俺が、にやにやとれいむを見下していた、そのとき。

『ドン!』

 閉められていた玄関の扉に何かがぶつかった。嵌めこみのガラスの向こう側に何かの影がある。


「う゛―――」

 唸り声。それは、つい先ほど聞いた様な。

 俺は扉を思いっきり蹴り開けた。

「う!?」

 まるで既視感(デジャヴュ)。桃色の影が、家の門柱まで吹き飛んでいった。

 俺はすぐさまそれの下に走った。

 ――ゆっくりれみりゃの成体だった。

 不細工な下膨れはひっぱりねじ切ってしまいたくなる。赤ん坊のような小さい未熟な手足は、踏
み潰す、ひねり上げてもぎ取るなど、多彩な方法で甚振れる。気分が高揚していくのが実感できる
ほどだった。

 それにしても今日はいい日だ。稀少種類だと言われるゆっくりれみりゃが、幼体、成体ともに手
に入るとは、運が味方しているらしい。否、それとも、家をめちゃめちゃにされた代償として誰か
が与えてくれたのだろうか。そう思える。ここで神様がもたらしてくれたとは一切考えない。幻想
郷に住むものならわかるだろう、この世界に住む神は高く崇められるほど素晴らしき存在に在らざ
るものだ。

「……うー?」

 目がゆっくりと開かれていく。つぶらな瞳とは陳腐な褒め言葉として使われるありきたりな言葉
だが、それすらも使う気が起きない。可愛さ余って憎さ千倍など、生ぬるい表現だ。憎さ余って殺
意億倍だ。

「うー、でびりゃになにするんだどー! こーまかんのあるじだどー! たべちゃうどー!!」
 ゆっくりれみりゃの成体は――区別が面倒なので此方を《おぜうさま》と呼ぶことにする――し
ゃがんだままで、まるで子供騙しの余興のようなヒーロー戦隊モノに出てくるショボイ怪獣のよう
に、諸手を高々と掲げてそう言った。俗に《十進法がなんとやら》と呼ばれるものだ。笑顔である
。気持ち悪い。肉まんの分際で笑うな。しゃべるな。


 暫時その様子を見つめる。そのうちにおぜうさまは立ち上がり、おぼつかない足取りでこちらに
近寄ってきた。獲物を捕らえるつもりでいるのだろう。少しの段差にも蹴躓きそうな歩みで、何を
言うか。バカにされている気分だ。

 それにしても、ゆっくりれみりゃはなぜ成体になるのだろう。先ほどから幼体の動きも見ている
が、そう考えても幼体のままで居る方が動きも素早い。成体になると、自らに手足が生えたことに
喜びすぎているのか解からないが、羽根を使って飛ぶような様子は無い。これはゆっくりちるのよ
りも頭がよろしくないと見える。まさに『スカーレット・デビル』そのものだ。

 そういえば、今日の宴会では珍しく大妖精と一緒にきていたチルノを大泣きさせた。悪酔いした
のか、はたまた救いようの無いバカなのかは判じ切れないところだが、俺に対してレミリアも斯く
やと言わんほどの傍若無人な態度を取るので、博霊神社の裏に連れ込んで『バカちるのは水にとけ
て死んでしまえ!! お前の身勝手な言動で大妖精がどれだけ迷惑しているのか判ってるのかこの
屑が!! 最強最強とほざいているがどれだけ最強なのか見せてみろ! あ? どうした? でき
ないのか? できねえんならでかい口叩いて人間様に突っかかってくるんじゃねえこのマルキュー
!! 冬でさえまっとうに敵を叩くことも出来ねえ癖に蛙をちょっと苛めたぐらいで最強最強天才
天才ってなめとるんかバカタレ大蝦蟇に食われて必死こいて這い出した挙句にションベンたれたこ
ととか魔理沙に怖い話聞かされてその夜に寝ションベンたれたことも知ってるんだ、それであたい
最強あたい天才って人間様をバカにするんじゃねえってんだ臍で茶を沸かすって言葉知ってるか知
らないだろうよ諺のひとつも知らないようなお前のことを言うんだよこの腐れ脳みそすら入ってな
い脳無し大バカ妖精が!!!』と言葉の限りに罵倒した。すると、みるみるうちに涙をためて大妖
精に救いを求めて逃げていったのだ。霊夢からは失笑されたが、何故か守矢神社の諏訪子ちゃんに
は大喜びされてしまい、俺の方が当惑してしまった。

