改作田園の憂鬱の後に
「田園の憂鬱」?の作者自身が、それの改作を凡そ了つた晩に、それの終に、自分と讀者との爲めに書く。
本書冒頭以下の五章は、今からちやうど三年前の五月の作で、同じ六月、雜誌「黒潮」に『病める薔薇』の題で掲載された。この部分は同年十二月に全く改作した。
別に同年九月の作である『續病める薔薇』約五十枚がある。それは兼ねての約束であつたにもかかはらず、雜誌「黒潮」の編輯者かち、それの採録を拒絶された。その原稿を自分は遣棄してしまつた。それ故本書のなかにはそれは收められて居ない。それは勿論、惜しむに足るほどの値はない。第六節以下、即ち本書の大部分は、去年の二月三月の作である。それには發表されなかつた原稿『續病める董微』に書かれた同一の材も雜つて居る。併し、全部改めて書かれたものである。同じ去年九月、雜誌「中外」に『田園の憂鬱』として掲載されたものがそれである。その不充分な作品である理由で、自分はその時までそれの發表を躊躇したのである。
當時、書肆天佑社が自分の第一著作集を出版する計畫があつて、それの頁數の都合からこれを同集のなかに收録したいと言つた。その著作集『病める薔薇』には、改作された『病める薔薇』が『田園の憂鬱』と一つに連續して『「病める蕎薇」或は「田園の憂鬱」』といふ二つの題を持つて、未定稿と斷つたままで收録した。今茲、三月四月、自分は同書に憑つて、先づ可なり多くの誤字脱字を改訂する傍、別に約二萬二千字の字數を加へた。二つの新らしい斷章をも設けた。それは殆んど各頁に行き渉つての増捕で、或は單に字句の創正であり、併しより多くの場所は更に的確精細な描寫と、内容的なリズムの整調とを期し努めたつもりである。
而も、もともと今日から見て落筆を誤つたものがあつたが爲めに、一度不完全に表現されてしまつたものは、今更これをどうすることも出來なかつた。書き足りない部分にでは無くて、反つて書かれて居る部分で、作者をして全く堪へ難いやうな氣持を起させるやうな箇所は、自分をただ徒らに愧ぢしめるのみであつた。冒頭からの五十頁ほどは、(前述の如く最も舊く書かれた
部分であるが、)その最も著るしい例である。そんな部分を私は唯そのままにして置いた。それを改めることは全くの無意味だから。それは、不完全ながら、をかしいながらにも、それ自身がそのままで持つてゐる或る有機的な組織を徒らに毀つばかりであつて、それを改めることによつて或は樣子のいいものにはする代りに、それに脈動してゐる或る物を得て傷け勝ちである。
それは決して藝術に忠實な所以ではない。より忠實な者はこんな場合に寧ろ全部を抹殺すると同じ意味で、全部をそのままに生かして置くであらう。
『「田園の憂鬱」或は「病める蕎薇』は、ともに自分の外的な事情のために、あまりに未定稿のままで、しかも斷片的に發表されたものであつたが爲めに、自分は、最初敢てこれをいくらかでも完全に改作して見ようなどと考へもしたやうなものの、一度書かれてしまつたものをつっ突き返すやうな事は──それの可否は別として──今更らながら全く豫想外に、自分には不可能であり、不愉快な仕事ででもあつた。さう痛感した時、自分は出來るだけ直ちにそのペンを投げ出した。自分はもうそれ以上の不愉快を忍びたくはなかつたから。
