喝采の澪 ◆1aw4LHSuEI



 【遺跡内部→ギャンブル船前 / 衛宮士郎】


「―――もう、大丈夫だから。行こう、衛宮くん。白井さんのことが心配なんでしょう?」
「だけど、福路はさっきまで倒れてたんだ。もっと休んだほうがいいんじゃ―――」
「30分ぐらいは休ませてもらったから、私は平気」
「福路美穂子については私も補佐をしよう。―――衛宮士郎。本来の目的を忘れるな。誰を救うべきなのか、履き違えるな」
「―――っ。分かってるさ」

 蒼崎により施された処置により、俺の命は助かった。
 福路との魔術的なパスが接続されたことで、彼女の持つ魔力を俺が引き出して使えるようになった……らしい。
 ただそれだけでない、なにやら奇妙な感覚がある。
 福路に言わせれば、それは『この世全ての悪』、らしい。

 『悪』

 それは『正義』を望む俺にとっては正反対の概念だ。
 本音を言えば忌避的な……いや、もっと単純に気持ち悪いものを感じる、といったほうがいいかも知れない。
 だが、それで生きながらえていることも事実。
 福路が『悪』が流れこむことを抑えてくれていることもあり、今、この瞬間俺の思考がおかしくなっている様子もない。
 突然浮かび上がった令呪や、奇妙なあの夢は気にかかるけれども。
 それよりも優先すべきこともある。

 確かに蒼崎や福路の言うとおり助けるべき奴が他にもいるのだ。
 休むことや令呪に付いて調べることなら、合流してからでも可能だろうし。
 今はなにより先に進むべきだ。

 そうだ。今、黒子のグループには女の子しかいないらしい。
 そんな状態で放っていくわけにはいかない。
 俺の調子はともかく福路は大丈夫なのか、気になりはしたのだけれども。
 結局押し切られるようにして、俺達はギャンブル船に向かって出発した。


 そうして辿りついたギャンブル船は―――燃えていた。


「これは……!」
「―――襲撃があったと考えるべきだろうな」
「あれは、ロボット……?」

 夜空を赤く染める炎、高く上がる煙。
 戦闘行為は禁止されているんじゃなかったのか!?
 黒子は……? 天江は……どうなった?
 動揺する俺に対して続けられた言葉。
 両の目を見開いた福路に反応してよく見ると、4メートル程の大きさの人間型のロボットが、いた。
 肩から重火器らしきものを抱えたそいつ。
 明らかに、この惨状の原因だ。

「―――あいつがこれを……?! っ、福路はここに居てくれ、蒼崎は福路を頼む!」
「待って、衛宮くん! 何を……!」
「これをやったのがあいつだって言うんなら……あいつを、倒してくる! ―――そうでなくても、話を聞きたい。
 危ないかもしれないから、ここで待っていてくれ!」

 そう告げて、全力で走りだす。
 背後から俺を呼び止める声が響くけれど、そんな場合じゃない。
 あいつを……許せない。体が、止まらない。
 ペリカで購入したのだろうか。
 今なおギャンブル船の前に立つような機動兵器に対抗できる人間は、恐らくそれほど多くないだろう。
 体の大きさだけでもそうだし、なにより武器としての質が―――格が違う。
 あいつが少し武器を振り回すだけで、一般人ならば、為す術も無く殺されてしまうだろう。
 だったら魔術師である俺なら、なんとかなるかといえば……実のところ、難しいかもしれない。

 だけど、今回だけの話じゃないんだ。
 あいつを見逃せばこれからも力を持たない奴が犠牲になるかも知れないんだ。
 そして、なにより俺は―――純粋に、あいつに対して怒りを覚えている。
 だから、俺がここであいつを―――止めてやる!


 ロボットにまで駆け寄りながら、ギャンブル船を横目に見る。
 ―――実際に近づいて見てみると、ギャンブル船の損傷具合は痛々しいほどだった。
 絢爛豪華な大型客船といった様子は最早なく、戦争に巻き込まれた悲劇の船、という向上が似合いそうに見える。
 始めて三人でこの船見たときのことを少し思い出して、感傷的な気分になった。

