてしまった。

「ゆっ…まりさもゆっくりしたいよ!!ゆっくりさせて――――
「ゆっくりりかいしてね!!まりさはおうちでおるすばんだよ!!!」

帽子なし子まりさを巣の奥へ押し込んだ後、母まりさも浮かれた表情で巣の外へ跳ねていった。
ずりずり岩陰まで這いずって、外の様子をこっそり窺う帽子なしまりさ。
広場からは、大勢のゆっくりの楽しそうな声が聞こえてくる。

「ゆーん♪くすぐったいよ♪ゆっくりやめてね!」
「ゆゆっ!!くやしかったら、ゆっくりおいかけてきてね!!」

「ゆふふ~ん……ゆっくりぃ~…」
「おそらがとてもゆっくりしているね~…くもさんもぷかぷかゆっくりしているね~」

母親や姉妹、そして友達のれいむたち。みんなすごくゆっくりしている。
ゆっくりしていないのは……帽子のない、子まりさだけだ。

「ゆ゛っぐ……ゆわ゛あ゛あ゛ぁぁ……ゆっぐりしたい゛よ゛お゛お゛お゛お゛…!!」

ただひとり、巣の奥で、誰にも聞こえないように。
帽子のないまりさは、孤独を紛らわすために泣いた。



夕方。外でゆっくりしていた姉妹と母まりさが帰ってきた。

「ゆぅ~♪とてもゆっくりできたね!!」
「あしたもれいむとゆっくりしたいよ!!」
「そうだね!あしたはれいむのおうちにいこうね!!」

帽子なし子まりさは、家族の和気藹々とした会話に引き寄せられるように、巣の広間に顔を出した。
いつもなら、そろそろ夕飯の時間である。ずっとひとりで泣いていた帽子なしまりさは、とてもお腹を空かせていた。

「ゆっ!!そろそろごはんのじかんだね!!おかーさんはごはんをよういしてね!!」
「………」

帽子なし子まりさの呼びかけに、母まりさは反応しない。
無表情。何の感情も篭っていない視線で、帽子なし子まりさを見つめるだけだ。
母まりさだけではない。他の子まりさたちの視線も、どこか棘があって……ゆっくりできない。

「ゆっ!?むししないで―――
「おなかすいたよ!!!ゆっくりごはんをよういしてね!!!」
「ゆゆ!そうだね!おかーさんがごはんをもってきてあげるね!!みんなはゆっくりまっててね!!」
「「「ゆっくりりかいしたよ!!!」」」

他の姉妹の求めにはあっさり応じた母まりさは、貯蔵庫に向かって子供たちの食料を運んでくる。
15匹分の食べ物をテーブルの上に並べるのも、母まりさの仕事だ。

「「「ゆっくりいただきまーす!!!」」」
「ゆっくりおたべなさい!!」

目の前に用意された食べ物に、勢い良く噛り付く子供たち。
しかし帽子なしまりさは、周りの姉妹に用意されたものと自分のものとの違いに気づいた。

「ゆゆっ!?まりさのだけすくないよ!!もっとちょうだいね!!」

帽子なし子まりさの分だけ、少なく配分されていたのだ。
普段から公平に扱われてきた姉妹の一員として、帽子なし子まりさは不足分を要求するが……

「うるさいよ!!ぼうしのないこは、それでじゅうぶんだよ!!!」
「ゆっ!?どうしてそんなこというのぉ!?」

帽子なし子まりさは、帽子がないために外で狩りをする事が出来ない。
狩りができない子はその分食べる量も減らすべきだ、というのが母まりさの考えだ。

「ゆっ!!おねーちゃんたち!!いもうとたち!!まりさにごはんをわけてね!!!」

母まりさから不足分をもらうのを諦めた帽子なしまりさは、姉妹から分けてもらうことにした。
しかし、14匹の姉妹の反応はとても冷たいものだった。

「ゆ?これはまりさのぶんだよ!!ゆっくりあげないよ!!」
「おねーちゃんはじぶんのぶんをたべてね!!」
「ぼうしがないくせに、なまいきだよ!!」
「ゆっ!?いじわるしないでねぇ!!!まりさにもたくさんちょうだいねっ!!!」