 チルノはその一件の後、宴会場の隅っこで膝を抱えて泣いていたが、面白いことに大妖精すらチ
ルノを慰めには行かなかった。延々と泣いているのが見ていられなかった霊夢は『宴会の盛り上が
りに邪魔だから帰って』の素気無く言われて鳥居まで蹴り出され、チルノはさらに大泣きして湖に
帰っていった。血の涙が流れていたのではないか、とは上白沢慧音の言葉である。

 思考をめぐらせているうちに、おぜうさまはもう少しで俺の足に食らいつくかというところまで
来た。俺は一歩後退した。

「ウガー! ツブスゾー!!」

 真上から、俺の出来うる鬼の形相で叫んだ。子供のけんかのようだが、これも意外と楽しいものだ。

「う……」

 はっと何かに気づいたように歩みを止めるおぜうさま。一瞬、表情が崩れる。いや、とっくに崩
れているとも見える顔つきだが、それがさらに崩れてしまったということだ。見れたものではない。

 しかし、おぜうさま自らその表情を隠した。しゃがみこんで頭を体に近づけるようにし、さらに

両の腕で頭を覆った。ガードのポーズだろうか。

 無駄だ。

 お腹あたりを助走付きで蹴飛ばした。

 おぜうさまは声も無くきれいな放物線を描いて飛んでいく。幸か不幸か、おぜうさまは傍らの木
に激突した。

 そもそも、近くの集落の子供たちに蹴球を教えている俺が、球体に類似した物体を見て蹴らずに
居られようか。それで姿が見られなくなるのならいいが、おぜうさまの場合逃げた方が懸命のはず
だ。本当に餡子というものは馬鹿の象徴になりえる。餡子という言葉で馬鹿という意味を表現して
もいいのではないだろうか。

 とりあえずそばまで寄った俺は、もう一発真上から踵落としを喰らわせ、気絶の度合いを高めて
おいて、俺は家へと戻りロープを一本取ってきた。すぐさまおぜうさまを縛り上げた。ゆっくりの
力はたかが知れているし、どうせ紐で身体を圧迫されているだけで何もできずに助けを請い始める
だろうから、過度に心配する必要はないだろう。ただ、こいつの穢らわしい肢体を素手でつかむこ
とに辟易した俺は、目覚めてしまうのも許容範囲と見做して家まで引きずることにした。

 家の前の砂利は角が取れていない、非常にとがっているものだ。流石のおぜうさまも、皮膚、と
いうか皮が抉り取られていく感触に、いつまでも気絶はしていられなかったらしい。

「ひぎゃあーーー!! いだい、いだいぃぃぃーーー!! ざぐやっ、ざぐやっ!!」

「黙れ」

「やべっ! ぎゃああああ!! でみりゃのうづぐじいまっじろなはがーー!」

 おぜうさまには牙があるとかないとか。探してみれば、やたら仰々しい汚らしい牙があったので
もぎ取ってみた。案の定痛がって噛み付いてきたが、肉まんに挟まれても痛くもかゆくも無い。さ
らに言えば、おぜうさまの牙は黄土色をしていて、美しさの欠片も無かった。

 嘆きを背後に聞きながら家の中に入る。れいむが俺の姿を確認すると再び命乞いを始めるが、俺
の後ろを見ると皮色をさらに悪くした。それにしても、ゆっくりの餡子と皮はどういった仕組みで
出来ているのだろうか。知能を持った餡子。まさにミステリー。