 黒子は、天江は無事なのか……?
 怒りと焦りを込めながら、俺はそのロボットに向かって叫ぶ。

「―――ギャンブル船が……! くそ、黒子は、天江は無事か?!
 ……っ、おい、お前がやったのか!?」

 ロボットに向けて叫びながら、ふと思う。
 どんな返事が帰ってくるのだろう、と。
 信長のように、さっき出会った戦争屋の少女のように。
 馬鹿にしたような笑い声でも上げるのではないだろうか。
 俺をいらだたせるような戦闘狂が、こんなことをしているに違いないと。
 そんなことを予想した。

 でも、帰ってきたのは。
 聞き覚えのある、心細そうなただの一人の女の子の声だった。

『……衛宮、くん?』
「―――え? その声、秋山、か?」

 すっ、と。
 体の中で熱くたぎっていたものが、氷を突っ込まれたみたいに冷めるのを感じた。
 自分の耳が信じられない。
 だって秋山は。
 怖がりで、友達思いで、人の事を傷つけられるような奴じゃなくて。
 俺が、探して守ってやらないといけない子の一人で。
 それが―――どうして、こんなところで―――。
 ―――こんなことを、しているんだ?

「なんで……秋山……? お前が、こんなこと……。! 誰かに無理強いされているのか!?」
『―――違う』

 俺が思いついたことを即座に否定する秋山。
 じゃあ、何故……?
 分からなくなる。

『―――衛宮くんたちと別れてからさ、色々、あったんだ。
 律と、会えた。ムギと、会えた。唯と、会えたんだ。
 会いたかった皆と、私はちゃんと会うことが出来た』

 彼女の口から出るのは、あのとき聞いた友人たちの名前。
 そうか、再会できたのか。よかった。
 彼女と始めて会った時の様子を思い出して、一瞬だけ状況を忘れて喜びそうになる。
 だが、待て。
 確か。彼女の友人たちの名前は―――


『―――みんな、みんな私の目の前で死んでいったよ』


 ―――放送で、一人残らず名前を呼ばれていた。

『律は、いつも自分勝手なくせに最後の最期まで私のことを心配してた。
 ムギは、ホントは誰よりも優しいのに、狂わされて私たちを殺そうとしてきた。
 唯は―――最後までいつもの唯のままで、それで、妹のことを守って死んだ』

 言葉が、続かない。
 何を言えばいいのか分からない。
 俺は、彼女に最初になんと言った。
 誰も死なせやしない。
 絶対に友達と再会させてやると。
 そう言ったのではなかったか。
 俺は、今まで、何をしていた―――?

『―――正義の味方なんてさ。いないんだ。誰も助けてなんてくれない。
 自分でなんとかするしかないんだ。―――どんなことをしても。どんな目にあっても!』

 泣き声が、あたりに響く。
 思えば秋山は出会った頃からずっと泣いていた。
 そんな彼女を助けなければと、そう思った。
 それなのに、俺は―――。

『だから―――私がみんなを取り戻すために』

 俺は―――?

『―――死ね、衛宮士郎』

 涙混じりの声の後。
 キャノン砲の銃口が俺に向けられる。
 明らかに対人相手を想定されていないその武器。
 致死を遥かに超えた威力を持っているのだろう。
 だけれども、それを理解していながらも、俺はそれに反応することが出来ない。

 秋山の言葉が心に響く。

 俺は、秋山を守ってやるべきだったんじゃないのか。
 俺はもっと、こいつにしてやるべきだったんじゃないのか。
 俺が今からでも。こいつに出来ることはないのか。

 ―――俺は、こいつに殺されてやるべきなのか?

 迷いが生まれる。生じた隙は素人の秋山にすら捉えられるほど大きなものだった。
 やっと我に帰った俺の直前。
 発射された銃弾は、確かにこっちに向かって直進していた。

「駄目っ!!」

 突如として目の前に黒い泥が現れ、砲弾を包みこむ。
 だが、それだけで大口径の砲弾は勢いは止まらない。
 わずかに遅くなった程度でこちらに向かって進み続ける。
 そこを思い切り飛び込んできた影に担がれて、俺は着弾範囲から逸れたようだ。
 爆発。同時に響く轟音。激風。
 今まで立っていた場所が熱で赤くなっているのが分かる。

「―――なにやってるの、衛宮くん!」
「福路……」

 俺を助けたのは、置いてきたはずの福路だった。
 何故、着いてきたんだ危ないんだぞ。そんな言葉を口にしかけてやめる。
 何より危なかったのはさっきの俺だ。

「あなたには、ちゃんと守ってあげなきゃいけない人がいるんでしょう!
 だったら、もっとちゃんとしなさい! あんなことしないで!」
「……いや、秋山も、俺が守ってやらないといけなかったんだ。
 なのに、俺はずっと放ったらかしで、あいつをあんなに思い詰めさせてしまって……」
「それなら!」

