天夜奇想譚

天夜奇想譚 -狼- Chapter3

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kohaku

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          ◇
 抱えて最初に思った事は、軽い――だった。
 突然叫びを上げて道路の中央へと飛び出した少女は、変わろうとしている信号を無視して、急に曲がってきたトラックに、まったく気づいていなかった。
 信号が変わるのを待つ人込みの中、数秒先の結末を容易に想像できた俺は、別段、何時か何処かで起き得る出来事のひとつと考え――。
「―――!!」
 静観――という態度を取れずに少女を追って人垣の上を飛び越えた。
 少女とトラックの出来事が一瞬であるならば、自分は刹那の間に少女の傍へと舞い降り――そこで、自分の手に提げているはずの得物が無いことに気づいた。
 圧倒的な質量の前に、丸腰で飛び込んだ事を後悔する前に、渾身の力を込めて、右足に重心を、左足に会心の回し蹴りを放つ。
 トラックのバンパーを打ち上げる様に蹴りを放ち、軌道を変えて隙間を縫うように少女を連れて逃げ出すはずが――、
「―――!?」
 想像していたよりもずっと軽い少女の身体に、身構えていた身体がバランスを崩した。
 倒れないようにとだけ踏ん張った身体は、自分と少女の前にその鉄の塊を見据えるような形で向かい合う。
 刹那で動くことの出来る身体は、しかし――既に眼前に聳えるそれを避けるだけのタイミングを失っていた。
「――駄目ぇ!!」
 突然の叫びに、心の前に身体が驚いた。
 否、叫んだのは自分が抱える少女であるということに気づいたときには、ソレは既に起こっていた。
 何が、と考える前に、生存本能が身体を突き動かす。
 少女の頭を抱えるように抱きなおすと、一向に自分たちに襲い掛からないトラックの軌道から、その身を離した。

          ◇
 静かに歩道内に着地すると、背後で轟音を立てるトラックを他所に、助けた少女を放した。
 人目で幼いと分かる少女は、着飾った風でもなく、かといって素朴でもない制服の所々をくしゃくしゃにして、自分のおかれた状況に混乱の様子を瞳に宿していた。
 混乱する少女に、大丈夫かと声を掛けようとして、
「――匂い?」
 いつか何処かで嗅ぎなれた香りを嗅いだ気がして、ふと周囲を見渡した。
 自分と少女を、そして残骸となったトラックを交互に見ては、事の起こりに叫び戸惑い、好奇の眼差しを向けて口々に騒ぎ始める周囲の中、目立つ事をした自分を、改めて悔いた。
 こんな事を知れたら、自分のお目付け役がどれほど怒るだろうか、と考え――しかし、過ぎてしまった事に費やす時間を無駄と考え、助けた少女に視線を戻した。
「ほ、ほやっ…?」

