天夜奇想譚

第六話~ 目指すべき頂

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作者:扇

タイトル:蛇神と少女の幻想曲~



 僅かな硬貨を代価にがらがらごろんと転がり出てきたペットボトルはかれこれ三本目。
 火照った掌にはその冷たさが心地よく、冷静さを取り戻す足がかりになってくれる。
 しかし、これからどうしていいのやら。規則通り統括に引き渡すか、それとも見なかったことにするべきか、考えがさっぱりも纏まらない。
 足取りも重く、それでも少女の元へ戻らなければならないと溜息を吐く。
 そんな時である。修慈の前にさらなる厄介事を持ち込む化け物が現れたのは。

「物理判定はないものの限りなく実体に近い幻像を作りだし、自分は離れた位置から隠密機動。いかに強力な攻撃を放とうとも幻では暖簾に腕押しと」

 突然気配が産まれ、親しい間柄にでもするような気軽さで肩を叩かれる。
 修慈の身に生じるのは得体の知れない恐怖だ。手の内を見破られ、ここまで接近を許してしまう非常事態。もはや考える前に本能が刀を抜かせていた。
 しかし刃は届かない。これまで無数に剣閃を放ってきたが、間違いなく一、二を争う速度にも関わらずだ。

「達人には及ばぬ凡庸な腕前だのぅ。一風変わった幻術に一見の価値はあったが、それを使うことも出来ぬ距離ではなんと他愛のない。このまま手折って欲しいかね、小僧」

 二本の指に挟まれ、ピクリとも動かない愛刀にかかる圧が高まっていく。
 だが、こうなっては下手に動けない。妙な真似をすれば、次にへし折られるのは首に違いない。
 目を合わせれば判る。対峙するこの相手は人外だ。さりとて異形の気配は無いが、目が何よりも雄弁に語っている。

「その口ぶりだと、俺を殺すつもりはねーんだろ?」
「当然ではないか、吹けば飛ぶような人の子を磨り潰して何が楽しいと?暇つぶしなら間に合っておるよ。ほれ、この通り」

 空いた左手で器用に携帯ゲーム機を操り、人の形をした化け物はまるで関心が無い事を証明するかのように肩をすくめてみせる。
 人語を解していても、人が蟻に向けるのと同種の眼差しだ。
 相手にされていない以前に、存在すらもどうでも良いと表だって言われているに等しい所行である。

「・・・無名の安物だけどさ、手に馴染んだ相棒なんだ。深い意味がないのなら手を離せ。そしてボチボチ本題に入ってくれないか?これでも人を待たせてるんでね」
「よかろう。とりあえずぶっちゃけるとだね、余が硯梨を嗾けた張本人です。ここらで痛い目に遭わせようとチョイスしたぬしだが、思いの他一方的で高評価」
「ぶっちゃけた!背後関係で悩んでいたのが馬鹿らしいぶっちゃけやがった!」
「うむ、つまるところアレはバックに何処の組織も付いていない。あえて言うなら余の手勢だよ」
「んなら、化け物の手先認識でいいのだろうか」
「違う、断じて否。今後なんらかの形で手駒として活躍する可能性はあるがの、基本的に自由意志で活動するフリーダムな単機があの娘。あれは巫女として側に置いとっても、まごう事なき人の子だよ。これでもついこの間までは魔力を操る術無き一般人よ?」
「の割には躊躇いなく全力火力をぶちかまされたような・・・・。怪しい洗脳でもしたんじゃないのかという疑念が払拭出来ないぜ」
「違うっ!あの思い切りの良さとゆーか、歪んだ思考パターンは親の仕業ですよ!?余だってびっくりしたわ!初っぱなで異形らしい姿を見せつけたのに怯えもせず説教されるなんて想定以外に決まっとるだろうが!」

 修慈が疑問という形でつついてみれば、これまでの威圧感は何処へやら。
 化け物こと月はここぞとばかりに愚痴を垂れ流し始めていた。
 その姿を見て修慈は思う。ひょっとして自分は過大評価をしていたのでは?と。

「聞いとるか小僧、昔はあれよ?姿を見せれば人間共は平伏したもんよ?戯れで住み着いた村では神様としてちやほやされたのだよ?それが今ではヒエラルキーの下層・・・何が、何が悪い!現代の力たる金だって掃いて捨てるほど持ってるのだよ!?」
「あー、取り憑く相手が悪かったんじゃないかと。聞きかじった話だが、黒澄さんは大統領どころか神様相手にだって遠慮しない子らしいぞ」
「そうですとも!冗談でも丸飲みの真似をしても動じなかったわ!むしろグーで鼻面殴られて痛い目にあったの余でしたが何か!?」
「よ、よくわからないが強く生きろ」
「哀れまれたよ!余、人の子に上から目線で何か言われた!」