 言葉を途中で遮られる。
 両目を開いた彼女。
 蒼と紅の瞳。
 その目で、俺の瞳が凝視される。

「今からでも助ければいいでしょう! あなたのせいで苦しんでいるというのなら、尚更あなたが助けないといけないでしょう!
 あきらめちゃいけないんでしょう! 自分の命を! 誰かのために自分を犠牲にしちゃいけないって、あなたは……!」
「―――ああ……ごめんな、福路。そうだった」

 開いた両目から溢れる涙を見て、俺は自分を取り戻す。
 この瘴気に、秋山の感情にあてられて自分を見失っていたのかもしれない。
 言い訳にもならないかも知れないけれど。
 今からでも、秋山を止めないと。
 だって、あいつには殺人なんてちっとも向いていないんだから。

『……あんた、もしかして福路美穂子か』
「秋山さん……」

 福路の声を聞いて、少しだけ、秋山の声が震える。

「秋山さん! 唯ちゃんは優しい子だった!」
『……知ってるよ! あんたなんかより、ずっとずっと私は知ってる!』
「だったら分かるでしょ? そんな唯ちゃんが誰かを犠牲にすることなんて望むわけ無い! もう、こんなこと……!」
『―――そんな唯が、こんなところで、殺されていいわけ、ないだろうがあああああああああああああああああ!!』

 激昂した秋山の声。悼むようなその声。
 何かをすり減らしているかのように殺人を否定するその言葉は、そのまま自身にも返ることを理解しているのだろうか。

 ―――ああ、やっぱりこいつには殺人なんて全く向いていない。

 だって、誰よりも。
 今お前の行為に辛そうにしているのはお前じゃないか。
 殴った人も拳が痛いなんて話をよく聞くけれど。
 今の秋山は自分で自分を殺しているようなものだ。
 助けて、やらなくちゃいけない。
 そう誓いなおして、俺は秋山の乗るそれを見た。

 そいつは、まず大きなキャノン砲を放り投げて捨てた。
 弾が切れたのか、それともこの近距離では余り役に立たないと感じたのか。
 どちらなのかは分からないけれど、攻撃するという意思を失ったわけでないのだけは確かだ。
 だって、次にそいつが行ったのは、腕に装着していた武器をこれ見よがしに展開することだった。
 そして、それを大きく振り上げて、そのままこっちに叩きつけてくる。
 ―――たったそれだけの単純な攻撃。けれど、もともとの体のサイズ差が大きい。
 何たって、高さだけでも明らかに俺の身長の二倍以上はあるのだ。
 いったい重さで言えばどれほど違うのか。すぐには想像もできない。

 ―――食らうわけにはいかない!
 そんな当然のことを考えながら、飛び退いて攻撃を躱す。
 福路も上手く避けたようで、攻撃は空振り地面に突き刺さった。
 ドン、と一瞬地面が揺れる感覚がする。
 見れば、舗装されたアスファルトが陥没している。
 感じさせられるのは、圧倒的な質量差。
 流れる冷や汗。
 一撃でも当たれば、死ぬ。
 否が応にもそれを理解させられる。
 あの狂戦士と戦ったときにも近い重圧感を覚える。
 油断しちゃいけない。
 乗っているのが秋山でも。
 このロボットには充分人を殺すだけの能力がある―――!

「衛宮くん、右に避けて!」

 その声に従って右側へ飛ぶ。
 なんとか回避を間に合わせて、またしても地面に向かって叩き込まれる攻撃。
 だが。

『な、なんだこれ……!』

 ぬる。
 地面は舗装されたアスファルトでなくなっていた。
 展開されているのは―――黒い泥。
 底なし沼のようなそれが渦巻いて、ロボットの腕を掴んでいた。
 福路の、アンリマユの力。

「あれは……」
「―――衛宮くん! 私が隙を作るからそこを攻撃して!」
「……分かった!」
『くっ……離せ、離せっ!』

 思い切り体を後ろに倒して、それでも泥からては抜けない。
 ならばとばかりに秋山は足についたホイールを高速回転させて後方へ下がろうとする。
 だけど、それが福路の狙いだった。
 泥が、一気に消える。

『えっ……と……うわっ!?』

 当然、いきなり離された機体のバランスは大きく崩れる。
 なんとか転倒はしなかったみたいだけれど―――!