どんなに呼びかけても、姉妹たちは帽子なしまりさに食べ物を分けようとはしない。
帽子なしまりさが14匹の姉妹に要求して回っているうちに、全部食べ終えてしまった。

「ゆ~ん♪おいしかったよ!!」「とてもゆっくりできるごちそうだったよ!!」
「よかったね!!たくさんゆっくりしていってね!!!」

母まりさも満足顔だ。満腹で元気いっぱいの子供たちは、母まりさの周りに集まってゆっくりし始める。
帽子なしまりさは諦めて、ひとりぼっちでテーブルに向かって食事を再開した。

「ゆぐぅぅぅぅ……むーしゃむーしゃ…ふしあわせー…」

そのご飯はいつもの半分以下の量。
あっという間に食べ終えてしまった帽子なしまりさは、一家の輪に加わることなく巣の隅っこにうずくまった。



夜。巣の外は暗闇に包まれ、ゆっくりたちは一日の活動を終える。
藁を敷き詰めた寝床の上に母まりさが飛び乗ると、子まりさたちも続々とその後を追って寝床に飛び上がる。

「ゆ~ん!ゆっくりねむろうね!!」
「ゆっ!!みんな!!おかーさんのまわりにゆっくりあつまってね!!」

寝床の中央に鎮座する母まりさの周囲を、14匹の子まりさが取り囲む。
帽子なしまりさもそれに続いて、藁の寝床へとダイビングした。

「ゆゆーん!!まりさもゆっくりねむるよ!!」

しかし、帽子なしまりさが寝床に着地する直前――――

「ゆっくりこっちにこないでねっ!!!」

周囲の子まりさたちのタックルが炸裂した。
こてっこてっとバウンドして、テーブルに衝突してやっと止まる帽子なし子まりさ。
ちょうど額をテーブルの縁にぶつけてしまい、「ゆごごおおおお」と悶え苦しみながら転がりまわる。

「ぼうしのないやつは、そっちでひとりでねむってね!!!」
「おまえがいると、まりさたちがゆっくりできなくなるよ!!!」
「ぼうしがないなんて、おぉみじめみじめ」

「ゆっぐぅぅぅ……どぼぢでぞんなごどい゛う゛の゛お゛お゛お゛ぉぉぉ!!??」

昨日までとても仲のよかった姉妹がそんな言葉を口にするなんて、信じられなかった。
心と身体の痛みに咽びながら、這いずるようにして再度寝床へと向かう。

「ゆっぐぅりぃ……ゆっぐっ…みんなとゆっぐり゛ぃ…ね゛む゛る゛よ゛ぉ……!!」

ゆっくりと寝床へ近づいてくる帽子なしまりさに、他の子まりさは罵倒の嵐を浴びせる。
その言葉の一つ一つが帽子なしまりさの心を傷つけ、歩み進む力を削いでいく。

「ゆっくりこっちにこないでね!!おまえがいたらゆっくりできないよ!!」
「ぼうしがないやつは、ぜんぜんゆっくりできないね!!まりさたちはとてもゆっくりできるのにね!!」
「ゆっくりしたいの!?ぼうしがないくせに、ゆっくりできるわけないでしょ!!」
「きっと、ゆっくりできないからぼうしをなくしちゃったんだね!!おぉぶざまぶざま」
「まりさたちはおかーさんとねむるよ!!おまえはひとりでさびしくねむってね!!」

弱りきった心。それを何とか奮い立たせつつ、帽子なしまりさは寝床にたどり着いた。
ぐっと顔を上げると、目の前に立っているのは母まりさ。周りの子まりさを押しのけて、帽子なしまりさを見下ろしている。

「ゆ゛っ!!おかーさんっ!!!」

まりさは涙を流した。うれし涙だった。
姉妹は自分を“帽子のないゆっくり出来ない子”として仲間外れにするが、母親は違ったのだ。
お母さんが自分を受け入れて、一緒にゆっくり眠ってくれる。そうすれば、周りの姉妹だって逆らわないだろう。
涙を振り払って、笑顔で母まりさを見上げた。やっぱり、自分はゆっくり出来るんだ。ゆっくりさせてもらえるんだ。

そんな期待が正しいと信じて。間違っているとはこれっぽっちも疑わず。
帽子なしまりさは、力を振り絞って母まりさに飛び込んだ。

「ゆっくりね゛むろう゛ね゛ぇ!!!」



その期待が、打ち破られるとも知らずに。



「うるさいよっ!!!!」

ドスンッ!!!