 否、そんなことはどうでもいい。今ここでれいむを食べられるとあまり意味が無いので、れいむ
を下駄箱の中に箱ごと押し込む。食われる心配が軽減されたくらいは餡子脳でもわかったのだろう
。扉を閉める寸前に「騒ぐとれみりゃに食われるぞ」と脅しをかけてやると、ゆっくりれいむは馬
鹿みたいに騒ぐのはやめた。生きることへの執着は恐ろしく強い。

 次はチビれみりゃの身元確認だ。

 箱の中の袋かられみりゃを放り出す。情けなく床に転がると、れみりゃはピクピクと震えだす。寒いのだろうか。

 ――いや、違う。死にかけているのだ。

 よく聞けば、う、うっ、と呻いている。涙――否、肉汁がナイアガラのようだ。

 れみりゃを入れていた袋は、れみりゃを取り出した後も重みが残っていた。中を覗くと、途端に
肉まんの芳香が漂う。中身の大半は袋の中に落としてしまったのだろう。こいつらには、人間で言
うところの血小板のようなものは備わっていないのだろう。

「あ゛――――!! でみりゃのあがぢゃんが―――――!!」

 背後から突如として絶叫が響く。おぜうさまはその豚のような目を見開いて涙を――否、肉汁を
垂らしながら喚いている。やはりおぜうさまの子供だったか。

「ま゛、ま゛……、だず、げでぐ、れ、だど……」

「だんでっ!! だんでごんだごどぢだんだどー!?」

 対訳するならば、射し当たって『何でっ! 何でこんなことしたんだど!?』と俺に訊いている
のだろう。肉汁を目から鼻から垂れ流し、醜い表情でがなる。全くゆっくりというものは、興奮し
始めると濁点の付いたような言葉で話し始めるから困るのだ。

 しかし、だ。

「何でって言われてもねぇ……」

 理由は一体何だろうか。やはり存在すべきではないモノだからだろうか。

「でみりゃのあがぢゃんにごんだごとずるやづはっ! ざぐやにやっづげでぼらうっだどー!!
 ばがなおにいざんはざぐやにやっづげでぼらうっだどー!!」

 また言った。《ざぐや》。

 これは、あれか? やはり十六夜咲夜のことを言っているのか?

 よく聞くところの話では、ゆっくりれみりゃは幼体、成体を問わず、命の危険を感じたり、自分
の恣に物事が進まなくなると、『さくや、さくやー』と叫びだすらしい。紅魔館に多く生息すると
いうゆっくりれみりゃだが、これは日々咲夜に面倒を見てもらっているからなのか、はたまた本物
のレミリアが咲夜を呼びつける真似をしているのか、その真意は全くのなぞだ。だが、事実として
、今もこいつらは《さくや》という単語を発した。全く、うざったいことこの上ない。そのくせ他
のゆっくりを襲うから、こいつはしょっちゅう人間に虐殺されるのだ。寧ろそれは虐殺ではなく、
当然の酬いなのかもしれない。

 ――今度、本物の咲夜に相談してみようか。癪に障るからレミリアは無視して。

「そうかい、そうかい。そんなこという馬鹿肉まんにはプリンは無しだな」

「ぷっでぃーん!? ぶっでぃーんがあるの!? ぶっでぃーんぐれだらゆるじでやるど!!」

「馬鹿か、お前」

「れみりゃはばかじゃないんだど! こーまがんのあるぢだど!」

 おぜうさまは全身を使ってじたばたと喚き散らす。床はワックスを塗ったように光っている。肉
汁だろう。どうしてくれるんだ、全く。

 一体紅魔館の主という存在はこの世にどれだけ居るのだろう。ほんのりとだが、本物のおぜうさ
まに同情の念を抱く。

「だから、良くない言葉遣いをするれみりゃにやるプリンは無いって言ってるだろ?」

「ぶっでぃーんだど! ぶっでぃーんぐれだらゆるぢでやるんだどー!」

「だからさぁ。馬鹿とか死ねとか、汚い言葉遣いをするやつに食べさせて上げられるプリンはない
んだってば」

「ぶっでぃーんはれみりゃのものだどー!! このちーさいおうちもれみりゃのものなんだど
ー! はやぐぶっでぃーんをよごずんだどー!」

「くどいな。このおぜうさまは何度訊いたら解かるんだ? いいか? ここは俺の家。お前に食わ
せてやるプリンもないの。解かる?」つーか、成体でもチビのくせして、小さい家とか。バカにす
んなよ腐れ肉まん。