 ともあれ、事態は思ったよりも単純のようで何よりだ。
 話が通じるのならば、詳しく事情を聞くのが吉だろう。

「なぁ――――」
「己と異なる命は奪えても、同族相手ではそうもいかんか?殺さぬよう加減し、それでもなお良心の呵責に苛まれるとは難儀だのぅ」

 底冷えのする重い声が軽口を遮って入り込んでくる。
 ふと思い浮かぶのは長い年月を越えた老獪な蛇の嘲笑だ。
 気づかぬうちにがんじがらめに巻き付かれている感覚は錯覚だろうか?

「ぬしは蟻を踏み潰し、欲を満たす為に家畜を殺し、自然を根こそぎ作り替える人間なのだろうが。たかだか小娘一人如きを叩きのめしたとて何を悩む。ここで余に逃げる事は許さん。知りたいことがあるならば、勝者として本人に直接問うのだよ」

 道化の面から覗き見える鋭い刃が的確に急所を貫いてくる。
 コレへ侮ってはいけない相手だ。侮れば取り返しが付かなくなる存在だ。

「見逃してくれたっつーことが身に染みて判った。ひよらずに向かい合うわ。だからこの場は納めて欲しい。一つ借りを作ったって事で何とかならないか?」
「元よりぬしをどうこうするつもりは持ち得ていない。何処へなりとも消えるがよかろう。ただし、この場の出会いは無かったと言うことで他言無用に。あまり過保護と言われたくないのでの」
「黒澄さんと言う接点がある以上、また出会うこともあるはず。その時が初顔合わせ・・・これでいいだろ?」

 しかし返事は無い。それどころか影も形も消え去っていた。
 真っ向から対峙していたはずなので、瞬きの瞬間を狙って姿を消したらしい。

「いろんな意味で全体像を計りかねる異形だったなぁ・・・お近づきにはなりたくないぜ」

 緊張が緩み吐息と共に本音が零れ出す。とはいうものの、ある意味で助かった。
 異形との命を賭けたお喋りに比べれば、せいぜい気まずい程度の後輩に相対する方がよほど楽である。
 課程はともかく緊張は緩み腹も据わった。さあ行こう、これからが本番だ。
 修慈は微妙に温くなったドリンクを抱え、逃げること無い一歩を歩き始めるのだった。










「先輩、今回は私の負けです」
「潔くていいな」
「でも私は生きています。つまり、試合に負けても勝負に勝ったと言う事じゃないでしょうか」
「屁理屈を・・・」
「何が言いたいかと言うと、理不尽な要求は飲みませんって事でして」
「俺を何だと思ってるのか小一時間問いつめたいわ!しねぇよ!何もしねぇよ!」
「そ、そうなんですか?神無が“奴はマスターの弱みにつけ込もうとする悪い奴です。サンプリングした思考パターンから断言します”って警告を」
「そこの無機物どんだけ俺が嫌いなんだよ!えらい友好的だなぁ、おい!」
『これがぼんくらの交渉術ですので騙されないように』
「うん、用心はばっちり。カートリッジの補給も済ませて有事対策万全だよ」
『こちらの多重ロックも完了済みです。能力の詳細は解析できませんでしたが、この距離で実体を見誤ることはありません。必殺と書いて必ず殺す事が可能と判断します』

 じゃきっと向けられる神無から、本来あり得ないはずの殺気を感じる。

「・・・」
「肋骨を何本か持って行かれちゃって、私から仕掛ける余裕はありません。なので、先輩が一歩でも動いたら専守防衛の権利を発動しますね」
「落ち着け、何でか知らんけどエキサイトするのは止めような?」
『甘言に惑わされるのはいけませんよマスター』
「お前も少し空気読めよ!?話が進まないんだよ!」
『失敬な、本気発言のマスターと一緒にして貰っては困ります。私は全てを理解した上でフナムシ野郎をからかっているだけですので』
「余計悪いわ!黒澄さん、ちょっと乱暴なことするけど抵抗するなよ?」
『ついに本音が出ましたよ。これだから男というのは――――』
「黙れぇぇっ!」