「びぎゅあぁっ!?!?」

母まりさの巨体が生み出す攻撃力は、子まりさたちの比ではなかった。
弾丸のような勢いで巣の壁に叩きつけられ、そのまま跳ね返って寝床のところまで戻ってくる。
その威力に耐え切れなかった帽子なしまりさは、ゆげぇゆげぇと体内の餡子を吐き出した。

「おまえがいたらこどもたちがゆっくりできないよ!!おまえはすみっこでねむってね!!!」

それだけ言い残すと、藁の中に潜り込む。子まりさたちも後に続いて、母まりさの周囲に潜り込んだ。

「ゆっ!?……ゆ゛う゛う゛う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!!??」

その瞬間、帽子なしまりさの思考が停止した。
唯一の味方であると思っていた、母まりさにも拒絶されたから。
悲しみだけがまりさの心を支配し、際限なく涙を流し続ける。心の傷を癒すために。

“帽子をなくしたらゆっくり出来ない”
その意味を、帽子なしまりさは正確には理解していなかった。
髪飾りがないと、個体識別されないこと。
“ゆっくり出来ない異端者”として集団から弾き出されるということ。
それらを知っていたら、家族たちの行動の理由も少しは理解できたかもしれない。

でも、まりさは運がよかった。
家族の目の前で帽子を失くしたために、一家全員がまりさをまりさと認識した。
まりさに多少は同情し、帽子なしまりさを弾き出そうとする家族は1匹もいなかった。

しかし残念なことに、それも最初だけだった。日常生活を送っていくうちに、一家は違和感を感じ始めたのだ。
いつもよりゆっくりできない気がする。昨日はもっとゆっくりできたのに、今日はあまりゆっくりできない。
その原因が帽子なしまりさにあると自覚したときから、一家の振る舞いは少しずつ変わり始め……

「ゆっくりできないやつは、そっちでねむってね!!!」
「まりさたちはおかーさんとすやすやするからね!!!」
「ぼうしがないなんて、おぉあわれあわれ」

今では、この有様である。

「どうして…どうしてまりさだけゆっくりできないの?」

全ての始まりは、昨日の事件。突風に帽子を飛ばされて、失くしてしまったことから始まった。
そう、全ては帽子。帽子がないからゆっくり出来ない。逆に言えば、姉妹たちは帽子があるからゆっくりできる。
ゆっくりできるかどうか、その分かれ目は……帽子の存在だ。

自分だけ帽子がないから、自分だけがゆっくりできない。
じゃあ、みんな帽子がなかったらどうだろう?
みんなゆっくりできないのだろうか?……きっと違う。
みんな帽子がなければ、みんな同じ。みんな同じだから、みんなでゆっくりできる。
そうだ。みんな帽子がなければ、まりさも仲間はずれにされない。みんなと一緒にゆっくりできるんだ。

「ゆっくり……みんなぼうしがなければ、みんなでゆっくりできる…」

帽子なしまりさは夜中、誰も起こさないように静かに行動を開始した。



翌朝。

一家の朝は、1匹の子まりさの目覚めから始まる。
1匹が放つ「ゆっくりしていってね!!!」は他の子供たちに波及し、最終的に母まりさを目覚めさせるのだ。
だが、今朝はちょっと様子が違っていた。

「ゆゆぅ…ゆっくりしていっt――――ゆっ!?まりさのぼうしがないよぉ!?!」

最初に目覚めた子まりさは、頭の違和感に気づいた。
あるべきものがない。昨夜まであったものが、目覚めたら消えている。
そんな叫びに呼び起こされた他の子まりさも、自らの頭上の異変を次々に感知していく。

「ゆゆっ!?まりざのぼうじどごいっだのぉ!?」
「ゆわあぁぁぁぁ!!!まりざもぼうしがないよ!!!」
「どうじでええぇぇぇぇぇぇぇ!?ぼうしがないとゆっくりでぎないよおおおぉぉぉ!?」

見渡してみれば、母まりさを除く一家全員が帽子を失くしていた。
最後に、寝床の中央にいる母まりさが目を覚ます。

「ゆゆ……ゆっくりしていってね!!!」
「「「おがーざあああぁぁぁぁん!!!」」」

起きたばかりの母親に、泣きつく子供たち。
お母さんならきっと自分の帽子を見つけてくれるだろう、と思っているのだ。
だが、その期待はことごとく裏切られた。

「ゆゆっ!?ぼうしのないこがいるよ!?しらないこはゆっくりでていってね!!」

当然のことだった。母まりさは眠っている間、子供たちが帽子を失うその瞬間を見ていない。
したがって、母まりさは自分の子供を自分の子供だと認識できないのだ。
たった1匹、風に飛ばされて帽子を失ったまりさを除いて。