「―――今!」

 福路の台詞に眼だけで返答する。
 ―――ああ、分かってる!

「―――投影、開始(トレース・オン)」

 ―――一本の剣を想像する。
 それは王の選定の剣。
 それは気高い彼女の剣。
 弱者を守ろうとした彼女の象徴。
 だから、今。
 秋山を助けるために、力を貸してくれ、セイバー!

 体に魔力を流して強化する。
 ―――すごい。
 魔術回路が焼き切れるかと思うほど大量の魔力が流れこんでくる。
 カリバーンの投影のあとだというのに殆ど消耗も感じない。
 普段の魔力をバケツで汲んだ水に例えるなら、今は水道の蛇口のように豊富に、いくらでも。
 魔力が湧いてくるような感覚がする―――!

 振り切れんばかりの魔力を用いて跳躍。
 ロボットの頭と同じ高さに。
 バランスの崩れたその体は、後ほんの少しだけ押してやれば倒れるような気もする。
 だけど、この質量差。
 俺が叩き込むのは全力の一撃でなければならない。

「秋山―――!」
『な……そんな……嘘だ。違う違う違うっ! 私はっ!』

 自分がどうなろうとしているのか、気がついたのか。
 否定の声を上げる秋山に、俺は思い切り勝利すべき黄金の剣を振り下ろした。

「―――ちょっと痛いけど、我慢しろ!」

 溢れる光の奔流。輝かしい光の刃。
 潤沢な魔力を余す所なくつぎ込んで激しい衝撃を伝えていく。
 後ろに吹き飛ばされるロボット。
 激しく半回転して頭部がアスファルト舗装の地面に叩きつけられる。
 だが、それでもまだ勢いは完全に殺されない。
 さらにそこから頭部を起点に回転は続き、ゆっくりと無防備なまま、仰向けに倒れこみ、やっと回転はそこで終わった。

「―――……」

 脚を強化しながら着地。
 今まで扱ったことがないほどの魔力を使ったため、体に痺れのようなものが残っている。
 やった……のか?
 ―――冷や汗が、流れる。
 耐え切れなくなり福路の方を向く。
 福路は、深刻そうな表情で、俺に向かってうなずきを返した。
 俺はもう一度ロボットに向き直って言う。

「―――秋山、俺達の勝ちだ」

 …………。
 ―――ロボットは、沈黙を守ったままピクリとも動かなかった。
 ……やばい。

「……もしかして、やりすぎた、か? 秋山、生きてるよな……?」
「き、きっと……」

 違う、ここまでするつもりはなかったんだ……。
 滑って転ばせて泥で拘束して、その間にコクピットから引きずり出すつもりだったんだ……。

 いや、言い訳しても仕方がない。
 目をあわせて頷きあい、俺達は秋山をロボットから引き出すことを決めた。



  †  †  †


 【夢 / 秋山澪】


 夢と分かる夢のことを明晰夢というらしい。
 夢だと気づく理由は様々だろうけど……やっぱりありえない状況だってことに気づくことが多いんじゃないだろうか。
 少なくとも、私が夢だと気付いた理由はそうだった。

「―――澪先輩」
「―――みーお」
「―――澪ちゃん」
「―――みおちゃーん♪」

 梓が、律が、ムギが、唯が。
 そこにはいた。

 ―――ああ、夢か。

 見渡せば周囲は真っ白だ。
 どっちが上か下かも分からない。
 なにも目印もない空間。
 そんな中に、私たち五人だけが、いつもどおりにそこにいる。
 ―――いや、私だけは違う。
 私だけは、いつもの学校の格好じゃない。
 ここに来てから着せられたメイド服、頬についた刀傷。
 それは消えていない。

「澪、取り敢えず座れよ」

 いつの間にか、気がつけばいつもの部室になっていた。
 夢のなかだからか。便利だと思う。
 律に薦められたとおりに椅子に座る。

 ―――みんながいた。
 じわり、と。涙が溢れてくる。
 恋しかった。嬉しかった。これがたとえ夢だとしても。
 この光景をもう一度見たくて、私は戦うと決めたんだ。
 だからこそ、情けなかった。
 サザーランドまで手に入れて、それなのにこんな簡単に負けてしまった自分が。
 悔しかった。

「あー、もう、泣くなって澪」
「そうだよ、澪ちゃんが頑張ってたの私たち知ってるよ!」

 律が、唯が慰めてくれる。
 こんなどうしようもない私を受け入れてくれる。
 そうだ、やっぱり私は。
 この光景を取り戻さないといけない……!