 未だに混乱する様子でこちらを見つめる少女は、変な声を上げていた。
「あ、あのう。――私を、助けてくれたんですか?」
 しどろもどろに状況を尋ねる少女は、周囲をおろおろと見渡したり、自分の状態を確かめたりと、忙しない。
 自分の仕草の歪さに気づかないのか、周囲に失笑と安堵の空気を撒き散らしながら――ふと、顔を上げて、
「そうだ、夏輝ちゃんは!?」
 突然思い出したように、道路を挟んだ反対側に視線を送る。しかし、其処には野次馬と横に倒れたトラックがあるだけで、その中で何かを見つけられるとは思えない。
 突然、親を見失った迷子のような顔を浮かべた少女は、誰かを探すのを諦めたように上げていた顔を俯かせた。
「――大丈夫か?」
 所在無く佇む自分に気がついて、少女に何か言葉を掛けようとして、そんな無愛想な言葉が出ただけだった。
「あっ、はい!」
 こちらの言葉に、思い出したように向き直る少女は、少し緊張した面持ちで返事をした。
 聴きようによっては、怒られることを想像したのだろうか。そんな事が一瞬、思考の端を駆け巡ったが、自分が声を掛けた相手が大概こういう態度をとるのは、既に何度も見てきた光景だ。
「怪我は無いか?」
 助けた手前、事務的とも取れる言葉を継げて、少女を見る。
「はい。何処も痛いところは無いみたいです。あなたが助けてくれたんですよね?」
 助けた、という事実が少女の認識であることに、俺は考える。
 アレが、自分の仕業では内事は自分が良く知っている。自分は助けに入ろうとして、結果は二人まとめてトラックにその身を投げ出すという体たらくな所までしかしていない。
 そんな未来を変えた何かが、自分以外の誰かにもたらされたのだ。
「あの…。違うんですか?」
 しかし、そんな事にはまるで気づいていない少女に、なんと声を掛ければよいのかを思考して――、
「――っ!」
 不意に左足に感じた痛み、軽く顔を顰めた。
「――! 何処か怪我をしたんですか?」
 こちらの表情に目ざとく気づいた少女は、怪我の在り処を見つけようと、俺の身体のあちこちを探る。
「あ、ここ。怪我をしてる」
 しかし、少女が見つけたのは、自分でも気づいていなかった左手の小さな傷だった。
 手の甲から軽く流れる血に、少女は青ざめた顔をして突然スカートの横に着いたポケットを探る。
「ごめんなさい。私のせいで怪我を…」
 取り出したハンカチを傷口に当てると、血を止めるようにきつく縛った。
 普通の少女――それも一介の女子高生がするには、的確に止血点を突いた結びに、俺は驚いた。
 手馴れていることにも驚きを感じ、不意に目の前の少女の認識を改めようと、身体が静かに警戒し始めた所で――、
「はい、これで大丈夫です」
「―――」
 安堵の笑みを浮かべる顔を見た瞬間、全身の緊張が解けた。
 自分の見当はずれな思考と、その好意に俺は思わず顔を背けて、手に掛かる圧力にまかれたハンカチに視線を落とす。
「たいした傷じゃない。汚れるだけだ」
 ――吐いて出た言葉に、感謝の言葉が入っていないことに気づいた頃には、自分は既に目の前の少女と別れていた。
「良いんです。これはせめてものお礼です。――それとも、まだ何処か他に怪我でもしてるんですか!?」
「――いや」
 慌てる少女に、俺は一瞬言葉を詰まらせる。――どうもやりづらい。
 不意に、少女の顔を見つめる自分の脳裏に、かつて額に血を流す自分に、真っ白な包帯を頭に巻いてくれた、一人の退魔師の姿を思い出した。
 その思い出した姿に、俺はその匂いを思い出し――、
「ほ、 ほやっ!?」
 気がつけば、少女の首筋から相手の匂いを嗅いでいた。
「―――」
「あ、あのぅ…」
 顔を真っ赤にする少女の貌には、確かに面影を感じた。
「――気をつけろ。この国は狭い。何時車に跳ねられてもおかしくない」
 俺はもう一度その手に巻かれたハンカチに視線を送ると、忠告でもない言葉を残して背を向けた。
「――あ、あの! あなたのお名前は!?」
 立ち去ろうとする自分に、少女の声が呼び止める。
 俺は一度だけ立ち止まり、名を名乗ろうとして――、
「―――」
 突いて出る言葉が見当たらなくて、そのまま背中を向ける。
 人込みに紛れて少女から別れた俺は、元々の目的地へと向かおうとして――、
「あの。これ、あなたのですよね?」
 不意に、柔らかな笑みを浮かべる女性に呼び止められると、女性が持つビニール袋を渡された。
「こんなに寒い日に買うなんて、よっぽど好きなんですね、それ」
 そこには、コンビニ袋に入った、カップアイスがひとつ。勘違いの弁解も、他人に変人扱いされる事への疎ましさも気にならずに、
「――ありがとう」
 蒸し暑い部屋で茹だるパートナーの顔を思い出し、少女には告げられなかった言葉をただ口にした。