 手を伸ばせば届く距離、それは近接型の独壇場だ。
 硯梨は修慈の動きに反応するも間に合わない。人は考えて行動に移る際に必ずラグが発生するのだから当然だろう。
 しかし剣士を初めとする頭より体を使うタイプは考えるより先に手が出るのだ。
 おまけとばかりに初動でも負け、常に考えてから行動に移る魔術師に剣士を止める術は無いわけで。

『いつか吠え面をかかせてやると宣言してやりますよ人間』

 空を飛んでいく、もとい飛ばされていく神無はせめてもの負け惜しみを投げかける。
 恨み言の一つも言いたくなって当然だ。力任せにぶん投げられて気分を害さない者は居ないだろう。
 かくしてようやく邪魔者を退散させた修慈は荒い息を整えると、硯梨の目に正面から向き合っていた。

「えーと、怪我を負わせた俺が言うのもアレだが・・・・話をしても大丈夫か?」
「はい、私だって無傷のまま勝ちを拾えるとは思っていませんでした。こんな事もあろうかと準備した痛覚を部分的に遮断する術式を発動しているので大丈夫です」
「それを対処と認めて本当にいいのだろうか・・・」
「ええと、自然治癒力を高める術式も併用してますよ?私だってそこまで考え無しじゃないです・・・」
「何とも多彩なことで羨ましいやら感心するやら、複雑な心境だぜ・・・」
「それを言ったら、全身全霊で挑んだのに敗北した私だって同じ気分ですけど・・・」

 同時にやりきれないと溜息を吐く二人である。

「まぁ、諸々の情報で君がフリーで新人な退魔師なのはわかった。諸々の説教含めて社会的ルールを教授しちゃる。反論は許さないからな?敗北の代価だと思ってしっかり聞くように!」
「は、はい」
「先ずは魔術とか一般人に触れさせんの駄目な。何があったか知らないが、隠蔽も無しで教室潰すのなんぞ言語道断!」
「確約はしませんけど努力します・・・」
「しろよ!難しい要求してねぇよ!」
「隠す必要のない手札を晒しても・・・な、何でもないです」
「俺は無茶な要求してないよな?理不尽な押しつけもしてないよな?」
「何故だかいずもに怒られている気分になるよ・・・・」
「あいつを物心ついた時から現在進行形で教育してんのは俺だ。妙な部分まで似てしまった可能性は否定できない。って、話を逸らさない!黒住さんはだなぁ――――」
「ううっ、長そう。いっそどうにか神無を回収して不意打ちでも・・・・」
「そこ、無駄口叩かないでちゃんと聞けっ!」
「は、はいっ!」

 そう言えば以前に親友から聞いたことがある。幼馴染みは教え魔で、将来は教師を目指しているとか何とか。
 試験の点数が赤点に限りなく近づいた時などは、自主的に親に雇われてしごきに来るという話を。
 他人事の時は笑い話だったが、当事者となると面倒なことこの上なかった。

「実は患部の痛みが悪化して――――」
「さも思いつきました的な顔で言っても真実みがないぞ。さあ続きだ」
「負けを認めるんじゃなかったよぅ・・・・」

 せめて場所を変えて欲しいと嘆く硯梨は、出口の見えない長いトンネルに突入するのだった。





-翌日-





 当然の結末と言うべきか、体の誤魔化しはいつまでも続かなかった。
 幸いだったのは綺麗にへし折ってくれたお陰で、治りの早い単純骨折だった事だ。
 保護者を気取る蛇曰く、大人しく回復に専念していれば三日程度で完治するらしい。
 詳しい説明は省かれたがこれもまた神無に仕込んである機能の一つのようで、改めて相棒の高性能さを噛みしめる硯梨だった。

「考えてみたら、何を目標にしていいのか判らないね・・・」
『今更そこで悩みますか・・・・さすが無駄に大物です、マスター』

 天井に焦点を合わせ、物思いに耽る少女は己の片腕にぽつりと問いかけていた。
 どうせ目指すなら頂点。この発想に疑いの余地は無い。しかし仮に最強の頂に辿り着けたとして、どんな景色が見えるのだろう。
 説教の中で修慈は確固たる意志の元に強さを求めていると語ってくれた。
 己の出来る範囲で無辜の人たちを守りたい。その為に強くなりたいと。
 成る程、誰もが納得する本道の理由だ。少なくとも硯梨を除いてはだが。