「だから、もういいんですよ、澪先輩」

 え?

「もう、頑張らなくてもいいのよ、澪ちゃん」

 何を……言ってるんだ。梓、ムギ。
 足りないよ。
 私、まだまだ何も出来ていない。
 もっと頑張らないと。
 死ぬ気で頑張らないと。
 お前たちを生き返らせることが出来ないじゃないか。

「―――うん。だからさ、私たちのことは、もう諦めてくれ」

 ……なんでだよ。
 どうしてそんなこと言うんだ!
 思いっきり律に詰め寄る。
 律はいつもみたいにへらっと笑って私に言った。

「いやー、だって私たち死んじゃったしな。―――死んだ奴が生き返るなんてさ、おかしいよ」

 澪だって、幽霊怖がるじゃーん。
 そういう口調は軽いものだったけれど。
 律の眼の色はどこまでも真剣で私はとても怖くなる。
 似合ってないよ、なんだよ、その眼。

 おかしくてもいい!
 変でもいい!
 お前たちだったら怖くなんてない!
 幽霊でもゾンビでもなんだっていい!
 頼むから私の側にいてくれ……!
 私は、お前が、お前たちがいないと……。

「―――駄目だなあ。澪は」

 駄目、だよ。
 私だけじゃなにもできないよ。
 お願い。
 側にいてよ、ねえ、お願いだから。
 律、りつ、……りっちゃん。

「そんな駄目な澪にはさ、人殺しなんて向いてないよ」

 こつん、とおでこを私の額にぶつけてくる。
 まっすぐな律の瞳が怖い。

「生きてよ、澪。私たちがいなくたってさ。ちゃんと。―――それだけが、私の、私たちからのお願い」

 見渡せば、梓も、ムギも唯も頷いている。
 なんで、そんな顔で笑うんだよ……。

「大丈夫、澪のことを好きになってくれる人はいっぱいいるよ。今は辛くてもさ、いっぱいの人が心配してくれる。
 落ち込んだ澪のこと支えてくれる。―――それで、いつかさ、私の知らない友達を作って、幸せそうに笑える日がきっとくるから。 だから、逃げるなよ、怖がるなよ、「現実」を。きっと辛いと思うけど。でも、抗うんだろ?」

 私が、起源を知ったときに決めたこと。
 「畏怖」と「逃避」
 それから抗うこと。
 だけど、ずっと私は逃げていたのかも知れない。怖がっていたのかも知れない。
 律たちが死んでしまったという「現実」から。

 だけど。
 ……お前は、律は、それで、いいのか?
 私が、お前の知らないところで勝手に笑っててもいいのか……?

「……いいよ。そりゃあさ、一緒に笑っていられる方がいいけど。―――私がいないせいで澪が笑えないよりはずっといい」

 流れる涙が止まらない。
 何を言ったらいいのか分からない。
 言葉に、ならない。
 ただ、ただ夢だと分かっていても、律の体を思いっきり抱きしめた。

「―――泣き虫だなあ。澪は」

 似合わない真面目な顔で律は言う。
 やめてよ。
 そんな、もう終わりみたいな言い方は。
 いやだよ。やっぱり。
 私は―――。

 ―――律。

「―――なに?」

 生きてくれ。私たちがいなくても生きてくれって、言ったよな。

「うん」

 し……

「し……?」



「知、る、かあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」



 そう叫ぶと同時に、私は頭突きを律に叩き込んだ。


  †  †  †


 【ギャンブル船前 / 福路美穂子】


『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』

 長い長い絶叫が聞こえてきたのは、ロボットが動かなくなってから、ほんの数十秒ほど後のことだっただろうか。
 ロボットの中からどうやって秋山さんを引きずり出せばいいのか考えていた時だった。
 声と共に、起き上がるロボット。
 妙にその動作だけは手馴れている。
 今までの沈黙は内部で気絶でもしていたということなのだろう。
 少し驚いた。でも、それ以上に安心する。
 よかった、もし死んでしまっていたらどうしようかと思っていた。

 ……それに、対処方法ならさっきのでだいたい分かった。
 ロボット自体の攻撃方法の少なさ、彼女自身が戦い慣れていないという事実。
 引き出しが少ないから、弱点を補うことさえ出来ない。
 もう、彼女には勝ち目はないだろう。
 衛宮くんも分かっているようで、一瞬の安堵の表情の後、厳しく変えた顔で降伏勧告をする。