「こーまかんのあるぢはえっらいんだどー! わかったらはやくれみりゃにぶっでぃーんをよこす
んだどー!」

 ――堂々巡りじゃねーか。

 というか、《こーまかんのあるぢ》なら家はその《こーまかん》であるわけで、此処は少なくと
もれみりゃのものではないはずだが。

 ああ。そういえば、居間でつぶれたまりさのことを忘れていた。早く処理をしないことには、も
う蠅だの虻だの御器齧(ごきぶり)だのリグルだの、雑虫害虫の類がわんさか居る恐れもある。

「ぶっでぃーんはやくよこさないと、さくやに―――」

 子供が死に掛けていることも忘れて、すっかりプリンの要求に没頭しているおぜうさま。俺はそ
の様子を視界に入れないように、同時におぜうさまの視界に入らないようにしながら靴箱をあけ、
中で震えているゆっくりれいむを持って居間へと突入した。

やはり、まだ死んでいた。いや、生き返られていても困るんだ。幸いリグルの類――訂正、害虫
の類も集まっていなかった。腐った性根の饅頭は虫も嫌うのだろうか。
 れいむに目前に広がる餡子の海を見せぬようにしながら、部屋に深々と開いた穴に近づく。
「おにーさん。どこつれてくの? れいむにきょかなくれいむのいえをあらさないでねっ!」
「……」無言で後頭部(背中か?)をつねる。
「いだいいいいい! やめでねっ!!! ゆっぐりさっさとやめでね!!」
 しばらく安全な下駄箱に入れておいたことですっかり元の調子を取り戻してしまったようだ。他
のゆっくりと同じく、ジャイアニズム(これはもう新しく《ユックリズム》と命名したほうがいい
のだろうか)を発動した。居間まで俺はその様子を見たことが無かったのだが、いざ目の前で言わ
れてみると、いやはや、これが頭に来るものだ。苛立ちに身を任せながら体罰を与えるのはこの上
なく気分が良い。
 ところで、《ゆっくりさっさと》行動するとは、どうすればいいのだろう? まったく矛盾を抱
えた生き物だ。
「よし。バカれいむ、目的地に着いたぞ」
「ゆ!? ばかじゃないよ、れいむはばかじゃないよ!!」
 まりさが餡子を散らした穴に背を向けた状態で床におろしてやる。れいむは抓られる恐怖から開
放された所為か、復た身勝手に騒ぎ出す。
「バカだろ。おまえ、自分の後ろをよく見てみろ」
「おじさん、ばかばかうるさいよ! ばかっていうほうがばかなんだよ、ばかおじさん! ばかな
おじさんはゆっくりしねばいいよ!!」
 ついにおじさんに格下げされてしまった。まだ二十歳だってのに。
「ほら、ほら。れいむはかしこくてかわいいゆっくりだよー、っと。ほれ、さっさと後ろを良く見
てね!」
 くるりと反転。
 霊夢の表情は硬直。すぐさま崩壊。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!! まりざがああああ!!」
 絶叫。餡子汁を垂れ流し、大声で喚く。何デシベルあるのだろう。既に騒音レベルだ。
 それにしても、こんな皮と餡子の塊を見ただけで、よくまりさだと判別できる。これほどまでに
状況判断が出来るのに、どうしてこんなにバカなのか。理屈ではないだろう、何かがこのゆっくり
には存在している。
 あ、違ぇや。帽子だ。帽子を見ただけだ。
 この反応だけでは判らないが、ひょっとするとこのれいむと穴の下のぺしゃんこまりさは《こい
びとどーし》とかいう腐戯(ふざ)けた間柄なのかもしれない。
「おじざんっ! まりさをどーじだの!?」
「殺したの」
 しれっと答えてやる。
「だんでっ!? だんでごろじだの!?」
「うるさかったから。むしゃくしゃしてたから。後悔はしてない」
 某事件の犯人のようなコメントをする。あくまで、しれっと。
「ゆううううううう!! くそじじいはさっさとしね! ゆっぐりじゃなぐ、ざっざどじね!!」