「私は異形が人を襲う事を悪いと思えない。例えば月が教えてくれた吸血鬼だけど、生きる為に毎日の糧を取っているだけだよね?」
『方法論を無視し、なおかつ快楽的な要素を加味しても大本はその通りでしょう』
「親しい友人とか家族に害を成すなら断固として倒すよ。でも、顔も名前も知らない人たちの為に私は戦えない。だって全てを守るなんて無理だもん」
『それはそうでしょう。それが何か?』
「普通の退魔師は、今話した事をモチベーションにするんだってさ」
『つまりマスターは、私を振るう理由が判らなくなったと』
「・・・・うん」

 剣士に受けた最大の傷、それは肉体ではなく精神へのものだった。
 おそらく本人は無自覚。なにせ一般論を語っただけである。
 しかし、ある意味惰性だけで力を振るようになった少女にとっては悩みの種に等しいのだ。

『ま、まぁ、マスター。そろそろ食事のようです。母上様がお呼びですよ?』
「そうだね、行こうか」

 階下から聞こえる呼び声が救いに思える神無だった。
 稼働日数一月未満。海千山千の老獪な知識を持たず、未だ心の機微に疎い人工知能に内面的な相談をされても困えようがない。
 道具として主人に使われることこそ至上の命題である。
 気の利いた台詞で励ましてやる気を取り戻してくれないと困るのだが、そんな真似が出来ればとうの昔にしているのもまた現実だった。

『・・・後で創造主様に指示を仰ぐ必要があると判断します』

 精神的に追いつめられる杖が居ることに気が付く者は居ない。





「話は判りました。丁度いい機会だと思ってお母さんの実家へ行ってきなさい」

 食事も終盤、テーブルの上が綺麗になった所で娘から悩みについて相談された母はさらりとそう告げた。
 いまいち脈絡のない内容に、一同?マークを浮かべて居るのはご愛敬か。

「お母さんの若い頃と同じスケジュールなら、そろそろ若手を集めて特訓イベントの頃合いだと思うの。思い立ったが吉日じゃないかしら、ちょっと確認してみるわ」

 特に返事も待たず、唯我独尊に事を進める雅美。
 硯梨は悩みのせいか空返事で動じないが、月と睦十は下手に口も挟めずおろおろと所在なさそうに成り行きを見守る・・・・もとい、流されるがままである。

「その声は高次?久しぶり、私よ私。誰だって?いやだわ、私に向かってそんなにも高慢な態度を取るなんて――――」

 携帯電話を耳にあて、にこにことした笑顔のまま

「また病院で流動食の毎日を過ごしたいのね・・・」

 と、やけにリアルな死刑宣告。これは下手に“殺す”と言われるよりもよほど恐ろしい。
 すると電話相手はその言葉の意味を理解したらしく、横で震え上がる男達と同じように態度を豹変させたようだ。

「あらあら思い出した?後ほんの少しでも立場を弁えないで居たら、明日にでも旅券を取ってその口を封じてあげようと思ったのに。そうそう、昔みたいに従兄弟同士仲良く稽古でもつけてあげようかしら。大丈夫、今や私も普通の主婦なのよ?流行の戦国武将風に片眼を潰して・・・え、許してください?ため口の罪を許した覚えはないけど?」

 嬉々として暴言を繰り返す魔王の姿を見て思わず月は口を開いた。問う相手は妙に親近感を覚える硯梨父である。

「母君は・・・な、何者なのだね。そもそも電話先で土下座でもしてると推測される哀れな相手に心当たりはないのかね?」
「従兄弟と言っていたが・・・妻の系譜とはいかんせん付き合いが無い。むしろ関わるなくらいの勢いでさっぱりとしか」
「ふむ」
「しかし確実なこともある」
「何かね」
「俺とあいつのなりそめは大学時代に遡るが、当時の雅美はひたすらに世界を放浪していた。たまに来る手紙は中東のよく知らない国であり、一般人でも危険と判る紛争地域ばかりだった事をよく覚えている」
「ほう、自分探しの旅とやらかね」
「で、冗談のつもりだぞ?国際電話で珍しく連絡してきたあいつにテロ組織が人質を取ったニュースを教えてだな“君の近くで起きているらしいから、暇なら解決したら?”と冗談を言ったわけだ」
「きな臭くなってきたのぅ」
「それから何日かして事件は解決した。それも訳のわからない結末で・・・・」
「余にも展開が読めるが・・・続けるのだよ」
「いやいや、驚いて貰う。蛇君はどんな予測を?」
「せいぜい母君の姿でもテレビに出たのだろう?アドバイザーか何かで」
「はっはっは、自称神様にも驚いてもらおうか。正解はこうだ。結論から言うと人質は無事解放され、組織も壊滅。ハッピーエンドに聞こえるかい?」
「大衆的にも皆納得する結果ではないか」
「救出部隊の政軍、テロを問わずに全滅。外面的には無傷だった人質も、精神に過度の負荷がかかったらしく大半がPTSDを発祥したとしても同じ事を?」
「・・・・おま」
「生き残りは口を揃えて同じ事を証言したそうな。何処からとも無く飛来した普通の矢で戦車もヘリも一撃で破壊され、直後にふらりと現れた東洋人の女が刃物一本で血の雨を降らせたと・・・」
「ぐ、偶然という可能性があるではないか!通りすがりのゴルゴとか!」
「ちなみにそれから一週間音信不通が続いた後、手紙がアルジェリアから届いた。読んでみるといつものように出会った人の話やらなにやらが綴られていて、最後に“頼まれた仕事はちゃんと終わらせました”って内容で・・・・な」