「秋山、悪いけどもうお前とそのロボットには負ける気がしない」

 だから、もう、やめておけ。
 そう言って騎士の剣を構え直す衛宮くん。
 だけど、秋山さんはそれを聞いていないのだろう。
 関係の無い言葉がスピーカー越しに鳴った。

『……ごめん、譲れない。―――譲らない』

 その声は、何かが吹っ切れたような。
 何かを切り離してしまったような。
 そんな嫌な声だった。

『でも、私の幸せを、お前たちが決めるなよ。お前たちが私に生きていて欲しいと思うぐらいには。
 ―――私も、お前たちに生きていて欲しいんだ』


 肩に鉤爪状の武器が二つ発射される。
 私を抱えて衛宮くんが跳躍する。
 向こうも躱されたのを見て、直接攻撃しようと、脚のホイールを回転させながら進んでくる。

「福路!」
「わかった!」

 ロボットの進行ルートの足元を、泥に変える。
 生身の人間が触れれば無事では済まないそれも、ロボットならば徐々に腐食していく程度。
 先程の使ったことで足止めには最適だと判断した。
 脚の仕組みからして主に平地での利用が基本なのだろう。
 泥地に足を取られてあからさまにロボットはバランスを崩した。
 後はさっきの通り。
 大きさが違っても、バランスが崩れたところは弱い。

「無理だ、秋山。もう―――」
『―――あんたなら、諦められるのか? 絶対に無理だから、やめろって言われて!』
「それは……」
『私は―――いやだ! それが“現実”だって、“運命”だって言うんなら、私はそれから逃げきってみせる!』

 肩から発射した武器を引き戻すロボット。
 それを、今度は周りの倉庫へと突き刺して……。
 ! あれは、もしかして……!

「衛宮くん、あのワイヤーを切って!」
「―――! ああ、分かった!」

 一拍置いて気がついたのか衛宮くんも力強くうなずき、聖剣が光を放つ。
 そして、案の定ロボットを持ち上げて泥から抜けだそうとしていたワイヤーに命中した。
 ワイヤーの強度がどの程度だったのかは分からないけれど、ロボットを支えられる程度はあったはずだ。
 それが、ただの紐の様に断ち切られる。再度放たれる光の奔流。
 ワイヤーを使って泥から体を引っ張り出そうとしていたロボットは、中途半端に上昇して落下する。
 そこにあるのは泥の沼。もう、衛宮くんに攻撃してもらうまでもない。
 泥を動かして、脚以外にも、腕を絡めとる。
 ―――これで、あのロボットが持っていた武装は全て封じたはず。

「やったか……?!」
「―――うん、これでもう動けないはずよ」

 もしも、無理に脱出しようとしても私の泥も動かすことが可能。
 少しぐらいの悪あがきは通用しない。

「さ、衛宮くん。早く秋山さんを下ろしましょう。……抵抗してくるかも知れないから、気をつけて」
「ああ、でも早くしよう。ギャンブル船の方には黒子がいるからもう避難してるとは思うけど……。
 もしも、まだ誰かいたら危ないし」

 ギャンブル船の炎はまだつづいている。
 あの中に人が残っているとは考えたくないけど……もしもいるのなら早く助けないといけない。
 そう言って、ロボットに近づいていく衛宮くん。
 これから、彼女の説得やギャンブル船の探索と忙しくなるな。
 そんなことを考えながら泥の制御をしようとして―――。

 ―――?

 そのとき、なんとなく違和感を感じた。
 ―――ロボットは、先程から沈黙を続けている。
 何故、彼女は悪あがきをしていないんだろう……?
 さっきとは違う。泥が少しはクッションになったはずだから、気絶するほどの衝撃が加わったってことはない。
 彼女の今までの動向からしても、無理だから、諦めるはずなんて、ないのに。
 ―――まさか。
 ぞくっ、として自分の全感覚を総動員して周囲を見渡す。


 ―――いた。


 衛宮くんは気づいていない。
 まずい。
 アレがなにかは分からないけれど。
 ―――絶対に、喰らってはいけないものだ。
 考える前に体が動く。


「衛宮く―――!」


 彼の背中に体当たりをして、そして。
 そして、全ては黒く飲み込まれていく。
 全て深く沈んでいく。

 ―――ああ。残念だけど、それで、私は終わる。


  †  †  †

【ギャンブル船前 / 衛宮士郎】


 思いっきり突き飛ばされて地面に転がる。
 はっきり言って不意打ちだった。
 全くもって想像だにしない方向からの衝撃。
 そして、同時に聞こえた福路の声。

 ―――まさか、福路に押されたのか?