 暴言をしこたま吐きながられいむは俺に体当たりを仕掛ける。ぷにょん、ぷにょんとした感触が
気色悪い。だが、ここで蹴飛ばしてもあまり愉しくない。

「わあー、わあー、たーすーけーてー」
 一般的な、やられているフリをしてみる。
「ふふん、れいむはつよいんだもん! くそじじいなんて、れいむにさっさとやっつけられてね!
 まりさのかたきだよ!!」
 わわわわーと棒読みで喚きながら、俺は玄関方面に向かう。れいむも、あと一息とばかりに必死
に俺の足に体当たりをかましてくる。よく飽きないものだ。
「はぁ、はぁ……。これでとどめだよっ!! さっさとしねえええええ!!」
 数歩下がって、れいむは助走を付けて跳んでくる。ただ、先ほどから数十回と飛び跳ねて体当た
りをしていたためか、高さは稼げていない。俺の膝よりやや低いくらいだった。本人(本ゆっくり
が正確だろうか)は鬼の形相をしていると思っているのだろうが、血走った目と肉汁を垂らした口
を見る限り、キチガイにしか見えない。
「そぉー、れっ!」
 タイミングを見計らって、俺は身体をずらしながら背にしていた玄関への扉を開ける。
「ゆぶふうっ!?」
 全力で飛び込んできたため、着地のことを考慮していなかったれいむは俺の足元に顔面から転が
る。
「まだまだ逝かせるよお!」
 無駄なテンションでれいむを玄関に蹴り飛ばすと、扉を閉める。
「ああああ!!」
「うー! うー!」
 何が起こるかわからないが、とりあえず俺はまりさにとある処置をするため、大穴のもとに向か
った。