 何とも気まずい間が産まれる。
 しかし月はポジティブだった。元々静謐よりも喧噪を愛する化け物は、リカバリー不能と判断するやいなや話をねじ曲げるべく動いていた。

「おっと、母君の電話も終わるようだよ。この話は又後日にでも詳しく。さあ、過去より今を見据えてお怒りをかわないよう誠心誠意お相手を!」
「初めて出会った時は娘を拐かす風来坊と思ったが、君とならいい酒が飲めそうだ。何はともあれ現状をどうにかしよう。母さん、結局どうなったんだ?」

 夫が向ける疑問の声に、電話を畳んだ妻はとんでもない事を口走る。

「ええと、硯梨ですけどしばらく学校を休ませて田舎に送ります。せっかく術者になったことですし、軽く基礎でも学ばせないと危ないでしょ?」
「ははは、我が家もすっかり人外魔境だな!一般人の俺は盲目的にYESを繰り返すしか他にない!」
「お父さんも異存もなしと。じゃあ硯梨、よく聞きなさい。これは大事な話です」
「?」
「私の名代としてお山の大将気取りの馬鹿共をちょちょいっと捻ってやりなさい。今の貴方じゃ少し手こずるかもしれないけど、相手も新米だから大丈夫。私が教えてあげた色々な事を思い出して踏ん反り返ってる老人達に一泡吹かせるように、ね」

 普通の親が娘に言う台詞ではない。
 しかし、世の中は上手くできている。小さくガッツポーズを取ってみせる雅美に対し、怒るでもなく困惑するでもなく好奇心に溢れる瞳は硯梨のものだ。

「硯梨、貴方の悩みはお母さんも通過してきたの。私にとっての力とは、意にそぐわない理不尽を真っ向から打ち破る我が儘の結晶ね。別に世界とか社会をどうにかするようにご大層な名目は無用だと思わない?」
「・・・目的が強くなる、だけでもいいのかな」
「当然よ。だって陸上や水泳だってそうじゃないかしら。誰よりも速くなりたい、これも自己満足の形でしょう?」
「そっか、そうだよね」
「悩むくらいなら行動に移ること。結果は行動の果てに嫌が応にでも付いてくるわ。とりあえず切っ掛けを作ってあげるから頑張れ硯梨」
「うん!」

 鏡写しのように硯梨もまた拳を握り小さく振る。
 しかし視線は交錯しない。何故ならば雅美の目は椅子によりかけられたもう一人の悩める子羊に向けられていたからだ。

“これで貴方も迷わずに済むでしょう?”

 神無のセンサーが捕らえた、声には出ない唇の動き。
 的確な助言も出来ず、無言を貫くしか無かった杖の思いは全てお見通しだったらしい。
 しかし、意を察しながらも神無は無言を貫く。この場を繕う表面上の感謝は不要だ。主と共に成長し、築きあげる結果をこの人は求めているのだから。

「お母さん、私・・・やる」
「そうね、それでこそ私の娘。弓の一族未だ健在と恐怖を振りまくのよ!」

 かなわない、少なくとも今は。
 なるほど、現時点で主従共々目指す人物像が見えたような気がする。
 勿論、盲目的に追従することが目的ではない。追いつき、追い越して、似て非なる自分の道を確立する為の道しるべとしてである。