 どうして。
 何故。
 そんな感情が頭を支配する。
 自分は彼女に何か気に触るようなことをしただろうか。
 いや、たとえそうであれ、彼女はこんな時にそんなことで応えるような人間だっただろうか。
 とにかく福路に問おうと思い、俺は顔を上げた。

 そこに、福路はいなかった。

 ――――――。
 え?
 俺はさきほど突き飛ばしてきた奴の方向を直接見た。
 そこには、福路はいなかった。
 いや、誰もいなかった。
 黒子じゃあるまいし、人がそう簡単に消えるはずがない。
 つまり、どこかにいる、のだ―――?

 ?

 気づく。
 足元にいる、黒い、何か、に。
 ガリガリと奇妙な音を放つものに。
 ネコのようなシルエットを持つソレは、平面だった。
 厚みが、ない。
 昔どこかで聞いた怪談話を俺は思い出す。
 影の、人を食う、怪物。
 そいつは、それを俺に想起させる。

「おま、えは―――?」

 見れば、よく、みれば。
 そいつはその大きな口に「何か」を咥えている。

 やめろ。

 「何か」は、棒状に見える。
 長さも、太さも、そう―――人の腕ぐらいだろうか。

 それ以上は―――。

 そして、どこかで見たことのある、薄い茶色をした布に包まれていた。
 ―――ああ、見覚えがあるはずだ。
 あれは俺の制服だ。

 気づくな―――!

 ゴクリ、と。
 不気味な音がしてそいつは。
 「福 路 の 腕」を飲み込んだ―――!

「――――――な、」
「衛宮士郎。本当はあんたを狙った」

 原因不明の恐怖。
 福路のことを案ずるよりも先にそれが体を支配する。
 後ずさった俺に追い打ちをかけるように、秋山が、声をかける。

「……お前、なんでそこに。―――いや、俺を狙ったって、」
「ワイヤーが切られる前にコクピットハッチを開けて逃げ出してただけだよ。
 ……私の起源『逃避』なら。受け入れてしまえば不可能なことじゃない」

 久しぶりに見る秋山の姿。
 俺は、それから目を離せない。

「―――福路美穂子は、あんたを庇って死んだよ。そのネコに、ぐちゃぐちゃに引き裂かれて。
 バラバラになって、生きたまま食われて死んだ。私が、やった」
「秋山―――」

 秋山は、嘘をついていない。
 それが、どうしようもなく分かってしまい。
 ガチン、と。
 頭の撃鉄の上がったような音がした。


「二年生なの? じゃあ、私の方がお姉さんなんだ」

 そう笑った彼女を、覚えている。

「――それじゃあ衛宮くんは、ここに来る前からずっと戦ってたんだ……」

 そう言って、感心したような顔を覚えている。

「今度はわたしが……誰かを救う番なんだと思う」

 ……あいつはどこか、俺に似ていた。
 だから、俺は言ったんだ。
 受け売りの。だけど、俺の心に響いたその言葉を。

「だって福路が死んだら、俺が悲しむだろ」

 それなのに、福路は、俺を庇って、死んだ―――。
 同じように助けなくちゃならないはずの、秋山が。
 福路を。
 ―――殺し、た。

 秋山を。どこかで侮っていた。
 どこか、見下していた。
 あいつに人なんて殺せないと。
 あんなものは、子どもが駄々をこねているのと変わりないと。
 本気で、人を殺せるはずがないと高を括って。
 その結果が―――これか。

「―――あんたも、ここで死ね」

 黒いネコが、福路を食ったネコが迫る。

「う、わあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 訳のわからない叫び声を上げて、俺は勝利すべき黄金の剣を投影する。
 怒りか、悲しみか、それとも恐怖か。理解出来ない衝動を叩きつけた。
 だが、ネコは、止まらない。

「な、なんだ、こいつ……!」

 攻撃が効かないのか。
 思わず後ずさる。
 全身に魔力を用いて逃げれば追いつかれることはなさそうだが、引き離せもしなさそうな速度。
 それでも、捕まるわけにはいかないと魔力を引き出そうとして。
 パスのつながっていた福路がもう、いないことに気づく。
 まずい、このままじゃ―――。


 ―――だが、魔力は俺に供給された。


 ドクン。
 心臓が、震える。
 撃鉄が、下りたような音がする。
 なんだ……これ?