      ○

 数秒で処理を終え、ちょっと時間稼ぎがてらに珈琲を煎れてから玄関の方を向く。と。
「うわ、気持ち悪ぃ」
 引き戸に何かがへばりついていた。ぶにょんとした柔らかそうなものが、引き戸のガラス部分に
くっついているのだ。
「ゆううう!! おにーざん、はやぐごごあげでえええ!!」
 都合のいいものだ。先ほどまで『くそじじい!』だの『さっさとしね!!』だのほざいた分際で
。その糞爺に助けを求めるのか。
 察しがよくない人間でもわかるだろうが、ガラスにへばりついて叫んでいるのはゆっくりれいむ
だ。ここにはおぜうさまやチビれみりゃが居る。れいむにとっては生きた心地のしない、まさに《
アンチゆっくりプレイス》だ。
 だが、こうして叫んでいるということは、生きているということを証明している。ゆっくりを捕
食するはずのおぜうさまが、この《腐れいむ(くされいむ)》を食べないとはどういうことだろう
か。
 恩を売るためにも、とりあえず引き戸を開放する。
 弾丸のように、れいむが逃げ込んできた。
「ゆうぅぅぅ、ゆうぅぅぅ……」
 肩で(そんなもの無いが、何となくそう見えた)息をするれいむ。死ぬ思いをするとはこのこと
だろう。人間なら、餓えたライオンの群れの中に放り出されるようなものだ。
「どうした、腐れいむ。随分ゆっくりしてたみたいだな」
 ゆっくりしていないのは承知しているが、その反応を見てみたい。
「ゆうう! くそじじい!」
 ――まだ言うか、この身の程知らず。此処まで来ると傑作だ。
「またそっち行きたいのか? 引き戸を開けられるようになってから殺陣を突いたらどうなんだ?
 ああん!?」
 真上から凄んでやると、見る見るうちにその汚い目から餡子汁――涙とは言ってやらない――を
流す。そして、頻りに顔を上下させたと思ったら、口を床に擦り付け始めた。床とキスするのが好
きなのかと思っていたがどうやら違うようだ。
「いやですううう! ごべんだざいっ! もうぐそじじいなんでいいばぜんがら、ゆるぢでぐだざ
いいいい!!!」土下座のつもりらしい。
「了解、了解。それで、あそこに居たれみりゃはどうしてた?」
 胡坐をかいて座り、組んだ膝にれいむを乗せる。れいむは一瞬身体を震わせたが、意外にも大人
しく乗った。このれいむには然して肉弾戦を行っていないからだろう。攻撃と言っても、引き戸で
挟んだのと、玄関に蹴りだしたくらいだから。素直すぎるのは気色悪いこと限りないのだが、我儘
であるよりは余程いい。
「ゆうう……。れみりゃは、あかちゃんれみりゃにくっついててれいむのほうをみてなかったよ」
「お前、結構騒いでたろ? それでもか?」
 頷いた。今ひとつ釈然としないが、現実に起こっていることだから飲むしかないだろう。
「解かった。じゃあ、れいむ。お前は少しそっちに行っててくれ」
「ゆゆ?」
 れいむは(人間の動作で考えれば)首を傾げた。
「そっちの部屋にれみりゃがいたらゆっくりできないだろ?」
「ゆ! ぜんぜんゆっくりできなかったよ! あれじゃれいむのいえとしてはしっかくだよ!」
「うん、そもそも、ここお前の家じゃないからな」
 軽くいなすように訂正する。
「ゆ? なにいってるの? ここはれいむのいえだよ! おじさんかってなこといわないでね!」
 なおもすがりつくようにほざくれいむ。こいつは俺の二人称を定形化することを考えないのだろ
うか。恐らく、人間の態度が自分に対して優しければ《おにいさん》、ゆっくりプレイスを横取り
しようとすれば《おじさん》、それがひどくなれば《くそじじい》になるのだろうか。なんだか、
面白い思考回路だ。
「じゃあ、例えばここをれいむの家だと仮定しよう。なぜれいむは、ここの扉を開けてこっちに来
れなかったんだ? 自分の家なのに、これじゃ、そこの部屋しか使えないぞ?」
「ゆゆ! いちいちうるさいよ! ここはれいむのいえだってきまってるの!」
 少し甘くすればすぐ付け上がる。この単純至極の単細胞餡子はどうにかならないものか。
「いつから?」
「ゆ……、そんなことかんけいないよ! ここはれいむのいえなの!」
 時間の概念を朝、昼、夜しか持たないゆっくりが、詳細な時間を理解しているはずがない。
「おまえ、ここに来たときに、部屋にいろんなものがなかったか?」
「あったよ! へんなまずいものとかいっぱいあるよ!! まずいのはきらいだけど、がまんして
あげるよ!!」
 何が言いたい。
「じゃあ、それはお前がここに来る前からあったんだよな? じゃあそれは誰のものなんだ?」
「れいむのにきまってるよ! れいむがきめたんだかられいむのものなの!! ばかなの!! あ
んこくさってるの!!? にどとれいむのまえでばかなこといわないでね!!」人間はお前らと違
って複雑な細胞が集まって脳が出来てるの。餡子なのはお前らゆっくりだけだ。腐ってるのはお前
の餡子だろう。
「なら、ひとつ例え話をしよう」
「おにーさんしつこいよ!! ここはれいむの」
「そっちの部屋に行きたいのか?」
 もう一度警告をすると、れいむは口を真一文字にしてガタガタと震え始めた。
「お前が、たとえば森の中で、洞穴を見つけてそこに住んでいたとするぞ。食べ物を探しに出かけ
て自分の家に帰ってきたら、まりさが中でお前が昨日見つけてきた木の実を食べていたとする。そ
の木の実は誰のものだ?」
「もちろんれいむのものだよ!!」
「まりさが『なにいってるの!? これはまりさがみつけたんだからまりさのものだよ!』って言
っても?」
「ばかなこといわないでよ! れいむがさきにみつけてたんだかられいむのものにきまってるよ!
!」
 俺はれいむの返答に思わずほくそ笑む。
「じゃあ、ここの家も俺が先に見つけたんだから俺のものに決まってるんだよな? れいむのもの
ではないよな!?」矛盾を突いて言論で押さえ込むのは愉快なものだ。
「ゆゆゆう!?」
「これ以上ガタガタぬかすと、またそっちの」
「ゆうううう! ここはおにいさんのいえですううう! れいむがかってにゆっくりしてただけな
んですうう!!!」
 玄関を睨んだだけで恐れをなしたれいむは必死に命乞いを始めた。あれくらいの論弁術で人間を
あしらえると思うなよ、ということだ。こうなるだろうとは思っていたので然して驚きもしないが、聞き分けはまあまあ良いほうなのだろう。
「よし。ゆっくり理解できたかな?」
「ゆっくりりかいしたよ! だからそっちにはつれていかないでね!」
 余程おぜうさまが怖いのだろう。
「聞き分けの良い子には、すごくゆっくりできるものをあげようかな」
「ゆゆ!! ほんとう!! おにいさん、ゆっくりできるものちょーだい!」
 豹変。ゆっくりできるものに目を爛々と輝かせるれいむ。
「わかった、わかった。今から連れて行くから」
 さっとれいむを抱き上げる。例の『おそらとんでる』発言をしながら、れいむは俺からもらえる
《ゆっくりできるもの》に思いを馳せていた。