「ゆぅ!?どうしてそんなごどいうのおぉ!?」「まりざはおがーさんのがわいいごどもだよ!?」
「そうだよ!!!まりざたちのぼうしをゆっくりさがしてね!!!」

一方子供達は、母親側にそんな事情があるなどとは露知らず、お構いなしに詰め寄る。
自分はお母さんの可愛い子供なのだから、お母さんが絶対に何とかしてくれる。
たった今拒絶されたばかりなのに、まだ縋っているのだ。

「ゆぅ!?へんなことをいわないでね!!!ゆっくりしないででていってねっ!!!」

聞き分けのない部外者を、母まりさは排除し始める。
手始めに、一番近くにいた3匹の子まりさを、巨体を活かした体当たりで勢い良く弾き飛ばした。

「ゆびゅげっ!?」「うびっ!?」「ぼあっ!?」

巣の内壁に叩きつけられ、噴水のように餡子を吐き出す3匹。
頭頂部を強く打ったものは、餡子脳に強い打撃を受けて気絶してしまった。
それを目の当たりにした残りの子まりさたちは、一斉に母まりさを罵倒する。

「ゆがあぁあぁぁああぁぁぁぁ!!!まりざのいぼうどになにずるのおおおぉぉぉおおぉぉ!?」
「おねーちゃんがいたがってるよ!!ゆっくりしないであやまってね!!!」
「こんなのおがーざんじゃないよ!!!ゆっくりしんでね!!!」

「うるさいよ!!!まりさたちのおうちからゆっくりしないででていってね!!!」

子まりさたちの言葉の攻撃は、結果として火に油を注ぐ形となってしまった。
母まりさは怒りを込めてぷくっと膨らみ、威嚇のポーズをとる。
ゆっくり以外の生物ならなんともない威嚇方法だが、ゆっくり同士―――それも、小さいゆっくり相手なら効果は抜群だ。

「ゆわああああぁあぁぁぁあぁ!!!ごっぢごないでねぇ!!!まりざはゆっぐりじだいよぉ!!!」
「いやあああぁああぁ!!!ゆっぐじさせでねええぇえぇえぇえ!!!」
「まりさたちゆっぐりしでただげなのにいいいいぃぃぃいいぃぃ!!!!」

巣の中を縦横無尽に逃げ回る子まりさたち。
だが、狭い巣の中では逃げられる範囲も限られる。
あっという間に母まりさに追いつかれ、その巨体に潰されて命を散らしていく。

「びぎっ!?」

水風船のように破裂する子まりさ。

「うぼああぁぁっ!?!?」

口を目から餡子を吹き出し、皮だけになる子まりさ。

「げぼおおおぉぉぉ!!??」

下手に逃げたために、顔面だけが潰されて悶え苦しむ子まりさ。

「ゆっくりしないででていってね!!!ここはまりさたちのおうちだよ!!」

自分の子供を手にかけていることも知らず、次々に“侵入者”をやっつけていく母まりさ。
その周りには、子まりさたちの残骸が次々に飛び散っていく。
8匹の子まりさが殺されたところで、残りの子まりさたちが次々と巣の出口から飛び出していった。

「ゆわあぁぁああぁぁん!!!こんなところじゃゆっぐりでぎないよおおおぉぉぉ!!!」
「おがーぢゃん!!どぼぢでゆっぐじさせでぐれないのおおおぉぉぉおぉ!!??」
「きのうまでゆっくりできたのにいいいっぃぃいいぃ!!!」

その疑問には、誰も答えない。
母親に殺された姉妹の死体を残して、生き残った子まりさたちは死に物狂いで逃げていった。帽子のない状態で。
決して振り返らない。振り返ったら最後、悪魔に変わってしまった母親に殺されてしまう気がしたから。

「ゆぅ~!!やっとゆっくりできるよ!!みんなでゆっくりしよう…ね……?」

邪魔者をやっつけるのに夢中になっていた母まりさは、落ち着いて周囲を見回して始めて気づいた。
巣の中に、子供が1匹も残っていないことに。静まり返った巣の中に、自分1匹しか残っていないことに。