「お母さん、一つだけお願いしてもいい?」
「何かしら?」
「もしも私が立派に務めを果たせたらお母さんの術とか技を教えてほしいの。お母さんもその口ぶりだとこっち側なんでしょ?」
「そうね、考えておきます。前もって言うけど、私の退魔師としての顔を聞いても無駄よ?私は普通の主婦になると決めたの。本来なら娘にも魔術系統に触れることのない生活をして欲しかったわ。もう遅いから止めはしませんけど」
「・・・ごめんなさい。でも自分で選んだ道だよ。後悔だけは絶対にしないから大丈夫」
「それでこそ私の血筋ね。そこまで腹が据わってるならきっと大丈夫よ」
「よーし、お墨付きも貰ったし頑張ろう。さっそく準備しようと思うけど、着替え以外に何か必要かな」
「硯梨、旅慣れた旅人は手提げ一つで何処へでも行くのよ。特にあなたは話を聞く限り足を活かした速度重視なのでしょう?有事に備えて身軽じゃないと、ね」
「そうだね、必要量のカートリッジと着替えだけにする」
「それが正解かしら。さて、これからが大変ね。お母さんのつてで足を確保しておくから、明日の出立に備えて今日は早く寝るのよ?いいわね?」
「うん!」
「ああそうそう、蛇さんにはお話があるので残ってくれるかしら?」

 目をきらきらさせ神無を片手に自室へ戻ろうとする硯梨に追従しようとした月だったが、予想外の事態が発生していた。
 考えたくもないが、いつぞやの“夜食”の件だろうか。いやいや、念入りに痕跡は消したはず。
 仮に雅美がトップクラスの退魔師だったとしても、月がやったという痕跡を掴めるはずがない。

「な、何ですかな母上様。余は疚しいことなどななななないですよ?」
「何の話かしら?私は蛇さんが何処でどんなやんちゃをしていても関与しませんよ?もしも叱るとしたら、我が家のルールを破った時だけじゃないかしら」
「そ、そ-なのですか」
「ええ、だから気にせず思うがままの行動は実に結構。さて、少し脱線したので話を戻しましょう。今回の件、貴方はどう動くつもりなの?」
「面白そうなので憑いていき、余程の窮地にでも陥らぬ限り見守るつもりだの」
「駄目です」
「な、何故―っ!?」
「余程の窮地でも手出し無用。この程度で散るならそこまでの器と言うことです。あの子が本気で上を目指すならこんな所で躓くはずが無いわ」
「ふむ、これは試金石かね」
「貴方だって側に置く臣下の格が高くなければ嫌でしょう?干渉は自身の目が不確かだと暗に認めてるのよ?神様がそんな恥ずかしい真似しないわよね?」
「ふーむ・・・・そうだの。余もぼちぼち旧知と会わなければいかんし、硯梨が居ないのであればしばらくこの町を離れるとするかのうぅ」
「じゃあ蛇さんの分の夕食は準備しないことにします。戻ってくる気になったら連絡を入れるように。判ったかしら?」
「ぬはー、急に所帯じみた話に。それでは消耗品関連を余の寵姫に与えたら、速攻で姿を眩ますとしよう。短い間だったが世話になった」
「はいはい、行ってらっしゃい」

 予定が早まったが、いずれやらねばならない仕事を色々と抱えている月である。
 お気に入りと過ごす時を長くする為にも、時を同じくしてこの地を離れるのも悪くない。
 それに前々から試してみたかった人の乗り物を楽しむ良いチャンスだ。
 すっかりその気になった月は、遠足前の小学生と同じ表情を浮かべて自室へと戻るのだった。

「これでしばらく私達だけですね。蛇さんが寄越したお金もありますし、旅行にでも行きましょうか」
「そうだな。有給を消化するチャンスかもしれない」
「これでみんな幸せになれましたね。計算通り、計算通り」
「・・・・何も言うまい」

 人差し指を立てる雅美は、順当に娘が育てば浮かべるであろう笑顔を浮かべている。
 睦十はその姿を見て思う。初対面が揃って硯梨の姉妹と間違えるこの若々しさも魔法の絡みなのだろうかと。
 見た目に反して老獪、よくもまぁ平凡な自分を選んだのかと考えてしまう。
 色々と秘密を抱えているようだが、これを機に少しは話してくれるのだろうか。 

「そんな目で見なくても、ちゃんとお望みの昔話をして上げますからね?」

 全ては雅美の掌の上だった。揃いも揃って孫悟空と同じく、そうなるように誘導されたと気づかぬ一同だった。



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