 二秒後。目的地に到着した。
「はい、れいむ。ゆっくりできるものだよ」
 れいむの目の前には巨大な穴。中には餡子の塊があった。
 ――簡潔に言って、ものの数秒前、衝撃的な邂逅を果たしたゆっくりまりさの亡骸だ。先ほどと
異なっている点は、まりさの帽子を骸から取り上げて台所のコンポストに押し込んだくらいだ。
「……?」
 おお、聞いていたとおりだ。
 ゆっくりは基本的に、付けている髪飾りや帽子でその固有種を判別するらしい。ゆっくりまりさ
にゆっくりれみりゃの帽子をかぶせただけで、まりさはゆっくりれいむの群れに襲われて死んだら
しい。捕食種と判断され最初は敬遠されていたらしいが、次第に追い詰められ、最期は母親に押し
つぶされて凄惨に殺されたしまったらしい。帽子を失くしたものは即刻殺されたり村八分になり、帽子を奪ったものには制裁が待っているとのこと。命と同等に重要なのだ。
 今、れいむは、目の前の餡子を何だと思っているのだろう。訊いてみようか、と思ったそのとき
だった。
「おにーさん!」
 をゐをゐ。目がめちゃくちゃ光ってるぞ。血走ってるぞ。
「なんだ?」
「このあんこ、たべてもいいの!?」
「よいぞっ!」サムズアップで高らかに。「腹いっぱい食べるがいい」
「ゆゆゆうっ!」
 れいむは穴に飛び込むと、一心不乱に餡子にむしゃぶりついた。うめうめと騒ぎながら食べる姿
は傑作だ。
 当初の目論見通り、まりさの処理はれいむに任せることができた。ここに来る以前、このれいむ
とまりさが恋人同士だろうと関係の無いことだ。れいむが関係ないといっている証拠のような行動
を取っているからだ。床にへばりついているため、すべてを綺麗に平らげるのには時間が掛かるだ
ろうと踏んだ俺は、れいむに依れば玄関で呻いているというおぜうさまの様子を見に向かった。


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最終更新:2022年05月23日 21:46