アマネオ

スプリット・スピリット(2019年)

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amaneo

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 八月八日。

 名呑町のそこかしこでリリジョン101信者の人々は雪崩のように身投げをしていた。人間が消え静かになっていく町は、次第に世紀末の様相を呈していた。

 そんな中、鋭い目をした無口な少年とクルクルと巻いた茶髪が色白の肌に映えた少女が名呑公園にやってきた。態度はあまり良いものではなかった。少年コカゲはろくに挨拶もしなかったし、少女ウミネネは欠伸を隠さない。

 十五歳の双子は朝から急に岩本に呼び出されて不機嫌だった。園内の名呑池――通称「へそ池」で落ち合うと言われたが、彼らの家からは遠かった。
「あとでジュース買ってあげるから、やる気出せよ」

 岩本を無視していると、三十過ぎの女性が彼らに話し掛けてきた。
「はじめまして乾より子です。名呑高校の先生やってます、えへ」

 ウミネネは大きな瞳をきらきらさせ、笑顔で尋ねた。
「その『えへ』って何」

 空気が凍りつく。コカゲは頭を抱えて目を閉じ、彼女に耳打ちする。
「それ聞いたらいかんやろ」
「え。そうなの? どうして」

 コカゲは数秒考えた。沈黙に、乾が困ったような顔で二人を見ている。
「キャラ作りやけん?」

 乾が二人に無理矢理割って入り、笑った。しかし目は全く笑っていなかった。
「これは口癖で。えへ」
 岩本がそんなことより、と叫んだ。彼は後ろで、へそ池に飛び込もうとしている信者を必死に押さえていた。
「そう。そんなことよりへそ池に潜ってもらいたいの、えへ。名呑内海に出没する『それ』については私も聞いたわ。深海にいるんですってね。まあ、簡単に言うとこの町を女性に見立てると、頭、首、心臓、へそ、膣がある。で、そこがおへそ」

 乾はへそ池を指した。ここから海は遠いが、潮風の匂いがしている。池とは言いながら、海水なのだった。
「海に繋がってる。そのへその緒の道――『緒の道』を通ってほしいの、えへ。私の仮説だと、そこのどこかに子宮にあたる『それ』の巣があるから。危険だから無理にとは」

 コカゲはその場でおもむろに服を脱ぎ出した。ウミネネはすたすたと鞄を持って公園のトイレへ向かう。乾は一応離れて目を背けていた。
数分後、女子トイレから白濁した半透明の化け物が現れた。トカゲのように四肢で這いながら、頭部に切れたように線が入り、大口が開いた。

 勢いよくそのまま池の縁に全裸で立つコカゲを丸呑みする。咀嚼された身体がアマネオの体内に溶けだし、ウミネネの神経系と結び付く。コカゲの脳はそのまま残り、ウミネネの脳は引き延ばされて全身に巡った。局在する赤い臓器が脈動し、自身が生きているということを見せつけるようだった。

 アマネオはへそ池に飛び込んでいった。感覚器だけを水面に残して緒の道を潜っていく。触手がイカのエンペラのように変形してヒラヒラと水を撫でる。狭い穴だけに、すぐ光がなくなる。
「調べるだけ。さっさと行って終わらせようよ。コカゲ」

 動きながら、双子は思考で会話している。指示を聞くため水面に置いた感覚器はアマネオの腰部に細く繋がっている。
「そうやけど。ウミネネ大丈夫なんか。今日の自殺騒動、あの宗教らしいし。最近教祖がお前の夢に出てくるんやろ」

 全体が流線型に変化し、まるで長い尾を持つ魚になる。
「あの教祖はいつも見捨てないでって言ってるね。でも、コカゲはいっつも私を心配しすぎ! そんなに信用ない?」
「だってウミネネは時々アホやもん」

 二人はケンカしながら、既に水深三百メートルを越えている。アマネオは皮膚感覚が鋭く、自動的に気圧を考えて変化していく。かつて信者だったであろうヒトラシキと何度もすれ違った。二人はそのたびに黙った。

 地上では岩本と乾に話しかけてきた者がいた。一人は迷彩服を着たガタイのいい男。もう一人はTシャツに金のブレスレットをはめた、ドレッドヘアの女。
「ツナギを使っているのはお前らか」

 岩本が眼鏡をかけ直して二人の顔を何度も見る。鞄からファイルを取り出し、人差し指を立てた。
「そう言う君は城戸ユウキ。そしてアマーニだね」

 それから乾に、リリジョン101の幹部だった人です、と小声で言った。二人の表情が暗くなる。
「頼みがあるノ」

 アマーニは資料を取り出した。ツナギのイラストやデータが揃った紙には、雨多ノ島水族館長と書かれていた。
「カメちゃんを、ヒカリを助けてくれないか」

 深海。壁に絵が刻まれている。蝙蝠の羽と触手の怪物「それ」。その下には足の長い二足歩行の集団。壁画は明らかに支配関係を示していたが、二人は乾の話を聞くので精一杯だった。
「二人とも、どう。話はわかったかしら、えへ。でもどうするかはあなたたちが決めたらいい。神話の再現。捨てられたヒルコ。えびす。それ。そしてそれを救うこの土地の母神あまねお。何が正しいのかはわからない、えへ」