          ※
 ――何故、という言葉が口をつく。
 ――何故、という思いが駆け巡る。
 何故、彼女がアイツと一緒にいるのだろう。
 答えが見つからない。
 解が出てこない。
 ――だって。
 ――――そんな事あるわけがない。
「あの子には、アイツとの関わりなんてあるはずがない」
 だって、彼女は自分と同じ様に、こちら側の世界に引きずり込まれた訳じゃないから。
 だって、彼女は私の呼びかけに一度も気づかなかったから。
 だから、そんな事あるはずがない。
「そうよ。彼女は関係ない…。そうじゃなきゃいけないんだから」
“――キミは優しいねぇ”
 不意に、悪魔が囁いた。
“キミは彼女は悪くないと考える。何時だって、自分が間違いで彼女が正しいと信じている”
 だって、何時だってそうだった。
 身体が弱い自分が、いつも無茶をして彼女を困らせてきた。
 駄目だよ、と止めに入る彼女を連れまわして、いつも心配をかけてきたのは自分だ。
 ――何時だって、彼女の方が正しかった。
 だから、今の自分もきっと自分が間違っていたからなってしまったこと。
“キミは悪くないだろう。私が何度も言っているじゃないか。キミはただ選ばれた。でもね、キミだけが選ばれたわけじゃない。選ばれた人間は他にもたくさんいる。”
 ――でも、彼女は…。
“どうして、彼女は違うと思うんだい?”
 ――だって、信じているから。
 大切な人たちを殺した自分は、間違っているから。いつも正しい彼女が、間違いであるはずなんかない。
“――違わないよ。彼女も悪い子だ。ただ、キミの言葉に耳を貸さなかっただけ。あの光景が全てを物語っているだろう?”
 ――そう。アレは決してあってはならない光景。
 彼女とアイツが、一緒にいることは決してない光景なのだから。
“でも、その光景は確かに目の前にあった。あの子はアイツに助けられ、あの子はアイツに礼を述べた”
“アイツに、あの子は気づいていたじゃないか!!”
「違う!! ――それは何かの間違いよ!!」
“違わないよ。あの子はキミに気づいていた”
「じゃあ、どうして彼女は私の言葉に耳を傾けてくれなかったの? 最初に会いに行ったのは彼女だった。家まで来てくれた彼女に、私は何度も呼びかけた。誰も気づいてくれない学校でも。一人道を歩く彼女の前にも立った。
 でも、彼女は気づいてくれなかったじゃない!!」
 気づいてくれていたら。私の言葉に耳を傾けていてくれたら。私は最後に縋ったあの人たちを、殺さずに済んだのだ。
“決まっているだろう。あの子はね、キミを裏切ったんだよ”
「――そんなこと、……」
 ――もう、何も考えられなかった。
 ただ、悔しいのか悲しいのか分からない涙だけが、声を上げない私の頬を濡らした。