 殺セ。殺セ。殺セ。殺セ。
  殺セ。殺セ。殺セ。殺セ。
   殺セ。殺セ。殺セ。殺セ。
    殺セ。殺セ。殺セ。殺セ。
     殺セ。殺セ。殺セ。殺セ。
      殺セ。殺セ。殺セ。殺セ。

 黒い感情が、心の底から沸き上がる。
 それは、混じりけのない純粋な殺意―――。

 殺す?
 俺が、秋山を?
 そんなこと、許されない。
 理性的な部分がそう告げる。
 ―――だけど、それはとても甘美な誘いのように思えた。

「そうだ。殺せ」
「そいつは、悪だ」
「福路美穂子を殺した、悪だ」

 夢に見た悪魔が、そこにはいる。
 俺と同じ姿をして、俺と違う顔で笑った。

「でも、秋山も、この戦いの被害者―――」
「被害者は加害者にならないとでも言うのか?」
「弱者だから悪ではないとでも思うのか?」
「もう、分かっているだろう?」
「あいつは、紛れもない殺人者だ」
「悪だ」
「生かすな。……そうだろう」
「正義の味方は、いつだって悪の敵でしか有り得ないんだから」

 間違っている。
 そう、それはきっと間違っている。
 だけど。
 憎い。
 イイヤツだったのに。自分よりも他人のことを先に考えるような奴で。
 それなのに、この殺し合いに巻き込まれて狂わされて。
 やっとそれから解き放たれて。
 これから、もう一度生きていく、はずだったのに。

 ―――秋山が殺した。

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

 俺は、福路美穂子を殺した秋山澪が、憎くて憎くて仕方が、ない。
 ―――ああ、黒子。
 お前の言っていたことがよくわかる。
 確かに。確かにそうだ。
 満足して死ぬなんて自分勝手だ。
 ほら、だって。
 俺は今、こんなにも悲しい―――。

 変わりゆく意識の中で彼女のことを思う。
 そして、最後に俺が見たのは、笑いながら俺に手を伸ばす悪魔の姿。
 ―――そして、無表情にその手を取る俺の姿だった。


 黒い刺青のようなものが体を纏う。
 スピードが、跳ね上がる。
 福路から魔力を貰った時だって、こんな力は使えない。
 最速の英霊を思わせる速度。
 手に装備したカリバーンは黒く染まっている。
 だけど、そんなものを気にするはずもない。
 ネコを置き去りにして一直線に目指すのは秋山澪(フクシュウノタイショウ)。
 殺す、殺す、殺す。

「―――殺してやるよ、秋山」

 秋山澪は、オレの豹変ぶりをみて驚いているのか、その場から逃げ出そうともしない。
 もっとも、たとえ起源で逃げ出そうが今のオレには無意味。
 どの道すぐに殺してやっただろう。
 無様に悪に相応しく。

 秋山は、ただ、オレのことを見ていた。
 泣いていた。
 思えばこいつはずっと泣いているような気がする。
 出会った時から。
 再会した瞬間から、ずっと。
 弱いくせに。
 弱いくせにこいつが福路を殺した。
 戦おうとさえしなければ、もう少し長生きできただろうに。
 バカナヤツ。

 ぽつり、と口が動いたようにも見えた。

「やっぱり、正義の味方なんていない」

 そう聞こえたように思ったけれど。
 今のオレにはどうでも良かった。

 オレは神速を持って、秋山に漆黒のカリバーンを振り下ろした。


  †  †  †


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273:悪夢 -壊れた幻想- 福路美穂子 281:おわりのはじまりⅤ「最後の挨拶」
273:悪夢 -壊れた幻想- 荒耶宗蓮 281:おわりのはじまりⅣ「アリー・アル・サーシェスと秘密の鍵」
281:おわりのはじまりⅡ「東横桃子は笑わない」 衛宮士郎 281:おわりのはじまりⅣ「アリー・アル・サーシェスと秘密の鍵」
281:おわりのはじまりⅡ「東横桃子は笑わない」 秋山澪 281:おわりのはじまりⅣ「アリー・アル・サーシェスと秘密の鍵」


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最終更新:2010年09月02日 21:29