自分が、最初にはもつと面目を一變するかも知れない程度での改作を志しながら、敢てそれを存分には遂行しなかつた所以である。かうして、本書改作『「田園の憂鬱」或は「病める蕎薇」が出來た。いつまでも二つの名を負はされたこの一篇は、いつまでも不完全でつぎはぎであるらしい。それでも未だしも、改作した方がよくなつた(?)と、作者はあやふやな自信をもつてさう考へる。けれども他の人人がそれを見て、無駄だつたと言ひ、又故もなく遏去の作品に戀戀として居るものとして笑止がつてくれなければ幸である。とにもかくにも、作者は以後、本書をもつて定本としようとする! 『「病める蕎薇」或は「田園の憂鬱」』を、もし事情が許したならば第一の機會に於てこれ位に纒めて發表するのがほんとうであつた。それが作者の當初の企てでもあつた。
雜誌「中外」に搨載された『田園の憂鬱』が、未定稿のままで、比較的江湖に迎へられ且つ文壇諸家の一暼をも得たことは、年少無名の作者にとつて望外の光榮であつたと言はなければならない。けれども同時に、自ら省みて、それがさまざまな事情で、又さまざまな意味で、まことに喘ぎ喘ぎに綴り合されたもので、心ゆくまでにそれを書き遂げる機會を逸して、自ら親しく體驗し、且つ比較的久しく心にあつた作品としては、その或る世界──それは爭ふべくもなくつまらない、が併し、そこに暫く私が住まなければならなかつたところの或る世界のアトモスフィアは、この作品で再現された時には、情けないほど稀薄な、こくの無いものになつて居るのを感ずる。私のAnatomy of Hypochondrieは到底ものにはなつて居ない。さうしてそれはいくらか増補された今でも依然としてさうである。
しかも今ではもうこれ以上にそれをどうするといふ氣持にもなれないのを、愚痴にも、多少遒憾に思ふ。この書が(──多辯にも、つい自家一個の所感をまで披瀝してしまつた序に、もうしばらく多少の氣恥しさを堪へて書きつづければ、)この書が、近く新に稿を起さうと用意してゐる『都會の憂鬱』が、或は作者自身滿足出來る程度に留かれるやうなことがあつた場合、その時に、それの微かな伴奏としてそれほど邪魔をすることもない姉妹篇としてでも、せめては役立つてくれればいいと自分は願ふ。
一九一九年五月一日
佐藤春夫
本書冒頭以下の五章は、今からちやうど三年前の五月の作で、同じ六月、雜誌「黒潮」に『病める薔薇』の題で掲載された。この部分は同年十二月に全く改作した。
別に同年九月の作である『續病める薔薇』約五十枚がある。それは兼ねての約束であつたにもかかはらず、雜誌「黒潮」の編輯者かち、それの採録を拒絶された。その原稿を自分は遣棄してしまつた。それ故本書のなかにはそれは收められて居ない。それは勿論、惜しむに足るほどの値はない。第六節以下、即ち本書の大部分は、去年の二月三月の作である。それには發表されなかつた原稿『續病める董微』に書かれた同一の材も雜つて居る。併し、全部改めて書かれたものである。同じ去年九月、雜誌「中外」に『田園の憂鬱』として掲載されたものがそれである。その不充分な作品である理由で、自分はその時までそれの發表を躊躇したのである。
當時、書肆天佑社が自分の第一著作集を出版する計畫があつて、それの頁數の都合からこれを同集のなかに收録したいと言つた。その著作集『病める薔薇』には、改作された『病める薔薇』が『田園の憂鬱』と一つに連續して『「病める蕎薇」或は「田園の憂鬱」』といふ二つの題を持つて、未定稿と斷つたままで收録した。今茲、三月四月、自分は同書に憑つて、先づ可なり多くの誤字脱字を改訂する傍、別に約二萬二千字の字數を加へた。二つの新らしい斷章をも設けた。それは殆んど各頁に行き渉つての増捕で、或は單に字句の創正であり、併しより多くの場所は更に的確精細な描寫と、内容的なリズムの整調とを期し努めたつもりである。