 誰も気づかない街路地で、私はぽつりと呟いた。
 ――許さない。
 何処かで、私の呟きに笑みを浮かべる悪魔の笑い声が聞こえた気がした。

         ◇
 開ける度に、嫌な音を立てるドアを開けると、入り口に立つ沙耶に異常なまでの熱気が襲い掛かった。
 外の寒さとは比べ物にならないその熱気に、沙耶は思わず顔を顰める。
「あ、沙耶さんですか? お帰りなさいです。本部からの報告がありますから、ちょっとこっちに来てください」
 思わずドアを閉めて外に引き返したい沙耶に、この熱気の発生源へ来いと命じる烽火は、部屋のドア越しから腕だけを出して、こいこいと手招きをする。
 沙耶は思わず無視をしようかと考え、しかし――聞いておきたいことを思い出して、意を決して部屋へと向かう。
 この熱気の中、涼しい顔をしてパソコンに向かっていると思っていた沙耶は、下着姿の烽火に顔を顰めた。
 男に肌を晒すことになんら感じない烽火は、沙耶の方へ向き合うや否や、
「あれ、なんですかそれ? 見せてくださいよぅ」
 沙耶の手にするコンビニ袋を引っ手繰って、中を覗き込んでいた。
「あ、アイスじゃないですか!! なんだ、沙耶さん。ちゃんと私の声聞こえてたんじゃないですか。気づいてない振りをするなんて、ひどいですよぅ。私じゃなかったら、きっと殺してやりたいと思うくらいには、怒りますよぅ…」
 烽火の言葉に、沙耶は今までそんな奴がいただろうか、と一瞬だけ考え――しかし、言い出す相手が相手だけに、すぐに考えるのを止めた。
 2年以上の付き合いを経ても、沙耶にはこの烽火という少女の事を何一つ把握できていない。
 ずれた赤縁眼鏡を直そうともせず、美味しそうにカップアイスを頬張る烽火に、沙耶は忘れかけていた事を思い出して、口を開く。
「街でのあれは、お前の仕業か…」
 問い、というには確信すら込めた声で、沙耶は烽火に問いかける。
「なんですか、街でのあれって?」
「しらばっくれるな。俺と彼女に襲い掛かったトラックを、宙で停止させたのは、お前たち統括の仕業だろう」
「ああ。沙耶さんが何のヒーロー気取りか、女子高生を助けに入ったあれですね。――知りませんよ、私。あいにくどうでも良い一般人を助けるパートナーを、わざわざ助けるような時間。私にはありませんから」
「あれがお前の力じゃない事は分かってる。統括の誰かの仕業だろ、と聞いてるんだ」
「知りませんよ。まあ、物体の動きを止めるなんて事は、そこらの魔術を齧った人間にだって出来ますから。何処かのおせっかい退魔士にでも助けられたんじゃないんですか?」
 暢気にアイスを頬張り続ける烽火に、沙耶は呆れと共に口を閉ざす。あれが、そこいらの魔術師にも出来るお遊びでない事は、目の前で見た沙耶は理解していた。
 あれは、物質の動きを止めたのではなく――、
「そんなことより。やっと本部から連絡があったんですよ。暇を持て余していた沙耶さんにやっと指令なんですから。そんなことよりこっちに集中してください」
「―――」
 静かに睨む沙耶の視線にも、烽火は驚いた様子もなく最後の一口を平らげる。
 標的を見ずに投げたアイスの容器は、狙い過たずに部屋の角に置かれたゴミ箱へとインした。
「――沙耶さんにやってもらうのは、昨夜の標的の炙り出しと、標的の各個撃破です。本部にとっては、沽券に関わることですからね。非常時組織要員《イリーガル》を総動員しても、敵を殲滅したいみたいですね」
「元々は、あちらの獲物だろう」
「こっちもプライドにかけて、相手の獲物を奪おうって腹積もりみたいですね」
 そこまでするほどに、教会との仲が悪いのか、と沙耶は改めて思う。
「まあ、どちらでも良い。あっちとの合流は諦めるんだな」
「いいえ。それは引き続き沙耶さんの任務として続行します」
「何故だ。教会を出し抜くのなら、聖ラザロ騎士団は邪魔だろう」
「――今回、聖ラザロ騎士団は、教会側ではなくこちら側――統括側に着くそうです」
 沙耶は、今度こそ何もいえなかった。
 教会傘下の組織が、上の敵側に着く。その意味するところがまったく分からなかったからだ。
「――分かりましたね。今回はどうもキナ臭いです。出来れば手遅れになる前に私たちは動きましょう。それこそ、何を利用してでも」
 パソコンから視線を外した烽火は、いつの間にか真剣な表情を、沙耶へと向けていた。
 沙耶は烽火の言葉にうなずくと共に、かつての懐かしい香りを嗅いだ気がした。

To be cotinued

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