「ゆ゛う゛う゛う゛ぅう゛う゛ぅぅぅ!?!まりさのこどもどこにい゛っ゛たの゛お゛お゛お゛ぉお゛お゛お゛ぉぉ!!??」

母まりさは巣の端から端まで、跳ね回りながら探していく。
巣の出入り口から広間、そして貯蔵庫に至るまで探していく。
そして見つけた。貯蔵庫の入り口にいた、帽子のない子まりさ。風に飛ばされて帽子を失った、子まりさを。
その瞬間、母まりさは大きなため息をつく。よりによってこいつか、と。

「ゆっぐ……ゆっぎゅうううぅぅぅぅ……!!!」

子まりさは泣いていた。
自分が姉妹の帽子をとって隠したばかりに、こんな酷いことになってしまったから。
みんな帽子がなければ一緒にゆっくり出来るという浅はかな考えが、悲劇を生んでしまったから。

自分はただ、みんなとゆっくりしたかっただけなのに……

「おがーざああぁぁぁぁん!!!う゛わ゛あ゛あ゛ぁぁぁあ゛あ゛ぁぁぁぁあぁぁん!!!」

子まりさは、真実を言い出せなかった。
それを言えば、自分のせいで他の子たちがゆっくり出来なくなったことが母まりさに知れてしまう。
そうなったらもう終わり。二度とゆっくり出来なくさせられてしまうだろう。
それが怖くて、何も言えなかった。泣くことしかできなかった。

「うるさいよ!!!ゆっくりなきやんでね!!!」
「びゅえっ!!??」

どすんと子まりさを突き飛ばす母まりさ。
貯蔵庫に突き飛ばされた子まりさは、顔面から餌の山に突っ込んだ。

「どうしておまえがいるの!?
 ゆっくりできるこどもたちのかわりに、おまえがいなくなればよかったのに!!!」

それだけ言い残して、母まりさは巣の外に出て子供たちの帰りを待ち始める。
その表情は、本当に子供を心配している母親の顔。子供たちの事が心配でしかたない、という顔だ。
しかし、その表情を帽子なしまりさに向けることはない。

「ゆっ……ゆっぐぅ……う゛わ゛あ゛ぁあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁあああぁん!!!」

貯蔵庫の中に取り残された帽子なしまりさは、再び泣き始めた。
誰も理解し得ない、後悔と悲しみの涙を流しながら。



それから。
母まりさと帽子なし子まりさは、2匹で暮らし続けた。

相変わらずのゆっくり出来ない日々。
満足な食事を与えられず、日中は一人で留守番。
母親にすりすりすることも、草原を自由に駆け回ることも、帽子なしまりさにとっては夢のまた夢。

「ゆううぅぅうぅ……ゆっぐじじだいよおおおおぉぉぉ……!!!!」
「ぼうしがないくせに、ゆっくりできるわけないでしょ!!!やっぱりぼうしのないやつはばかなんだね!!!」

姉妹を犠牲にして手に入れたもの。
それは、母と2人っきりの、全然ゆっくりできない生活。

「おかーさんはこどもたちをさがしてくるよ!!おまえはおるすばんだよ!!!ぜったいにそとにでないでね!!!」

子まりさに留守番を言いつけ、母まりさは毎日毎日、行方不明の子供たちを捜しにいく。
何日経っても、何週間経っても、無事を信じて捜しにいく。
そのうちの8匹を、自分が殺してしまったとも知らずに……

「ゆっ…ゆっくりおるすばんするよ……」

今日も、帽子なし子まりさは空腹に苦しみながら、巣の奥から外の様子を覗き見る。
留守番の間、ずっとそうしている。かつて自由に駆け回った、広大な草原を思い浮かべながら。
かつて共にゆっくりした、友達のれいむたちの笑顔を思い出しながら。
そして、自分のせいでゆっくりできなくなってしまった姉妹たちが、いつか帰ってくることを願いながら。
その度に、罪悪感で胸が痛むが……それを打ち明ける相手は、まりさにはいない。

まりさは、ひとりで母の帰りを待つ。毎日毎日待ち続ける。
いつか母親と真の意味でゆっくり出来る日々が来ると、強く信じて。


帽子のない子まりさのゆっくり出来ない日々は……まだ、始まったばかりだ。


(終)

あとがき

家族の目の前で帽子を失って、個体認識できる状態で生活を始めたらどうなるんだろう?
そんな疑問をもとに書いてみました。

作:避妊ありすの人

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最終更新:2022年05月03日 16:19