而も、もともと今日から見て落筆を誤つたものがあつたが爲めに、一度不完全に表現されてしまつたものは、今更これをどうすることも出來なかつた。書き足りない部分にでは無くて、反つて書かれて居る部分で、作者をして全く堪へ難いやうな氣持を起させるやうな箇所は、自分をただ徒らに愧ぢしめるのみであつた。冒頭からの五十頁ほどは、(前述の如く最も舊く書かれた
部分であるが、)その最も著るしい例である。そんな部分を私は唯そのままにして置いた。それを改めることは全くの無意味だから。それは、不完全ながら、をかしいながらにも、それ自身がそのままで持つてゐる或る有機的な組織を徒らに毀つばかりであつて、それを改めることによつて或は樣子のいいものにはする代りに、それに脈動してゐる或る物を得て傷け勝ちである。
それは決して藝術に忠實な所以ではない。より忠實な者はこんな場合に寧ろ全部を抹殺すると同じ意味で、全部をそのままに生かして置くであらう。
『「田園の憂鬱」或は「病める蕎薇』は、ともに自分の外的な事情のために、あまりに未定稿のままで、しかも斷片的に發表されたものであつたが爲めに、自分は、最初敢てこれをいくらかでも完全に改作して見ようなどと考へもしたやうなものの、一度書かれてしまつたものをつっ突き返すやうな事は──それの可否は別として──今更らながら全く豫想外に、自分には不可能であり、不愉快な仕事ででもあつた。さう痛感した時、自分は出來るだけ直ちにそのペンを投げ出した。自分はもうそれ以上の不愉快を忍びたくはなかつたから。
自分が、最初にはもつと面目を一變するかも知れない程度での改作を志しながら、敢てそれを存分には遂行しなかつた所以である。かうして、本書改作『「田園の憂鬱」或は「病める蕎薇」が出來た。いつまでも二つの名を負はされたこの一篇は、いつまでも不完全でつぎはぎであるらしい。それでも未だしも、改作した方がよくなつた(?)と、作者はあやふやな自信をもつてさう考へる。けれども他の人人がそれを見て、無駄だつたと言ひ、又故もなく遏去の作品に戀戀として居るものとして笑止がつてくれなければ幸である。とにもかくにも、作者は以後、本書をもつて定本としようとする! 『「病める蕎薇」或は「田園の憂鬱」』を、もし事情が許したならば第一の機會に於てこれ位に纒めて發表するのがほんとうであつた。それが作者の當初の企てでもあつた。
雜誌「中外」に搨載された『田園の憂鬱』が、未定稿のままで、比較的江湖に迎へられ且つ文壇諸家の一暼をも得たことは、年少無名の作者にとつて望外の光榮であつたと言はなければならない。けれども同時に、自ら省みて、それがさまざまな事情で、又さまざまな意味で、まことに喘ぎ喘ぎに綴り合されたもので、心ゆくまでにそれを書き遂げる機會を逸して、自ら親しく體驗し、且つ比較的久しく心にあつた作品としては、その或る世界──それは爭ふべくもなくつまらない、が併し、そこに暫く私が住まなければならなかつたところの或る世界のアトモスフィアは、この作品で再現された時には、情けないほど稀薄な、こくの無いものになつて居るのを感ずる。私のAnatomy of Hypochondrieは到底ものにはなつて居ない。さうしてそれはいくらか増補された今でも依然としてさうである。
しかも今ではもうこれ以上にそれをどうするといふ氣持にもなれないのを、愚痴にも、多少遒憾に思ふ。この書が(──多辯にも、つい自家一個の所感をまで披瀝してしまつた序に、もうしばらく多少の氣恥しさを堪へて書きつづければ、)この書が、近く新に稿を起さうと用意してゐる『都會の憂鬱』が、或は作者自身滿足出來る程度に留かれるやうなことがあつた場合、その時に、それの微かな伴奏としてそれほど邪魔をすることもない姉妹篇としてでも、せめては役立つてくれればいいと自分は願ふ。
一九一九年五月一日
佐藤春夫