アマネオ

ターニング・ポイント前夜(1993年夏)

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amaneo

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 商店街の外れ、公園の中にある広大な名呑池は地元民には昔から「へそ池」と呼ばれている。その傍の木陰で、二人の男子高校生が釣竿を垂れていた。
「で、どうなんだどうなんだどうなんだよ。その竹内夏音さんってどんな人だ。カワイイのか」

 夏休みに乗じて脱色した細身の男は、ニヤニヤしながら隣のカナメを小突く。
「いや、ナツはそういうんじゃないんだ。何を考えてるかわからんから聞いてみたら何も考えてなかったりする。バカな子を見るのが好き。コーヒーは嫌いで泳ぐのは好きみたいだ。ハハッ、『ナツ』っていう変な生き物みたいだ」

 ――とか言いながら、もうあだ名で呼んでんじゃねえか。
茶屋ヒノスケは心中で突っ込んだ。シャカシャカとリールを巻いてシカケを寄せると、今度は池の反対側の縁を目掛けてキャストする。
「じゃあかわいくないのか」

 カナメは黙り、リールを巻く手が止まった。下を向き、やに下がる顔を見せまいとしている。
「畜生バカ野郎。うまくいってるからって調子に乗ってんじゃねえっ!」

 カナメは足元の岸に群生するフジツボを見つめ、不意に顔を上げた。
「そっちは。花奥さんの担当者みたくなってんじゃないか」
ヒノスケは竿をそのままにして、聞こえなかったふりをしてごまかした。
「弁当食おうぜ」

 二人は割り箸を取り出し、それぞれのコンビニ弁当を見せあった。
「柴漬けやるから、そのから揚げくれよ」

 ヒノスケはカナメのから揚げ弁当に箸を伸ばしたが、逆に箸でつままれて止められた。
「お前、箸で箸をつまむのはアレだぞ」

 言いつつ、ヒノスケは再び狙う。弁当箱の上で、箸が行き交う攻防戦が繰り広げられた。
「行儀以前に、了承もない他人のおかずを勝手に交換する行為は人間として成立しない」
「わかったよ。じゃ、このエビフライと交換してくれ」

 カナメは意外そうに友人を見つめた。言われるがまま交換し、エビフライをしゃくしゃく食べた。
「ふがが」

 口に詰めたまま話しそうになり、胸を叩いて慌てて飲み込む。
「ヒノスケはエビフライ大好きじゃなかったか」

 その時、ヒノスケの釣竿の先がくくんっと引いた。しかしそれを見ながら動きもしない。
「エビフライは、食べる奴がいないと美味しくないんだよな」

 カナメが代わって竿を持ったが既に魚は逃げていた。残念そうに息を吐き、あてつけるようにつぶやく。
「ああ、もう少しでうまい魚が食えたのに」
「だから、うまいかどうかわからなかったろ。得体の知れない化け物だったかもしれないぜ」

 カナメは黙り、また弁当を食べはじめた。不機嫌な顔でまだ続ける。
「あれはアナゴか鯛だった。そういう引きしてたからな」
「違えよ。そういう話じゃないんだ。食べる奴がいて、釣り上げられる奴がいて、その時にしかわからないっていう、あああわかんねえ」

 ヒノスケは後ろ頭を掻いて、地面に横になった。目を閉じて考えつづける。
「なんだ、ヒノスケはかかったのが化け物かもしれないから釣り上げなかったのか?」

 目を開くと、ヒノスケを跨ぐようにカナメが立っていた。
「釣りたいからキャストしたんだろ。どんな魚かわからないうちに諦めるのはおかしいんじゃないか」
「エビフライがまずくても?」

 カナメは腕を組んだが、すぐに頭を振ってやめた。
「エビフライがどうとかはわからんが、それ釣りとは関係ないと思う。あと俺が食ったエビフライはうまかった」

 ヒノスケが笑って足を払った。カナメはひょいと避けた。涼しい風が木を揺らし、濃い緑の香りを振りまいた。