 感覚器は聞くことしかできない。双子は潜りながら一方的な説明をひたすら受けた。
「ああ、時々水族館に明かりがついてることがあったのってそういうことだったんだ」

 ウミネネの思念は冷静だった。
「そうじゃないやろ。なんで母さんを殺したような奴らを助けないかんの」

 突然アマネオが動きを止めた。視界が開け、そこに「それ」が数十匹もいたのだ。先程のアマーニの資料情報を考えてもくぐり抜けるのは難しい。
「どうしようコカゲ」

 ウミネネが困った声を出した。コカゲは嬉しそうに、仕方ないなとアマネオを動かした。
「どうするも何も、正面から行くよ」

 堂々と巣へと足を踏み入れた。途端に「それ」が群がってきたが、すぐに離れていった。アマネオは「それ」に擬態していた。姿を真似ることで攻撃対象から外れていた。

 巣は劇場ホールのように天井が高かった。「それ」は中央にせり出した台座を取り囲むように泳いでいた。台を見上げると、巨大なタコのような触手がうねっていた。
「あれが教祖か」

 二人は一瞬、白い衣をまとった巨大な人間かと思った。しかし深海に生身で人間がいるはずがなかった。衣に見えたのは動きを感知する膜だった。

 他の「それ」が回収してきた信者の死体を見るや、当然のように頭が裂けた。そこには牙が並んでいた。次々に丸呑みにして二メートルはあるタピオカのような卵に変えて産んだ。
「あいつを助けろって?」

 それきりコカゲは黙った。アマーニから聞いた話を何度も確認する。「それ」から作られたツナギやアマネオには基本的に「それ」と同じ能力を持つ。館長ユーミはリリジョン101を出たアマーニの頼みを聞いた。アマネオを改造し、「それ」の「食べることで人間からヒトラシキに変化させる能力」を逆転させた。

 つまり、アマネオはヒトラシキからヒトへと戻すことができるのだった。それを踏まえての「カメちゃんを、ユーミを助けてくれ」であった。しかし、コカゲはどうするべきか途方に暮れていた。ウミネネが先に動き出した。
「ウミネネ、いきなり何!」

 アマネオは泳いで教祖マハカメリア宮の口に入った。食道から腹の奥に進む。
「こっちから赤ちゃんの泣き声が聞こえる」

 コカゲには一切聞こえなかったが、進むにつれて納得させられるような光景が広がっていく。白く光る身体の内部には葦の葉がたまっている箇所があった。かきわけながら進むと、内壁に傷をつけるように無数の文字が彫り込まれている場所に出た。
「ヒトシ、アサコ、ユウジ。名前か」

 コカゲは何がなんだかわからなかったが、ウミネネを信じることにした。
「これを全部消すのよ」

 アマネオは触手を器用に使い、葦の葉で名前を擦る。全ての名前を消すと光りだして巨体が消え、通常サイズの「それ」が現れた。身体に大きく「カメちゃん」と刻まれていた。
「こいつを食べて産み出せば、人間に戻せるのよね」

 そこでコカゲがアマネオの動きを止めた。ウミネネが身体を動かそうとしても無駄だった。深海に沈んでいく死骸のような、コカゲの暗く重たい思念が彼女に入ってくる。
「ちょっと待って。本当に助けるんかい。母さんはもう帰ってこんのに。そりゃ憎しみの連鎖は」

 唯一動いたアマネオの頭が開き、触手をカメちゃんに巻き付けた。そのままウミネネはコカゲを無視して丸呑みにした。彼女は逡巡し、唸り、自分の思う単純な気持ちを表現した。
「助けるっていうか。あんなのがたくさんいたら漁師さんが困る。海で遊べなくなるし。私、海好きだし。そんな理由でもいいでしょ」

 アマネオの動きが止まり、ウミネネとコカゲはカメちゃんとの共有夢を見る。周囲の海水が消え、気圧も無くなりいつの間にか二人は川べりに佇んでいる。ウミネネが赤ん坊の泣き声を聞いた。

 突然、白い霧から葦の舟にのった子が流れてきた。
「お母さん、お母さん」

 こどもが叫ぶ。ウミネネが駆け出そうとするのをコカゲが止める。しかし強引に通られてしまった。ウミネネは赤ん坊のカメちゃんを抱き上げて頬を叩く。
「私、君のお母さんじゃないよ。甘えんな。自分でやらかしたことは自分で責任とれ!」

 霧が晴れていくような気分。二人は共有夢から戻ってきた。
「ウミネネ、グッジョブだ。あとは信者の人達だけ」

 コカゲが口の端を上げて笑った。

 アマネオはマハカメリア宮を腹に入れたまま、傍にあったヒトラシキや卵を手当たり次第に丸呑みしていく。その度にアマネオの腹は巨大になっていった。水風船のようにぱんぱんに膨らむと、道を戻って浮上していく。

 へそ池から出ると、自殺しようと騒いでいた信者たちはおとなしくなっていた。ずるりと陸に上がり、一斉にアマネオの腹から人間が産み出される。マハカメリア宮も蓮田ヒカリもその中にいる。城戸とアマーニが二人を叩いた。
「カメちゃん、大丈夫か」

 二人が泣いて抱きつく。マハカメリア宮は不思議そうな顔で自分の手足を見た。それから横の蓮田ヒカリを眺めて全てを悟った。
「あの。みんな、ごめん」

 コカゲとウミネネはお互いに叩きあってふざけていると、岩本と乾がやってきた。ソーダを開けて奪い合うように飲む。
「たかがジュースでこんなに喜ぶなんて。いい子たちだ」

 岩本のぽろりと出た一言に、コカゲは不機嫌そうな顔で立ち上がる。
「ウミネネ、行こうや。腹減った。父さんがメシ作っとるやろうしさ」

 ウミネネは駆け出した。アマネオが全身を震わせながらにゅるるっと追う。
「うん!」

 まだ昼前だった。人々は昼食をとるために解散した。快晴の空には入道雲が漂うが、双子はそんなもの全く見ていなかった。